#10 裂罅


合宿2日の目の朝、虎杖、伏黒、釘崎はコテージのキッチンへと集合する。ふぁ〜と大きく開いた口を手で覆いながらあくびを溢す虎杖に続いて、面倒臭そうに後頭部を掻く伏黒がキッチンへとやって来れば、お互い寝起きで働かない頭のまま「おはよ」「おう、」なんて軽い挨拶を交わす。

朝食の集合時間まで、まだ30分以上も余裕がある。それなのに、なぜこの3人がキッチンに集まって居るのかというと、それは昨日の夕食時まで遡る。

昨晩、釘崎達が夕食の席でいつもの様にたわいもない話をしていると、ふと何かを思い出したかのように真希が「ああ、そう言えば、」と呟く。それに皆の視線が集まれば、彼女は面倒臭そうな顔を浮かべて「明日の朝食係を決めとかねーとな。」と続けた。
合宿初日である今日は昼食と夕食を準備するだけで良かったのだが、明日以降は朝食も同様に準備しなければならない。「で、どうやって決めるんだ?早起き得意なやつが朝食担当になるとか?」とパンダが冗談気に言えば、誰もがその場で視線を逸らす。
結局いつも通りジャンケンで担当を決める事になり、7人はジャンケンの掛け声と共に夕食の真上に一斉にその手を出した。
そして、偶然にも3人揃ってグーを出した1年は、パーを出した2年全員に負けてしまったのだ。

あの勝負さえ負けなければ、きっとあと30分は寝られたというのに。今思い返しても、釘崎はうんざりしてしまう。

「で、朝食って何作ればいいんだっけ?」と言いながら虎杖は冷蔵庫を覗き込む。何か作るものを指定をされた訳ではないため、「何でも良いんじゃない?」と釘崎は適当に返事を返す。それなら…、と冷蔵庫の中の食材を眺め適当に献立を考え始める虎杖。
幸いな事に、この場には一人暮らしが長く料理の腕がいい虎杖が居る。つまり、伏黒と釘崎がする事など殆どないに等しいのだ。
早速何を作るかを決めた虎杖は、手際良く下準備を始めていく。その横で「じゃあ俺は米を洗う。」と無難な仕事を選択した伏黒は、わしゃわしゃと米を洗い出す。

そんないつも通りの自然なやり取りの中、釘崎はちらりと伏黒の顔を盗み見る。
腕まくりをして無表情で米を洗う伏黒は、いつもと何も変わらない。偶に虎杖から話を振られれば、淡々とした様子でそれに返事をしている。
普段から大人しくて真面目なこの男は、自分のことを多くは語らず、あまり感情を表に出さない。周りをよく見て立ち振る舞うが、基本的には何かに執着することはない、クールでさっぱりとした人間なのだ。たった数ヶ月の付き合いとは言え、割と長い時間を伏黒と共に過ごした釘崎は、それがこの男の全てなのだと理解していた。

だが、その考えは少し違っていたのだと、釘崎は改めて知ることとなった。


昨晩、釘崎は見てしまったのだ、
森の中で抱きしめ合う伏黒と名前の姿を。


あの夜、水を飲みにキッチンへと立ち寄った釘崎は、部屋に戻る途中で何やら慌てて外へと出て行く伏黒の姿を見かけた。こんな時間に一体何事だ夢遊病かと思った釘崎は、興味本位で伏黒の後をついて行ったのだ。
スマホを片手に薄暗い森の中へと迷わず進んでいく伏黒に、こんな真夜中の森に一体何の用事があるのだと釘崎は思わず顔を引き攣らせる。
流石にこれは怪しすぎる。まさか本当に夢遊病か?と不審がっていれば、伏黒はどんどん森の中へと進んでいってしまう。訝しい彼の行動に釘崎の好奇心は相当擽られているのだが、虫が沢山出そうな暗い森へと入って行くのは気が引ける。
どうしよう…と悩んだ挙句、釘崎は勢いとノリで森の奥の方へと足を踏み入れることにした。

先を歩く伏黒を見失わないように、絶妙な距離を保ちながら釘崎はこっそりと跡を付ける。すると、程なくして森の開けたところに辿り着く。それまで何かを追うように早足で歩を進めていた伏黒は、そこへたどり着くと急に速度を緩めてゆっくりと進んでいく。
声をかけるなら今だ、そう思い釘崎が伏黒の名前を呼ぼうとした丁度その時だった。
これまで聞いたこともない優しい声色で、伏黒は言葉を紡いだのだ。

