#12 芥蔕

深夜2時のスナックお登勢。
夜も更けて静かな店の中、カウンターの定位置に立ったババアが煙草に口をつけては煙を吐き出す。目の前には、そんな身体に悪そうな煙を吸いながら心地よさげに眠る野郎共。
カウンター右側にはゴリラとホームレスが一緒に肩寄せ合って眠っていて、左側には化け猫が忍者の尻に膝を置いて眠っている。そこら中に空き瓶と眠った野郎が転がっていて、足の踏み場もありゃしない。なんてカオスな情景なのだろうか。すっかり酔いから覚めた俺の頭は、スナックの中の悲惨なこの状態に完全に引いてしまっていた。

どうしてこんな状態になっているのか。
冴え切った頭で、この状態に至った経緯を遡る。

今晩、このスナックはとある客により貸し切られていた。…その客というのは、何でもない俺たちのことだが。
今日は元御庭番衆の始末屋さっちゃんの誕生日らしく、誕生会という名の飲み会の開催が急遽決定したのは今朝のこと。
お妙や久兵衛、月詠をはじめとする女性陣に加え、マダオ、ゴリラ、マヨネーズ、ドS、などといった如何にもうるさいそうなメンバーが集まり、狭いスナックの中でどんちゃん騒ぎを繰り広げた。

そして賑わいもピーク地点に突入したとき。
少し遅れてやってきたのは、地味な袴に身を包んだ色気のカケラもない女。嬉しそうに笑みを浮かべながら、綺麗にラッピングされた花とプレゼントを差し出し、さっちゃんに「おめでとう」と伝える。
照れ隠しなのか、ツンケンしながら名前に突っかかってくるさっちゃん。まあ、いつも通りの反応だ。そして、それを無意識に躱してお酒を頼む名前。こっちもいつも通りだ。

…最初は、温厚な性格の幼馴染が、あの凶暴な女どもと仲良くやっていけるのか心配だった。
嫌なことを嫌だと言える性格ではない優しい幼馴染が、俺の見えないところで泣いていたらどうしよう。その泣き顔を想像するだけで胸が痛くなり、他に何も考えられなくなる。自分の心を落ち着かせるために、最初の間は何度も何度もアイツの顔を見に行った。
だが、その度に返してくるのは、嬉しそうな笑顔で。

実際のところ、俺はコイツが泣いている姿を一度しか見たことがない。それも松陽が生きてた頃の随分前の記憶。
なのにこんなに焦って居ても立っても居られなくなって、彼女に会いに行って笑顔を見て安堵して。大の大人が一体何してるんだと嘲笑いたくなるほど、名前の事が気になって仕方がなくなる。
その一方で名前はというと、凶暴な女どもの恐ろしい争いを巧く躱しながら、何だかんだ皆に溶け込み、楽しそうに過ごしていて。
自分でも必要以上に彼女のことを心配している自覚はある。彼女は昔に比べる遥かに器用になっている、そのことを頭では理解しているのに、彼女の心の拠り所であり続けたいと願えば願うほど、悲しそうな彼女の姿を頭の中で作り上げ、一人取り乱す。
この場所にしっかりと馴染んだ彼女が、今更そんな寂しい想いをする筈などないのに。

いつものように女どもはヒロインの座争奪戦争を勃発させる。その真横で、彼女は図太くもケロッとした顔でお酒を飲んでいて。
銀さんは私のものよ!なんて叫びだすドM女が、勢いよく名前に突っかかってくる。「アンタ、銀さんとは幼馴染設定なんですって?!そんな特殊キャラ設定でポイント稼ごうったって、そうはいかないわ!」なんて言われれば、名前はドキッとした顔をして別の方を見る。なんだ?と名前の視線を追ったその先には、気に食わねえ土方の野郎がいて。何も聞いてなさそうな土方にほっと胸をなでおろすように安堵の顔を見せる。
え、どういうこと?今のなに?野郎となんかあんの?
意味深な彼女の反応に気付いたのはどうやら俺だけらしい。酔った女どもは気付きもせず、ただただ自分の中の妄想を熱く語りだす。
名前の土方の野郎に向けた視線は正直めちゃくちゃ気になるが、女どもの会話に飛び込んで大怪我を負うのは目に見えており、ひとまずここは黙りこくって酒を煽る事にした。


そんなこんなで夜遅くまで続いていたどんちゃん騒ぎは、いつの間にか終息を迎えていて。そして、冒頭のカオスな状態に至るのだ。

何故いつもべろんべろんに酔っ払うはずの俺が、今誰よりも頭が冴えているのか?その理由は単純で、いつぞやの忘年会での粗相の自粛が未だに水面下では続けられており、気持ち良く飲んでいる途中でババアに酒の支給をストップさせられたのだ。自粛というより、制限だ。せっかく人が気持ちよくなってるところで酒を取り上げるだなんて、もう寸止めされているのと一緒だ。寸止め状態で終わりなんてマジでキツいわ、と思い切り拗ねる。
こんなにも可哀想な俺を横目に、気持ちよく最後まで酒を飲み遊んだ野郎共など、朽ち果ててしまえばいい。
惨めな悪態を心の中で漏らしながら、カウンターで突伏した女の細い肩を揺さぶる。

「おい、名前、」
「んー?」
「なに、お前までこんななっちまって珍しいな。」

目を閉じたままゆっくりとテーブルから額を離し、上半身を持ち上げる名前。
こいつがこんな事になるのは、本当に珍しい。こいつは俺とは違い、こういうのを自分でコントロールできる人間だった筈だ。なのに、どうして今日はこんなことになってんだ。
そんなに大量のお酒を飲んでしまったのだろうか?いや、もしかしたら、単純に疲れていて酔いが回り易かったのかもしれない。

目を閉じたまま席に座り微動だにしない名前が、なんだか可愛く思える。
いつもは立場が逆で、「しょうがない人、」なんて言いながら丁寧に俺を介護してくれる名前。それはそれで頗る気分が良くなるのだが、偶にはこういうのもいい。

「ちぇ、しゃあねーな、全く。今日は上で雑魚寝だな。」
「うんん……わたし、かえる。」
「あん?今何つった?目もまともに開けらんねー人間が、一体全体どこに帰るって?」
「いーえー。わたしの。おとせさん、ごちそーさまでしたあ。」
「おい、ちょっ、マジで待てって名前ちゃんんん?!そっちは厠なんですけどぉおおオ!」

どうやら彼女に俺の声は届いている様で、それらしい返事は返ってくる。
意識はちゃんとあるのかと確認している最中、ゆっくりと立ち上がった名前はふらりと厠の方へ歩き出した。おいおい、マジか。お前酔ったらそんななるんだっけ!?
厠へと帰宅しようとする名前を引き止め、スナックの出口まで華奢なその腕を引いてやる。そんな俺たちのやりとりを見ながら、短くなったタバコの火を消すババア。

「全く、しょうがない子だね。銀時、アンタこの子を家まで送ってやんな。」

…言っとくけど、酔ったこの子に手出したらタダじゃ済まさないからね。
そんな杭を差すかのような言葉をタバコの煙と一緒に吐き出すババアに、「誰がこんな色気のねー酔っ払い女に手ぇ出すかよ」なんて思ってもない言葉を返してやる。

普段しっかりしていて抜け目のないこの女が、意識は朧げで、無防備にもふにゃりとした笑みを向けてきて。コイツは俺の色眼鏡フィルターとかそういうのなしで、とびっきり美人で清潔感のある女だ。そんな女に愛らしい笑みを向けられて意識しねー野郎なんざ、もはや男でも何でもない。
ババアが言いたかったのは、つまりそういう事だろう。

だが、俺だって伊達に何年もこいつの幼馴染をしているわけではない。
もちろん、これ以上にヤバいシチュエーションだって今までに何度もあり、その度に自制心を保ちながら切り抜けてきた。
…というと凄そうだが、実際は何年も大事に想い続けてきたこの女に、そんな理性もへったくれもない獣のような自分など晒せる訳がなかった。
一瞬でも汚い欲のままに彼女に触れてしまい、これまで大切に築き上げてきた関係が終わりを迎えるなど、到底耐えられるものではない。
本当の俺はただの意気地なしだ。
それは今も昔も大して変わらない。だからこそ、今も名前とこういう関係で居られるのだろう。


「ん、おんぶして行くから、」
「ぎんときが?…ふふ、うれしい。」

名前の前で少ししゃがみ、彼女が乗ってくるのを待っていれば、ふわりと甘い匂いとともに温かい体温が背中に伝わってくる。
白く細い腕が躊躇いもなく俺の首元へと巻きついてくれば、耳元では嬉しそうな笑い声が聞こえて来て。
一々可愛いことしてくれるな。俺を殺す気か、この悪魔め。
普段から俺を甘やかしてくる大人な幼馴染が、こうして幼げに甘えてくる事など全く無い。
これは全部酒のせいか?
やけに速くなる鼓動は抑えられず、それどころか、甘い吐息が首元に掛かるたびに、心臓が痛いぐらいに跳ね上がる。

