深い青で優しく包む、

燦々と降る容赦ない陽射しを、白い砂浜は照り返す。暑い、ひたすらに暑い熱気が肌に纏わりついてくる厄介な時期だというのに、辺りからは楽しげな笑い声が聞こえてくる。本当に、人間とは能天気な生き物である。

悠々と揺れる水面を横目に目当てのパラソルを目指して歩く。すると、大きなパラソルの下には地味な色の袴を纏った後ろ姿が目に留まった。

「なにお前、水着でも忘れたわけ?」

背後から声を掛けると、その小さな肩はピクリと小さく跳ね上がった。ビニールシートの上で膝を抱いた収まりの良い身体は、ゆっくりとこちらを振り返る。大きく丸まった瞳は、俺の姿を見るや否や、柔らかく細められていく。

「銀時、海の家のお仕事は?」
「ああ、今日はもう店終いにした。仕入れた分も全部売り切っちまったからな。」
「そうなんだ、お疲れさま。」

パラソルの下へと潜り込み、名前の隣に腰掛ける。くらくらと眩暈がするほど鬱陶しかった太陽は、なんだか急に遠くにいったように感じた。あちぃ、と呟く汗だくの俺に、彼女は保冷バッグの中にある冷たいジュースを差し出した。彼女のしっとりした細い指が、俺の指先にほんの一瞬だけ触れる。何でもない、たったそれだけの些細なことだ。それなのに、心なしか体温はじわりと上昇していく気がした。
───くそ、いい歳して一体何だってんだ。
らしくない自分の反応を誤魔化すように、受け取ったジュースをごくりと飲み干す。すっかり空っぽになったペットボトルをその辺に転がし、気を取り直して用意していた双眼鏡を覗き込んだ。

「ったく、これで漸く海水浴を満喫できるぜ。」なんて言いながら、ふらりふらりと辺りを見回す。緩やかに波打つ浜辺には、予想通り色っぽい水着のお姉さん達が水を掛け合って遊んでいて。揺れ動く色んなものを眺めていると、気付けば鼻から熱い何かが滴り落ちていた。
そうそう、コレだコレ。これぞまさに海水浴の醍醐味というやつだ。酷い暑さの中、頑張って働いた自分へのご褒美だと一人納得していると、隣からは呆れたような溜息とティッシュが鼻元へと伸びてきた。

「もう、警備の人に怪しまれても知らないんだから。」
「あ?大丈夫大丈夫、ほら警備のおじさんも同じようなもんだから。」
「?あっ、もう、長谷川さんったら……」
「ほらな。それに男はな、やましい気持ちを抱えながらも敢えてその大海原に飛び込んでこそ一人前になるってもんなんだよ。」
「一人前になる前にここが鼻血の大海原になりそうなんだけど。」

向こうで双眼鏡を覗きながら鼻下を伸ばす警備のマダオを指差せば、名前は呆れたように「もう、銀時のお友達ね、」と笑いながら手元のティッシュをくるくると丸め、俺の片方の鼻の穴へと突っ込む。いてて……って、いやいや奥さァァん…!!それちょっとデカくない??銀時くんの鼻の穴ってそんなLLサイズだったっけ??つーかそれ明らかに人間の鼻の穴に入るサイズじゃ無いよね??銀時くんの鼻の穴を一体何に改造するつもり…!?鼻の穴デカい族でもつくるつもり…!?人の鼻の穴で新人類を開拓するつもりデスカッッ??