「名前さん」

と。
名前とはいったい誰のことだ、と釘崎は一瞬パニックになる。
すると、伏黒の向かう先からは、小さく「恵、」と伏黒を下の名前で呼ぶ声が聞こえてくる。この声は、どこか聞いた事のある声だ。釘崎は声のした方へと目を凝らせば、そこには釘崎も良く知るあの冷たくて少し怖い先輩の姿があって。
嘘、と目を見開く。
一体どういうことだ。なぜこの2人がこんな時間に、こんなところに。状況が上手く飲み込めずに唖然とする釘崎は、とにかく2人に視線が釘付けになる。すると、伏黒の腕が自然と彼女の肩へと回ってきて、ぐっと彼女の身体を引き寄せる。ピッタリとくっつく2人の身体に、釘崎は遅れながらに状況を理解する。

ああこれは、つまり、そういう場面なのだ。
それを察した釘崎は、慌てて近くの茂みに身を隠し、息を潜めて影から2人を眺める。

あの仏頂面で恋愛なんて微塵も興味のなさそうな伏黒が、まさか、あの無口で冷たい名前とそういう関係だったなんて。そんなこと、一体誰が想像できるというのだろう。何だかイケナイものを見たような変な緊張を感じ、釘崎の心臓はドクドクと波打つ。

この2人が一緒に居るところなど、釘崎はこれまで一度だって見たことがない。それどころか、皆といる時ですら彼らは事務連絡以外の言葉を交わす事はない。
そんな恋人どころか仲間意識すらも怪しい彼らが今、釘崎の目の前で仲睦まじ気に肩を抱き星を眺めていて。
優しく穏やかな声で名前に話しかける伏黒からは、彼女が大切で、愛おしくて堪らないという感情が伝わってくる。それに答えようと一生懸命に言葉を紡ぐ名前は、ただただ可愛らしい女性で。いつもの冷たく無感情な彼女がまるで嘘かのように思えてくる。

あの無愛想な伏黒がこんなにも穏やかな表情で誰かを見つめるなんて、意外過ぎて普通に信じられない。しかし、それよりも釘崎は、そんな伏黒に黙って抱き締められている名前のことが気になって仕方がない。
伏黒と星を眺める最中も、彼女の手はずっと伏黒に触れたそうに宙を彷徨っていて。伏黒に近づいたと思えばすぐに引っ込められるその手は、側から見ていて本当にもどかしい。やっとの思いで伏黒の指をそっと掴むが、すぐに伏黒に気付かれ、慌てて引っ込められてしまう。ああ…っ、と思わず悔しくなって声が出そうになるのを、釘崎はぐっと飲み込む。

いったい誰だ、この可愛い人は。
釘崎が知っている彼女は、こんなに控えめで大人しい人ではない。もっと鋭く尖っていて、誰も寄せ付けない冷たい人だったはず。
なのに、今目の前にいる彼女は、伏黒が好きで好きで仕方がないのに、彼にどう甘えて良いのかが分からない、不器用で謙虚な女性にしか見えない。
そして、まるでその全てを理解しているかのように優しく名前を包み込む伏黒も、普段のクールでさっぱりとした感じはなく、どこまでも甘い表情を見せていて。

普段の2人からは想像もできないその光景は、まるで恋愛ドラマのワンシーンを見ているようで、釘崎の胸は揺さぶられる。

そして同時に、釘崎はふと疑問に思う。
2人はこんなに好き合っているのに、どうして恋人同士であることを隠しているのだろうか。恋人同士である事どころか、大して仲も良くないような関係を振る舞う2人は、何だか少し異常だ。
それに、彼女はどうして普段あんなにも人と関わる事を避けているのだろうか。今の伏黒とのやり取りを見ても、彼女は少し不器用ではあるが、そこまで人が嫌いであるとは思えない。

きっとそれには何か深い理由があるのかも知れない。
釘崎には想像も付かないような問題が、2人をこんな風にしてしまっているのかも知れない。
何やら訳ありな2人の姿を見ていると、釘崎は凄くむず痒くなる。一見幸せなシーンのように見えるが、そもそもこんな風に隠れて会うことしかできないなんて、全然幸せではない。
あんなにもお互いを大切そうに見つめ合う2人を、もっとちゃんとした普通の恋人にしてあげたい。釘崎はふとそんな気持ちを心に抱く。