「そーかよ。そりゃ良かったな。」

スナックお登勢の戸を後ろ手に閉めて、名前の家までに道乗りをゆっくり歩く。

真夜中、街頭の灯りが灯る道を歩く人影など一つもない。
ただ一人、俺の足音だけが夜道に響き渡る。

意識が朦朧としていたのか、途中まで無言で俺の背中にしがみついていた名前だが、何を思ったのか急に再び俺の首へと腕を巻きつけて後ろから抱きしめてくる。

「ぎんときのにおい…」
「え、なに、臭い?」
「…すき。」

すきって…おいおい。
この酔っ払い女は、本当に人の気も知れずに好き勝手言ってくれやがる。平気で人の恋心や男心を無茶苦茶に揺すってきやがって。本当にタチが悪い。

「ぎんときはいつも、あったかい。」
「お前が冷た過ぎんだよ。」
「そうかも…かつらくんも、たかすぎくんも、さかもとくんも、みんなあったかかったなぁ。」

どこか懐かしむような声色でそう呟く名前。
今の甘い彼女の口から他の野郎の名前が出てきただけでも、不快だ。なのに、この女は、他の野郎の温もりを、あろうことか俺の背中の上で思い出して懐かしんでいて。
他の野郎のことなんか、考えんなよ。
どうしようもない醜い嫉妬心が、じわじわと俺の胸を侵食する。

「どうしたの?おなかいたい?」

急に黙りこくった俺を、心配するように尋ねる名前。
誰のせいだ、と言いたくなるが、この天然タラシ女に繊細な男心など絶対に理解できないだろう。

「なんか色々痛いわ。治してくんね?」
「?みてあげる、どこがいたい?」
「ん、色んなところ。でも、お前がすんげーエロい顔してチューでもしてくれりゃ治るかも。」

なんでもないそんな冗談を適当に彼女に浴びせる。それはお医者さんの仕事ではありません、だの、お腹が痛い人にそんなの効くわけがないでしょ、だの、いつもの名前は言ってくる。
酔っぱらったってそうだろう、と勝手に決めつけていた俺が悪かった。

名前は俺の冗談に何も返事をせず、少しだけ身を乗り出し、そして俺の耳元にちゅっと軽くキスをしたのだ。

一瞬、何が起こったのか理解できず、え?え?と気が動転して何も言えなくなっている俺に、彼女は後ろからクスクスと笑っている。
ワンテンポ遅れて、それが彼女からの「すんげーエロい顔してチュー」だったことに気づけば、ぶわあっと顔中の血が湧き上がる。

「どう、なおった?」
「余計、ヤバくなった。」

え?なんで?と混乱する名前。
混乱したいのはこっちだっつーの、お前今一体何してくれたんだよ、と心の中で叫ぶ。人がせっかく理性を繋げ止めようと必死になっているといのに、とんでもない女だ。
こういう時に触れるのはいつも俺からで、酔ったふりして頬や額に口付けをすることだってよくあった。幼馴染としてのじゃれあいとしか思ってない名前は、もう、と一言零しながら大抵の事は受け入れてくれて。だから、これまでいいように触れてきた。
だが、それを返されるのはまた別の話だ。

こんなの、期待するなと言う方が無理な話だろう。

「わたしのせい?」
「ああ、全部お前のせい。」

心中を何も悟られないように、平気な声色を演技する。
でもぎんときが言ったのに、と項垂れた声で愚痴を溢す彼女に冗談を返す余裕がない。我ながら今回はちょっとヤバい事になってるなと苦笑する。

そうこうしているうちに、もう名前の家の目の前まで来てしまっていて。あとは彼女を布団の上へと下ろし、帰るだけだ。

いつものように庭の裏手に周り、勝手口の鍵を隠し場所から拾い上げ、家の中へと入る。
そのままの足で寝室へと入れば、几帳面な彼女が今朝畳んだのであろう綺麗に整えられた布団が置いてあった。
意外と久しぶりに入った彼女の寝室はどこか殺風景で、寂しい。こんなもんだったか、と思いながら、布団を敷いて、名前をそっとその上に置く。