「鼻血、これなら沢山吸えると思って。」
「いやいや、そんなもん鼻に入れたら鼻血沢山吸うどころか鼻から大量に出血するわ!」

彼女の握る大きなボールになったティッシュを速やかに奪い取って、適当に鼻の穴に入るサイズに丸め直す。この女、なんか日に日にゴリラ化してきてねぇかオイ、前はもっとお淑やかで優しい感じだった気がすんだけど。お妙の影響か、それとも神楽か…!?
いや、そんなことはこの際どっちでもいい。そう思いながら仕切り直して双眼鏡を覗き込めば、そこには黒色の水着を身に纏った色っぽい女が映り込む。「おっ、こりゃまたいいのが……」なんて言葉を言い切る前に、ガラスの割れる音と共に視界が真っ黒に染まっていく。何事かと思い双眼鏡から視線を外せば、レンズと俺の額にはクナイが刺さっていた。
オィィイイイッッ!!マジか、なんでよりによってこの海水浴場で一番見ちゃいけねぇ地雷が真っ先に映り込むんだよ…ッ!!つーか、誰だよこんな所に吉原の死神太夫連れてきたのは!!店の売上に貢献しろなんて言って誘ったのは誰だよ一体ッッ!!!
クソッと双眼鏡を叩き付けるその横では、俺の額に刺さったクナイを引き抜きながら「水着のなのに一体どこに隠してたのかな?」なんてことを呑気に呟いてやがる。どうやらこいつは今日も相変わらずのようだ。そう思うと、何だか一人憤っている自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまった。

そんなこんなで、あっという間に海水浴の必需品である双眼鏡を失った俺は、ただ呆然と目の前に広がる海を眺める。同じように隣で海を眺める横顔は、時折り笑顔を浮かべていて。神楽やお妙がこっちに向かって手を振ってくると、その細っこい手を上げて嬉しそうに振り返す。その表情はいつも通り穏やかで優しいものなのに、どこか眩しいものを見るような憂いが潜んでいるような気がした。

「まあ確かに、考えてみりゃお前の水着姿とか一回も見たことねぇ気がするわ。」

何気なく話を冒頭に戻してやると、彼女はハッとした表情を浮かべ、そして曖昧な笑顔で笑って見せた。

「うん、その……着たことないから。」
「えっ、嘘、マジで言ってる?」
「?うん、マジだけど、どうして?」
「いや、どうしてってお前、今どき水着きたことねぇ奴とか居んのかよ。学校の授業でだってプールの時間に着るだろ普通。」

いや、松下村塾にはプールの授業とか無かったけども。そうは言っても、水着を着る機会なんて生きてりゃいくらでもあった筈だろう。それに、こいつが泳げないなんて話は一度だって聞いたことが無い。現に攘夷戦争時代には彼女は袴を着たまま海に潜る作戦だって完璧に熟していたのだ。
ということは、ただ単に今までそういう機会に巡り会わなかっただけなのだろう。
確かにこの女は自分から海やプールに遊びに行こうなんて言い出すようなタイプでは無い。それに、戦争が終わってからずっと彼女は旅医者として一人で生きてきたのだ。よく考えると、コイツをそういう遊びに誘ってくれる奴なんてどこにも居なかったのかもしれない。

きっとこの女は、放っておけばずっとこのままなのだろう。
他人のためなら何だってするくせに、自分のためとなると一切そこから踏み出さない。誰かが強引にでも誘わなければ、遠くで見ているだけで十分だと一人満足してしまうような、そんな正真正銘の馬鹿な女なのだ。

「んだよ、水着持ってねぇんなら誘ったときにそう言えよな。神楽なんか去年使ってたのが子供っぽくてイヤだとか駄々こねるから一昨日お妙と一緒に買いに行ってやがったぞ。」

アイツ日光苦手な設定だし、どうせすぐにパラソルに戻ってくるだろーけど。そんなことを呟きながら、水着が売っていた売店がどこであったか記憶を手繰る。
そんな俺に、彼女は何だか曖昧な表情を浮かべながら首を振った。

「水着は、その、持ってる……ていうか、月詠さんが貸してくれたんだけど……」
「あ?なんだ、水着持ってんのかよ。ならさっさと着替えてこいよ、荷物番ならしといてやるから。」
「うんん、いま下に着てるから、いい。」
「え??」

