#15 盈虚


もう、本当に仕方のない人───

いつだってアイツはそう言いながら、柔らかい笑みで俺の全てを受け入れる。その小さくて細っこい手が俺を甘やかす度に、愛しい気持ちが胸の奥で積み重なって、今ではもう自分じゃどうにもできないぐらいに大きく膨れ上がっていて。

名前が、好きだ。
ずっとずっと、その事実だけは決して変わることがなかった。例え時代が変わろうとも、何年も顔を合わさずとも、手放したつもりで過ごしたって、何一つ色褪せることなくそこにあった。

そして、それはアイツも同じだった。昔も今も変わらぬ笑顔で微笑みかけるだけで、何一つとして俺の想いに気付いちゃいない。他人の心の動きには嫌なくらい敏感なくせして、自分への好意にはやけに鈍感でいやがる。本当に、つくづく馬鹿な女だと思う。

そんな女に懲りもせず想いを抱き続ける手前はきっと、彼女以上に馬鹿な野郎なのだろう。



「銀さん、アンタまた夕飯代パチンコで擦ったんですか!?」
「最低ネ、ホント人間の屑アル……名前と銀ちゃんが一緒に育ったなんて、私いまだに信じられないヨ。」

夕飯の買い出しから戻った俺を待ち受けていたのは、そんな罵倒の言葉だった。
それはそうだ、帰ってきて早々テーブルの上に置いたのは買い物袋でも何でもない、一袋の麦チョコだけで。どうやらそれがパチンコの景品であることに勘付いたらしいガキどもは、出迎えにやってきた目を一瞬にして氷点下に変えた。オイオイ一体誰だ、こんな未成年のガキどもにそんな教育したヤツは。んとに碌でもねぇ野郎だぜ全く………

くそ、このままでは腹を空かせたガキどもにフルボッコにされる未来しか待っていない。何とかして言い訳を考えねばと必死に頭を捻り、思いついた出まかせを次々と口にするが、その度にガキどもの眉間の皺は深くなる一方で。とりあえず、麦チョコを口に放り込みながら頭を掻いて誤魔化した。

「本当に、名前さんはあんなに品があってお淑やかなのに、何で一緒に育った銀さんはこんな碌でもないクソ野郎なんですかね。」
「本当ネ、名前は働き者ダシ、歩いてても座っててもめっさ綺麗なのに、どうして銀ちゃんだけこんなクソみたいな天パになっちゃったアルか?」

辛辣な言葉と共に降り注ぐのは、煙たがるような視線で。それに耐え兼ね、「うるせェェッ!つーか天パ関係ねぇだろーがッッ!!」なんて大人気のない言葉がついつい口から漏れる。
クソ、人が下手に出てりゃあ好き放題言いやがって…!そもそも、何であいつが世界基準みたいになってんだよ。JISだかISOだか知んねーけど、あの女を基準にするのはどう考えてもおかしーだろ。あんな天女みたいな天然女と比べたら誰だってポンコツ以外の何者でもねぇだろーがッ!!

「つーか、そもそもアイツに品があるのなんて当前だろ、あんな名家生まれのお嬢サマと一緒にすんじゃねぇ…ッ!」
「え…っ?名前さんってそうだったんですか?」
「んだよ、そんなことも知ら………アッ……」

不貞腐れてエンドレスに麦チョコを貪っていた手をピタリと止める。
あれ、俺今なんつったっけ。何かやべーこと言っちまったような気が………。

「ウソーーッッ!やっぱ今のナシ!!お願いだから忘れて、全部冗談だから!!ハイ、1・2の……ポカン!」
「いや、僕ら別に技マシン忘れるわけじゃないんですけど。」
「銀ちゃんなに一人で自爆してるアルか?名前がお姫様ってホントアルか?」
「いや、だからソレ忘れてくんないって言ってんのッ!!300円あげるからマジで誰にも言わずに記憶から抹消してくれるかな??マジのお願いだからコレ!!」
「ヨシ、忘れてやるから早く500円寄越すがヨロシ。」
「オイィィイイ、なにどさくさに紛れて200円上乗せしてやがるッ!!」