やがて2人がコテージへと戻るのを確認した釘崎は、むしゃくしゃした気持ちを抱えながら元来た道を歩き始めた。



そんな昨晩の出来事はまだ記憶に新しく、釘崎の脳内で色鮮やかに再生される。
だが、昨日の面影なんてひとつもない目の前の男は「なんだよ、こっちジロジロ見て。」と相変わらず無愛想な顔で釘崎を見る。こっそり盗み見をする筈が、いつの間にか見つめてしまっていたみたいだ。そんな伏黒に「別に、てかアンタの髪って何でそんないつも跳ねてんの?」なんて言葉を適当に返す。

正直、釘崎は気になって仕方がない。
2人の事、それに名前の事を。
だが、それをこの場で尋ねることなどできなくて。釘崎は何も知らない振りをして、いつも通りに振る舞った。



虎杖のおかげで無事に朝食の準備が整えば、程なくして2年の面々がダイニングへとやってくる。其々が自席へと座り、虎杖の料理を褒めていると、最後の一人である名前がダイニングへとやって来る。
そこには、昨晩の照れ笑う表情の彼女ではなく、いつも通りの無表情で鋭い視線の彼女がいて。もちろん、伏黒と言葉を交わすことも無ければ、見向きもせずに、何食わぬ顔で伏黒から1番遠い席へと座る。これが朝一番に会った恋人同士の様子なのかと思うと、何だか少し寂しい気持ちになる。

周りの1、2年が何気ない会話をする中、彼女はいつも通り静かに朝食を食べていて。
不意に、ほんの一瞬だけ、名前がチラリと伏黒に視線をやるのに釘崎は気付く。その瞬間、伏黒も同じように彼女の方へと目を向ける。
ほんの僅かな瞬間に、2人の視線が絡まり合う。
それは、ずっと彼らを観察していた釘崎ですら見落としてしまいそうになるほど、一瞬の出来事で。
やがて直ぐに逸らさた2人の視線に、釘崎は何だかとてもレアなものを見た気になり、胸が高鳴る。

その後、何事も無かったかのように食事を進める彼女は、もう伏黒と視線を絡ませることはなかった。







午前中のトレーニングを死ぬ物狂いで乗り越えた釘崎は、昼食を食べ終えると、食器を洗いながらとある決心をする。
ダイニングには椅子に座りながらスマホを触る伏黒と、その斜め向かいの席で静かに本を読んでいる名前がいる。2人はこんなに近くに居るのに、まるでお互いを全く認識していないかの様に振る舞っていて。ここまで完璧に隠されているのだ、それは誰も気づけないわと内心苦笑する。
今は昼休憩中で、他のメンバーはどこかへ出て行ってしまった様だ。今ここで釘崎がダイニングを去れば、残された2人は晴れて恋人同士の甘い時間を過ごせる。だが、申し訳ないが釘崎はこの絶好のチャンスを逃す訳にはいかないのだ。よしと覚悟を決め、釘崎は伏黒に声を掛ける。

「伏黒、ちょっといい?」
「ん、なんだ?」

釘崎が名前を呼べば、伏黒はスマホからすぐに顔を上げて此方を向く。
それとほぼ同時に、ほんの一瞬だけ名前の視線が向けられるのを感じて、釘崎は思わず口元が緩みそうになるのを耐える。別にそういうのじゃないから本当に誤解しないで、そんなことを内心思いながら、釘崎は親指を扉の方へと向けて伏黒にアイコンタクトを送る。「行くぞ」と。それに一体何事だと言わんばかりに眉を顰める伏黒。だが、何か訳がありそうな複雑な表情を浮かべてやれば、伏黒は何も言わずに黙って席を立ち上がった。



釘崎は伏黒を連れ、人気のない森の中へとどんどん足を進めていく。そんな明らかに怪しい釘崎の行動に、険しい表情をした伏黒は「おい、一体どこまで行くんだよ…。」と不満を漏らす。どこまでって、こっちはアンタのためを思って絶対に誰にも聞かれない場所まで移動してあげてんだけど、なんて言葉が口から滑り出てしまいそうになるのを必死に耐える。

ある程度来たところで辺りを見回した釘崎は、もう大丈夫だろうとその足を止める。そして、気合を入れて伏黒の方へと振り返った。
急に真面目な顔になった釘崎に、一体何事だと言わんばかりに伏黒はぎょっとした顔を浮かべていて。
柔らかい風に木の葉がざわざわと音を立てる中、釘崎は真っ直ぐに伏黒を見つめながら言い放つ。

