#4 胡乱



「名前さん…ほら、ちゃんと口あけてください。」

態とらしく彼女の耳元で低くそう言えば、ピクリと彼女の肩が一瞬跳ねる。
顔を真っ赤に染めた名前が小さく首を横に振るのを無視して、彼女の頬を両手で包み、強制的に自分の方を向かせる。つい数十秒前まで交わしていた深い口付けに翻弄され蕩けてしまった彼女の頭は、恐らく正常を保てていない。だが、今伏黒から言われた通りの事をすれば、その後自分がどうなってしまうのかきっと本能的に分かるのだろう。

伏黒の言葉とは逆に、きゅっと唇に力を入れる名前。
自分の言葉一つに対してこんなに反応してくれる彼女が、伏黒は愛しくて堪らない。

きゅっと閉ざされた赤い唇を親指の腹ですっと撫でてやれば、目の前の綺麗な瞳が、まるで伏黒の様子を伺うかのように控えめに見つめてくる。いつもは鋭く相手を射抜くその瞳が、自分の前だとこんなに可愛らしい事になるなんて、誰にも知られたくはない。こんな自信なさげな彼女の反応を知っているのは、伏黒だけ。キスに気持ちよさそうに反応する彼女も、それを恥ずかし気に我慢しようと必死な彼女も、全部伏黒だけが知っている秘密だ。

ぐっと親指の腹で彼女の柔らかい唇を押し、指をその中へと侵入させる。そして、そのまま彼女の歯をこじ開け、人差し指と中指で彼女の口内を弄んでやる。
歯列をなぞり、柔らかい舌を指で撫であげれば、じわじわと溢れ出る唾液がくちゅ、くちゃっという音を立てる。彼女の口には大きすぎる伏黒の指を必死に咥える彼女が厭らしくて、伏黒は思わず息を呑む。

「エロい顔、」

その一言に、名前の顔は赤みを帯びていく。
何とかして伏黒から逃げようと必死になる名前の舌を捕まえては、執念に愛撫をする。開いたままの口からは甘い吐息が溢れ出し、伏黒の脳を更に刺激する。名前の口の端から溢れた唾液が伝い落ちると、もう限界だと言わんばかりに、瞳を潤ませた彼女の目が伏黒へ助けを求めていて。

ああ、何だかもう色々我慢ならない。
彼女は本当に堪らない。

彼女の要望通りに指を引き抜いてやれば、少しだけ開いた唇の間からは、てかてかと濡れた赤い舌が見えて。
それに吸い込まれる様に、伏黒は自らの唇を彼女のと重たねた。そして、隙間から見えた美味しそうな舌を、次は自分の舌で愛撫してやる。
やっと指から解放されたばかりの名前だが、休む間もなく伏黒に口内を侵され続ける。もう無理だと伏黒の胸をぐっと押す彼女の手首を掴みシーツへと縫い付けてやれば、もう伏黒に抗えないと悟った彼女は、徐々にその身を伏黒へと委ねてくる。
その彼女を屈服させたような瞬間が、伏黒の男心を満たしていく。

我ながら少々強引だという認識はあるが、それでも最終的に彼女は伏黒を受け入れてくれる。推しに弱い彼女の事を理解している伏黒は、どんどん自分のペースに彼女を連れ込んでいく。そして、ずぶずぶに可愛がってやるのだ。
だが、勿論、彼女が本気で嫌がる素振りを見せれば、絶対に無理を強いたりはしない。
1番大切な彼女の気持ちを置き去りにすることなど、あってはならないからだ。

何があっても守ると決めた、大切な人。
凛としていて、逞しく、それでいてどこか儚く脆い。愛おしくて尊い人。

伏黒にとって名前がそんな存在になったのは、比較的最近の話。
だが、この先ずっと彼女はその存在であり続けるという揺るぎない確信が、伏黒の心の中にあった。








伏黒がここ呪術高専へやって来たのは、中学を卒業したのとほぼ同時だった。

幸か不幸か、元々呪術師としての素質が十二分にあった伏黒は、高専に入学する前からそこそこの呪霊を祓える能力を既に持っていた。

入学前、高専の寮へと入寮した伏黒は、直ぐに個性豊かな先輩達と仲良くなった。パンダ、真希、狗巻、そして乙骨は、既に2級術師の階級を持つ伏黒を鼻につけることなく、自然に仲間として受け入れてくれた。五条の計らいにより、伏黒は先輩達と任務に出る機会も与えられ、術師としての彼らの個性や実力も知った。

ただ、2年の先輩はどうやら彼らだけではなく、実はもう一人居るらしい。
あまり話には出てこないが、その存在自体には伏黒も薄々気が付いていた。「2年の5人で、」なんて言葉を何度か耳にしたが、普段共に居る先輩は4人だけ。恐らく伏黒は、高専に来てからその人を1回も目にした事がないのだろう。

