#5 慈光

知っていた。でも、気付かないふりをしていた。
彼女が人一倍さみしがり屋だということを。


「銀時、これから彼女も一緒に住むことになりました。仲良くしてあげてくださいね。」

そうやって松陽に連れられてやって来たのは、無口で笑いもしない、えらく上等な着物を纏った人形のような少女だった。真っ黒の髪は結われずにただ風に靡いている。色白の今にも消えてしまいそうなそいつは、黙ったままいつも松陽の半歩後ろを付け回っていた。

名前すら知らないまま少女と一緒に暮らし始めた ある日のこと。「困りましたね、名前が無ければこの先不便ですからね…何か名前をつけてあげましょう。」なんて縁側で三人並んだ時に不意に松陽が口にする。「そうだ、タマなんてどうですか?」なんて閃いたように馬鹿なことをいう松陽に、「猫じゃねーんだからよ!」と思わず突っ込みを入れた。こいつはだめだ、なんて目の前の大人に呆れてしまう。
つーか名前ぐらいあるだろ、名乗れよ。そんな苛立ちを感じていた俺とは裏腹に、優しい瞳の松陽は少女を見つめながらこう言い放った。

「名前」

その名前を耳にした少女は、大きく目を見開き、松陽の方を振り返った。
初めて見た、少女が己の顔へと表情を浮かばせたところを。そして、小さく「えっ…」と驚きの声をこぼしたことを。

「やっぱり、昔の名前がしっくり来るみたいですね。新しい名前を付けてあげるのは辞めにしましょう。」
「テメェ、こいつの名前知ってやがったのかよ!」
「ええ。まあ…昔、一度だけ会ったことがある少女と少し似ていたので、もしかしてと思ったんですけど。」

やっぱり貴女でしたか。
そう、まるで壊れ物を扱うかのような物柔らかな手つきで松陽が少女の頭をなでれば、彼女は無表情のまま大きな瞳からぽろぽろと涙を流した。

何も喋らないこの少女が、苦手で嫌いだった。
でも、彼女の涙を見たとき、なぜかとてつもなく悪い事をしたような気持ちになった。彼女は松陽の優しさを何も感じていなかった訳ではなかったのだ。ただ、上手く表に出すことが出来なかっただけなのだと。
少女のいない所で松陽に尋ねた。彼女は、名前は一体何者なのだと。だが、松陽は何も答えてはくれなかった。

その後、彼女と日を過ごすに連れて彼女の長く黒かった髪は、少しずつ鮮やかな淡い色に変色し始めた。その頃から、彼女と少しずつ会話ができるようになり始め、不思議に思っていた髪の色を彼女に尋ねた。すると彼女は「私、影武者だったの。」と一言だけ放ち、俯いてしまった。
ああ、そういうことね。だから何でもできるんだ。だから何も喋らないんだ。だから自分を隠していたんだ。

髪をばっさり切った名前は、薄っすらと凛とした表情を浮かべていた。
彼女の事を少し知った俺は、この頃から長い時間をかけ、少しずつ彼女の惹かれていったのだ。





そして時は攘夷戦争の終焉。坂本に高杉、ズラ…どんどん自分たちの元から仲間が去っていく度、彼女は笑って送り出した。
だが、胸の内はとても寂しく切ない感情に見舞われている事を、俺は知っていた。

「なあ、名前」
「ん?」
「…いや、何でもねーや。」

ふふ、と柔らかな優しい笑みだけをただ俺に返す、綺麗な女。
戦争の所為ですっかり色気の無い格好に身を包むようになったこの女だが、俺からしてみれば他のどの女も敵うはずないくらい、美しかった。
刀を握るマメだらけの小さな手も、邪魔にならないようにと短く切り揃えられた淡い色の髪も、所々に刀傷が見える華奢で色白のその身体も、全部が愛おしかった。

叶うものなら、このまま腕の中に閉じ込めてしまいた。そうして、この後も一緒に戦の無い世界を生きていきたい。
彼女の切ない顔を見る度に何度もそう願ったが、意気地なしで根性なしの俺は何も言えないままでいた。
町の路地で職を失った侍を見る度に、あいつの幸せは俺の元にはないのではと不安に襲われたからだ。

そして、ついに俺は、名前を己の手から手離した。
名前も俺の別れの言葉に決心がついたのか、ちゃんと正式に医師免許を取るのだと言って、笑顔で俺の元を去って行った。
その笑顔の中に隠された気持ちなど何も気づかない振りをして、俺たちはそれぞれの道を歩み始めた。




