#10 煤塵


*このお話は原作の「不祥事編」のお話になります。
前話とは季節がずれてしまっておりますが、ご了承願います。



日に焼けていない、眩しいほど真っ白な肌。
陽の光に晒されて、キラキラと光を放つ髪。
長く伸びた睫毛の下には、宝石のような魅力を放つ瞳があって。

そのどれもが、何とも表現し難いほどに魅惑的だった。
気づかぬうちに いつも目で追っていた。一度目に入れてしまえば、不思議なほどに釘付けになってしまって。彼女から視線が反らせなくなってしまう。

いつからかその美しさを持つ彼女のことを護りたいと強く思っていた。そして、時折人から隠れて悲しそうに涙を流す彼女を、何よりも儚く思っていた。
彼女が笑えば、自分も嬉しい。彼女が悲しい目に遭えば、その根源に言葉にな出来ない苛立ちが沸き起こる。

俺が抱いた彼女へのこの気持ちは紛れもなく「恋心」というもので、それに気付いてしまった途端、如何しようも無い程の愛しさが心の中を支配した。
そう、俺は気付かないうちに彼女のことを特別な存在にしていたのだ。


暖かい日差しの中、ふわりと俺の方を振り返った彼女。いつもの彼女から香る甘い匂いが漂い、脳を眩ませる。
だけど、こちらを向いた彼女の眉は少し下がっていて。きっと何かあったのだろう。悲しい事は自分から話出せない彼女の性格を理解している俺は、いつものように無限に浮かんでくる冗談で彼女の不安を揉み消してやろうと考えるが。
俺のその企みをすぐ様に打ち砕くように、先に彼女の小さな唇がそっと開いた。

「私ね、ずっと思っていたことがあるの。」

真っ直ぐに俺を見つめる、綺麗な瞳。
柔らかい雰囲気から一転、真剣な目つきをした彼女に、口に出掛かった冗談をすぐさま飲み込む。

「でもね、銀時には言えなかった。」

スッと意味深に逸らされた瞳に、なぜか鼓動が早くなる。
どういうことだろうか。何を、ずっと俺に言えなかったのだ。

今まで俺に隠し事をしている素振りなど見せて来なかった彼女のその真剣な告白に、柄にもなく緊張してしまう。焦る自分を表に出さず、落ち着いた面持ちで彼女が口を開くのを待った。

そして、彼女は静かに言った。

「…私、もう銀時に支えて貰わなくても、大丈夫だから。」
「っ、!」
「私はもう、あの頃の私じゃないの。大切に想う人だっているし、大切に想ってくれる人だっている。一人で何だってできるの。」

穏やかに、だが、はっきりと言い放った彼女の声が、頭の中で反響する。
彼女の言葉に、心がついて来ない。

どう言う意味なんだよ、それ。
何でそんなこと、言うんだよ。
不安と戸惑いが、もやもやと心に靄を広げていく。

俺はただ、再び彼女と一緒に生きたかっただけなのに。
彼女とまた離れ離れにならぬ様に、寂しがりな彼女に俺の仲間と江戸を紹介した。そして、彼女をここに留めておけるように、必死になってこの街で生活できるような場所を探した。
その後も、彼女に困り事がないか、どんな些細な事でも見落とさないように、時間を作っては会いに行った。
もう決して孤独ではない彼女にとっては不要な事だと、頭の中では理解していた。だけど、心はいつも彼女を求めた。
俺は彼女を助けたいと言う名目で彼女に近付き、その不安でもどかしい心を安心させていたのだ。

そして彼女の鋭い言葉は、最低な俺へと突き刺さる。

「私にとって銀時は、別に特別な存在なんかじゃない。ただの幼馴染。…ねぇ、銀時もそうでしょう?」

そんなわけ、ある訳ない。
こんなに胸が苦しいほどに、お前のことを愛していると言うのに。

「あなたは桂くんや高杉くんと一緒。ただの幼馴染なんだから、そんなに護ってくれなくても良いの。」

そうだ。俺には彼女を護る権利や義務などどこにも無い。
ただの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でも無い、歯痒い関係。今まではそれでも良かった。それだけでも満足だったのに。
何故か今は不満で仕方がない。
どうしてこんなに近くに居るのに、彼女の事を抱締められないのだろうか。どうしてこんなに悲しいことを言う彼女に、否定の言葉が口に出来ないのだろうか。

