雲雀さんを初めて見掛けた時の印象は、怖そう、無愛想、乱暴そう、だった。
ただそれは学校内に広がり生徒から生徒へと伝えられる雲雀さんの恐ろしい噂によって、
予め悪い印象が自分の中に刷り込まれていたからだ。
彼とは口を利いたことも無かったが、
どういうわけか偶然にも初めて雲雀さんが笑った顔を見たとき、彼があまりにも優しい表情をしていたので
普段とは真逆の印象を受けてしまい、心底驚いたことを覚えている。
と同時に彼は本当は優しい人なのではないかと思った。
彼がいつからか傍に小鳥を肩に侍らせるようになっていたり、
更にはペット?のハリネズミと戯れているときの穏やかな顔を、
また別の機会に偶然にも目にした時には、年相応のあどけない少年の顔をしていたのでそのギャップに思わず目を奪われてしまった。
彼は小動物が好きなのかもしれない。彼等を心から可愛がっている様子が見て取れた。
以前頭に浮かんだ雲雀さんという人は実はきっと心根の優しい人なのだろうという予想は、
次第に紛れも無い確信に変わっていった。
ただ一つ付け加えなければならないことは、彼のあの穏やかな表情を見られる人はそう多くはないのだろうということである。
彼のあの優しい瞳が向けられるのは、きっと彼に心から愛される者だけなのだろう。
当時まだ中学生だった私は、言葉を交わしたことも無い雲雀恭弥という存在に対してぼんやりとそんなことを思っていた。
数年後、それが自分の予想通りだったことを知り、話したことも無かった雲雀さんと長い付き合いを重ねた結果、
その特別優しい眼差しがまさか自分に向けられることになろうとは、
幼かった当時の私は夢にも思わなかったのである。
綱吉が話している。
ボスである綱吉の職務室に集められた皆が黙って彼の話を聞いていた。
皆がいつも屋敷にいるわけではない。
部屋を見回せば、つい昨日も会った人間もいれば、
久しぶりに見る顔やあまりにも長らく顔を見ないばかりに行方不明だと思っていた人物の姿もあった。
真剣に我らがボスの話を聞いている者もいれば、
眠たげに小さく欠伸を噛み殺している者もいる。
詳しく言えば前者は獄寺で、後者は山本だった。
雲雀さんと言えば聞いているのかいないのか、
壁に背を預けたまま目を瞑っている。
恐らく聞いてはいるのだろうが、一見話の内容に興味すらなさげに見える雲雀さんの瞼はボスの話が終わるまで上がることはなさそうだ。
長期任務にでも出かけていたのか久しぶりに獄寺の顔を見たが、相変わらずボス命らしい。
彼がいつ屋敷に戻ってきたのかは不明だが、端正な横顔には疲労の色が滲んでいるにも関わらず、
真剣な表情で俺はボスの右腕だと言わんばかりに綱吉の傍に立っている。
後者の山本には昨日屋敷の廊下ですれ違った。仕事帰りだったらしい。
それよりも前に彼に最後にあったのは三日ほど前で、姿を見ない日も多い。
彼も忙しく仕事をこなしているようだ。
先程から何度も欠伸を噛み殺している山本の彼らしいその姿に、思わず笑みがこぼれる。
獄寺と同じで彼も昔から変わらない。いつも自然体で場を和ませてくれる存在だった。
ボスの話が終わるまでに、彼はあと何度眠たげに目を細めるのだろうかと好奇心に駆られていると、
山本がこちらの視線に気付いたらしい。
もう何度目か分からない欠伸を左手で隠しながらこちらに向かって右手を上げた。
思わずこちらも片手を上げて苦笑を返すと、
肩を竦めた彼が意識をはっきりさせようと目を瞬かせたあと、綱吉の方に向き直った。
彼の身を正す姿勢を目にして、自分も同じく意識を他に飛ばし過ぎていたことに気付く。
ボスである綱吉の話はファミリーの近況報告から次に変わって、
週末に屋敷で行われるパーティーの話になっていた。
真面目な話から少し娯楽的な話に変わったことで、そろそろこの集いも終盤を迎えそうだと悟る。
そう思っている内に解散の言葉が聞こえて、ボスに向けられていた皆の視線が散り始め、部屋がざわめき出す。
どうやら話が終わったようだ。
久しぶりに会ったのだ。疲れ切った姿の獄寺に、労いの言葉でも掛けに行こうか。
部屋を出ていく人の流れが落ち着いたら彼の元へ向かおう。
そんなことを考えながら部屋のドアに向かう人の流れに視線を合わせていると、横から「ねえ」と知った声が掛けられる。
雲雀さんだった。
「あ、雲雀さん、お疲れ様です」
「君もお疲れ」
「雲雀さんもしかして、話の最中寝てませんでした?」
「僕がかい?まさか、、、僕は山本とは違うからね」
「あはは、武が眠そうなの雲雀さんも見てたんですね」
「近くにいたからね、あれだけ欠伸されたらこっちにも移るよ」
「…やっぱり眠かったんじゃないですか」
そういう意味で言ったんじゃないと反論する雲雀さんの口から、面白い程に丁度良いタイミングで小さな欠伸が漏れた。
これではつい先程の私の問い掛けに肯定したようなものだ。
バツが悪そうに他所に視線をやった雲雀さんに思わずふき出しそうになると、
それに気付いた彼の視線がうるさいよ、と私を咎めんばかりにすぐ戻ってきた。
「そういえば」
「なんですか?」
「さっき山本と何かやり取りしてたみたいだったけど…何してたの?」
「あ、見てたんですか?あれは武がずっと眠そうに欠伸を噛み殺していたのが面白くて…笑ってただけです」
思わず先程の光景を思い出してふふと笑みを零す。
自分のいるこの場所からは少し距離があるのだが、
いつのまにか綱吉の隣に移動していた山本を見やれば、
雲雀さんも同じように彼に視線を移した。
山本は綱吉の肩に手を掛け、励ますように彼の肩を軽く叩いていた。
途端にそれまで険しかった綱吉の表情が少し和らぐ。
彼らが何を話しているのかここからでは全くわからないが、
山本の優しさがきっと今、何かしらの綱吉の悩みを軽くしたのだと思った。
やはり変わらない、彼の、山本の明るさはボスである綱吉にとってもこのボンゴレファミリーにとっても必要なのだ。
山本とは反対の位置で同じように綱吉の隣に立つ獄寺も昔と変わらない。
「10代目に気安く触るな」と山本に対して声を荒げる姿を今まで何度見てきたことだろう。
彼らとは古くからの友人だが、いつも彼らのあの様子を見る度にとても微笑ましく思うのだ。
私と同じように彼等3人を見やっていた雲雀さんの視線が、私より先に戻ってくる。
続いて私に視線を投げかけるなり、彼等を微笑ましく思う私の心情を察したらしい。
「君たちは昔から本当に仲が良いね」
「まあ、学生時代をずっと一緒に過ごしてきましたからね」
「僕があれだけ群れるなと何度も何度も蹴散らしてきたのに、全く聞かなかったよね彼等は」
「あはは、綱吉達にとっては雲雀さんも仲の良い友達の一人ですよ」
「………僕はそういうの、いらないけど」
そんな話には付き合っていられないという顔をした雲雀さんが、
実はそういった話題に加えられることを、昔は本当に嫌がっていたのかもしれないが、
今では口で言う程悪くは思っていないことを私は知っている。
昔は散々群れるな、君たちと慣れ合うつもりはないなどと強く主張してきた雲雀さんが
最近は昔より丸くなったことは、彼と古い付き合いの人間にとっては周知の事実である。
心を開いているとは言わないが、仲間を受け入れようとする気持ちは昔よりは少なからずあるらしい。
いつも照れ隠しで拒むような言葉を口にするが、内心はまんざらでもないのだ。
彼自身それを私に気付かれていないと思っているのがまた面白くて思わず笑みを零すと、
何笑ってるのと不満そうに雲雀さんが唇を噛んだ。こういうときに素直では無いところが雲雀さんの可愛いところだ。
私の笑みの意図するところを知ってか知らずか、話題を変えようと、ところでと雲雀さんが切り出してくる。
「君達の仲が良いのは悪いことでは無いし、彼等と仲良くしたいと思う君の気持ちは尊重するけど」
「……?」
「僕以外の男をあまりにも熱心に見詰めるのは……感心しないな」
今この状況での「僕以外の男」が意味する人物が山本であることはすぐに分かった。
何を言い出すのだと雲雀さんの言葉に顔を上げると彼は私と距離を縮め、何を思ってかその長くて細い綺麗な指で私の目元をそっと撫でた。
一瞬何が起こったかわからなかった。体中が一気に熱を持つ。触られた箇所が熱い。
突然の雲雀さんの行動にどうしたらよいかわからず、