◇◆◇





短剣の突き刺さった下腹がズキズキと痛みを訴えてくる。
だが、今の俺にはそれぐらいが丁度良かった。寧ろ、こんな痛み一つ耐えるだけで、彼女を自分の腕の中に収める事ができるのであれば、とさえ思った。

本来なら俺の心臓に突き刺さるはずだった短剣は、その軌道を逸らし、何でもない俺の下っ腹へとブッ刺さっていて。その事から、俺に刀を刺す直前に、名前の中で何か異変が起きていていたのだろうと推測できた。
強く抱き寄せた俺の腕から離れようとする素振りもなく、短剣の柄から両手を離し小刻みに震えている、腕の中の小さな女。
そして消え入るような声で「ごめん…なさい…っ」と呟いた。

「私、あなたのこと…知ってる。」

「…でも、分からないの...。ごめんなさい。」

辛く悲しいその声色に、不安や戸惑いの感情も読み取れる。
おそらく何の記憶もない彼女は今、暗闇のどん底で溺れていて。少しだけ思い出しそうな俺のことを、何もない暗闇から手探りで探り当てようと藻掻いている。

「何だっていいさ。お前とこうやってまた会えただけで、俺は死ぬ程満足してんだ。」

ただただ彼女を安心させようという気持ちが、壊れるぐらいに抱き締める腕を強める。

愛してたんだ。
寂しくないように、護ってやりたかったんだ。


「名前!」

限界が来たのか、いつの間にか自分の脚で立てなくなった名前の体は俺へと身を委ねるように倒れた。咄嗟に腹の剣を抜き、グッと襲いかかる痛みに耐えながら名前を抱きかかえれば、俺の腕の中には 力尽きたように意識を手放した名前がいて。
彼女から聞こえる小さな呼吸の音に、言葉にできない程に安堵する。

傷だらけの小さい体を抱き抱え、俺は胸糞悪い奴の元へと走り出した。





遊郭の裏側にある、春雨の施設と思わしきその寂びれた建物。天人の屍を辿っていけば、その如何にも怪しい場所へと辿り着いた。
そしてその先へとさらに足を進めれば、大きく開けた空間に大勢の侍達───八二郎達の軍勢と、春雨の軍勢が刀を交えていた。

「銀さん!」
「銀時殿!」

俺がやってきた事に気づいた新八と八二郎が駆け寄ってくる。
そして、心配そうに腕の中の名前を覗き込んだ。

「名前さんは…っ!」
「大丈夫だ。…つっても、大丈夫では無いんだけどな。」

早いとこ終わらせて治療してやらねーと、本当にまずい状態だ。そんな事、口にしなくともこの二人には伝わっている様だ。
奥歯を噛み締め悔しがる八二郎は、静かに「名前さん、すぐに終わらせますから。」そう残して再び刀を振るった。

部屋の奥では神楽とズラが炭大祇とやり合っているのが見える。

「銀さん、その傷!」
「…かすり傷だ。大したことねーよ。」

俺の腹から滲む赤色に驚く新八。そんな新八へと、強い信頼を浮かべた視線を向けて「こいつを頼む。」と名前を託せば、どんな役を言い渡されたのかを察したように新八は「はい!」と大きく頷き優しく彼女を受け取った。

そして、神楽とズラの元へと走る。
俺の不興をかった、あの胸糞悪い最低野郎を斬り刻むために。

「よお、随分とふざけた真似してくれたもんだな。」

低い声でそう言えば、炭大祇はそのふざけた笑みを消し、深く深くため息を吐く。

「ほんま、どいつもこいつも役立たずばっかりや。」

そう言い、新八の手元にいる名前をチラリと見る野郎。
その態度が俺を更に憤慨させる。

「お前だけは、死んだって許さねえ。」

「くたばれ、下衆野郎。」




そして俺は野郎を斬り捨てた。
怒りに我を任せるかの様に戦う様は、まさに白夜叉そのものだった。




◇◆◇





それから数日が経ち、京の町には人が沢山の歩くようになった。通行手形や刀の所有は完全に廃止され、少しずつだがこの地に平和が戻ってきていた。

そして あの一件以降、名前は暫く目を覚まさなかった。それは 野郎が名前へと嗅がせた薬の所為でもあり、また、疲弊した身体を労った名前自身が身を守ろうとした結果でもあった。