本当に、いつまで経っても中途半端な自分に腹がたつ。
そんな俺に向かって、まるで永遠の別れを告げるような切ない顔で無理に笑う彼女に、胸の中が不安で一杯になる。

「じゃあね。さようなら。」

そういって暗闇へと消えていく彼女に、悪足掻きをするかのように手をのばす。

待ってくれ。俺は、今度こそお前のそばにいたいんだ。お前を悲しませるもの全てから、護っていたいんだ。
俺はお前を愛してるんだ。

叫ぼうにも、声が出なくて。
闇に消えていく彼女を、ただただ眺めることしかできなかった。




真冬のこの時期だと言うのに、冷や汗が額から噴き出るのを感じて目が覚める。
ああ、なんて最悪な夢なんだ。夢だとわかった今ですら、胸が鋭くズキズキと痛みを訴えている。
夢の中で彼女はこういった、俺など必要ないのだ、いつまでもそばにいなくて良いのだ、と。本当に酷い夢だ。まるで今まさに俺が不安に思っていることを、何の遠慮もなく名前の口から聞かされたようで。心がどうにかなってしまいそうだ。

こんな夢を見るほどに、彼女との関係を不安に思ってしまっているのだろう。
優しく気立てのいい、大人で美しい彼女。どれ一つ取っても、彼女は文句の無いほどに完璧な女。
引っ越してきたばかりの彼女を支えるために、俺は小まめに彼女に会いにいったが。俺の想像を遥かに超えるほど、彼女はこの街の生活に馴染んでいた。新八や神楽、ババアを始めとし、真選組の野郎ども、お妙、柳生家一同、さっちゃん、月詠、長谷川さんなど。気づけば、色んな奴らの名前を彼女の口から聞くようになった。

孤独が苦手な彼女が、孤独から離れていくのが嬉しかった。信頼できる人たちと仲良く出来ているようで、心から安心した。
同時に、彼女が徐々に俺の元から離れてしまうのではと不安に思った。
いつの間にか俺の知らないところで、彼女が他の野郎に奪われてしまう事が怖くて仕方がなかった。

冷や汗で気持ち悪くなった体をさっぱりさせるため、重い体を引きずりながら風呂場へと向かう。
自分の体に刻まれたいくつもの古傷を見れば、彼女が一生懸命に手当てしてくれた事を思い出し、また愛しさが溢れかえるのだった。




◇◆◇






そして、長い長い悪夢のような日々は、一年の最後の最後にやってきた。

「「一年間お疲れ様っしたァ!! 」」

カチャンとグラス同士が重なる音がすれば、お酒を飲んでも良しの合図。上手いこと泡の立ったキンキンに冷えた生ビールを喉へと流し込めば、その爽快感に心も体も最高潮へと誘われる。今朝の嫌な夢のことなどすっかり忘れて、お酒を呑み、楽しむ。
次第にいつものイベントメンバーが集まってくれば、酔いもいい感じに回ってきて、気分が良くなる。

一年の終わりぐらい、好きに飲んだって構わないだろう。かく言う俺は、毎日の様に飲み歩き、寒い季節も暑い季節も知らない場所で寝こけてしまっている様な男なのだが。
まあ、今日は皆が酒を飲むわけであって、俺一人でとんでもない粗相を仕出かすことは恐らくないだろう。ババアとキャサリンは兎も角、酒を飲まないタマや新八辺りが粗相寸前で止めてくれるはずだ。
タマに至っては、帰り道も同じ方向なのだ。力尽くでも連れて帰ってくれるだろう。それを考えれば、帰り道で寝ることなど全く持って怖くない。…いや、別にいつも帰り道そのものを恐れているわけではないのだが。朝、起きた時に知らないところで寝こけている、いい歳した自分に後悔するのが怖いだけなのだ。