口は半開きの状態で身を固くし、頬を染めたままなす術も無く彼を見詰めていると、
私の反応が面白かったのか、雲雀さんが目元を緩め優しい表情でふっと微笑んだ。
これだ、この表情である。
昔、中学生だった頃に初めて見た雲雀さんの穏やかな表情が重なった。
雲雀さんがこの表情を向けるのは特別な感情を持つ相手しかいない。
その特別な感情が今自分に向けられているのだ。
嬉しい気持ちとどうしようもなく恥ずかしい気持ちが胸を支配する。
どきどきしすぎて心臓が爆発しそうだ。
「ひ、ひ、ひ、ひ、ばり、さん」
「何」
「こ、ここで、そ、そういうことをされる、のは…ちょっと」
「ちょっと、なに?」
「み、皆が見てます」
「だから?」
何が問題だとばかりに平然とそう言ってのける雲雀さんから視線を逃し、周りに視線を泳がせる。
部屋の中にはまだたくさんの部下達がいた。
ただでさえ異彩を放つ雲雀さんの存在はそこにいるだけで皆の視線を集めてしまうのに、
こんな公然の場で男女がいちゃついていたら、嫌でも皆の注目を集めてしまう。
現に、努めてこちらを見ない様に部屋を出ていく者もいれば、
興味はあるのか盗み見るようにちらりと視線を向けていく者、気まずそうに目を反らしていく者もいた。
これのどこが問題ないというのだ、私にとっては恥ずかしめに過ぎなかった。
今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちに駆られたが、自分の背後は壁だった。
綱吉の話の最中はずっと壁に背中を預けた姿でいたのだが、それが仇になってしまったらしい。
雲雀さんに目の前に立たれてしまえばもう左にも右にも逃げられない。
目元をなぞった細い指が愛おしむ様に今度は頬を滑っていく。
息が止まりそうだった。
雲雀さんの瞳は先程と同じように緩み、口角は弧を描いている。
これ以上何かされたら本当に頭がパンクしそうだ。雲雀さんの顔が見られない。
いろいろな恥ずかしさに思わず唇を噛み締め俯くと、
少し身をかがめた雲雀さんがどうしたのと視線を合わせてくる。
「雲雀さん、そんなに見ないでください…!」
「どうして」
「心臓に悪過ぎるし、そんなに見つめられたらいろんなところに穴が開きそうです」
「今更なに言ってるの、君は僕が自分の恋人を見つめたらいけないって言うのかい?」
「い、いけなくはないですけど、ちょっともうそれ以上は、私の心臓がいろいろと持ちません…」
自分の大好きな人に君の顔が見たいと言われればもちろん嬉しいが、
雲雀さんの場合は何せ顔が良過ぎるのだ。
そんな人に間近で自分を愛おしむような眼差しで見詰められ、
優しく触れられたら心臓を鷲掴みにされるのと同じこと。
呼吸すらままならなくなってしまう。
そんな責め苦についに耐えきれなくなって両手で自分の顔を覆うと、駄目だよと言いたげに優しく手首をつかまれる。
私の手を退かせ、再び私の表情を見ようと雲雀さんの手に少しだけ力が込められた。
「」
「っ」
「、僕を見て」
機嫌が悪い時の雲雀さんは何でも強引に力ずくで物事を進めようとするが、
それは常では無かった。
普段は至って冷静に物事に対応するので、こちらが反抗したり強く嫌がらなければ彼も優しいのだ。
狂犬と恐れられる彼のこの本質を一体どれほどの人が知っているかはわからないが、
優しく誘導されるような声で名前を呼ばれれば、魔法を掛けられたように隠していた顔をついまた晒してしまう。
「僕だけ見て」
「ひ、ばりさん」
「古くからの友人を大切にするのはいいことだけれど、君が他の男を見るのは耐えられない」
「っ…!」
「だからずっと僕だけ見ていて、いいね?」
優しい瞳に釘づけになる。雲雀さんは最初からこれが言いたかったのかもしれない。
決して強制ではない、それでいて雲雀さんの瞳と言葉には有無を言わせない拘束力があった。
彼は十分理解しているのだ、私が自分しか見ていないということを。
だから恐らく私が山本と密かに視線を交わしていたことを怒っているわけではないのだが、
例えば自分の愛する存在がほんの小さな可愛い過ちを侵した時、それを優しく諭すかのように私を窘めたのだ。
自分を愛おしむ優しい瞳に、パンクしそうな自分の頭は言葉を発する力を奪われたようだった。
もちろん最初から返事など決まっている。自分の全てを溶かされるような甘い投げかけに
必死で首を縦に振ると、再び雲雀さんの瞳が優しい光を湛えたまま嬉しそうに細められた。
「いい子だ」
あやすように頭を優しく撫で、満足げな雲雀さんがそっと私から離れていく。
彼が部屋から出ていく様子を横目で見ながら、壁に背中を預けたままずるずるとその場に崩れ落ちた。
雲雀さんの学生時代を知る者や彼を並盛の狂犬だと呼ぶ人々は、
彼のあんな姿を見てもまだ彼に恐れ戦くのだろうか。
信じられないと多くの者が言うかもしれないが、本物の狂犬があんなに優しい表情をするだろうか。
少なくとも私にとって彼は狂犬ではないが、顔面凶器であることは間違いなかった。
まさかヒバードやロール、そして大切な並盛の平和を見守るときのあの優しい瞳が
自分にも向けられる日が来るとは。
そもそも自分と雲雀さんがそういう関係になるなんて、彼と初めて会った日の自分は夢にも思わなかったのだ。
雲雀さんの恋人になったと知った旧友達は皆驚き、心配されるが、
一番驚いているのは私自信である。
彼を知るごとに彼の優しさや本質に気付き、どんどん好きになってしまう。
雲雀さんは自分が私に向ける、その眼差しがこんなにも私を骨抜きにしていることに気付いているだろうか。
そもそも自分が他の人には滅多に見せない穏やかな表情を私に向けていることに自体に、気付いているのだろうか。
もしかしたら自分にそんな穏やかな表情があることにすら気付いていないのかもしれない。
未だ落ち着かない胸の高鳴りに呼吸を乱しながら、熱の引かない頬を押さえる。
雲雀さんから注がれた甘過ぎる愛情に胸を震わせ、思わず緩みそうになる顔が誰にも見られない様に、
私はその場に蹲ってまた一人顔を覆いながら幸せの余韻を噛み締めた。
柔爪の采配
「今の…見たよな?」
「当たりめーだろ、あんなに見せつけられたら見たくなくても視界に入る」
「見たくないって獄寺は冷たいなー、俺は正直良いもの見させてもらったと思ったぜ」
「はあ?どこが良いものなんだよ、あいつらのいちゃついてるところ見て楽しむなんて悪趣味もいいとこだろ」
「はは、そういう意味じゃないんだけどなー」
「あぁ?他にどういう意味があるってんだ、ねえ10代目?」
「………」
「10代目?」
「え?…あ、ごめん、なに?獄寺くん」
「ぼーっとしてどうかされたんですか?」
「い、いや、なんかびっくりして…雲雀さんがあんなに優しい表情することって滅多に無いから」
「あの雲雀がだもんな…すげぇことだよな」
「テメェが良いもの見れたって言ってたのは、そのことかよ」
「雲雀さんは正直今でも俺は怖いけど、には優しそうだし…俺は2人には幸せになって欲しいかな」
「俺も同感」
「…そうですね」
「でも雲雀も相変わらず大人気ないよなー、こんな皆が見てる前であんな風にいちゃつくなんて」
「…?どういうことだよ」
「あれってどう考えてもさっきこの場にいた俺達皆に対する牽制だろ、には手を出すなってやつ」
「は全然気付いてなさそうだったけど、周りの部下達を見る目が怖すぎたよ…
との時間を邪魔したら噛み殺すって感じだったし…さっき一瞬見えたあの優しい眼差しはもしかしたら幻覚だったのかもしれない…」
「昔に比べたらアイツも随分と丸くなったと思ってたけど、のこととなると必死だよな」
「それだけ雲雀も本気だってことだろ、の前では余裕ぶって格好つけてるだけで」
「俺なんてさっきに軽く目配せしてただけで、雲雀にすげー睨まれたぜ!あれはマジで怖かったな!
それなのににはそういう素振り全く見せないってとこがまたアイツのすげーとこだけど!やるよな!」
雲雀に睨まれたと言いながら、まるで少しも気に留めていないように「やっぱり雲雀は目付きが悪いのがデフォルトだな!」と明るく笑う山本に、
いつか山本が本当に雲雀に噛み殺される日が来るのではないかと、綱吉と獄寺は心配になった。
お題配布元:
誰花
(20200915)