くそ、この詐欺師め。真っ直ぐにこちらに伸びてくる神楽の手に、なけなしの500円を叩き込む。……くそ、勢い余って余計なことを口にしてしまった。酒も飲んでねえのに何たるザマだ。パチンコで散々な目に遭ったうえ、家でもこんな扱いだから、苛々してつい口が滑っちまった。何とか冗談っぽく話は収まったようだが、まだドクドクと鼓動が大きく波打っている。

頼むからマジでこれ以上は何も掘り下げないでくれよ………
そんな俺の切なる願いを察したのか、それとも名前に気を遣ったのか。よく分からないが、ガキどもはそれ以上何も聞いてくることはなかった。それに胸を撫で下ろした俺は、話題をそれとなく晩飯に逸らし、今日の夕食は何か名前に電話を掛ける神楽を黙って見つめた。



それは、随分と前の何でもない日の出来事で、きっと今となってはガキどもはそんな会話をしたことすら覚えてなどいないだろう。

名前の過去について俺が誰かに触れたのは、多分この一回だけだ。
彼女は俺と出会う以前のことを何一つとして口にしない。だから、どこに住んでいたかとか、どうして松陽に拾われたのかとか、そういう話をしたことは一切なかった。あの日、松陽がアイツを連れてきた時に、彼女が何か事情を抱えていることは見てとれたし、俺もまさにその事情持ちとやらだったから、お互いに何も聞くことはしなかった。
ただ一言、彼女は無理やり染められた自身の髪の見つめながら、静かに“誰かの”影武者だったことを話してくれた。それ以上のことは何も言わなかった。だけど、その時は別にその言葉だけでも十分だった。

そこから大人になって、灰に埋もれた彼女の過去を一人探った。巧妙に隠されたそれは、何もかもが胡散臭くて堪らなかった。そして、漸く事の真相へと辿り着いた時、初めて会った時の、人形のような彼女の姿を思い出して、憤りを感じずにはいられなかった。
世の中というのは、何も平等なんかじゃない。神様なんて奴はどんな善行にも悪事にも高みの見物を決め込むだけの、ただ無慈悲で冷酷な存在だ。だから、平等という名の天秤からこぼれ落ちた彼女のことは、せめて俺が掬い取ってやりたい。いつからかそんな大層なことを思っていた。




◇◆◇





「そう言えば銀さん、知ってますか?」

不意にそんな言葉が投げかけられ、オンボロのカラオケ機を修理する手をぴたりと止めた。「あ?なにが」という言葉に加えて視線を向けて答えたのは、深刻そうな声色がその女には似合わなかったからだ。今度は一体何事だというのか。キャバクラのカラオケ修理を依頼する時とは訳が違うその雰囲気に、側にいたガキ共も首を傾げてお妙を見た。
正直言って、厄介事ならもうお腹いっぱいだ。ただでさえ今は名前に謝る言葉を探すのに手一杯なのに、そのうえ、誰かの面倒事を引き受ける余裕なんてどこにも持ち合わせてなどいない。

あの日から、あいつの肌に触れたあの夜から、もうすぐ一週間が経とうとしている。日を追うごとに合わせる面がなくなっていく様は我ながら滑稽で、しかし、それを自業自得だと自嘲するにはあまりに酷い心情だった。この一週間、明らかに様子の違う俺達のことを、どうやらガキ共やお妙は薄々勘付いているようだ。しかし、何も言ってこないのは、きっと一丁前に気を遣っていやがるからだろう。ったく、一体誰がそんなことを教えたのやら。そう心の中で溜息を吐きながら、ドライバーを床に置く。それを目にしたお妙は、静かな口調で話を続けた。

「実は今ね、将軍様が江戸である女性を探していらっしゃるみたいなの。」

ほーら、もういきなりきちゃったよ、パワーワード『将軍様』。
コレもう絶対ヤバい案件だわ、何も聞かなくても分かるよオレ。いやいや、だってよく考えてみろよ、今まで万事屋が将軍様と絡んだ案件で皆んなハッピーLOVE&PEACEに終わったことなんかあったっけかオイ??ないよね、一度だってそんなハッピーエンド迎えられたこととか絶対にないよね??back number並みのハッピーエンドしか来てないよね!!??
そんな嫌な予感を後押しするかのように、お妙のやけに落ち着いた声色が耳に届く。

