#4 狭霧

「紹介する、彼がここの侍達を束ねる頭、八二郎殿だ。」

京都の外れにある廃寺院の軒下にこっそり存在する隠し通路。薄暗い廃屋の中にある気味の悪いその階段を下っていけば、まるで地下帝国の様な世界が急に顔を出し、思わず息を飲んだ。のが3分ほど前の話である。
階段を降りきってすぐの建物の中へと入るや否や、大柄で どこか悟りを開いたような面持ちの男が俺たちの行手を塞いだ。
そして、丁度良いと言わんばかりに、少し前を歩いていたズラが急に大男の紹介をし始めたのだ。

「貴殿は白夜叉殿とお見受けする。私はこの京の侍を取り仕切る、八二郎と申す。」

深々と頭を下げた大男。その体格に似合わない何とも律儀な態度に、この男の人柄をすぐに察することができた。
よくぞいらっしゃいました。さあ、座ってください。そう中へと進められれば、お茶と質素な甘味が机の上へと並べられる。久しぶりのその素朴な甘味に、思わずアットホームな温かみを感じる。やっぱ遊郭暮らしは思いの外耐え難いものがある様だ。

茶をすすり、一息付いたところで本題を切り出す。

「んで、京のお侍さんが何でこんな大層な地下帝国でご隠居されてんだ?」

よくある漫画の地下世界なんかより、結構実用的な感じというか手作り感のあるここは、何のための施設なのか。そもそもなぜこの地下にその大層な役割のおっさんが籠っているのか。何やら難しい事情があるのだろうと、ズラや八二郎の表情を見ると何となく感じる。

「実は、京都の都は今、完全なる天人の支配下にあるのです。」

そう真剣な面持ちで八二郎は力強く語りだした。

「数年前、攘夷戦争が終焉を迎えた頃、1隻の天人の軍艦がこの京に降り立ちました。
彼らは春雨と呼ばれる宇宙海賊の一派で、攘夷戦争で疲弊した我々の都を瞬く間に我が物へと支配していったのです。」

語る八二郎の手元は震え出し、握っている湯飲みの茶が中で波立っていた。

「刃向かう抗力は皆殺しに、貧しい者は奴隷に、女子供は宇宙へと売りさばき…。それはもう、非道を極めておりました。そんな彼らと戦うべく、我々は何年も前からこの巨大な地下壕で活動をしてきました。攘夷戦争の延長戦として。」

不意に外を見つめる八二郎。
その視線の先を追えば、松葉杖を突く片足の男や、包帯に身を包んだ男が通りを歩いていた。彼らもきっと、八二郎の仲間として天人と戦ったのだろう。深い痛手を負ってもなお後には引けない男たちの戦いと、その過酷さがひしひしと伝わってきた。

「ここいらの春雨の部隊を束ねているのは、炭大祇という男です。」

不意に、よく知っている名前が八二郎の口から飛び出してきた。

「炭大祇って、まさか島原の遊郭のオーナーの…?!」

新八が驚くと同時にそう尋ねれば、奴さんも驚いたように「知っているのか、奴を?」なんて伺う。
あーあー。まさか、そういう事だったとはな。

「知ってるも何も、俺たちを嘘の依頼でこんなところまで呼び出したのは、その炭大祇って野郎だ。」
「何?銀時、それは誠か?」
「おうよ。胡散臭い野郎だとは思ってたが、まさか春雨の幹部殿だったとはな。」
「女の勘の通りヨ。アイツ、やっぱり悪党の一派だったネ。」

あのニコニコ野郎に一杯食わされたことに気づいたが、同時に胸の内がすっきりと晴れた気がした。
舞台の悪者が見えたところで、神妙な面持ちの八二郎はこちらを向き直し、額を床へと押し付けた。

「頼む、白夜叉殿とその御一行…いや、江戸の万事屋一行。」



「京を…この地を天人から解放してくれ。」

心か奥底から必至に訴えるような真剣な頼みに、断ることなどできなくて。
「…しゃーねぇな。お代は高く付くけど良いか?」なんて返事をすれば「忝い。」と、今にも溢れ出しそうな気持ちをぐっと抑えた八二郎がそこにいて。
胸が熱くなったズラも、そんな八二郎の肩に手を添え、頷いた。「やってやろう。」と。

せっかくここまで来たんだ、ちょっくら暴れて帰ってやろう。
そんな気持ちで、この大男の願いを引き受けた。




◇◆◇





兵の準備の為と、八二郎はあれから席を外してしまった。人の上に立つ人間は忙しいこった。バタバタと慌ただしい足音が聞こえることも御構い無しに、茶菓子を貪り尽くす。
今この部屋にいるのは、俺たち万事屋一行とズラ、エリザベスと何も普段と変わらない野郎だけだった。

不意にズラが、真剣な表情で俺に向かって話し出した。

「ときに銀時、今、この京には名前が来ている事を知っているか?」

名前…その懐かしい響きに、一瞬頭が真っ白になる。
今、こいつ…確かに名前っつったよな?もう随分と聞いていなかったその名前は、俺の胸をざわつかせる。

「つい一週間程前まで、八二郎達と共に行動をしていたらしい。」

ズラの衝撃的な告白に、「そうか。」としか返すことができない。

記憶の中にある…それも大層大事にしている記憶の中にある、彼女の面影。
強くて逞しく、聡明で美しいのに、どこか儚く脆い彼女。一緒に泣き笑い合った、大切な昔の仲間の思い出が刹那、脳裏にフラッシュバックする。
アイツに会いたい。胸のうちにしまい込んだ筈のその気持ちも、記憶とともに戻って来やがった。くそ。

「おいズラ、誰アルか、そいつ。」
「ズラじゃない、桂だ。そして名前は銀時の元カノだ。」
「ちげーよ!!適当な事教えてんじゃねーよ!!」

何つーわかりにくい冗談だ、おい。しかも普通に洒落になんねーよ。
神楽や新八に対するズラの適当な説明を、思わず遮った。

「彼女は俺や銀時、高杉と同じ師の元で学び、攘夷戦争を共に戦った、大切な仲間だ。」

へえ、銀さんや桂さんの幼馴染に女性の方もいらっしゃったんですね。
珍しく目を光らせてズラの話を聞くガキどもに、少し擽ったい気持ちを抱く。ガキどもに昔話を聞かせてやる機会なんてほとんど無かった。ただ何処からともなく仕入れて来やがる俺の過去を、こいつらは詮索する事もなく黙って知らないフリをする事も多かった。
こうしてちゃんと説明すると、恥ずかしい。だから今まで多くを語らなかったのだが。

「名前は今まで、流浪の医者をしていたみたいでな。つい三ヶ月前にこの京の都にたどり着いたと言っていた。」
「え、名前さん、お医者さんだったんですか?!僕、てっきり剣術の心得のある女性かと思ってました。」
「名前は剣術の心得もある。そこいらの男どもなど敵ではない程強かったぞ。」
「そーそー、大体何でもできたからな、アイツ。可愛げねーくらいによ。」

そう言えば、と懐かしい記憶を呼び覚ます。
アイツは本当に最初から何でもできた。何でも優秀にやってのけた、天才だった。だから周りに一目置かれてたが、彼女はそれを鼻高々と自慢する事もなければ、周りの嫌味や嫉妬に対して心を屈する事もなかった。
いつも無表情で当たり前のように何でも熟す彼女に、少し困った表情を浮かべていた先生。
随分と昔の記憶だ。

「でも、その銀ちゃんの元カノの名前、さっきから見えないアル。」

本当にいるのかヨ?と半ば幻のような言いっぷりをする神楽に、うむ…と少し言いにくそうな素振りを見せるズラ。
少し溜め込み、実はな、と続ける。

「…名前はどうやら、1週間前にここを追い出されたそうだ。」
「追い出されたって…!」
「なんでアルか!」
「名前は人間も天人も分け隔てなく治療し、救っていたそうなのだが、どうやらそれを八二郎殿の部下にばれてしまったようだ。」

天人を助けるなんて、この裏切り者が!そう言って、この地下から追放を受けたそうだ。
実に名前らしい。正しいと思った事を全うする彼女の横顔が容易に想像でき、相変わらず変わってないなと吹き出してしまう。
ズラもどうやら同じ事を思ったみたいで、俺に吊られて同じように笑った。


「そして一昨日の晩、天人に襲われた俺たちを、偶々救ってくれたのが名前なのだが。それ以降、地上でも地下でも彼女を見た者が居ないんだ。」

誰に聞いても見ていないとの声しかなく、彼女が間借りし住んでいた古い家屋にも、通っていた島原の医療施設にも顔を出していないとの事。
まさか何かあったのではと心配するズラに、エリザベスが【そう言えば、別れ際に行くところがあると言っていたが…】と書かれた看板を見せる。

おいおい、まさか何かまずいことになってるんじゃねーの、これ?
意味深なズラとエリザベスの様子に、一気に不安が押し寄せる。

「名前は別れ際に、エリザベスにこんなものを渡していてな。絶対に八二郎には渡さないでとだけエリザベスに告げたらしい。」
「何だよこれ、電池?」
「奴らから盗んだ、天人が大事にしている戦艦のバッテリーだと名前は言っていたが。」