「あんた、名字先輩と付き合ってるでしょ。」

そんな突然の釘崎に言葉に伏黒は一瞬目を見開き、そして次の瞬間には眉間に皺を寄せ険しい表情を浮かべる。きっと警戒しているのだ、釘崎のことを。
やはり無駄に慎重なこの男がそう易々と全てを話す訳無いかと思った釘崎は、短く言葉を付け加える。

「昨晩、見てたの。」

皆まで言わずそれだけを釘崎が伝えると、何のことかを一瞬で理解した伏黒は目を大きく見開き、そして、黙ったままどんどん顔色を悪くしていく。
そんな今まで見たことのない伏黒の様子に、釘崎は思わず驚いてしまう。やはり、2人には何か人に知られてはいけない理由があるのだと、釘崎は確信する。

「…お前、それ誰かに言ったのか。」

明らかに動揺している様子の伏黒は、そう静かな声で問いかける。
きっと、釘崎に沈黙を貫くことが無意味であることを悟ったのであろう。らしくない伏黒の焦った様子に、釘崎は茶化すことなく真剣な声色で静かに答える。

「言ってない。レディの気遣い舐めんなよ。」

腕を組みながら釘崎がそう答えれば、伏黒は明らかに安堵した表情を浮かべていて。
どうやら釘崎に知られる事自体は悪いことでは無いようだ。なら、一体誰に知られる事をそんなに恐れていると言うのか。

いつだって、この男は自分からは何も言わないし、誰にも頼ろうとしない。八十八橋の一件だってそうだった。一人で抱えて、一人で何とかしようとした。
本当に不器用で優しい、馬鹿な男なのだ。
そんな伏黒を、釘崎は放っておくことなどできなくて。
釘崎に知られただけでそんなに顔色を悪くするような問題があるのなら、尚の事だ。
それに、昨晩の2人の姿を知ってしまった今、釘崎は黙って知らない振りを貫き通すなんて出来るわけがない。
真っ直ぐに伏黒を見つめながら、釘崎は尋ねる。

「何であんた達は、こんなにもまどろっこしいことしてまで隠してんの?」

そんな釘崎からの質問に、あからさまに言葉を濁す伏黒。不自然に視線を逸らす彼に、釘崎は追い討ちを立てるように言う。

「あー、もうここまでバレてんだから、さっさとゲロっちゃいなさいよ。」

そんな釘崎の言葉に、複雑そうな顔を浮かべる伏黒。
そう簡単に言える事ではないのは釘崎も分かっているが、それでも中々言葉を口にしない伏黒に、こいつ強情だなと内心呟く。
こんなにも必死になって隠そうとしているのは、やはり彼女のためなのだろうか。今までも釘崎達の知らない所で、こうやって一人で悩んで、そして守って来たのだろうか。
いつだって伏黒の支えになりたいと思っている人は、彼の周りに沢山いるというのに。
本当に、つくづく馬鹿な男だと思う。
でも、それがこの男の魅力であって、憎めない所なのだが。

暫くすると、こちらの様子を伺うように伏黒がチラリとこちらを見る。その青黒い瞳とパチリと目が合えば、漸く決心がついたのか、深く息を吐いた伏黒は彼女との出来事をぽつりぽつりと話し始める。

それは、釘崎が想像していたよりもずっと重い話で、途中で何度も唖然としてしまう。
伏黒から語られる名前の実家や五条家のこと、名前のことを全て聞いた釘崎は、漸く胸の蟠りが解けたように、目の前の事実が腑に落ちていくのを感じる。そして、今まで自分は彼女に対してとんでもない誤解をしていたのだと言う事を知る。

正直に言うと、釘崎は名前のことが少し苦手だった。息を呑む程の美人なのに、いつも凍てつくような冷たい表情で何も言わない、それなのに所作は妙に洗礼されいて。自分の生きてきた世界とはかけ離れた彼女の全てが、怖かったのだ。
だが、伏黒が口にする彼女の人柄は、釘崎の思っているものとはまるで駆け離れていて。本当はただの人見知りで寂しがり屋な人だったなんて、全く想像もしなかった。確かに、虎杖がそんなことを口にしていた気がするが、絶対にあり得ないと釘崎はひとつも耳を傾けなかった。何でもっとちゃんと気づく事が出来なかったのだろうかと、今更になって後悔する。