「…実はその女性が、将軍様の伴侶になるお方なんじゃないかって専ら噂になってるらしいの。それで家臣の方達も血眼になって彼女を探しているそうなんだけど、でもその人、何故だか一向に見つからないらしくて…。」
「将ちゃんのフィアンセ、なんで見つからないアルか?将ちゃん家庭の中でも将軍してて、嫌気がさしたフィアンセに逃げられちゃったアルか?今どき亭主関白な将軍家庭なんて流行らないネ。」
「いや、流行るも何も将軍家庭なんて言葉初めて聞いたよ…ッ!ていうか茂茂様すごく懐の広い良い方だったよね?!僕たちの数々の無礼を笑顔で許してくれる将軍の鏡みたいな人だったでしょ、神楽ちゃん…!」
「分かってないアルな、新八。ああいう誰にでも優しく振る舞う懐が大きそうな男に限って、家の中ではDV決め込むって相場で決まってるネ。」
「それ一体どこの相場だよッッ!!」

不敬罪で捕まるから、これ以上将軍様を侮辱するのはやめろォォッ!!と嘆く新八の声がキャバクラに響く。お前のせいで皆んなこっち見てるネ、なんてジト目を向けられれば、気恥ずかさにその肩が心なしか小さくなった。

「……うーん、でも神楽ちゃん、今回はきっとそういうんじゃないと思うわ。だってその人、確か将軍様の遠い親戚らしいんだけど、小さい頃にたった一度会ったきりだって話らしいから……」
「ふーん、それは違うアルな、DVはあくまで家庭の中の話ネ。親戚にまで手出すヤツはただの暴漢、犯罪者アル。」
「いや、家の中のDVも立派な犯罪だからね!ていうか将軍様のDV設定いい加減やめろォォ!!」

いつも通りの全力のツッコミを披露する新八は、空気を変えるように眼鏡を押し上げ、咳払いをする。

「でも真面目な話、そんなに幕府の方が必死に探しても見つからないのなら、その人はもう江戸には居ないんじゃ……」
「そうよね新ちゃん、私もそう思ったわ………その人の名前を聞くまでは。」

やけに含みを帯びたお妙の言葉に、この場にいる誰もが思わず息を呑む。
嫌な予感が耳鳴りのように鳴り響き、鼓動が早鐘を打ちつける。
やめろ、その名を口にするな───そう訴えかけるように、全身の毛が逆立つような感覚を覚える。しかし、それを言葉にすることはできなかった。

「ねぇ銀さん……将軍様の探している女性、名字 名前さんっていうそうなんだけど、何か知っていたりしませんか?」

辺りを賑わせていた音が、一瞬にして遠のいていく。
思わず開いた唇からは、何の音も出てこなかった。

不安そうにこちらを見つめるお妙から視線を逸らし、代わりに周りにいるガキどもへと視線をやる。ゆっくりと目が見開かれていくその様子は、まるで絵に描いたような反応で。多分、俺も同じようにすべきなのだろうが、そんな大それた芝居を打つ余裕なんてどこにも無かった。

「!名前さんって、そんなまさか……ッ」
「名前のことアルか…ッ!?」

躊躇いを含んだその言葉は、胸の奥底に隠していた真実を鋭く貫いた。

途端に脳裏に過ぎったのは、あの頃の未だ上手く笑えない彼女が、『うれしい』と言って一生懸命に笑顔を作る姿だった。
ああ、くそ。一体何だっていうんだ。
思い出しただけでも、胸が張り裂けるような痛みを覚える。

彼女は過去について何一つとして語らない。
それが、彼女にとってどれほど遠ざけたいものであるかを、解っていた。だから今の今までそれには触れず、そっとしていたというのに。それなのに、一体どうして今このタイミングでそんな噂が出回っているのか。

