いつの間にか眠っていたらしい。ごそごそと話声が聞こえる。まわりに人がいることが、なんとなく気配で感じ取れた。
生徒の誰かがこのコンパートメントに入ってきたのだろう。
いつのまに出発したのか、耳に汽車の走る音がわずかに聞こえるし、壁につけている頭からはかすかな振動も伝わってくる。
魔法で最小限に抑えられているらしい。本当によく考えられている。再び感心したところで、ようやくわずかに目をあけた。
うっすら目を開けると、目の前には細身で小柄な子供が座っている。ぼやける視界でわかるのは、その子供が黒髪であることぐらいだった。
「君、『例のあの人』の名前を言った!」
不意に予想外なところから大きな声があがったことで、びくりと体を跳ねた。このコンパートメントにいるのは目の前の男の子だけだと思っていたため、隣にもうひとり座っていることに気づいていなかったのだ。
突然体を跳ねさせたことに驚いたのか、二人は声を潜めたが、しばらくして、声を上げた男の子が恐る恐る口を開く。
ようやくぼやけが収まってきた視界で、薄目をあけて目の前の男の子を見ると、丸いメガネをかけ、だぼだぼの洋服を着ていた。髪があらゆる方向に跳ねていて、くしゃくしゃだ。しかし、メガネの奥の瞳はエメラルドグリーンでとても綺麗だった。
「僕、名前を口にすることで、勇敢なところを見せようっていうつもりじゃないんだ。言っちゃいけないなんて知らなかったんだ。わかる?僕、学ばなくちゃいけないことばっかりなんだ。きっと…」
彼は、早口にまくしたてると、そこまでいって、声を落とした。自信なさげにうつむく彼は、自分がクラスでびりだろうといった。
「それはないだろう。両親とも魔法族ではない家柄の子供だっているんだ。それに、魔法族の子供だろうと、一から学ぶことに差はないよ」
あまりに彼は哀れに見えて、思わず口に出してしまった。
二人は突然声を発したことに驚いたのか体を大げさなほどに跳ねさせた。
ぐっと体を伸ばしながら大きく欠伸をする。
ようやく体を横に向けて、隣に座っていた男の子を見た。
燃えるような赤毛がそこにはあった。なんと懐かしい色だろうか。今は黒い髪に思わず手をやり苦笑する。昔、鏡を見るたびにそこにあった色よりは明るいその赤毛に羨望のまなざしを向ける。いっそ、染めてしまおうか。前世は地毛だったけれど。
赤毛の男の子は顔はそばかすだらけで、高い鼻が印象的だった。座っていても若干見上げることから、おそらく背は高いのだろう。
「ごめん。驚かせて。あまりにも自信なさげだったから」
「あ、いや…。えっと、君は…?」
黒髪の男の子が恐る恐る問いかけてくる。さっきの会話からして、二人ともきっと新入生なのだろう。
「俺はゴド…、祐希・赤司だ。祐希って呼んでくれ。今年新入生だよ」
「本当?僕たちも今年入学なんだ。僕はハリー。ハリー・ポッター。それで、こっちはロン・ウィーズリー」
ハリーは自分の名前を少し早口に言うと、ロンを紹介した。
「ハリーとロンね。よろしく」
「あれ?君…、あの、ハリーの名前を聞いても驚かないんだね?」
目を瞬かせるロンに、どういう意味かと首をかしげる。ハリーに目をやると少し嬉しそうにしていた。
「君、ハリーのこと知らないの?」
「何?ハリーって有名人?」
「じゃあ、本当に知らないんだ!」
「今まで魔法界に関わってこなかったからね」
首をかしげて見せると、君の両親マグルなの?と言われた。
「マグル?」
「魔法の使えない人間のことだよ」
「へー。今はそういうのか…」
昔にはなかった言い方だ。そもそも、あのころはまだ、魔法界と人間界は隣接し、協力しあっていた。
しかし、お互いに協力し合っていた関係はいつしか崩れ、魔法使いは魔法こそが最強の力であるとおごり、力を持たない人間を虐げ始めた。そして、普通の人間もまた力のある者たちを恐れ、迫害するようになった。
どちらが先だったのか。
魔法界ではマグルが先に裏切ったとされているが、果たして本当にそうなのだろうか。
どこかで魔法を使えることに傲(おご)り、彼らに知らぬ間に恐怖を与えていたのではないか。もっとうまく共存できたはずなのだ。気づいた時にはすでに溝は深く、われらの力では如何様にも修復できなくなっていたのだが。
「マグル、ね。まあいいや。それで、なんで有名なの?」
「そりゃ、ハリーが『例のあの人』を倒したからだよ」
「『例のあの人』?」
「君、本当に何も知らないんだね!」
ロンが驚きに目を瞠る。その傍らで、ハリーはどこか居心地悪そうにしていた。倒したということは、例のあの人とやらはおそらく相当悪い人間だったのだろうか。
それをハリーが倒した。11歳の少年が?いや、この言い方だと、きっともっと昔のことだろう。それでも、子供が倒せるような相手を倒しただけで英雄扱い?