そして、そんな彼女を守る事だけを考え、行動するこの男が、いかに彼女を愛しているのかを改めて思い知る。
決して『好き』や『愛してる』と口にしている訳ではないのに、彼女のことを話す時の表情や、選ぶ言葉から、彼女をとても大切に思っていることが伝わってきて。ああ、この男は本気なのだと、釘崎はすぐに理解する。

そして、全てを話し終わった伏黒は、複雑そうな顔で釘崎を見つめて言う。

「頼むからこのことは、」
「他言無用でしょ、分かってるわよ。私そんなに信用ない?」
「いや…」

そう言って少し下を向く伏黒。きっと釘崎の信用云々の問題ではなくて、単純に彼女のことが心配なのだろう。
本当に、これまで釘崎が目にしてきた伏黒からは想像も付かないほど誰かを真剣に想うその姿に、何だかとても変な気持ちになる。

「ていうか、昨日は悪かったわね。…知らなかったとは言え、あんたと先輩のこと悪く言った。」
「いや、いい。…そもそも隠してたのは俺の方だし、それに今は相性悪そうとか思ってないんだろ。」
「そりゃね、あんなにイチャイチャしてるところ見せられたら、嫌でも思わなくなるわよ。」
「勝手に見てたくせに随分な物言いだな、おい。」

そう言って眉を顰める伏黒に、釘崎は意地悪く笑ってやる。
今思うと、この2人に似合っていない所などどこにも見当たらない。静かに優しくお互いを想い合う彼らは誰よりも綺麗で、この2人で無ければならない気すらしてくる。
言葉にできないぐらい、お似合いなのだ。

「それで、伏黒はこれからどうしたいわけ?」

本題へと移るように、釘崎は真剣な眼差しで伏黒へと問いかける。

「まさかこのまま残り2年半、ずっと孤立した先輩とこそこそ関係を続けるわけ?」

釘崎のその言葉に、伏黒はぐっと険しい表情を浮かべる。きっと、彼なりに何か思うところがあるのだろう。
釘崎としても、本当に彼女の幸せを願うのであれば、彼女をこのままにすべきではないと思うし、そんな彼女に心を痛める伏黒なんて釘崎は見たくない。
2人とも、本当ならもっと幸せに居られるはず。あとは本人の意思だけだ。
ゆっくりと口を開く伏黒を、釘崎は静かに見つめる。

「…恋人だっていうのを隠すのは、別にいいと思う。
でも、名前さんがずっと孤立し続けるのは、何とかしてやりたいと、思う。」

真剣な表情でしっかりと言葉にする伏黒に、釘崎は口角は上がっていく。

「なら黙ってないで最初から私に相談しなさいよね。」

明るく自信満々にそう言い放つ釘崎に、ポカンと驚いた様な顔をする伏黒。
そんな伏黒の姿を見て、この男は本当にどうしようもない奴だなと、釘崎は改めて思う。こんなに散々聞き出しておいて、釘崎が協力しないとでも思ったのだろうか。
伏黒は怪しむように釘崎を見ながら言う。

「…一体何するつもりなんだ、」
「決まってるでしょ、名前さんと女友達になるのよ。」
「女友達って…、急にそんな、不自然過ぎるだろ。それに…」
「大丈夫、私に任せなさいって。」

そう言って不安そうな顔を浮かべる伏黒の肩を、ぽんぽんと叩いてやる。
きっと伏黒は、名前がどう思うかや、彼女の両親のスパイに見つかる事が心配なのだろう。この男は頭が良い故に、いつも最悪な想定ばかりを考えて行動する。だが、そんなやり方ではきっと、伏黒も名前もいつまで経っても幸せになどなれない。

「やってみて、それで名前さんの気持ちがちょっとでも変われば万々歳でしょ。変わらなかった時は、まあ、その時考えればいいのよ。それにもし両親が出てきた時は、五条先生を使えば何とかなるでしょ。あの人、最強なんだし。」

取り敢えず行動よ、行動!と何となくなイメージを伏黒に伝えれば、当の本人は何だか少し驚いた様な顔をしていて。そして、少し遅れて「あの人そういうので最強な訳じゃないだろ。」と地味に突っ込みを入れてくる。

