もうどれほどの時間をここで過ごしているかわからなかった。 自分の目の前に見えているある人の部屋のドアをノックするべきかするまいかで悩み、 それだけのことでもう随分と長い時間腕を組んで頭を悩まし、この場に立ち尽くしている。

今日は、ヴァリアーに配属になってから初めての特別な日だった。 今のは少し語弊がある。 ヴァリアーに配属になって初めて祝う特別な人の誕生日だ。 特別な人だなんて言ってしまうとまるで自分の恋人を指すような言い方だが、 実際はそうではない。 10月10日。 恋人などという甘い関係どころか、何かと物騒な職場の上司であり、泣く子も黙るあのヴァリアーのボスの誕生日である。 自分のボスであるザンザスの誕生日を祝いたいという思いは、恋愛感情の上に立つなどという不埒なものではなかった。 ヴァリアーに配属されてからまだ日が浅いとはいえ、 何かにつけてザンザスが、自分に対してかなり寛大な措置を取ってくれることへの感謝である。 それはこの男ばかりの職場において自分が女だから大目にみられているのか、はたまた本部の綱吉から何か言われているからなのか不明だったが、 正直意外だった。 ヴァリアーに配属になり、実力で幹部になったとはいえ、 自分が彼に相手にされるなどとは思っていなかったからだ。 他の幹部の皆とはうまくやりながらも、 ボスである彼にはなるべく迷惑をかけないようにやっていこうと思っていた。 だからこそ自分がその彼にこんなにも目を掛けて貰えていることが驚きだったし、 彼が10年ほど前、彼自身よりも一回り近く年下の次期ボンゴレボス候補とその守護者達をひねり潰そうとした男とは到底思えなかった。 自分が初めて彼に会ったのはちょうどその10年ほど前の頃だったが、 当時でさえ大人だと思えていた彼が今はより大人に見える。 容姿だけではない、内面から溢れんばかりの大人の余裕が漂っていた。 これがここ数年彼が丸くなったと言われる所以なのだろうか。 話を戻そう。 というわけで普段からボスへは感謝の気持ちでいっぱいだが、 とはいえ何もない日に突然これは感謝の気持ちですと言って何かお礼の品を渡すとか、 突然感謝の気持ちを伝えるだとかいう思い切ったことをする勇気はなくて、 したところで『いらねえ』だの『ほっとけ』だのと一蹴されるのも怖くて、 今まで伝えようにもできなかったこの感謝の気持ちを、 このザンザスの誕生日という絶好の機会を借りて形にしたいと思ったのだ。 こうして彼の部屋の前に立っている理由はただ一つ、ザンザス本人に何か欲しいものは無いかと聞くためである。 ただこの絶好の機会を手にしても、未だに彼に自分の思いを拒否されるのが怖くて、 それを実行しようかするまいか悩んでいたのだった。


「(とはいえこのままずっとここにいるわけにもいかないしな…)」


廊下につっ立ってうじうじ悩んでいるのもそろそろ終わりにしなければならない。 自分は今日は非番の日だとは言え、他の同僚には仕事をしている者も多い。 そういえば今日はこれからレヴィが任務から帰ってくると聞いている。 いつだってボスの傍にいたいと思うボス愛の強い彼のことだ、 恐らく帰って来るなり速攻で報告書を仕上げてザンザスに届けに来るに違いない。 とすると、いつまでも自分がこの部屋の前で突っ立っているわけにもいかない。 この自分の愚かにも挙動不審な姿を見られてしまう。さて、そろそろ覚悟を決めようか。 一つ深呼吸をしてから手を伸ばし、自分の前に立ちはだかる分厚い壁を指で数回叩く。 返ってきた返事に恐る恐るが部屋に足を踏み入れると、案の定ザンザスは仕事中だった。 デスクに就き、書類に目を落としているのが離れた場所からでも見て取れた。 『失礼します』と声を掛ければ、視線を上げた彼の鋭い視線がに注がれる。


「…か、何の用だ?」
「えっと、あの…実はちょっとボスにお聞きしたいことがありまして」


が遠慮がちにそう切り出せば、ザンザスは腰掛けていた椅子に身を深く沈め腕を組んだ。


「なんだ、何かあったのか」
「い、いえ、そういうわけではないんですが、ちょっと訳ありで…」


言葉を濁すようにがそう言えば、ザンザスは怪訝そうに眉を寄せる。 彼のデスクには今日処理しなければならないのであろう書類の束が積み上がっていた。


「あっ、でもボス今お忙しいですよね、書類もこんなにたくさんありますし」


声を掛けたは良いが忙しそうな上司の姿を見て思わずの腰が引けてしまう。 言いづらそうに言葉を濁した部下の様子を見て取ったザンザスは、 彼女の視線がバツが悪そうに泳ぎ始めたことに気付くと、 本当に何かあったのではないかと心配になったようだった。