真実を尋ねるような視線が、真っ直ぐにこちらを見上げている。
そんなに期待したって、俺から口にできる真実なんて何処にもありはしないというのに。

「さあな、知んねーよそんなコト。つーか、名字 名前なんてそんなのどこにでも転がってるフツーの名前だし?同姓同名のヤツが江戸に一人や二人いたっておかしくねぇだろ。」

そんな苦し紛れに集めた言葉を、平然といつも通りの口調で言ってのけた。
こんな嘘は、多分すぐにバレるだろう。しかし、そんな嘘を取り繕うことぐらいしか、俺が彼女にしてやれることはなかった。

「黙って聞いてりゃ、アイツが将軍様の親戚だァ?笑わせんな、あんな年中地味な袴着た血にもゲロにも動じないスーパーの半額シールに喜んでるような女が、そんな大層なヤツに見えるかよ。」
「でも、」
「勘違いだろ、どーせ。アイツは何もねぇ汚ねぇ田舎の路地裏で拾われた、ただ肝の座った変な女だ。それ以上でもそれ以下でも何でもねぇよ。」

分かったらこの話題は終わりだ。そう言って無理やりにこの話題を切り上げた。不服そうなお妙やガキどもの顔に気付かないフリをして、カラオケ機の後ろに回り込んで作業をした。
つーかこのカラオケ機、この間あの金時とかいう野郎に直して貰ったばっかじゃなかったっけ。オンボロ過ぎてもう直んねーんじゃねぇのか。くそ、こんなことならタマでも呼んでおけば良かった。そんな独り言を呟きながら、何の関心もないフリをした。

───いつかこんな日がきてしまうことは、もう随分と前から分かっていた。
江戸に一緒に住もうとアイツを誘った時から、少なからず覚悟だって決めていた。
しかし、どうやらそれは思ったよりもずっと大事になって出回ってしまっているらしい。

話し始めたお妙のあの面持ちと『将軍様』という言葉で、何を言われるのかは大体予想が付いていた。だが、まさか天下の将軍様が彼女を『伴侶』として探しているなんて、いったい誰が想像すると言うだろう。それも今の今まで音沙汰がなく、彼女が苦しんでいる時に救いの手すら差し出さなかったくせに。今更彼女が欲しいなんて、そんな虫のいい話があってたまるか。
出会った頃の彼女の姿を思い出すたびに、胸糞悪さが胸の中に積もっていく。

将軍の探し人が名前であることが特定されれば、きっとそれに付随した彼女の過去も自ずと明かされていくだろう。
それを知られることを、彼女はずっと拒んできた。何年も共に過ごしてきたヅラや高杉、坂本の馬鹿にすら何一つ溢したことはなかったというのに。それを、こんなカタチで無理矢理に暴かれることを、彼女が望む筈が無い。

幕府の奴らに見つかる前に、アイツに会いに行かなければ。
そう覚悟を決めようとするけれど、不意に脳裏には、あの夜の震えた彼女の姿が過ぎる。

このまま名前に会いに行って、それで一体どうするのか。
噂を全て消し去って、アイツが過去なんて考えずに笑って過ごせる場所を、この歌舞伎町にもう一度作ってやりたい。だけど、それを彼女は快く受け入れてくれるだろうか。
彼女はあの夜の俺を許して、また側にいても良いと言ってくれるだろうか。

上手く足が動かない。拒まれることが心底怖い。
仕舞いには、このまま将軍の嫁になったほうが幸せなのではなんてことを本気で考えてしまう。
再会して、今度こそは何があっても必ず守り抜くのだと決めたのに、本当に情け無い野郎だ。
こんな日に限って、いつもは来ない依頼の電話が度重なるのは日頃の行いなのだろうか。





◇◆◇





面倒ごとに巻き込んだ詫びとして日輪に座敷に呼ばれたのは、キャバクラを後にした数時間後のことだった。悶々とした気持ちを抱えながら一人向かった吉原には、いつも通り賑やかで明るい街が広がっていた。

万事屋を出る前、何やらコソコソと話し合っていた神楽と新八が、胡散臭い笑顔を向けて言った。

「私たちはまだ未成年ヨ銀ちゃん、吉原には一人で行くヨロシ」

その言葉に「は?」と呆気のない声が溢れた。今まで散々吉原に出入りしてきた癖に、一体何のつもりだ。
さてはコイツら、何か企んでやがるな────そう勘付くのと同時に、ガキどもが何を考えているのかが大方理解できた。