されるがままに布団の上へと着地した名前は、開ききらない瞳のままこちらを見ていて。そんなに熱い視線で見つめられると、なんかもう色々ヤバいんですけど。布団の上に転がした彼女の半着は胸元が少しだけはだけてしまっていて、やけに色っぽい。
こんな状態の彼女に欲情しない男はいない。
溜まっていく熱をぐっと抑え込むのに精一杯だ。

「みず、のみたい。」

少し渇いた声でそう一言だけ呟いた名前。
…さっきからの物欲しそうな熱い視線はそう言う事だったのか、と一人残念がる。
いや、彼女が俺を男として欲しがるなど、本当はあり得ない。そんな対象として見られていないことなど、とっくの昔から分かっていた。だから、程よい関係でいる事を望んだ。信頼してもらえるように、努力もした。
いつか彼女が本気で愛する野郎に出会う時まで、彼女の隣に居続けたかった。醜い男の悪足掻きだが、それでも愛する彼女と共に生きて居られるのなら何でも良かった。

キッチンへ行き、蛇口を捻ってコップに水を注ぐ。
寝室へと戻れば、寝転んだまま起き上がらない名前が、俺の手元にあるコップを見て満足そうににへらと笑い、手を伸ばして来る。
このまま飲む気かよ、おい。
揺蕩う名前はとてもじゃないは水が飲める状況ではない、だが、水は欲しいみたいだ。
仕方ない、とコップの水を一口煽り、そしてそのまま彼女へと口付ける。拒むことなく名前は自分の口内へと移される水をゆっくりと飲み込む。

小さく柔らかい唇は、想像以上に甘い。
俺の口に入った水を全て飲み干した名前の唇を、さらに喰む。ふっ…ん、と艶らしい声が脳を刺激するのと同時に、ヤバいヤバい待て待て、と自分を律する思考が蘇る。

何してんだ俺、これは流石にまずいだろう。
今まで彼女を揶揄って色々してきたが、唇を重ねることはしてこなかった。それは幼馴染だから、などと言う理由で納得してもらえる行為ではないと自負していたからだ。
だが、今回のこれはどうだろうか。口移しのちょっとおまけがついた奴とか、そのぐらいに思ってくれるだろうか。
名前へと覆い被さっていた身体を急いで離し、そして速やかに立ち去ろうと足に力をいれた、その時だった。

「いかないで、…おねがい。」

どこか寂しそうな切ない声で、こちらへと手を伸ばしてくる名前。
その手は離れてしまった俺を掴めず、宙ぶらりになっていて。

くそ、一体なんだってんだ。
誘われるままに宙を彷徨う名前の手を優しく握ると、名前は俺の手を自分の顔の横へと持っていき、頬を擦り寄せる。
破壊的に可愛いその仕草に、擦り切れた俺の理性は限界を訴える。
だが、同時に俺を引き止めたあの切ない声が脳裏に浮かんで、ここを立ち去ることもできない。

「…言っとくけど、いつも優しいジェントルマンな銀時くんも、一応は男の子なのよ?危ない狼さんなのよ?」

…まあ、お前は一ミリたりとも思ったことねーだろうけど。
まるで自分の身の危険が分かっていない名前に、言い聞かすように忠告する。

だが、そんな俺の何一つ分かっていない彼女は、やけに色っぽいその瞳を俺へと真っ直ぐに向けてきて。

「いい、すきにして。」

そう小さく言い放つ名前に、俺の脳は完全に麻痺する。

一体彼女は今、なんて言った?
この状況で、好きにしてって…

水なのか、はたまた俺の唾液なのか、艶やかに潤った名前の唇が少し開いていて。さっきのキスの続きで、その唇の隙間に舌を捻じ込み、めちゃくちゃにしてやりたい。そんな己の汚い欲が、もう抑え込めないぐらいに大きく膨らんでいて。

彼女を汚したくない、大切にしたい、その気持ちが、擦り切れて今にも無くなりそうな俺の理性をなんとか繋ぎ止める。

「お前、どうなるか分かって言ってんのそれ?」

さっきまでの冗談な口調ではなく、低く囁くような声色で名前へと問いかける。

まだ何も始まっていない筈なのに髪や服が少し乱れている彼女を見下ろし、ごくりと息を呑む。

彼女は視線をこちらへ向けることなく、長い睫毛を少し伏せながら静かに答える。

「…わたしだって、こどもじゃない。」

それは、つまり、俺を受け入れると言うこと。
伏せられた瞼から彼女の表情を読み取ることはできないが、一瞬だけきゅっと唇に力が入った彼女は、何かを覚悟したように見えた。