手元を見ながらぼそりと呟く彼女のその一言に、思わず思考が止まりかける。おいおい、マジか。着たことないなんて言っときながら、どうやら彼女はいま、その袴の下は人生初の水着姿であるらしい。
へ、へぇ、そうなんだ。へぇ〜、ふ〜ん、ほ〜う……………って、いやいや待って、なんか急にドキドキしてきたんですけどぉぉおッ!!ちょっと、突然そういう告白ぶっ込んでくるの、やめてくんないかなぁ!?!?そんなの急に言われたってコッチは何の心の準備もできてないんですけどぉォォ…ッ!!
いつも通り地味な色の袴を身を纏う彼女の姿を、横目でそっと盗み見る。水着どころか手首以外のどこも出さないこの女の素肌には、何というか神聖で不可侵な何かがある。月詠やさっちゃんみたいに普段から脚や腕がそこそこ出ていれば、きっとそうは思わないのだろうが。しかしこの女は、どんなに暑い夏の日だって着物を崩したりはしない。ゆえに、何故だか罪深い気持ちが胸の内に湧き上がる。

「ぬ、脱がねぇのかよ…?ここじゃ皆んな水着だから、おまえみたいなの逆に目立つっつーか、何つーか…、」
「!えっ、うそ、わたし目立ってる…?」
「おうおう、そりゃあまあ、主人公の銀さんには遠く及ばないにしても、それなりに?いや、まあまあ目立ってるっつーか、何つーか…、」
「うっ……そっか、でも月詠さんとかさっちゃん見てると、なんか凄く恥ずかしいなって……」
「バッ…バカヤロー!!だ、誰もお前なんかのその色気ねぇ身体とか全然興味ねぇし??期待とかしてねぇし??双眼鏡あったって普通にスルーだわ…っ、」

やっべー、なんか鼻血出てきそうだわ。いや、多分出てるわコレ。だってさっき鼻穴に詰め込んだティッシュがなんかじんわり熱くなってる気がするもん。いや待って完全にヤバいヤツだわコレ。つーか、コイツまだ一枚も服脱いでねぇのに、何でもう既に鼻血出してんのさ俺…ッッ!!

「いっ、色気が無いのは知ってますぅ…!」

俺の言葉を鵜呑みにして視線を下げるこの女は、まさに今目の前でテメェの肌を想像した野郎が鼻血を出していることにすら気付いていない。本当になんて鈍感なヤツなんだ。
そんな俺のことなど知りもしない彼女は、少し何か考えるように俯いて、そして独り言のように小さな声で呟いた。

「そうじゃなくて……うんん、でも銀時の言うとおり、誰も見てないから別に良いのかもしれない。」

そう言うと、名前は徐に着物の衿元に手を添えた。ゆっくりと開けていく衿からは、白い肌が覗き見る。それを、何の気もない素振りをしながら、自然に視線を向かわせる。

露わになっていく肩、胸元───所々に古い刀傷が残る身体は、昔から知っている彼女の綺麗な身体そのものだった。
中でも肩から胸にかけて残る大きな古傷を、彼女は隠すように手を添える。それには身に覚えがあった。攘夷戦争時代、仲間を庇って斬られた傷痕だ。あの時は、彼女が死んでしまうのではないかと本気で焦った。誰かの傷口なんてそれまで一度だって縫ったことは無かったけれど、医者も桂もいない場所で彼女を生かすために必死になって傷を縫った。彼女がいつもしてくれるのを、見様見真似でやってのけた。あとで起きたコイツは、下手くそなその縫い目を見て笑ってやがった。「綺麗に縫ってくれてありがとう」なんて、心底嬉しそうな顔をするこの女が、愛おしくて尊くて、堪らない気持ちになった。
ほらな、やっぱり下手くそだったから、今でもこんな傷痕が残ってら。
それ以外の傷だって、同じだ。俺らの中にはコイツほど綺麗に傷口を縫える奴なんて居なかったのだ、彼女の身体に残る傷が一番酷いのは当然のことで。こんなにも綺麗な女の身体に、野郎よりも酷い痕が残っているのは癪でならなかった。

それを抱えて生きてきた彼女は、こうして事あるごとに傷だらけの自分の身体が醜いものだと思っているのだと、何となく気付く。

「ったく、お前はホント昔からそうだよな。」

自分にそんな傷を残した俺達を責めればいいのに、この女は決してそんなことをしない。仕方がないのだと呑み込んで、その身体を一人隠して誰にも何も言わずにやり過ごすのだ。