そういえば、この間は名前の家の庭で寝こけていたことがあった。
彼女の家まで行った記憶など全くないのだが、早朝の素振りを嗜もうと竹刀を持って庭に出てきた名前に起こされ、そのまま名前がさっきまで寝ていたのだろう、ほんのり暖かいいい匂いのする布団へと寝かされた。そして、昼に起きた俺に、昼休み中の名前は簡単な手料理を持ってきてれた。
あの布団の心地よさといい、あの起きたらすぐ、名前に「おはよう」と言われるシチュエーションといい、最高だった事を思い出す。

酒の失敗も全てが悪いわけではないな。
こんなことは誰にも言えることではないので、そっと胸の中にしまっておく。

「そう言えば、まだ名前さんの姿が見えないようですね。」

先ほど仕舞ったばかりの名前の話題が突然出てきて、不覚にも驚いてしまう。

おいおい、ぱっつぁん。心臓に悪いから本当にそういうのやめてくんない?
誰も、あのいい匂いの布団に寝かし付けられた時の朝勃ちがすごかったとか、起きた時側に居たエプロン姿のアイツに良からぬ想像を広げてたりとかしてないからね!?
アイツはただの色気のない格好の幼馴染。お互い居心地の良い距離でいる、大人の友達であるだけなのだ。あれ、なんかこの表現エロくない?何か違うな、これ。

一瞬ドキッとした心を隠し、何ともないような顔で酒を煽り、新八の問いに答える。

「名前は今日は来ねーよ。」

そう。今日その幼馴染はこの場には現れないのだ。残念なことに。
先程まで各々で会話をしていた神楽やお妙、ババア達も「名前」と言う単語が耳に入って来たのか、こちらを振り向く。

「えー、名前来ないアルか?銀ちゃん、ついに名前にフラれたアルか?」
「誰がいつそんなこと言ったんだよコラ。別に名前とはそんな関係じゃねーっての。」
「当たり前でしょう。名前さんみたいに美しくて人の良い方が、こんな万年金欠の白髪野郎に惹かれるわけないじゃないの、神楽ちゃん。」
「おぃぃいイイ 、スッゲェ失礼なことさり気なく言ってるんですけどォっ!!」

冗談なのか本気なの分からない冗談をサラリと口にする神楽と、その意味不明な冗談にひどく失礼な反論をするお妙。
何なの?こいつら俺のことなんだと思ってるわけ?っつーか名前の奴、俺の知らない間に何でこんなに味方作ってんの?これじゃ、俺が自動的に悪者なんですけど。全然、まだ手も足も何も出してないと言うのに。

「名前と喋ってる時の銀ちゃん、なんかキモいアルからな。」

おい、どう言うことだよそれ。
俺、どんな顔してアイツと喋ってんだよ。怖えーよ。

「確かに、名前さんと居る時、銀さんなんだかずっと嬉しそうですよね。」
「あ?んな訳あるかよ。絶対あり得ねェし。大体アイツと俺は十年以上一緒に居たのに、今更何に嬉しくなるってんだ。アイツが会いに来るより、結野アナが会いに来てくれる方が何百倍も嬉しいわ。」

やばい。焦りを隠すべく、つい新八の言葉にムキになってしまう。
我ながら、なんて酷い言い様なんだと後悔しながら、逃げ場を探すようにお酒を煽る。
不意に、今朝の夢の名前が頭を過ぎり、虫の居所が悪くなる。

早くこの話題を終わらせたいと言わんばかりに新しい話題を出しても、いつの間にか会話は名前の話へと戻ってしまう。何?こいつら、どんだけアイツのこと好きなわけ?
それにババアですら便乗するように、タバコの煙を吹かせながら語り出す。

「あの子、まだ若くてあんなに別嬪だってのに全然着飾らないし、謙虚な子だよ全く。本当に銀時なんかには勿体無いね。」
「マァ、アレグライノ微妙二綺麗ナ女ノ方ガ魅力的ダッテ言イマスシネ。私ミタイニ明ラカニ美人ナ女ハ男ノ方ガ引イチャイマスカラネー。」