ああ、コイツらは名前のところに行くつもりなんだろうな。
確かにあんな噂を聞かされて、黙っていられる奴らではない。それに、依頼ばかりで一向に彼女の元へと向かわない俺に、痺れを切らしたのだろう。

くそ、余計なことを喋られる前にガキどもを止めなければ。これ以上彼女の心を掻き乱すようなことはしてはいけない。そう思ったが、出かかった言葉をそのまま喉に押し戻した。
いや違う、今の俺が行くよりも、きっとコイツらが彼女の元へ行った方が良いだろう。自分を床に組み敷いた男よりか、何も知らないガキどもの方が気を許して色々話せるに違いない。単純にそう思ったのだ。

彼女はあの夜の記憶が無いのだと言っていたが、それが嘘であることは直ぐに分かった。話していても目は合わないし、笑う声もどこか緊張を含んでいて。ああ、完全にやっちまった。そう後悔せずにはいられなかった。

それからずっと、彼女に謝る言葉を探した。
だけど、あの夜のことを濁す彼女にどんな言葉で謝ればいいのかなんて、全く見当もつかない。何をしても怒らない、笑って全部を許してくれる天女のようなあの女に、真面目に謝るシチュエーションなんて今まで一度だってありはしなかった。そう、こんなに長く一緒にいるのに、俺は彼女への謝り方すら知らないのだ。

気を緩めると、すぐに彼女のことが頭に浮かんでくる。廊下を歩く足は確かに地面についているのに、あまり生きた心地がしないのは、ここが遊郭だからだろうか────

そんなことを考えていると、不意に車椅子を押す音が背後から聞こえてきた。

「あら、銀さん。」

その透き通る穏やかな声には、耳に覚えがあった。親しげに名を呼ぶその声に、何の躊躇いもなく振り返った。
そこには、想像していた通り華やかな着物を着た美人が車椅子に乗っていて……そしてその背後には、よく見知った色の袴が揺れていた。

心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。

赤色の上品な着物を纏う美人の陰にすっかり隠れたその姿は、きっと俺でなければ誰も目に留めないだろう。車椅子のハンドルを掴む傷だらけの白い手、皺一つない清潔にされた地味な色の長着、そして柔らかそうな美しい色の髪。
この俺が、見間違えるはずなどない。俯いたその顔が見えずとも、視界に映る一つ一つが彼女であることを訴えかけているのだから。

……って、えっ?ちょっと待って一旦タンマーーーッ!!
うそ、なにこれ幻覚??最近ずっと名前のことばっか考えてるから、こんなリアルな幻覚が見えるようになっちゃったワケ……!?いや、だってそうだよね、そうじゃなきゃ女の名前が遊郭に来るなんて有り得ねぇーし??間違っても本物とか生霊とかじゃ無いよね流石に??
つーか、生霊って………いやいや、別に怖いとかじゃねぇし、怖いとかそんなワケねぇけど、そんなに見つめたらお前、生霊サンに失礼だろーが……ッッ!!

「月詠の座敷はそこの角の一番奥だよ。」

あまりの事態に焦って目を泳がせる俺を、日輪は迷子だと勘違いしたのだろう。涼しい顔で微笑みながら、とんでもない一撃を容赦なくお見舞いしてくる。
いやちょっと待って、これ完全に金払って月詠の座敷に遊びに来たみたいになってね??つーか、あそこにいる名前サンは本当に幻覚だよね??めっさしっかり見えるんですケド!!てかモノホンなんですけど…ッッッ!!!

「へ、ヘェ〜、ソウナンダ……」
「なに、銀さんったら可笑しな口調。もしかして月詠と座敷に入るのに緊張してるの?」
「イヤ、別ニソンナンジャネーシ、、、」

オィィイイイ!!!人が何とかして茶を濁そうと頑張ってんのに、なに誤解しか招かないことサラリと言っちまうんだよォォオオ!!!
いや、これ完全にヤバいヤツだって、だってさっきから名前サンこっち全然見てくれてねぇし……っ、、絶対ぇ誤解しちまってるゥゥゥッッ!!!