青白く光る電池は、怪しげにズラの面を照らす。

「俺が思うに、最後に会ったあの日の朝、名前は春雨へと一人で向かって行ったのだではと。」

ついにはっきりと物を言ったズラに対し、そうだろうな、と内心舌打ちする。

「あのじゃじゃ馬女…っ。」

海賊相手に一体何してやがんだよ、今日一番の胸騒ぎに耐えきれず、思わずその場を立ち上がり走り出した。




◇◆◇





「おやおや、えらい遅いご帰宅で。」

いつも寝泊りをしていた遊郭の一室へと戻れば、そこには大勢の武装した天人、そしてその中心には炭大祇がいつもの笑みで煙管を吹かしていた。
随分と白々しいその態度に、苛立ちが募る。数秒遅れで部屋に入り込んでくるズラと新八達は、この状況に黒幕を確信する。

「炭大祇、宇宙海賊春雨の幹部。」
「八二郎はんから入れ知恵してもろたんかな、白夜叉殿?」

アンタらもあの女も、皆八二郎のこと好きやなあ。なんて笑いながら、周りに控えている天人の部下達に「やれ。」と命じる。
あの女とは、おそらく名前の事だろう。一気に雪崩れ込んでくる天人兵士達、それを斬り裂く力が無意識のうちに強まる。

「てめぇ、名前をどこへやりやがった。」

目の前の天人を斬り退け、炭大祇の元へと駆け寄る。
渾身の一発をお見舞いしてやるつもりで振り切った木刀は、そのあり得ない動きによりするりと避けられてしまう。

「あーあー、残念やわ。ほんまは白夜叉と桂を殺り合わせるようなシチュエーションを考えとってんけどな。」

何て剣も抜く様子もなく、ただただ踊るように俺の剣を気持ち悪いほどに避けていく。
あまりにも余裕気なその態度に苛々が募っていく。

「坂田はん、手駒にするにはあまりにも敏感で凶暴やったから、急遽別のシチュエーションを用意することにしたんや。」

ピタリと止まった炭大祇の動き。
そして、先ほどまでの胡散臭い笑みを消し、見下すようにこちらを見る。その視線ごと叩き斬ってやろうと振り切った刀は、キンと音を立てて阻まれる。

「なあ、名前ちゃん。」

静かにその名を口にした炭大祇。
奴から目を離し、目の前の俺の木刀を受け止めた人物に目をやった。

「おいおい、嘘だろ…っ、」

そこには、随分と大人びてはいるものの、懐かしい面影が残る名前がいた。

目の前に突然現れた名前の姿に焦り、思いっきり力を込めて振りかざした木刀を己の方へと引っ込めてしまう。それを隙と見た名前は、賺さず俺の懐へと己の刃を振りかざす。それは敵を欺くためのフェイクでも何でもない本気の一撃であり、再び木刀を握る力を強めて、その一撃を受けて立つ。

この軽い身のこなしも、この角度からのカウンターも、全部知っている。それは間違えなく名前の太刀筋だった。

ただ、俺を見ても何も感じず、ひたすらに氷のような表情を浮かべる名前に、違和感を感じざるおえなかった。さては、こいつに何か仕掛けやがったな…!そう訴えるように炭大祇を睨みつければ、「ああ、もうバレてもうた?」なんてふざけた態度でこちらへと歩み寄る。


「おもろいこと教えたるわ。」

腕を組み、名前を下品な目で舐め回すように見る男。

「この女なあ、腕の骨折られようが脚を銃で打たれようが、悲鳴も根もなんも上げへんかってんけどな。
アンタと桂を殺す幻覚見せたら、取り乱し始めてな。」

にたりと気色の悪い笑みを浮かべる炭大祇。
俺の刃を受け、踏ん張る名前の右腕は小刻みに震えており、左足の足元には流血が溜まっていた。まずい、と慌てて踏ん張る名前の横腹を蹴り、身を弾かす。

「ほんなら、すぐに意識手放さはったわ。自分の身体が拷問されるよりよほど辛かったんやろな。」
「テメェ…っ」

くすくすと笑うその笑い声に、全身の毛が逆撫でされる。
こいつは…こいつだけは何があっても許さねえ。

勢いよく地面を蹴り上げ、最低野郎に向かって噛み付くように飛び掛る。
刹那、脳裏に浮かんだ、優しく俺の名を呼ぶ柔らかい笑みの女が、俺の士気を奮い立たせるが。

炭大祇の目の前に立ち塞がったのは、瞳に色を失った傀儡のような愛しい女だった。

「名前!!」

勢い付いた体を止められず、そのまま名前へと重い一撃を食らわせてしまう。
くらりと怯んだ彼女を、思わず支えようと手を差し出せば、怯んだ姿勢のまま負傷していない足で 素早く俺の両脚を引っ掛ける名前。
くそ、そう言えばこいつはこういう戦い方だったわ。意識がなかろうと、その身振りは懐かしい名前そのもので。昔、よく剣の相手をした記憶の中から、徐々に彼女の動き方を思い出す。