そうと決まれば、早速今日から行動するぞと釘崎が意気込んでいれば、不意に伏黒から「釘崎、」と名前を呼ばれる。
すっと彼の瞳へと視線を上げれば、何だか申し訳なさそうな顔を浮かべた伏黒は言った。

「…ありがとう。」
「いいってことよ。」

釘崎がニッと笑えば、伏黒は申し訳無さそうな顔をやめ、そして少しホッとした様な表情を浮かべていた。







その日の午後のトレーニングは、それはもう酷いメニュだった。山岳の走り込みに、呪具を使った大量の呪力消費の中での組手、呪符取り合戦など、身体が動けなくなるほど体力を消費した上、呪力もカラカラだ。もう何も出来ないとその場にへたり込んだ釘崎達を見た五条は、「山の麓にある銭湯へ行っておいでよ」と提案してきた。そんなのあるなら昨日から言っておけよと思ったものの、今は発言する気力がない。
「ここから15分ぐらい歩いたら見えてくるよ」と言った五条の言葉を信じて歩いた結果、30分以上歩き漸く銭湯にたどり着いたのはつい先ほどの話。もう二度とあの人の言う事など信じるものかと、15分以上悪口を言いながら歩いた。

「ふ〜、やっぱ風呂は生き返る〜。」
「それな。ぜってー今日も爆睡だわ。」

他の客が誰もいない女風呂の湯船に、真希と釘崎は身体を沈める。熱くて気持ちの良いお湯が、じわじわと疲労しきった身体を癒していく。今日一日頑張ったご褒美だ。
疲労で何も考えられなくなった釘崎の頭はぼーっとしていて。そこに、一足遅く身体を洗い終わった名前が少し離れた場所で湯船に入ってくる。釘崎は無意識にそれをじっと見つめてしまう。

名前の肌は雪の様に白く、きらきらで美しい。背はそれほど高くはないが、脚が長くてスタイルも良い。胸は真希ほど豊かではないが、丁度いいぐらいだ。いつも下されている髪は細くて柔らかそうで、ふとした瞬間に甘い匂いがするのを釘崎は知っている。
白色の湯の中に沈んでいく彼女の身体の所々には、まだ新しいかすり傷や、痛々しい古傷の痕があって。こんなに綺麗で素敵な彼女も、やはり苦難を乗り越えてきた呪術師なのだと改めて思う。

不意に、釘崎は名前が鋭い目付きでこちらを見ているのに気付く。どうやら彼女は、釘崎の不躾な視線を不審に思った様だ。いつもの釘崎であれば、ビビって直ぐに彼女から目を逸らしただろう。だが、今の釘崎は彼女の事を全く怖いと思わなくて。
少し離れたところに座る名前の元へと、釘崎は近寄る。どんどん険しくなっていく彼女の顔などお構いなしに、釘崎はぴたりと名前の横へと座り込んだ。

「本当、名前さんって肌綺麗ですよね。」
「な…なに、」

いきなり話しかけてきた釘崎に、名前は盛大に顔を顰める。だが、釘崎はそれに怯むことなく名前の綺麗な顔を覗き込む。

「何食べたらこんな綺麗になるんですか?」
「…別に、」
「やめとけって、聞いたって参考になんねーぞ。名前の食生活のだらしなさはハンパじゃねーからな。」

「菓子パンとか果物とか、そんなんばっかだぞ。」そんな事を言いながら、遠くに座っていた真希も名前の側へとやって来る。それに何事だと動揺した様子の名前は、緊張しているかのようにその手をぎゅっと握っていて。その仕草が何だかとても可愛いく思えてしまう。
「それでこの艶と透明感なんて、信じらんない。」と言いながら、釘崎は彼女の腕をツーっと指で撫でる。
すると、いきなりの事で驚いたのか、彼女の身体はピクリと跳ねる。

「な、なにするの…っ」

そう言ってぱっと腕を引っ込める名前の顔は、かあっと赤くなっていて。ギロリと此方を睨んでくるその顔に、釘崎の心臓はぎゅっと鷲掴みにされる。

「か…っ」
「か?」
「真希さん、今の見ました!?名前さん超可愛くなかったですか…っ!?」
「…野薔薇、お前なんか悠二みたいになってきてねーか?」
「え〜、私があんな芋くさい男と似てるなんて、真希さん冗談キツいですって。」