ちょっと待て、違うんだ。コレには深い訳があってだな……なんて弁明をしようと彼女に手を伸ばそうとするけれど。名前は日輪に何かを告げて、そのままペコリと頭を下げ足早に何処かへ去ってしまった。

いや、マジでどうすんのよコレ。なんか俺すげぇダラシナイ男だと思われてね?ついこの間自分と床に入ろうとしてたのに、もう別の女と床に入ろうとしてるクソ野郎だって思われてるヤツだよねコレ!!どう考えても完全に詰みだ……。

「ちょっと待って、名前ちゃん…っ!?」と焦ったように日輪は名前を呼び止めるが、足速に廊下を進む後姿は一度も振り返ることはなかった。

「名前ちゃん、一体どうしちゃったんだろう…。」

そう困ったように眉を下げる日輪に、事が事だけに原因は俺だと言うこともできない。「便所じゃね?」なんて適当な返事で誤魔化していると、奥の部屋の襖がスパァァン……ッ!と勢いよく開く。
すると中からは、いつに無く豪勢な着物を纏った女が、見栄えなど気にする様子もなくずかずかと大股でやってきた。

「日輪、いま名前と聞こえたのじゃが…!」
「あっ、月詠。そうなの。婆様の治療が終わったから名前ちゃんを晩御飯に誘おうと思ったんだけど、何だか慌てた様子で帰っちゃって…。」

何か失礼なことしちゃったかしら…と首を傾げる日輪。その横で蒼白な顔で立つ俺を見た瞬間に、月詠は全てを察したらしい。その整った顔を歪めながら、恐る恐る問いかけた。

「………ひ、日輪まさかお主、名前の前でこの男がわっちの座敷に来ると伝えたんじゃないだろうな…!?」
「え?……もしかして名前ちゃんと銀さんって知り合いだったの?」
「知り合いどころか、銀時と名前は恋仲じゃ!」
「そ、そうだったの?!」

「それは悪いことしたね……。」と驚いた顔を隠せないまま、申し訳なさそうに日輪は呟く。
いや、確かに不味い事になったのはそうなんだけど、でも何か色々とおかしいし何サラッと大嘘言ってんの吉原一空気読める女…!!

「オイオイ、ちょっと待て!!誰があんな色気ねー袴女と恋仲なんて言ったよ!!腐れ縁っつーか、ただの幼馴染なだけだし??」
「素直にならんか、馬鹿者め。それより名前は完全に勘違いしたままだぞ、良いのか銀時。」
「だーかーらー、良いも何も俺たちはそういうんじゃねーんだよォォオオ!!」

ああ、くそ、話が全然通じてねぇ…!!つーか俺が十何年アイツに片想いしてると思ってんだ、恋仲になれるもんならとっくの昔になってるっつーのッッ!!

ふと、先ほど見た走り去る名前の姿を思い出す。
久しぶりに、あんなにはっきりと彼女を見た気がする。それぐらい、俺は彼女のことを避けていた。謝る言葉が見つかるまでは…なんて適当な理由を作っていたが、本当は拒まれるのが怖くて会えなかっただけだった。

きっと今ここでアイツを追いかけたとしても、この間の調子であの夜のことは覚えていないとシラを切られるに違いない。最悪、勝手にしろと冷たく遇らわれるだろう。
今は、お互いにきっと冷静になれない気がする。

だから、明日だ。明日、必ず名前の元へ行って、そして全てを打ち明けよう。それで拒絶されたとしても、それはもう仕方がないことだ。
それより今は幕府の奴らよりも先に名前と話を付ける必要がある。例え彼女が俺を嫌っていようとも、関係ない。彼女の望まない未来を断ち切れるなら、もう何だって構やしなかった。

それに、まあ、もしかしたら今晩、診療所への帰り道で神楽と新八と鉢合わせているかもしれない。アイツらが側にいたら安心だろう。




───この時そんな甘い決断を下したことを、俺は一生後悔する事になる。




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -