鷲色の瞳が、俺の目を覗き込む。その目はいつになく真剣で、どこか心配そうだ。
「いいかい?発音をはっきり言うんだよ。少しでも間違えると、他の場所に飛ばされてしまうからね」
耳にタコができるほど聞かされた言葉だった。しかし、そんなことを言えるはずもなく、おとなしく頷く。
そして、差し出された小さなアルミバケツの中からキラキラ光る粉を一つまみ取り出す。これは煙突飛行粉というらしい。煙突飛行するときに使う粉だ。面白いと思う。一度リーマスに実演してもらったが、炎の中に消えていくのだ。
そして、別の暖炉に出るという。少し煤だらけになるところが難だが、まあ、移動速度を考えると気にするまでもないだろう。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。気を付けて」
リーマスの心配そうな顔に見送られながら、暖炉と向き直った。
粉を炎に投げ入れ、ずいっと中に入る。炎はやけどをするような熱は持っておらず、温かいそよ風のようだった。
「漏れ鍋!」
吸い込まれていくような感覚。そして回転している。それが唐突に投げ出されるようにして止まり、自分がどこにいるのか、どうなっているのか一瞬判断できなかった。前につんのめるようにして二、三歩たたらを踏み、ようやく立つことができた。
見えたのは本当に漏れ鍋だった。店主のトムが挨拶をしてくれたので、返す。振り返ると大きな暖炉がある。無事にたどり着けたらしい。
洋服についた煤を手で払落し、周りを見回す。
ひとまず昼食を取って、ダイアゴン横丁に入った。
ダイアゴン横丁に来るのはこれが二回目だ。
前回は、マグルの中で育った俺に魔法界のことやホグワーツのことを説明するためにやってきた先生と一緒だった。しかもあのスネイプ先生だ。彼は無口で、無表情。何を考えているかわからなかった。おそらく、彼が担当した生徒はみんな一様にこれからの学園生活に不安を抱いたことだろう。泣きだされても文句は言えない態度である。
そんな彼と初めてここに来たとき、俺の買い物に付き合ってくれたのだが、彼は無駄な行動がお嫌いならしくお目当てのものを見つけてはさっさと買って来いとばかりに押し付けて店の外へ出ていくのだ。置いていかれては迷子になる上に、帰れなくなる、と俺の方もさっさと押し付けられたものだけ買って店を出るというのを繰り返していたため、ほとんどダイアゴン横丁を見て回れていない。
そのあとは勝手に魔法を使うわけにもいかないため、早くここに来たいと思っていたのだ。
リーマスと漏れ鍋に行ったときは、ダイアゴン横丁を見て回る心の余裕なんてなかったしな。
「こうなると、一つ一つ、店を回っていきたいよな」
活気あふれる街路には、魔法使いらしいとんがり帽子やローブを着た人であふれている。通りを歩くだけで人酔いしてしまいそうだが、仕方がないだろう。
サラとは15時ごろダイアゴン横丁前で待ち合わせなのだが、この機会なのだからと、他の店を回るために待ち合わせよりも早い時間にダイアゴン横丁へやってきた。
「よしっ、観光だな!」
いつになく上がっているテンションをそのままに、横丁へ繰り出した。
ちなみに言っておくと、俺は孤児なため、奨学金が出る。そのお金で、学用品も買えるし、リーマスに過度な負担をかけずに済んでいる。そうでなかったら、ルーピン家の家計は俺という育ちざかりが増えたことにより火の車だろう。
学校様様だ。
まずは、イーロップのふくろう百貨店に入る。実は、何かペットがいてもいいのではないかと思っていたのだ。前世でも買ったことはなかったし、今回は梟でも猫でもカエルでも買いたいところだ。いや、カエルはやめておこう。ネビルみたいにしょっちゅう脱走されたらたまったもんじゃない。
実用性を考えると、やっぱりふくろうかな。
中に入り、一羽一羽見ていく。