「…いい、もうすぐ終わるから座って待ってろ」


それだけ言ってまた書類に目を落としてしまったザンザスには一瞬だけその場に立ち尽くす。 どう考えてももうすぐ終わりそうにはない程に積み上がった書類を見て、 彼が自分のために時間を作ろうとしてくれているのだと察したは、 来るタイミングが悪かっただろうかと不安になった。 折角の誕生日だ、彼の機嫌を損ねないうちに彼の欲しいものをサッと聞いて帰ろう。 そんなことを考えながら、座れと言ってくれたザンザスの厚意を受け止めて、 彼のデスクの前に並んでいる長ソファに腰を下ろした。 この部屋に長居するのは初めてだった。 なんなら自分がこの部屋のソファに腰を下ろすことなど一生無いのではないかと思っていた。 そもそもザンザスの職務室に訪れることなど今まで本当に僅かでしかなかった。 ヴァリアーに所属することになってまだまだ日が浅い自分は、 仕事の報告書は一旦スクアーロに提出して確認してもらっているため、 直接ザンザスの元に提出しに行くことはほとんどない。 確認してくれるスクアーロが長期で任務に就いてしまったときぐらいである。 初めてじっくり見るといっても過言ではないボスの部屋を、 彼に嫌がられない程度に観察しながら彼の仕事がひと段落するのを待つ。 仕事部屋ゆえ必要以上に物が無い部屋だが、品や質の良さそうな調度品は彼の趣味の良さを表していた。


「で、何が聞きたい?」


ぼんやりと部屋を見まわしていると、いつの間にか書類をまとめ終えていたザンザスがに声を掛ける。


「あっ、あの、ボス今日お誕生日ですよね?」
「…だったら何だ」
「実はあの、折角なのでこの機会に日頃の感謝を込めて何か贈らせていただきたいなと思いまして」


が恐る恐るそう告げれば、ザンザスは一瞬呆気に取られた顔をした。 どうやら驚いたらしかった。 彼の反応を窺うようにが唇を軽く噛んで彼の顔を見つめると、 ザンザスは小さくため息をついた。


「頼んでねえ、それに部下の面倒を見るのは上司の仕事だ」
「もちろんそれは重々承知なんですが、それにしてもあまりにもお世話になり過ぎている気がしまして」
「…余計だってか」
「い、いえ!そうではなくてその分並々ならぬ感謝の気持ちがあるのでその気持ちを形にしたくて!」
「……」
「だから、その、ボスは今何か欲しいものありますか?少しぐらい高くても全然良いので」


眉尻を下げ、遠慮がちに投げかけられた問いにザンザスはしばし口を噤んだ。 普段から彼女に少し目を掛けているのは事実だったが、 それを彼女に感謝して欲しいと思っていたわけでもなければ、その見返りを求めていたわけでもない。 本当に彼女の上司として彼女に足りない部分を少しだけ補っているだけのつもりだった。 正直それに彼女が気付いているとも、そのことに気付いた彼女がそれを気に掛けているとも思っていなかったのだ。 彼女の失敗を処理しているのは自分だとは言え、それは本当に小さなものだった。 ヴァリアーに来てまだ日が浅いとは思えぬほど、細やかな気遣いが出来る彼女は驚くほど優秀だった。 わざわざこんな物騒な、面倒な場所に送り込まれて来たのも頷ける。 仕事だけではない、男ばかりのここでは彼女の人柄に皆癒されているのをザンザスは知っていた。 彼女が来てからとりわけ幹部達の様子が変わったのだ、もちろん良い意味で。 誰かの顔色が悪ければ声を掛けて気遣うし、疲れている者には労いの言葉を掛けたり、 落ち込んでいる者がいれば話を聞いて、隣で微笑んでいる。 そんなことが何だと思う者もいるだろうが、ヴァリアーとて人間の集まりである。 他人から向けられた優しさに癒される者はたくさんいる。 彼女が女であるからこそ為せる技かもしれないが、それはどの女にでも出来ることではないだろう。 ボスである自分にだけでなく、自分の部下であり彼女の同僚でもある人間達にも気を配る彼女の優しさをザンザスは買っていた。 だからこそ少しのミスぐらい、大目に見てやるべきだと思っていたのだ。 もう少し日が経ち、経験を積み重ね、仕事に完全に慣れてしまえばきっとそんな些細なミスも、今に皆無になってしまうだろう。 本来なら彼女から何かを貰いたいとも貰うべきだとも思わないが、 普段から他人に気遣いばかりしている彼女のことだ、何かを返さなければ気が済まないのだろう。 どんなことでもいい、その気持ちを受け止めてやるべきだと思ったザンザスは では何を彼女から貰おうかと少しばかり思案した。