たった一度だけ、何気なくその人の話題になった時があったが、先輩達は何やら微妙な顔を浮かべて苦笑していて。
きっと何かあるのだろうな、そう直ぐに察した伏黒だが、それを自から追言するような真似はしなかった。

一体どんな人なのかは良く分からないが、きっと相当癖の強い奴なんだろう。
こんな伏黒ですらすぐに打ち解けられるほど、先輩達は温かい。そんな彼らとうまく馴染めない奴など果たして存在するのだろうか。そんな人が呪術師をしているなど、俄かに信じ難い。
だが、それ以上の事を考えたところで何にもならないだろうと、伏黒はその人について考える事をやめた。

それから間もなくして、伏黒は偶然にもそのもう1人の先輩と遭遇する事になる。



それは、ある日の深夜、伏黒が偶々近くのコンビニへ出かけた帰り道でのことだった。
高専の前に一台の黒色の車が停まっているのに気付いた伏黒は、なんとなくその車に目をやった。きっと呪術師が任務から帰って来たのだろう。こんな時間まで働くなんて、いくら収入がいいとは言えブラックも良いところだ。自分も将来こうなるのかと考えると気持ちが沈む。
ガチャっと助手席の後ろ側のドアが開き、中から人が降りて来る。夜も更けて辺りは暗いが、車の明かりがあったため、伏黒はその姿を捉えることができた。

そこには、冷たい目をした綺麗な女が立っていて。
車の中から補助監督と思われる方から「お疲れ様です、お休みなさい。」と掛けられた声に何も返事をせず、車のドアをパタリと閉めて高専の中に入っていく。

一体何だ、あの人は。
高専の学生服を着ている事から、此処の生徒である事は明らかだ。だが、雰囲気がまるで普通の学生では無い。
遠目からでもわかる、何者も寄せ付けない空気を纏いながらも、一連の所作は丁寧で美しい。堂々と歩く後ろ姿は勇ましく、たったそれだけで、伏黒は彼女が自分より幾つか格上の呪術師であることを何となく理解した。

不意に、以前パンダ先輩達が苦笑していた時のことを思い出す。
もしかしたら、いや、絶対に彼女がもう1人の2年の先輩だろう。どこか高慢で孤高な存在を匂わせる目の前の女性。もし彼女がそのもう1人の先輩なら、パンダ先輩達とは一緒に居ない理由が、何となく分かった気がした。

伏黒は自分の部屋へと戻るため、必然的に彼女の後ろを歩くことになった。だがその途中で、彼女は寮の手前の武道場の方へと1人姿を消していく。こんな時間に一体何をしに行くのだと少し気になったものの、何処か苦手な雰囲気のある彼女を追うようなことはしなかった。


彼女の名前や階級を知ったのは、その少し後だった。五条に何となくあの日の事を話し、一体誰なのかを聞いてみると、ニヤニヤと締まりのない顔をしながら答えてくれた。ああ完全に尋ねる人間を間違えたなと思いながら、伏黒は五条に心底不快な顔を向ける。
あの冷たそうな人と自分がどうにかなるなんて、絶対にあり得ない。
優しさと真っ直ぐな心を兼ね備えた津美紀と共に育った伏黒は、津美紀とは真反対のお高くとまった態度の女性がかなり苦手だ。接触はできれば必要最低限に留めたいところだ。
そんな事を考えながら嫌な顔を五条に向け続けていれば、不意に遠くを見つめた五条の表情が徐々に緩んでいく。

「お、噂をすれば。恵、気になるあの子の登場だよ。」
「その言い方やめてください。別にそんなんじゃ無いんで。」

五条の向いている方へ伏黒も振り返れば、この間と同じで制服姿の彼女がこちらへ歩いてきていて。彼女の名前を呼びながら手をひらひらと振る五条に、あの時と同じで彼女は何も返さない。

真夜中に見た時には分からなかったが、彼女は意外と小柄で線が細い。風に靡く髪は艶やかで、陽の光に晒される肌は雪の様に白くて眩しい。彼女が徐々に近付いて来るにつれ、はっと息を飲むほどに美しい人である事が明白になっていく。
だが、非常に残念なことに、その雰囲気を一瞬にして凍てつかせるほど鋭い表情を彼女は浮かべていて。彼女に見惚れてしまう前に、近寄り難い人だという印象が脳へとインプットされてしまう。
もしあの顔でにこりと微笑まれれば、きっと男なら誰だって彼女の虜になってしまうだろう。
しかし彼女の視線はどこまでも冷たく、何も悪いことなどしていないのに責められている様な気がして居心地が悪い。