転びきる前に床に木刀を突きつけ勢いで起き上がれば、炭大祇はすでに出口の方へと歩を進めていた。

「ほな、ごゆっくり。」
「待ちやがれ!!」

後を追おうとすれば、天人の兵士や名前が斬りかかってくるため、全く先には進めない。

「アイツ、絶対ぇ殺す。」

こんなになるまで彼女を傷つけた上、心を奪い、感覚を奪い、昔の仲間と戦わせるような下劣なクズ野郎に、只ならぬ殺意が湧く。心なしか、冷んやりとした空気が俺の周りを取り囲み、周りに立ち塞がる天人達を怯ませる。

出口に近い所にいたズラが、炭大祇の後を追って部屋の外へと出ていく。
そして、瞬く間に天人を片付けてしまった神楽と新八が俺の背で構えた。その先にはたった一人。

「銀さん、名前さんは…」
「どうやら薬に当てられてるらしい。全く意識がねぇまま、暴れてやがる。」
「酷い、あの男、本当に最低ネ。」

銀ちゃんとズラが手が出せないのを良いことに、散々傷めつけた名前で銀ちゃんを斬らせようとするなんて。
ものすごい殺気を放つ神楽と、心配そうに名前を見る新八へと振り返り、言った。

「ここは俺に任せて、お前らはさっさとアイツらを追え!」

「銀ちゃん!」
「銀さん!」

「心配すんな。こいつは十年以上一緒に過ごした野郎のこと忘れるような、薄情な奴じゃねえよ。」

そう、こいつはそんなに人のこと易々と忘れてしまうような薄情なやつではない。あまり表には出さないが、非常に情に溢れた優しい人間なんだ。

分かったらとっとと行け!と、ガキどもの尻を叩くように声を張れば、「銀さん、頼みましたよ!」そう力強い希望の一声が返ってくる。
頼まれずしも、救ってやるさ。
大人の事情という名の言い訳をして、あの時、惜しくも手離してしまったその存在。手離した後に襲った激しい後悔。忘れるまではポカリと胸に穴が空いていて。毎日その穴を埋めれる何かを求めていた。

もう二度とそんな経験を味わいたくなんかない。


「よお。久しぶりだな、名前。」
「…」
「元気そうで安心したわ。」

ボロボロの体とは裏腹に、辛い顔一つ見せずに俺の元へと駆けつけ刃を向ける。
それほどまでに彼女を焚きつける何かがあるわけでもなく、そして彼女を追い詰めるものもない。

「剣の腕も全然訛ってねーみたいだな。ほんとに骨折れてんのかよ。」

受け止めた刃は重く、その重さを感じるたみに、どこか彼女の体が悲鳴をあげているような気がして。胸をぐっと掴まれるような痛みに襲われる。
ヤクを決め込んでいるであろう名前がこれ以上戦い、体を痛みつければ、本当にタダでは済まないだろう。
とは言え、戦いを放棄してしまえば、確実にこちらが殺られてしまう。

何度も何度も俺に剣を打ち込んでくる名前の体は限界で、ここに来るまでに負わされたのであろう傷の数々から血が溢れ出る。もう止めてくれ、なんて言葉は今の彼女には届かない。
救いたい、何とかして元の名前に返してやりたい。だが、気絶させようと首を突こうが気絶しない、骨が折れようが体を動かし続ける名前に、徐々に成すすべが無くなってくる。

名前の持っていた刀を弾いて外へと投げ飛ばせば、今度はその身に潜めていた短剣を取り出し、俺を目掛けてまっすぐ駆けてくる。
俺の持つ木刀と、俺の腕の長さからして、その短い短剣で向かって来るのはあまりにも無謀で。ああ、これがこいつの最後の一撃なんだと悟ってしまう。

俺はきっと、お前の相手には役不足なのかもしれないが。

利き手でしっかりと握り締めていた木刀を、その手から落とす。
そして向かってくるその細くて小さな体に両手を広げて、強く抱きしめた。

「な…っ」

下腹に鋭い痛みが走る。
ただ、そんなのどうだって良かった。

「なんで…っ」

久しぶりに聞いたその声に、胸が熱くなる。

「残念ながら、愛した女を斬れるほど、人間廃ってねェんだよ。」

やっと会えたその喜びを、やっと感じられたその温もりを、俺は多分、一生忘れないだろう。
もう二度と離さない、そう強く誓いながら、抱きしめる腕の強さを強めた。







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