そう言いながらゲラゲラと笑うキャサリンの頭を軽くしばくババア。寝言は寝て言いな、と。

何だかんだで人の事をよく見ているこのクソババアには、俺の気持ちなんざずっと前からお見通しだった。
俺がちょくちょく名前の元へ会いに行っている事をどこからか聞きつけたババアは、アイツは元気か、苦労していないか、など様々な心配事を俺に投げかけて来る。ババアのヨボヨボの足でだって10分も歩けば着く所に住んでいると言うのに、何故俺にばかりこんなこと聞いて来やがるんだと最初は思った。だが、ババアの何だか含みのある言い方に、ある日突然気づいてしまった。俺の恋心は完全にこのババアに筒抜けなんだと。それ以降、何も取り繕う事なくババアの前では彼女の話をした。

本当に、名前は色んな人間に愛されてやがる。だけど、鈍感な彼女は自分が大切に思われていることなんて微塵も気付いてなどいないだろう。本当に馬鹿なやつ。

名前の話題で周りが盛り上がっている最中、俺は一歩引いたところでその話を聞き流していた。
そんな俺に、長谷川さんが俺の肩にトンと手を添えて言った。

「まあ、何だ。俺は銀さんと名前ちゃんはお似合いだと思うぜ?何かお互い解り合ってそうだし。」

腐っても既婚者である長谷川さんのその言葉に、とても難しい気持ちになる。
解り合っているのだろうか。確かに「幼馴染」と言う言葉が似合うぐらいには、俺たちはお互いのことを解り合っているだろう。
名前は俺を理解している。何も言葉にしなくても、大体のことは伝わっている。そして何の詮索もしなければ、俺に何も求めてこない。「しょうがない人」と小さく困った笑みを浮かべ、いつだって俺のことを受け入れてくれる。
そして俺も、名前を理解しているつもりでいる。彼女はあまり自分のこと語らない。だけど、その一つ一つの所作の中には、僅かに彼女の気持ちが載っている。誰も気付かない、注意深く見ていないと見落としてしまうほど些細な不安や戸惑いのサインを、俺だけは決して見逃さない。その原因が何であるか探りを入れて、彼女が一人で抱え込んでしまう前に全てを片して終わらせる。

それぐらい、俺たちはたぶん日頃からお互いを思い合って過ごしている。何も口にしなくても、一目見れば何もかもが伝わっている。そんな存在がすぐ隣にあるから、きっと俺たちはお互いに他人に甘えることが苦手になってしまったのだろう。

そんな俺たちでも、「幼馴染」以上のことになるとお互いのことがてんで分からなくなってしまう。
彼女が笑えば、俺は嬉しくなる。彼女に触れれば、胸が大きく波打つ。彼女を抱きしめれば、心の中が熱く満たされる気持ちになる。
それなのに、彼女は俺が手を絡めようが、抱きしめようが、少し恥ずかしがりはするものの、いつもと同じ態度で受け入れてくる。
ずっと長い間一緒に過ごしていたから、分かる。彼女のその態度は、特別なものでも何でもない。

俺だけが、彼女に夢中なのだろう。悲しいことに。
彼女はきっと、あの夢の中の名前と同じ気持ちなのだ。

私にとって銀時は、別に特別な存在なんかじゃない。
…ねえ、銀時もそうでしょう?

すまないな、長谷川さん。
ちょっと考えてみたけど、やっぱり俺たちは何も解り合ってなんてなかったわ。

憂鬱な心を紛らわそうと、お酒を一気に煽る。
気づけば、それ以降の記憶が全くなかった。




◇◆◇





そして時は進み、まんまと女共に騙された俺は、何とも言えない気持ちで歩を進める。

最初はババアとホテルで朝チュンという最悪なシチュエーションから始まり、気づけば6六股という人生で二度とないステータスを背負いながら、数々の修羅場をくぐり抜けた。
だが、その先には輝かしい未来など待ちうけてはおらず、怒り狂った女どもの酷く過酷な拷問が待ち受けていた。

そしてその時、一夜で六人と関係を持ってしまったことに対して本気で後悔した。

拷問はそれなりに厳しいものだったが、そんな事どうでも良く思えるほどに、この不祥事が名前の耳にも入ってしまうのではないかと言う不安に駆られた。
彼女以外の女と関係を持つつもりなど微塵もなかったのに。きっと彼女はとても寂しい顔で、当たり障りのない言葉を俺に送るのだろう。その姿を思い浮かべるだけでも、俺にとっては最悪の拷問だった。


そして、拷問後には「ドッキリ大成功」と言う文字が目に入り、俺を虚無へと誘い込む。
嵌められたと言う怒りよりも先に、不詳の事実が無かったことへの安堵が込み上げた。

聞く話によると、どうやら俺はあの忘年会の後、酒に酔った勢いで色々と人様にご迷惑を掛けたようで。
あの時は、あの胸糞悪い名前の夢のせいで、何もかもを忘れようと大量の酒を短いペースで飲んでしまった。だが、そんな言い訳など口にできるはずも無く、誰にも弁解できずにそのドッキリを受け入れた。


歌舞伎町への帰り道、トボトボと歩く俺の横で軽やかに歩く今回の企画者のクソ忍者。
平然と歩くそいつに向かって、思わず文句が口からこぼれた。

「くそ、どーせなら名前にも声掛けて一緒に騙してくれてたら良かったのによ。」
「何言ってやがんだ。名前ちゃんをお前のお相手にさせた時点で、それはご褒美だろ。」

ポラギノールの箱を片手に、クソ忍者は俺へと反論する。
くそ、既に調査済みってか。さすがエリート忍者なこった。
シチュエーションといい人の使い方といい、抜け目のない完璧なドッキリだったので普通に騙されてしまった。

ふと、そのドッキリの中に名前も含まれていたならと考えると、苦笑してしまう。

「まあ、アイツには言わなくて正解だったのかもな。」
「あ?なんでだよ?」
「アイツ、俺の前であんな嘘、つけるような性格じゃねーしな。」

解り合っているがゆえに、名前の嘘っぽい行動など全て見抜ける自信があった。
恋人役というシチュエーションなら尚更だ。今まで喉から手が出るほどに羨望していたその役柄になって、その嘘に気付かないほど俺は鈍感では無いはずだ。

うん、と頷くように共感する服部。

「確かに、意外と可愛い性格の女だよな。何つーの?すんげー大人な雰囲気で接するんだけど、よく伺うと実はちょっとあたふたしてる感じ?」
「なに?もしかして、おたくも名前のこと狙ってんの?」
「馬鹿野郎。俺はあんな美人になんて興味ねーよ。ブス専だっつってんだろ。」
「どうだかな。」

その割には、そんなに絡みのないはずの名前のこと、やけに詳しいじゃねーの?
こいつがブス専なのはまぎれも無い事実なのだが、なぜかそのことは気に食わない。おそらく俺の知らない間に、奴は名前の診療所に上がり込んでいるのだろう。持病の痔を逆手にとって。

気に食わないのだが、何も言えない。
俺には何もいう権利などないのだから。

気にしていないふりをして聞き流そうとすれば、気持ち悪い笑みを浮かべた服部はこちらを向いて言い放つ。

「モタモタしてたら別のやつに盗られるぜ?早く会いに行ってやんな?」

そして、サッと忍者の足取りで俺の前を軽やかに去って行く。
意味深な言葉と共に置き去りになった俺は、その言葉の理解が追いつかないままに眉をひそめた。

「どういうことだよ、おい。」




◇◆◇





あの後、偶々夜道で長谷川さんと遭遇した。そして、彼から放たれた意味深な言葉に最悪なシチュエーションを想像してしまい、悪夢から逃げようと居酒屋へと駆け込んだ。
そして、呆気なく俺の禁酒は終わりを告げたのだった。