梟は、昼間は寝ているものだと思っていたがそういうわけでもないらしい。しっかり目を開けて、通り過ぎる俺をじっと見てくる。
梟も猫も、それこそネズミもたくさんいた。どれにしようか迷うくらいだ。
しばらく見て回ったが、ピンとくるものが無くて外に出た。お金もないことだし、今回は見送ろう。
そのあとも、通りの店を冷やかしつつ、差し掛かったのはフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店だった。驚いたことに黒山の人だかりで、店の前で押し合いへし合いしながら中へ入ろうとする客であふれかえっていた。
何かイベントがあるのだろうかと近づいてみると、すぐにわかった。
上階の窓にかかった大きな横断幕。
サイン会 ギルデロイ・ロックハート 自伝「私はマジックだ」
要するに彼のサイン会が開催されるらしい。魔法界でもこんな人がいるのか、と感心する。客は全て女性で、おそらくアイドルのような存在なのだろう。
孤児院にもテレビはあり、孤児院の女の子もアイドルなどに夢中になっていたのを思い出した。
その名前をとても最近見たことがある気がして首をかしげる。
とにかく、ここに来るのはサイン会が終わった後にしたほうがいいだろう。時間をみると、4時30分までだったので、サラに提案して後回しにしようと決めた。
もっとも、サラが彼のファンでなければ、だが。
ドアのところに当惑した顔で魔法使いが立ち、奥様方を宥めようと頑張っている。
しかし、興奮状態にある彼女たちにそれが聞こえているとはとても思えなかった。
「あれ?もしかして、祐希?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは赤毛ののっぽと、だぼっとした洋服を着たメガネのやせっぽちな男の子、そしてブロンドのふわふわの髪を持つ女の子。ロンとハリー、ハーマイオニーだ。
「よ!久しぶり」
「祐希!!久しぶりね!」
抱き着いてきたハーマイオニーとハグを交わす。
「祐希!来てるなら知らせてくれればよかったのに!」
「僕たち、君に知らせようか迷ったんだけど、日本だったら来るのは大変だろうから誘うのはやめたんだ。でも、こんなことならやっぱり誘えばよかったよ!」
ハリーとロンがかけよってきて、挨拶を返した。
「実はいろいろあって、今はイギリスにいるんだ」
「なんだって!」
「へえ!いろいろって何があったんだい?」
「それは学校に行った時にでもまた話すよ」
「見て!サイン会ですって!本物の彼に会えるわ!」
ハーマイオニーが横断幕を指さしながら黄色い声を上げた。
「だって、彼って、リストにある教科書のほとんど全部書いてるじゃない!」
そういわれて、ようやく思い至った。そうだ彼の名前はホグワーツから届いた教科書リストに書いてあったのだ。
同じ著者の本が何冊も。本のタイトルはふざけたものが多かったが、その名称からおそらく闇の魔術に対する防衛術の先生によるチョイスだと思われた。
リーマスはリストを見てファンなのかなと苦笑していたが、その人本人がここにいるとなると確かにすごいことかもしれない。
まだ、サラとの約束には時間がある。
少しなら彼らと共に、そのアイドルとやらを見ていくのもいいかもしれない。
嬉々として中へ入っていくハーマイオニーにロンとハリーは嫌な顔をしながら、俺の方を見た。
「祐希はどうする?」
「3時に待ち合わせがあるんだが、それまでなら暇だから付き合うよ。そのロックハートっていう人物に興味が出た」
「げっ、君までファンとかいうんじゃないよね?」
「あいにく俺は、見たことがないからな。次のDADAに関係あるなら見ておいて損はないだろ」
確かに、とうなずいた二人とともに、妙齢の女性が群がる店内へ入っていく。買い物は後でサラと来た時にゆっくり見て回ろう。他の本も買いたいところだし。