まあ何にせよ、生きていてまた隣に居られることだけで今は十分だ。
だだっ広い座敷のど真ん中で、死んだようにぐっすりと眠り続ける名前。まだ生傷の残るその頬へと手を伸ばせば、無意識に俺の手にすり寄ってくるような反応を見せる。何こいつ、寝てる時の方が随分と可愛いじゃねーの。
にやけそうになってしまう顔を引き締めれば、丁度人の足音と襖の開く音が聞こえてきたので、慌てて頬に添える手を引っ込めた。

「銀ちゃん!名前はまだ起きないアルか?」
「神楽ちゃん、もうちょっと静かにしなきゃ!」
「お前が一番うるさいネ。」
「誰のせいだよ!」

またうるさい奴らが来やがった。そう項垂れるが、さみしがり屋な名前には丁度いいかと怒る事もせずにガキどもを受け入れる。
会って話した事もないのに、こいつらはまるで身内のように名前の心配をしていて。何でだよと軽く聞いてみれば、「ここの奴らもズラも銀ちゃんも、みんなこの女の事大切にしてるネ。悪いやつなわけ無いアル。」とか「起きたら缶蹴りに誘うネ。こいつ脚長いから、絶対に強いはずネ。」とか「銀さんの身内は僕たちの身内です。銀さんの恥ずかしい過去の話とか、起きた時に教えてもらおうかな。」とか。
名前、お前凄ぇな。寝てる間にも身内が出来たぞ。よかったな。

意味わかんねーガキどもを部屋に置き、今週のジャンプを買いにコンビニまでひと歩きした。

その間に名前の目が覚めたらしく、それを聞くなり慌ててあの部屋へと戻った。

部屋の真ん中には、皆に囲まれて困ったように笑う名前がいて。昔と何も変わらないその笑顔に、ドクリと心臓が波打つ。
俺のこともズラのこともしっかり思い出した名前は、満面の笑みを浮かべて俺の名前を呼んだ。




◇◆◇





名前が目を覚まして2日が経った。
コンビニで買ってきたプリンを手に名前の部屋まで足を運んだが、そこは蛻の殻だった。何だよ、どこ行ったんだよ。プリンを目前に名前の帰りを待つことなど今の俺には到底不可能であったため、すぐに部屋を出て名前を探した。
そんな俺の事情を察してか、名前は近くの縁側でちょこんと座って外を眺めていた。彼女がその身に纏っていたのは、今朝着ていた薄色の着流しではなく、翡翠色のとびっきり美しい着物だった。

いつも色のない袴に身を包んでいた彼女が、美しい着物を纏った姿なんて もう何年も見ていなかった。その所為か、ただの名前な筈なのに柄にもなく見惚れてしまう自分がいて。
くそ。何だか気恥ずかしい気持ちになり、それを紛らわせるように名前へと声をかけた。

「よお。」
「あ、銀時。」

淑やかに振り返った名前は、上機嫌そうに微笑んだ。

「これまた随分と上等なもん着せてもらってるじゃねーか。」
「ああ、これね。八二郎さん達が今までのお礼にって。」

今はこんなのしか用意出来なけどって、くれたの。そう申し訳なさそうに着物へと視線を落とす名前。
野郎も、お礼にしては粋なことしやがるな、おい。きっと八二郎も、年頃の女にしては あまりにも粗末な衣しか身に纏っていないことに対し、思うところがあったのだろう。

「まあ、あれだな。馬子にも衣装ってやつだな。」
「ふふ、相変わらず照れ屋さんなんだから。」
「誰が照れ屋さんだコノヤロー!違いますー、これは銀さんの素直な感想ですー。」

せっかくだし弄ってやろうと思い切ってそう言えば、何故かこちらが弄られていて。
何でだよ、何でそうなるんだよ。笑い続ける名前に、あの時の切なげな顔が消えていくような気がして、不思議と穏やかな気持ちになれた。

そして笑い止んだ名前はこちらをしっかりと見て、言った。

「銀時…助けてくれて、ありがとう。」

改まって言われると言葉に詰まってしまい、咄嗟に「おうよ。」とだけ返した。

ごめんね、あの時の事はあんまり覚えていないの。でも、助けてくれた事だけは、覚えてるよ。
そう言いながらどこか遠くを見つめる彼女は、きっとその時の事を思い出したいのだろう。
だが、こちらとしては、あの小っ恥ずかしい愛の告白の様な台詞を思い出されるのも何だか物凄く後ろめたいと言うか、何と言うか。思い出して頂かなくても結構です。そんな台詞を飲み込みながら、名前へとコンビニのプリンを手渡した。