名前の反応に心奪われるあまり、勢いのまま真希へとそう尋ねれば、温度差のある反応が返ってくる。まあ真希はそういうタイプではないから、当たり前なのだが。
そんなやりとりを交わす釘崎と真希から距離を取ろうと、少しずつ下がっていく名前。まだ逃すわけにはいかないと、釘崎は彼女の腕に自分の腕を絡めて、そのままぐっと引き寄せる。

「女同士なんてこれぐらい普通ですよ。」
「…っ!!」

釘崎を振り解こうと自らの腕を振る名前に、釘崎は負けじとしがみつく。きっとこのまま釘崎が腕を離したら、彼女は風呂から出て行ってしまうだろう。まだこれっぽっちも彼女とまともに会話できていないのに、逃すわけにはいかない。ガッチリと彼女の片腕を拘束する釘崎に、盛大に戸惑っている様子の名前。こんなに焦っている彼女の顔は初めて見たと、釘崎はつい嬉しくなる。
「諦めろ、名前。野薔薇はマジでしぶといぞ。」と真希が告げれば、名前は諦めた様に腕の力を抜いた。

「名前さん、私たち数少ない女性術師なんですから、仲良くしましょう。ね、真希さん!」
「まあな。名前もいい加減人見知りなんてしてねーで、もっと絡んでこいって。てか、何年人見知りしてんだよ。」

そう真希が言えば、名前は視線を落としながら「…別に、そういうのじゃない…。」と呟く様に言う。
てっきり否定の言葉を沢山浴びせられるとばかり思っていた釘崎は、彼女のその反応に、意外と嫌だと思われていないのだという事に気づく。これなら少しずつでも彼女と親しくなっていけそうだ。
それに、嬉しいことに、真希も素で釘崎に乗っかってきてくれている。これは完全に追い風だ。
あとは彼女の気持ち次第ではあるが、例え彼女がどんなに頑固だったとしても、釘崎には絶対に折れない自信がある。
なぜなら、釘崎は名前のことが好きだからだ。







釘崎が名前のことを知ったあの合宿から、早数日が経った。合宿から帰って来てからと言うもの、釘崎は真希と共に彼女を色んなところへ連れ回す様になった。最初は釘崎達の誘いに盛大に戸惑っていた名前だが、伏黒からの後押しもあった様で、複雑な顔をしながらも何とか来てくれるようになった。

名前と出かけると、釘崎はよく彼女の世間知らずな一面に驚かされる。釘崎達が当たり前だと思って気に留めないことでも、彼女にとっては新鮮である様で。分かりずらいが色々な反応を見せてくれる彼女に、釘崎もつい嬉しくなってしまう。
自分の意思を伝えるのが苦手な名前は、いつだって謙虚で物静かで。しかし、任務に出て呪霊と戦っている時だけは、強くて逞しい一級術師になる。そんな彼女の姿は、まるで呪霊を祓うこと以外は何もして来なかったことを語っている様で、何だかとても悲しい気持ちになる。

いつか彼女が本当の自由に気付き、自ら手を伸ばし掴むまでは、釘崎はどんな事だってしたいと思う。もう彼女は釘崎の大切な友人なのだから。

『伏黒、今週末名前さん借りるわよ。』

自室のベッドに転がりながらメッセージアプリを開き、伏黒へとメッセージを送る。すると、直ぐに返事が返ってくる。

『夜もか?』
『当たり前だろ、変態。』
『やめろ、そう言う意味じゃない。』

じゃあ何なんだよ、と伏黒もメッセージに釘崎は思わず眉を顰めていれば、程なくして続きのメッセージが送られてくる。

『名前さん、根菜が苦手らしい。果物は割と好き。あと、猫舌だからあんま熱い飲み物は急かすなよ。』

そのメッセージに、釘崎は思わず目を丸める。
夜、というのは、どうやら晩御飯の事を意味していた様だ。きっと名前が自分から好き嫌いを釘崎に伝えないと思い、代わりに教えてくれたのだろう。過保護過ぎる。この男は、本当に彼女が大事で仕方がないんだなと、釘崎は思わず笑ってしまう。

『母親か。』
『でも、ありがと。』

そんなメッセージを続けて送ってやると、『多分めちゃくちゃ緊張して行くと思うから、頼んだぞ。』という返事が返ってきて。
ああ、本当に何でこんなにラブラブな2人の存在に今まで気付かなかったのだと、内心呆れてしまう。

次はどこへ彼女を連れ出してやろうかと考える釘崎の口元は、一層緩んでいくのであった。




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