そして、丁度日を跨ぐ時間、アルコールのお陰で気分が良くなった俺は、何事もなかったかの様に帰路へとつくが。ふと、今から帰って眠りについて、明日の朝二日酔いのまま神楽や新八と顔をあわせた時の事を想像をする。禁酒を誓って間もない俺が、二日酔いで昼まで寝ることができる環境があそこにあるだろうか。
朝、万事屋にやって来た新八に朝だと起こされ、酒を飲んだ事への小言を永遠と言われ、新八に起こされて起きて来る神楽に何も学んでねーのかと張り倒されるだろう。
今帰るのは非常に危険だ。猛獣の檻にこの身一つで飛び込む様なもの。

我が家へと進めていた脚を止める。
そして、俺の脚は自然とあの場所へと向かっていた。




◇◆◇





「たでーまー。」

植木鉢の下へと隠された鍵を拾い上げ、いつものように勝手口の扉を開く。
こっそり入と何だか泥棒に来た気分になるので、暗い家の中へと少し大きな声で挨拶をする。
すると、中からこちらへ向かって近づく音が聞こえて来る。どうやら彼女はまだ寝ていなかったみたいで、少しほっとした。

こちらに来る彼女を待っているほんの僅かな時間すらも もどかしくなってしまい、勝手に家の中へとお邪魔し、音のする方へと足を進める。
カチッと言う音と共に暗い廊下の電気が点けば、そこには薄い色の浴衣を身に纏った愛しい女がきょとんとした顔でこちらを見ていた。

「銀時?」

透き通るような彼女の声が、俺の名前を呼ぶ。
久し振りに聞いたその声に、胸が熱くなった。

お風呂上がりなのか、いつもの白い肌にほんのりと赤みがかかっていて。その誘惑的な彼女の姿に釘付けになる。

ああ、彼女に触れたい。
アルコールで感覚が麻痺している俺の理性を、彼女は遠慮なく揺るがして来やがる。俺の方も、負けじと自分の中の獣をぐっと抑え込む。

一方の彼女はと言うと、こんな夜更けに現れた傷一つ付いていない久しぶりの幼馴染の姿を少し不思議がっている様子で。
「どうかしたの?」の一言を俺へと投げかける。

「…何もねーよ。ただ、今日はお前ん家に帰りたい気分だったんですー。」

曖昧にはぐらかせば、「そう。」と自然に受け入れる名前。いつものように、それ以上のことは何も聞いて来なかった。

本当は、でろんでろんに酔っ払っていたことを誰のも知られない様に隠れに来た。
あのお仕置きが全く堪えてなかったっと思われた曉には、もっと酷い拷問が待っているかも知れない。そう思うと、今日は帰れなかったのだ。
そんなこと、目の前の名前には言えない。

こいつは、あの悲惨なドッキリに俺が嵌められていたことをきっと知らない。
俺がワンナイトで六人と関係を持ったと言う最悪な設定に悩まされていたことなど知らないはずなのだ。知られたくないのだが。

裏を返せば、何も知らないこいつだけは俺の味方なのだ。
まあ、いつだってどんな理由であれ俺の味方をしてくれる彼女は、俺にはとことん甘い。

長く気を張っていたせいか、それとも拷問を耐えていたせいか…俺の体も心も限界で。
必死に抑え込んでいた理性が崩れていき、彼女への愛しさが俺の頭を支配し始める。

そして、もう限界だと言わんばかりに、小さくて細い彼女の体を力一杯抱きしめる。

えっと驚きの声が腕の中から聞こえるが、何も聞こえていないふりをして、ただ彼女の体温を感じる。お風呂上がりであろう彼女のシャンプーの匂いを、胸一杯に吸い込む。

何もかもが満たされるような感覚を味わっていた最中、腕の中の名前は俺の胸をぐっと押し返した。
そして消えそうな声で、小さく言った。

「…どうしてそんなこと、するの?」

その、まるで俺を拒む様な言動に驚き、言葉を失う。
思いも寄らないその拒絶に戸惑った俺は、思わず腕の中の彼女を解放する。
その体温の名残惜しさにすら気づかないほど、今の俺は動揺していて。バクンバクンと激しく波打つ心臓が痛くなる。