しかし、コイツは何も気付いていない。コイツの周りにいる人間が、それを良しとはしないことを。
月詠が名前に強引に水着を着せたのだって、俺が来る頃合いを見計らって神楽やお妙達が名前をここに一人残して行ったのだって、全部コイツを好きな人間が仕組んだことだっていうのに、この女は一つも気付いていないのだ。

「いいから脱げよ。あっち、向いててやるから。」
「えっ?」
「まっ、袴で着衣水泳したいなら別にいいけど。」

何が何だか分からずに困惑する彼女とは逆を向いて、身に纏っていた『海の家 銀ちゃん』Tシャツをバサリと脱ぐ。爽やかな海風が上半身を通り過ぎていく感覚が、なんだかとても心地が良い。何の前触れもなく突然隣で脱ぎ始めた俺にギョッとしつつ、名前もその身に纏う長着を恐る恐る脱いでいく。その袖がビニールシートの上に落ちたのを見て、脱いだばかりの白いTシャツを、彼女の頭に被せてやった。

「仕事中ずっと汗だくだったし丁度いいわ、ちょっと海入ってこれ洗って来てくんね?」
「!」
「言っとくけど、ちゃんと肩まで浸からねぇとそのTシャツ銀さんの汗まみれのまんまだから。」

そんな冗談を言いながら、Tシャツを纏った名前の姿を確認する。彼女には少し大き過ぎるTシャツは、二の腕や太腿の傷も上手く隠している。これなら問題ないだろうと、我ながらその出来栄えを賞賛する。
……いや、でもなんかちょっと彼シャツ的な感じでヤバいかも。

「銀時のにおいがする。」
「おいコラ、勝手に臭うんじゃありませぇぇん!!」
「……なんか甘いね。」
「え?舐めたの??」

ギョッとなって彼女を見ると、そこにはさっきまで浮かんでいた戸惑い焦る表情も、憂いを隠そうとするような曖昧な笑みもなくて。
ただ可笑しそうに「まさか、甘い匂いがするだけだよ。」と言って頬を緩める、いつも通りの彼女の笑みがそこにあった。
ああ、もう大丈夫だ。そう胸を撫で下ろす一方で、嬉しそうにTシャツの裾を握る彼女の姿に、どうしようもない愛おしさが溢れ出す。

「銀時、これ、ありがとう。」

そう呟く彼女は、無意識なのか、その白い指先であの大きな古傷をTシャツの上からなぞっていて。それに気付かないフリをしながら、鼻の穴に詰めたティッシュを抜き取って代わりのものを挿した。

「別に肌晒したくねぇってんなら、無理するこたァねぇだろ。」

今はそんなことしか言えないけれど、きっとそれで十分だろう。彼女の首がしっかりと縦に振られるのを見て、そう確信した。

例えその身体が傷だらけだろうと、そんなものは関係ない。
それが醜いなんてことは一つも思わないし、何なら俺にとってその身体は誰よりも綺麗で美しいものにしか映っていない。
その傷ごと彼女を愛している俺には、何だって愛おしく思えて仕方がないのだ、と。そんなことがもしこの場で言えたなら、彼女は何と思うだろうか。

言葉の代わりに、ぽんと彼女の小さな頭に手のひらを乗せる。柔らかい髪をくしゃりと掴んで撫で回せば、ふわりといい匂いが香ってくる。
……よく考えると、こんなにいい匂いのする女が、さっきまで俺が着ていた服を纏っているという事実がもう既に色々とやばい。そんな俺の邪な心に勘付いたのか、神楽とお妙がこっちに来て、戸惑う彼女の手を引きながら颯爽と海へと連れ去ってしまった。
くそ、アイツらちゃっかりタイミング見計らいやがって。そんなことを思いながら、双眼鏡もないままにただ海の水に身体をつける笑顔の彼女を見つめ続ける。
時折りこちらに手を振る彼女は、いつもより少しだけ幼い笑みを浮かべていた。


そう、水に透けた白いTシャツが逆にエロすぎて、野郎にナンパされまくる能天気なあの女をどうにかして助けることになるなんて、この時の俺は未だ知らない。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -