「ベル先輩ってー、どうしてそんなに前髪が長いんですかー?」


いつも通り談話室のソファに踏ん反り返り、自分の近くに座るカエル頭の後輩に向かってナイフを投げ付けていたベルは、その同僚からの問いに眉を顰めた。


「は?なんだよ急に」
「正直別にミーはどうでもいいんですけどー、部下の皆さんが気になってるらしいんですよー」


普段から無表情なフランにはそれがデフォルトではあったが、 言葉通り自分は全く興味がないという顔のまま、部下に聞かれたという質問を、フランはベルに投げかけた。


「くっだらねー、そいつらに黙れって言っとけよ」
「いやですよー、嫌ならベル先輩が自分で言っといてくださーい」
「けっ、相変わらず可愛くねー後輩、だな!」


ベルの言葉尻に力が入ったのは、言葉を言い切るのと同時にフランへ向かって再びナイフを投げ付けたからである。 フランはフランで『ベル先輩パワハラはやめてくださーい』と軽口を叩いているくせに、 自分のカエル頭に刺さったナイフには目もくれない。


「てめーも興味ねーならいちいち王子に報告してくんなっつーの、まじうぜーんだけどそーいうの」
「んー、でも確かに気になるか気にならないかって言われたらどちらかと言うとミーも前者なんですよねー」


フランに対し相変わらず掴めない後輩だとベルが思っていると、 座っていたソファからフランがおもむろに立ちあがった。 突然どうしたのかとベルが彼を見やれば、どこに隠し持っていたのか、いつのまにやらフランの手にはハサミが握られている。 ぎょっとしてベルが目を見開くが早いか、少し離れた場所にいたはずのフランは少しずつベルとの距離を縮めていた。


「フ、フランてめっ、そんなもん持ってなにする気だよっ」
「部下の皆さんも気にされてることですしー、折角なのでー、ベル先輩もたまにはイメチェンしてみたらどうかなーって、思うんですよねー」
「はあ!!??なにがせっかくだよふざけんなっ、っつーかこっち来んなよ!」


ハサミを開いては閉じ、カチカチと音を鳴らしながらフランがベルに近付いてくる。 フランが自分の前髪を切ろうとしていることに気付いたベルが、身の危険を感じ、これは本当にやばいことになりそうだと身を起こそうにも、ソファに踏ん反り返っていたのが仇になってしまった。 身を深く沈めていたため、体を起こすのに時間が掛ってしまったのだ。あっという間にフランはすぐ傍に来ていた。


「怖がらなくても大丈夫ですよー、切るのは一瞬ですから安心して下さーい」
「っ、くそっ、フランてめっ、マジでふざけんな!」


普段は無表情なフランの口角が、微かにだが上がっているのがベルにはわかった。 目尻すらもいつもより少しだけ下がっている。 彼が完全にベルを面白がっているのはわかっていたことだが、その割に真剣な瞳を見ると、彼は本気でベルの前髪を切るつもりらしい。 最後の抵抗とばかりにベルが逃げようとするも、ソファの上からフラン圧し掛かってくる。 小柄な割に自分を押さえつける力の強さにベルは思わず息をのんだ。


「フランてめっ、一体その細腕のどこにこんな力あんだよっ!」
「ベル先輩に言われたくないです―」
「ちょっ、まじで、やめっ、どけっつーの!」
「ほら、切りますよー?暴れたら危ないですから大人しくしてて下さいね―」
「あっ、おい、ほんとにやめ…っ!くそ、」


楽しげにますます口角を上げたフランの持つハサミの先が、まもなく自分の髪に触れそうだとベルが焦った時、 彼等のすぐ傍でがちゃんと何か食器が割れたような音がした。 動きを止めたフランとベルが共に視線をそちらへ移せば、 その場には呆然と立ち尽くしたままのが、ベルとその上に馬乗りになっているフランを見つめていた。 手から滑り落としたのか床に敷かれている絨毯の上には、 ステンレスのトレイと珈琲が入っていたのであろうカップの残骸が散らばっていた。 器を失った液体が絨毯に染みを広げていく。


「あ、さん」


ベルに馬乗りになったままフランが彼女の名を呼べば、 我に返ったのか呆然と立ち尽くしていただけのの顔がみるみる赤く染まっていく。 男2人にしてみればなぜ彼女が真っ赤になっているのか、その時点ではわからなかった。


「ご、ごめん、私2人がそういう関係だって知らなくて、」


顔を赤らめた彼女がそう発言したことによって、 ベルとフランはの顔が赤い理由に気付くことになった。 男2人、ただ揉み合っていただけのことなのに、彼女は何かとんでもない誤解をしたらしい。 確かに男が男に馬乗りになっていれば、そういう勘ぐりをしてしまう可能性はあるのかもしれないが、 ベルにとっては自分の恋人であるはずのにそんなことを思われてしまうのは心底心外だった。 否定の意味も込めて彼女に向かって男2人同時に『『はぁ!!!???』』と叫ぶも、 それは彼女には何の影響ももたらさなかったようだ。


、おまえ…何言ってんの?」
「そ、そうですよー、僕達がまさかそんな関係なわけないじゃないですか、さん頭でも打ったんですかー?」


焦った2人がそう返してもの顔は赤いままだ。その上納得がいかないとばかりに言い返してくる。


「べ、べつにもう隠さなくていいから!」
「はあ?!おっ、おまえ何言ってんの?意味わかんねーんだけど…まじで」
「意味わかんないのはこっちのセリフ!フランとそういう関係なら、もっと早く言ってよベル!」
「なっ、そう言う関係って、おまえそれ本気で言ってんのかよっ」
「だっ、だって今フランがベルに馬乗りになってたから…っ!普通ならそ、そういうことしてたのかと思っちゃう、じゃん!」


そう言うなりは顔を赤らめたまま、それ以上は言えまいと唇を噛んだ。 彼女から馬乗りという言葉を聞いて、確かに未だ自分の上に覆いかぶさっているフランの方に視線を戻せば、 同じようにから自分の方に視線を戻したフランと目が合った。 お互い何度かまばたきを繰り返して見詰め合うと、 本当に一瞬だが自分とフランがそういうことをする姿が脳裏をよぎってしまい、ベルは慌てて力一杯フランを押しのけた。


「てめっ、いつまで上に乗ってんだよ、どけ!」
「わっ、と!ベル先輩は乱暴すぎるんですよー、急に危ないじゃないですかー」
「危ねーのはどっちだよ!」
「別にそんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないですかーミーと先輩の仲でしょー?」
「てめーはいい加減その誤解を生む様な発言やめろっつーの!てめーのせいで俺達がゲイだと思われたんだろーが!」
「ちっ、っていうかミーがベル先輩と出来てるとかまじむりなんですけどー、ミーそんな悪趣味じゃないですよー」


この期に及んでもまだ『まあ受けよりは攻めの方がいいですけどー』と言いながら、フランはやれやれと首を振る。 そんな彼に対してベルが文句を垂れていると、その隙にが逃げるようにして談話室から駆け出していってしまった。 完全に勘違いしてしまっている彼女を引き止める暇もなかったベルが、予想もしていなかった展開に舌打ちをする。


「追いかけた方がいいんじゃないですかー?ベル先輩」
「ったく、誰のせいだよ、このクソガエルが!!!」


彼に投げつけるべきナイフの手持ちを切らしてしまったベルが、 珍しく素手でフランのカエル頭を殴りつけてやれば、フランが『いった!』と叫び声を上げる。 それを聞く暇すら惜しみ、ベルはのあとを追い、急いで談話室を後にした。













「おい、!待てって!」


邸内の廊下を足早に進むの背をベルが追いかける。 一体どこに逃げるつもりなのかと思うが、この道筋からすると恐らく彼女の自室だろう。 声を掛けても足を止める気配のない自分の恋人に少しばかりイラつきを感じながら、ベルは彼女の背を追った。 自室の前まで辿り着き、彼女が急いで部屋に入ろうとしたところでベルはようやくその背に追い付いた。 見えた横顔は、未だに一度持った熱を逃がし切れていないようで、朱に染まっていた。 中に逃げ込もうとが開けかけたドアを許さないとばかりに手を叩きつけて閉めさせると、 彼女がびくりを身を震わせ、身を固くする。


、おまえ勝手にオレから逃げんのはいーけど、そこ入ったらどーなるかわかってんの?」


唇を噛んで顔を反らせた彼女が、自分のその言葉をどう取ったのかベルにはわからなかった。


「ごめん、本当に見るつもりなくて、」
「だからそんなんじゃねーって、まじできもいからそれ以上言うなよ」
「べ、別に私は、2人の関係を非難するつもりも皆に言うつもりもないから、安心して」
「おい、ちゃんと話聞けって、、、オレの恋人はおまえじゃねーの?」


ベルの恋人は自分のはずなのに、それを忘れたかのようにフランとの関係を推す彼女にベルはいい加減うんざりした。 こちらを向こうともしないの態度にむっとしたベルが、彼女の頬に手を伸ばす。 ぐいと引き寄せ自分と目を合わさせると一瞬合ったはずの視線がすぐに泳いでしまい、 それがますますベルの神経を逆撫でた。


「そんなに疑うならオレがゲイじゃねーって、ちゃんと身を持って教えてやるよ、


一つ舌打ちをしたベルがにそう言えば、そこでやっと彼女の視線がベルを捉えた。 押さえつけていた彼女の部屋のドアを乱暴に開き、強引にを押し入れると、ベルは彼女をそのまま床に押し倒す。 『べ、ベル…!』と慌て出すの目には、 ぺろりと舌舐めずりをしたベルの肩越しに、自分の部屋のドアが静かに閉まっていくのが見えた。


吹き消したら次の星


御題配布元 : 誰花
(20201014)

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