「名前、彼は1年の伏黒恵くん。2級術師でポテンシャル満点の期待の後輩君だよ。」

相変わらず締まりのない顔で彼女へ伏黒の紹介をする五条。
「どうも。」と一言だけ彼女へ言い放てば、スッと細められた目が伏黒に向けられる。まるで品定めする様なその視線が不快で、嫌な緊張感に襲われる。
そんな視線に負けて堪るかと伏黒も正面から堂々と彼女を見つめてやる。パチリと彼女と視線が合えば、どこか五条に似た美しい瞳と長いまつ毛が目に留まる。色は違うが、見れば見るほど吸い込まれそうになる瞳に、どくりと心臓が跳ね上がる。
このまま見続けることは危険だと本能的に悟った伏黒は、自ら彼女から視線を逸らした。

そして、そのまま彼女も何事もなかったかの様に伏黒から視線を外し、手に持っていた小瓶を五条へと差し出した。

「うん、これね。特級呪物の回収、ご苦労様。明日は恵と一緒に任務に出て欲しいんだけど、午後は空いてる?」

そう彼女へとお伺いを立てる五条に、伏黒は内心盛大に驚く。
おいちょっと待て、今の色々ヤバい視線のやり取りを隣で見ていた癖に、この男は一体何を言っているのだ。明らかに面白がっている様子の五条に、最悪だこの人と伏黒は顔を歪める。
まあどうせこの調子であれば彼女の方から断ってくれるはずだ、そう予想していた伏黒の考えは一瞬のうちに砕け散る。

「…問題ありません。」
「OK!じゃあ決まりだね。恵は式神使いだから、名前とはあんまり相性よく無いかもしれないけど。まあ、名前も恵も優秀だからきっと大丈夫!頑張ってね〜!」

そう言いながら、ぽんぽんと伏黒と名前の肩を叩く五条。何だかとてつもなく無責任なことをさらりと言われている気がするが、決まってしまった事は仕方がない。
何か意味がある企なのか、それとも適当に思いついた事を言ったのか、伏黒には五条の考えは読み取れない。そして同じく、無表情に五条の手をさらりと躱した彼女が今何を考えているのかも、伏黒には分からない。
「お願いします。」とだけ彼女に伝えれば、伏黒へ視線だけやった彼女は、何も言わずにその場を去って行った。




そして任務当日、伏黒はあまり気が乗らないまま彼女と2人で伊地知の運転する車に乗り、無言で現場へと向かった。
伊地知の車が向かった先はとある高校で、春休み中という事もあり人気はそれ程多くは無かった。事前調査資料によると、今回の案件は2級相当の呪霊を祓うという任務。それは、相性が相当悪いわけで無ければ、伏黒一人でも祓えるレベルの呪霊だ。一刻も早くこの任務を終わらせるため、伏黒と名前は二手に分かれて校内を捜索する事にした。

「玉犬、白、黒!」

自分の影を媒介とし、いつもの通りに玉犬を呼び出す。

「呪霊が近づいたら、コイツが教えてくれます。」

そう言いながら白へ彼女と共に行動するように指示をする。他に何か問題ないか、伏黒は確認のために彼女の顔を伺うが、彼女は伏黒に頷く事も、返事をする事もなく、ただただ目の前に現れた白を見つめて居て。

一体どうしたというのだろうか。まさか、犬が苦手だったのだろうか?
…いや、しかしそんな嫌そうな顔をしている様には見えない。
尻尾を左右に振りながら彼女が動くのを待つ白を、ただ無表情で見つめている。
彼女のその行動が全然理解できず、「どうかしましたか?」と口にしようとした伏黒だったが、不意に彼女の手が何かに触れる様な形で宙に浮いていることに気がつく。

まさか、と思った伏黒は、彼女へと一声かける。

「触っても大丈夫ですよ、」
「…っ!」

パッと勢いよく伏黒の方へと振り返った彼女は、綺麗な目を大きく丸めていて。その目からは、本当にいいのか?という驚きの感情と共に、ほんの僅かだが「嬉しい」という感情が読み取れる。

普段はほとんど表情を変えず冷たい眼付きをしている彼女が、まさかこんな表情になるとは思っても見なかった伏黒は、思わず唖然としてしまう。
そんな伏黒から目を離した名前は、ゆっくりと慎重に白へと手を伸ばし、そして優しい手つきで頭を撫でる。その一連の動作は、とても冷たい人間とは思えないほど、暖かくて優しいもので。
白も満更ではなさそうな顔で嬉しそうに尻尾を振っている。彼女に撫でられるのは心地が良いみたいだ。

一瞬にして緊張感が抜けてしまった伏黒は、丁寧な手つきで白を可愛がる彼女をじっと観察する。すると、彼女の口角が若干上がっている事に気付いた。
無言で何も言わずに白を撫でているが、実は結構喜んでいるのだろうか。
かなり分かりにくいが、何となくそんな気がした。

その後、二手に分かれた先で呪霊に出くわしたのは名前の方で、伏黒がその場に駆けつけた時には、既に全て片付け終わった名前が白を撫でて居た。

彼女とのはじめての任務で分かった事は、彼女は人には冷たく突き放すような態度でいるが、玉犬には案外優しいということ。



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