そのあと、ロンによって例のあの人がどんなに凶悪で、醜悪な行いをしてきていたかを話、そして、ハリーがそれを倒したことをざっくり説明して見せた。当時のハリーはまだ1歳で全然その時のことを覚えていないらしい。
そして、額にある稲妻型の傷はその時に受けた呪いなのだとか。
死の呪文を唯一打ち返したたった一人の奇跡の男の子ということらしい。
死の呪文とは、また物騒な魔法ができあがったものだ。
魔法も人間界の化学なんかと同じで日々進化していっている。あの頃より、はるかに多くの魔法が開発され、進んでいっていることだろう。
「ふーん。生まれながら波乱万丈だな」
弁解するように、ハリーがおばさんの家でどんなひどい仕打ちを受けて魔法界とは離れた生活をしていたかを話して聞かせてくれたため、聞き終わって出たのはそんな言葉だった。
「祐希って、変わってるよ…」
若干ぐったりしているハリーだが、車内販売のおばさんがやってきたことで元気を取り戻していた。
ハリーがカートに乗せられているお菓子を見ている中、俺も、ハリーに続いてカートを覗き込む。
見たことのないお菓子がたくさんあった。やはり食文化もずいぶん進んでいるらしい。当たり前か。
ハリーはどれも少しずつ買っていた。
「貴方は?」
「…俺は、蛙チョコレートとかぼちゃパイをくれ」
「はいよ」
受け取ってから席につく。
ハリーがロンに嬉しそうにお菓子を分け与えるなか、俺は今しがた買ったばかりの蛙チョコレートの包みをしげしげと眺めていた。
だって、蛙って。買ったけど、蛙って。
「まさか、本物の蛙じゃないよな?」
蛙にチョコをコーティングされてるとか、ないよな?
不安げにつぶやくと、ロンがパイを口に頬張りながら、まさか、と言った。パイのかけらが口から噴き出てたため、ロンが慌てて口元を抑えたが、その手からもパイのかけらが漏れて行っている。
「でも、カード見てごらん。僕アグリッパがいないんだ」
「なんだって?」
「そうか。君たち知らないよね。チョコを買うと、中にカードが入ってるんだ。ほら、みんなが集める奴さ。有名な魔法使いとか魔女とかの写真だよ。僕、五百枚くらい持ってるけど、アグリッパとプトレマイオスがまだないんだ」
ハリーと顔を 見合わせ、一緒に蛙チョコの包を開けて。カードを取り出した。
禿面のおじさんがカードの中にいた。名前を見ると、ハーヴェイ・リッジビットと書かれている。ドラゴン学者らしい。
ロンに見せると、3枚は持ってると言われた。
ハリーはダンブルドアを当てたらしい。見せてもらうと、白いひげが印象的の知的そうなお爺さんだった。この人が、今のホグワーツの校長。
以前の校長は俺たちだった。創始者であるために、4人に上下関係はなく4人とも平等な関係だった。そのため、物事を決めるのはちょっとばかり大変だった。
4人全員が可決しないと採用しないと、最初に取り決めていたからだ。
誰かが提案し、さまざまなことを試行錯誤した上で、全員が納得するとようやく可決され、実行される。
だから衝突することは数多くあった。覚えていられないぐらい多く。
「ウエーッ、ほらね?芽キャベツだよ」
ロンがなんとも言えない声を出したたため、そこで思考は途切れた。どうやらハリーの買った百味ビーンズ食べているらしい。本当に異論な味があるようで、これは性質の悪いお菓子だと思った。
というより、鼻くそ味とか、誰が食べたいんだよ。どうやってその味を確認したんだよ。やっぱり誰か食べたのかな。
もらった百味ビーンズを食べる気にはなれず、そっと空き袋の中にいれてゴミにした。
そのあとは、ペットのヒキガエルを探しているネビルという男の子がきたり、それを手伝っているハーマイオニーというキビキビした女の子がきたり、マルフォイという高飛車な男の子がきたりしたら、おおむね平和だったように思う。
そんなのんきなことを言っていたらヘルガあたりに呆れられそうだ。