長い列は店の奥まで続き、そこでロックハートがサインをしているようだった。三人は急いで本を一冊ずつつかみ、ウィーズリー一家とグレンジャー夫妻が並んでいるところにこっそり割り込んだ。
「おい、祐希は買わないのか?」
「見るだけでいい。サインなんていらない」
「ふーん。どうせだからもらっておけばいいのに」
不思議そうに俺をみるロンに苦笑する。
「まあ、よかった。来たのね。もうすぐ彼に会えるわ!」
ウィーズリーおばさんは息を弾ませ、何度も髪をなでつけていた。よっぽどそのアイドルにお熱らしい。
ようやくロックハートの姿が見えた。
彼が座っている机の周りには、彼のポスターが張られ、人垣に向かって写真が一斉にウィンクし、輝くような白い歯を見せびらかした。
本物は、確かにハンサムと言えなくもない顔をしている。
目もくらむようなフラッシュがたかれた。小柄な男が何度も彼の写真を撮っている。ちょうど邪魔になっていたらしいロンに日刊預言者新聞だと名乗っていた。
「もしや、ハリー・ポッターでは?」
モーゼの十戒のように人垣が割れた。ハリーは抵抗する暇もなくロックハートにつかまり、写真を撮られる。
「有名人は大変だな」
「僕、ハリーが気の毒になってきたよ」
無理やり握手するような形だったものが、ようやく解放され、ハリーがこちらに戻ってこようとしたが、ロックハートはそれを許さなかった。
「みなさん。なんと記念すべき瞬間でしょう!」
ロックハートが話しはじめた途端静まり返る。
そして、演説は続く。
「間もなく彼は、私の本『私はマジックだ』ばかりでなく、もっともっとよいものをもらえるでしょう。彼もそのクラスメートも、実は『私はマジックだ』の実物を手にすることになるのです。みなさん。ここに大いなる喜びと、誇りを持って、発表いたします。この九月から、わたくしはホグワーツ魔法魔術学校にて『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました!」
「………おいおい、ウソだろ」
「僕、幻聴でも聞いたのかな」
二人で茫然とロックハートを見上げる。
あんなめんどくさそうな存在が教師に?そりゃ、昔も変な教師はたくさんいた。気難しい奴からこいつ頭おかしいんじゃねえかっていう奴まで。普通なんて言葉が似合うような教師はいなかったといってもいい。
でも、こんな変な奴が教師になったことなんてないだろう。
「あいつに、まともな授業ができると思うか?」
「できない。っていうか、授業にならないんじゃないかな」
ロンに肩を叩かれ、指をさすほうをみると、頬を上気させうっとりとロックハートを見上げるハーマイオニーがいた。
「……確かに」
「こりゃ、女子の成績が一気に落ちるか、男子がボイコットするかだな」
ハリーが彼の全著書をプレゼントされ、戻ってきた。その顔は憔悴しきっている。
「ハリー、お疲れ」
「散々だよ…。ジニー、これあげる」
著書をジニーの鍋の中にいれると、そこにマルフォイがやってきた。嫌味な笑みをうかべながら近づいてくる。
そのうち、ウィーズリーおじさんやマルフォイ氏までやってきた。
マルフォイ氏はドラコにそっくりだった。
どうやらこの二人はあまり仲がよくないらしい。同じ勤務先らしいが、敵対関係のようだ。子供たち顔負けで激しくにらみ合う二人は、やがてとっくみあいの喧嘩を始めた。
「大人の喧嘩って、もうちょっとスマートなもんだと思ってんだけどな」
本つかって殴り合いをする物理攻撃。魔法をぶっ放さないだけ良識的と言えるだろうか。
ウィーズリー家からヤジが飛ぶなか、止めたのはハグリッドだった。
「ハーマイオニー、俺、行かなきゃいけない場所があるから。みんなに言っといてくれ」
「え!」
「悪いな」
「わかったわ。じゃあ次は9月にね」
「ああ。じゃあ」