俺の腕から離れた彼女は、目も合わせることなく悲しい顔を浮かべて言う。

「愛する人が…六人も、居るんでしょ?」

今にも声が震えてしまいそうな彼女のその言葉に、耳を疑う。

「お前、何でそれを…っ」

知っているはずがない。そう確信していた俺は呆気にとられる。
そんな俺の様子に、やはり本当のことだったのかと確証を得た名前は、その美しい顔を歪める。

「私は…小さい頃からずっとこんな感じだったから、銀時のこと何にも勘違いなんてしないよ。
でも、愛する人を裏切るようなことは、銀時にはして欲しくない。」

こんなの、まるで浮気しているみたい。
そう下唇を噛み悲痛を訴えるように、絞り出した言葉を俺へとぶつける。

勘違いなどではない。俺が名前に触れるのは、本当に愛しているから、触れたくて触れているんだ。そう激しく否定をする頭とは裏腹に、臆病な俺の心はそれをずっと口にできずにいる。

そんな俺に彼女は、俺の愛する人を裏切って欲しく無いだなんて、随分とひどい事を言ってくれる。
俺の愛する奴はお前だと言ってしまえば、名前はその今にもこぼれてしまいそうな涙を俺に拭わせてくれるのだろうか。
今この儚げに綺麗な顔を歪める名前の頬に両手を添えて、その艶っぽい赤色の唇に本能のままに、無茶苦茶に口付けをしても許してくれるのだろうか。
名前に、俺が六人すべての人間を愛してなどいない事を伝えたところで、俺を男として愛してくれる確証はない。
そもそも愛する人間が六人もいる時点で、愛する人を裏切るもクソも無いと言うのだが。

誰が入れ知恵したのかは分からないが、切なくまつ毛を下げる彼女を見ていられず、思いっきり反論する。

「名前、それは誤解だっ!俺の話を聞いてくれ…っ!」
「浮気とかする人は大体そうやって言い訳しようとするんでしょ?ドラマでやってたんだから。」
「お前、意外とそういうドロドロしたドラマ観るのな。って、そうじゃねェ!!俺のは浮気の言い訳とかじゃねーんだッ!!」

全く信用されていないようで、未だに疑いの目を俺に向ける名前の肩を両手でガシッと掴み、名前が目を剃られないように真っ直ぐ彼女の瞳を見る。

「嵌められたんだよ、あの女共と忍者によ!」

本気の俺の態度に、名前もそれが真実ではないのではと思い始めたのか、潤んだ瞳を大きく見開く。

「忍者って、服部さん?」
「ああ、そうだ。本当に最悪だったわ。アイツら、本当にタチの悪いドッキリを仕掛けやがって…。」

訳がわからなくなったのだろう、ドッキリ?と眉を顰めながら俺の言葉を復唱する名前。
確かに、俺もあの酷い時間が全てドッキリであったことを受け入れるのに、かなりの苦労をしたのだ。こんなにも奴らの設定を信じ込み、悲しい思いをしている彼女には、現実の方が既に信じ難いものになっていて。

ああ、そう言うことか。
去り際に服部の残した「モタモタしてたら別のやつに盗られるぜ?早く会いに行ってやんな?」と言う言葉の意味をやっと理解する。
ここまでのシナリオが、おそらく俺への仕返しだったのだ、と。名前との一夜の間違えより、名前に振られるシチュエーションの方が俺にとっては悲痛だろうと。
くそ。俺だけではなく、名前のことも巻き込んでいたとは。ドッキリだったとはいえ、彼女にこんな顔をさせるなんて我ながらに最低だと思った。
ババアとの朝チュンより、あの恐ろしい長屋ライフやデートより、この瞬間が一番俺にとっては応える瞬間だった。情に熱い彼女を苦しませた、最悪な男だ、と。

何もかもを悟った俺に対し、まだ不満そうな顔をしている名前。そんな彼女に、夢の話を省いたすべての事実を事細かに彼女へと説明した。最初こそ少し混乱している様子の彼女だったが、俺の話に対して一つ一つ丁寧に相槌を打ちながら聞いていれば、次第に曇っていた表情は晴れていって。