「お前に高いモンを貰わなきゃいけねえほど、俺は落ちぶれちゃいねえ」


決して怒っている風では無かったが少し呆れた様な色を含む言葉が部屋に響き、 は意図せずザンザスのプライドを傷つけてしまったかと思った。 やってしまった。あれだけ折角のこの誕生日の日にボスの機嫌を損ねることだけは避けようと思っていたのに。 焦りのあまり彼女の背を冷や汗が伝いそうになった。


「そ、そうですよね…!すみません、そもそも私なんかがボスにプレゼントだなんて出過ぎた真似を」
「そうは言ってねえ、金額なんて気にすることじゃねえと言っている」
「え?えっと、それって…」


プレゼントはしても良いってことですか?とが言葉を続ける前にデスクに座っていたザンザスが腰を上げた。 彼女が彼の動きを目で追っていると、その姿が自分の座るソファに近付いてくる。 驚いて思わず少しだけ身を引くが早いか『少し詰めろ』とに声を掛けたザンザスがと同じようにソファに腰を掛けた。 元より横長の大きなソファゆえ、がスペースを詰めずとも彼が座るスペースは十分にあった。 それなのになぜ自分を端に追いやるのだと不思議に思いながらが手すり近くまで移動すると、 突然ザンザスの身が傾いた。


「膝貸せ」
「えっ、ええ?!」
「ちょうど休憩しようと思ってたところだ、少し寝る」
「ぼぼぼぼぼ、ボス???!!!」
「感謝の気持ちなら、これでいい」


そう言うなり自分の膝の上で目を閉じたザンザスの姿には開いた口が塞がらなかった。 一体何が起きているのか、ばくばくと心臓が鳴っている。 慌てふためき過ぎて、少し寝る、の少しとは一体どのぐらいの時間のことなのだろうか、 などという野暮な考えさえ頭に浮かんできてしまう。 が身を固くしたまま今の状況を掴みかねていると、閉じられていたザンザスの目がすっと開いた。


「おい、
「は、はい…」
「まだ聞いてねえ」
「え?」
「プレゼントがどうこういうより先に、俺様に言うべき言葉があるんじゃねえのか」


ザンザスにそう言われてがはっとする。 彼の誕生日を祝いたいという気持ちが一番だったはずなのに、 いつのまにか彼に感謝を示したいと言う気持ちがの方が自分の中で先走ってしまっていたせいで、 肝心な言葉を伝え忘れていたのだ。 まさかそれをザンザス本人に求められるとはは思ってはいなかったが。


「お、お誕生日おめでとうございます…ボス」


が慌ててそう言えば、彼女をじっと見つめていたルビーレッドよりも深い色の赤が満足げに緩んだ。 そのまま再び瞳が閉じられると、まもなくして本当に眠りに落ちてしまったらしいザンザスの頭の重みが の膝に掛かる。 しかし今のにとってそんなものは無いに等しかった。 ザンザスが自分の近くに来てからもうずっと胸の高鳴りがおさまらない。 ましてや皆が恐れ戦くヴァリアーのボスが自分の膝の上で寝息を立てているのだ。 彼の存在を知った時から随分と顔の整った人だと思っていたが、こんなにも間近でそのお顔を拝める日が来るとは。 一体ボンゴレの中のどれだけの人が、いつもは仏頂面な彼のこんなにも無防備な表情を見たことがあるだろうか。 彼に誕生日プレゼントをあげるどころか、 自分の方がとんでもないプレゼントをもらってしまったのではないかとさえは思った。 ザンザスの上で真っ赤になってしまった自分の顔を両手で覆ったは、 いろんな感情が入り交じった溜息を、彼を起こさないようにと気を付けながらそっと静かに一つ零したのだった。


それからまもなくして報告書を届けにきたレヴィが、2人の姿を見るなり ショックのあまり乙女のような甲高い叫び声を上げたので、それを聞いたザンザスが目を覚ましてしまい、 とても今日が誕生日の人とは思えないほど不機嫌になってしまうことを、この時の3人はまだ知らない。


きっと不可逆の夢を見ている


ボスお誕生日おめでとう!遅れてごめんね!今も昔も大好きです!

お題配布元様:誰花
(20201017)


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