「なあ、暇だからなんか喋れよ。」

プリンを頬張りながら、そんな無茶苦茶な台詞を口にすれば、「ん?どんな話がいい?」なんて機嫌の良い名前は俺に尋ねる。なんかこの会話が懐かしい気がして、俺はいつものお決まりの「何でもいい。」と言う一番困るであろう返答をすれば、この女、「銀時の昔話はどう?」なんてふざけた事を言って来やがる。
誰が当人の昔話なんざ聞きたがるか!そう言い返せば、クスリと笑った名前は「じゃあ、私の話ね。」と話を続けた。

「私はね、銀時と別れたあの後、三年かけて勉強して医師免許を取ったの。」

そう空白の時間について話し始める名前。まるで俺が知りたがっているのを察したかのように、あっさりと出てきたこの話題に、内心ドキっとしてしまう。俺、そんな分かり易かったかな?と焦っては見たものの、よく考えると察しの良い名前が自分で考え、この話題を選択したんだろうという結論に至り、焦りを沈めた。

医師の資格のないまま凄腕の医者として過ごした、言うなればブラックジャック的存在だったこいつが資格を手に入れ、また一つ大きく成長していくその物語に、何故か親のように暖かい心になる。
色んな場所を旅したことや、色んな人に出会ったこと、昔のことが恋しくなったこともあるけど、今も目の前には自分を必要としてくれる人がいて。それがとても嬉しいのだと。
俺があの時引き止めなかった事は、彼女をこんなにも前に進めたのだ。しばらく後悔していた自分に、急に嫌気が刺した。

さみしがり屋な彼女は、いつの間にかその孤独に対抗する力を手にしていた。
そう思ったと同時に、今度は俺の方が寂しくなって来てしまった。


「何だ、二人して昔話に花を咲かせよって。水臭いではないか。」

昔話の途中で突然現れたズラは、図々しくもその腰をドカリと、あろうことか名前の隣へと落としやがった。
クッソ、邪魔しやがって。そんな悪態をついている俺に反して、名前はとても楽しそうに呟く。

「なんだか懐かしいね。」
「そうだな。」

ズラも、名前と同じく懐かしむ様に俺たちを見た。

「ところで名前、感動の再開を祝って熱く抱擁を交わしたいのだが…」
「あ?何ふざけた事抜かしてやがんだ、このムッツリスケベ野郎!」
「貴様、武士に向かってムッツリスケベなどという変な言い掛かりは辞めんか!俺はムッツリではない!ガッツリスケベだ!」
「なんでしっかりスケベを肯定してんだよ!ガッツリスケベってなに?そっちの方が武士として恥ずかしいわ!」

名前を挟み、ふざけたズラと言い合いをする。
何なんだよ!急にセクハラかよ!つか相変わらず言ってること意味わかんねーよ!変態野郎から名前を引き離すべく、彼女をこちらへと寄せようとした時だった。
片手にギブスをした名前は、ズラに向かって両手を広げた。

「はい、桂くん!」
「ちょ、なに名前ちゃん両手広げちゃってんのー!?今の聞いてた?こいつガッツリスケベだけど?!」
「では、行くぞ。」
「行くなーーー!」

ぎゅっとズラが名前を抱きしめる。それを引き剥がそうと、後ろから俺も名前へと抱きつき、こちらへと寄せる。
「やめろ銀時、邪魔をするな!」「お前が先に離しやがれ変態!」なんて、もうよく分からない状態で突掴み合いを繰り広げている最中、名前は静かに「銀時、桂くん…本当にありがとう。」なんて突然の感謝を告げた。
それに、入っていた力が緩む。

「気にするな。俺たちはなまかだ。」
「随分と古いネタで格好付けようとすんな、バーカ。」
「バカではない、桂だ。そしてバカと言った方がバカだから バカはお前だ、銀時。」
「はい、お前も今バカっつったからバカ決定ー。」
「何、今のバカはカウントせんルールだ!」
「いーや、カウントしますー。」
「しませんー。」
「しますー。」
「…もう、相変わらず仲良しなのね。」
「「どこがだ!」」

くすくすと名前が笑えば、自然と俺もズラも笑っていて。
もう何だっていい。とりあえずこいつが無事なら何だっていいんだ。

何やってるアルか、おっさんがニ人抱き合ってキモいアル。早く名前から離れるネ。
そのお嬢の一声で俺たちの突掴み合いは幕を閉じた。






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