「あとで後悔しても、知らねーからな。」

吐き捨てるようにそんな台詞を呟き、彼女の返事など待たず欲望のままにその小さな唇へ齧り付く。寝転んでいる彼女に覆い被さるように身体を倒し、柔らかい彼女の髪を指に感じつつ、逃げられないようにと小さな頭を拘束する。
そして、少し開いていたその隙間に迷うことなく舌を捻り入れ、彼女の舌を探し口内を這う。
俺から逃げようとするその小さな舌を一瞬のうちに捕まえては、思う存分自分のそれと絡めて合わせる。
くぐもった声がその口から溢れるたびに、その声を飲み込もうと強張る彼女のそのどこか慣れない反応が愛おしくて。
本当にどうにかなってしまいそうだ。

甘い、こんなに口付けが甘いと感じる日が来るなんて。
随分と長い間、彼女へ想い焦がれていた。こうやって想いのままに触れることが許されるなど、夢のまた夢だと思っていた。
だけど今、それが現実となって起こっていて。
彼女の甘い声、表情、仕草の一つ一つが妄想なんかよりずっとリアルで、心臓が破裂しそうなほどバクバクと音を立てている。

彼女の柔らかい頬を撫でる指を徐々に下へと滑らせる。白い首筋、小さな鎖骨、そして柔らかい膨らみへと襟口から手を滑る込ませる。
おそらく男に身体を弄るられた経験などない彼女は、ピクリと身体を強張らせながら、俺の肩を掴む手に力を入れていて。
それが男を煽る行為である事など微塵も考えていないのだろう。

男を知らない愛しいこの女を、俺の手でぐちゃぐちゃに汚してやりたい。
これから先、俺以外のことなど考えられなくなるぐらい、この女の何もかもを俺の色で染め上げてやりたい。
もう何年も前からずっと、そんな穢らわしい想いを抱いていた。

心の奥にある醜い獣が、少しずつ出てくる。
彼女の胸を弄びながら身体中へ唇を落とせば、隠しきれない声が静かな部屋へと響く。
それに気分が良くなり、もっと掻き立ててやろうとさらに下へと手を滑らせようとする。

しかし、その指は彼女の身体を這う途中で止まる。

微かに、ほんの微かに、彼女が震えている事に気がついたからだ。



ずっと愛していた。
俺以外の誰にも攫われぬように、守ってきた。

戦乱の世で仲間の為に傷だらけになった彼女は、いつも自分に自信が持てず、諦めたように笑っていて。
高度な武術も医術も全て器用に熟す割には、それを鼻にかけることはなく、いつも仲間を想い一生懸命働いていた。
一目置かれる存在になればるほど、彼女は一人で色々と抱えてしまう。皆から頼りにされれば、それに答える為に一人で沢山無茶をする。
実は一人が苦手なくせに、誰かを頼ることができない。

儚くて、尊くて、愛おしい。
世界が彼女に厳しい分、俺は彼女を救える人間で居たかった。
その気持ちが、欲まみれの汚い俺をいつも檻へと繋ぎ止めていた。

なのに俺は今、この穢れなど知らない美しい女を、どうにかしようとしている。
酔って右も左も分からない彼女の言葉など鵜呑みにするべきでは無いのに、渇ききった心を潤すように彼女を求め、そして欲のままに穢そうとしているのだ。
彼女がこの行為を無意識に恐ろしいと感じている事すら気づかずに。

怖いと感じているのか、それもと慣れない行為にどうすべきか分からないのか、いつの間にか名前の瞼はきゅっと固く閉ざされていて。
その目尻からぽろりと涙がこぼれ落ち、布団に染みていく。

さっきまで熱に犯されていた自分が嘘のように、熱が冷め切っていく。
すっと彼女の身体から手を引き、そして覆い被さる身体を離す。

「ごめん、もう何もしねーから。」

彼女の頭を優しく撫でれば、驚いたように目を見開く名前。
彼女は自分が震えて、涙を流している事に気づいていなかった様だ。

微かに震える自分の手を握りしめた名前は、俺を見上げる。
不安と寂しさを映したその瞳に、ぐっと胸が押し潰される。
先程まで自分に恐怖を与えていたはずの俺を、まるで引き止める様な視線。

奥歯を噛み締め、彼女の訴えを無視するかの様に静かに立ち上がる。

「おやすみ。」

いつもの、できる限り優しい声色で一言だけ言い残して、彼女の寝室から出て行った。






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