ハイマの宿。
随分と軽い瞼を難なく開く。暗い天井から視線をずらすと、窓枠の向こうから星屑達の光が視神経になだれ込んだ。
そのまま、またやけに軽い体を起こす。
旅の疲れで、同じ部屋の仲間達はもうとっくに深い眠りにいた。
明日は早い。そして、大切な日だ。
今すぐにでも寝付きたいところだが、だからこそそれが叶わないとも言えるかもしれない。
気がつけば俺の足は宿の外、昼にも寄ったそこへと坂を登っていた。
が、まさか先客がいるとは思わなかった。
「コレット」
天使化を進めるにつれ、随分と耳がよくなった彼女には、微かな足音さえ捉えることが出来るのだろう。
坂を登りきった途端、丸い二つの瞳と目が合って、思わず虚を突かれる。
その様子がおかしかったのか知らないが、彼女はその瞳を細めて微笑んで見せた。
「眠れないのか」と聞こうとした喉を、危うく引っ込めた。なんて愚問だ。
コレットはす、と細い人差し指を伸ばす。その意図を理解した俺は、自身の掌を彼女に向けた。
それを反対の手で受け取ると、コレットはその指を通して、俺に話しかけてきた。
『眠れないの?』
先程自分が抱いた疑問だったので、内心苦笑する。
「まぁちょっと…な」
『そっか…』
「緊張、してるのかも」
溢してから、失言だったかと今更気付く。
むしろ緊張してるのは、目の前の少女であろうに。
『そうだよね、明日で世界が変わっちゃうんだもんね』
「…………」
優しいコレットは、表情を変えないままでそうなぞった。
「それもだけど」
情けない。そんな健気な少女に甘えてしまう自分が。
情けないからコレットの顔を上手く見られない。
でも恐らくその表情はきょとんとしたものだろう。
「……何でもない」
かぶりを振って甘えを打ち消した。
これ以上彼女を不安にさせてどうするのだ。むしろ俺がコレットを支えてやらなきゃいけないのに。
『だいじょぶだよ』
綴られた言葉に、思わず顔を上げる。
『私達は、ずっと一緒だから。それがどんな形だとしても。』
だからだいじょぶ、
寂しくないよ
俺に向けられた言葉は、同時にコレット自身が確かめるための言葉でもあったのだろう。
変わらない微笑みのかおりが、僅かに変わった。
「……ごめんな、コレット
俺は何もコレットにしてやれない…」
最終的に、また彼女に甘えてしまった。
コレットを苦しめてしまう言葉しか思いつかない自分が呪わしい。
『そんなことないよ。ラグスがお話してくれて、すっごく嬉しい』
今までで一番苦い、ありがとうが帰ってきた。
……ホント最低だな、俺。
ロイドや皆だったら、もっと気の利いた言葉を掛けることが出来るのだろうけど。
再度彼女を見ると、その瞳は、夜空に青白く聳え立つ救いの塔へと向けられていた。
星屑一粒一粒が、その塔を引き立てる飾りのように思える。その事にどこか、違和感を覚えた。
――あんな塔さえ無かったら、彼女が傷付く必要など無かったのに。
何が救いの塔だ。なんでコレットは救ってくれないんだよ。お前は何もしてないじゃないか。全部コレットに押し付けて、お前は堂々とそこに立っているだけじゃないか。お前は、たった一人の少女さえ、救えていないじゃないか。
「…………コレットが大好きな世界だ。コレットが変える世界だ」
やっぱり情けなくて、塔をねめつけたまま、言う。
「きっと今よりも、もっとずっと素敵な世界になるよ」
華奢な少女に向けて。
無力な自分に向けて。
「……そうなった世界を、俺も皆も、今より大好きになるよ」
今までで一番苦い言葉を吐いた。
隣でコレットが、ゆっくりと頷いたのがわかった。
だから、溢れそうな思いは、一回鼻を啜るだけに留めた。
彼女はとっくに、泣くことが出来ない。
眠れない夜に聴きたいのは
聞こえない君の声