「結局、悪いのは銀時だったのね…。」

最後の最後に、そうシンプルな結論を付けた名前。
まあ、そうなるんだけど。おっしゃる通りなのだが、元はと言えば、夢に出て来たお前が変な言葉で俺のことを拒絶したのが今回の失敗の要因だ。なんて口が裂けても言えない。

勘違いしていたことに「ごめんね。」と謝罪を述べる名前だが、ふと不思議に思ったように首をかしげる。

「でも、それならどうして私もドッキリに参加させてくれなかったのかな。」

しかも、何で銀時と一緒に騙される側なの?
まあ、当然とも言える質問が俺へ飛んで来るわけで。
だけど、お前を想う俺の気持ちを最大限に悪用したドッキリをアイツらが計画していたことなど、口が裂けても言えるはずもなく。

「あー、あれじゃね?お前があの忘年会に参加してなかったから、今回は仲間はずれになってしまった的な?」
「そう。みんなで長屋に住んでるって、服部さんがこっそり教えてくれて…なんだか、ちょっと羨ましく思っちゃった。」
「いやいやいや、何言ってるのこの子?どんだけ修羅場好きなの??あんな生活に憧れも糞もないから、むしろ地獄の長屋ライフだったわ本当に。」

そう、あれは本当に思い出せばげんなりするしてしまうほどの日々だった。
男に触れられることに慣れない九兵衛に不意に触れてしまい、壁へと投げつけられれば、お隣の月詠の家へと不本意に顔だけ帰宅してしまったり。
本当に散々だった長屋エピソードを話せば、さっきまでの不安そうな顔が嘘だったかのようにクスクスと笑う名前がいて。

あんなぼろっちい長屋でも、こいつと住めばきっと何処よりも暖かい家になるのだろうなとふと思う。
例えば、そう。洗濯物を畳みながら彼女は俺の帰りを待っていて、俺が玄関の戸を開ければ「お帰りなさい」と微笑みながら近くまで寄って来てくれて。さらっと上着とか木刀とかを受け取って、片付けてくれそう。ってか、攘夷時代はそうだったなそう言えば、と昔戦から帰って来た思い出を不意に思い出す。

そして、振り返り様に、そのふわっとした髪を撫でようと手を伸ばせば、彼女から俺の胸へと恥ずかしそうにしがみついて来て。

ああ、これ以上想像したら、本当にやばい。
今の妄想だけでも、何回でもオカズにできる自信がある。
俺も良い歳だというのに、こいつが絡めば余裕が無くなってしまう。
空白の五年間を必死で埋めたくて、美しくなった彼女が自分の元から離れて行って欲しくなくて、焦ってしまっている。

こんな格好悪い俺を、こいつは男として愛してくれるのだろうか。
今まで通りの幼馴染じゃなく、あのドッキリのように一緒に住んで、たまにデートに行って、夜は愛し合いながら眠りに着く。何でもない普通の人間の、普通の幸せ。それに慣れない俺も名前も、きっと自分から好きな相手に「一緒に幸せになりましょう」なんて言えない。
難しい時代を一緒に生きてしまったが故、尚更だ。


ドッキリの誤解問題に終止符を打った俺たちは、なんとなくこのまま眠れる感じでもなかったので、リビングのソファに二人横並びでテレビを見る。
不意に、紅茶の入ったマグカップから口を離した名前は、テレビを向いたまま呟くように言った。

「でも本当に、いつか銀時が結婚したら、きっと私は寂しくなると思う。」

冗談げに、ふっと笑みを浮かべる名前。
俺の心を揺るがすには十分に甘い言葉なのだが、きっと彼女には下心などなく、天然でこう言う事を言っている。彼女は、惚れられた男を無意識に虐める小悪魔女だ。

「俺よりお前の方が先だろ?多分。」

俺も、同じようにテレビを見たまま冗談げに返答する。

「私なんて貰ってくれる人、居ないよ。」
「どうだかな。」

すぐそばに、今すぐにでもお前を捕まえたいと思う野郎がいると言うのに、全く気づいていない。
本当に馬鹿なやつ。

「まあ、あれだ。もし本当にお前を貰ってくれる男が一人も現れなかった時には、俺がお前を貰ってやるよ。」

そして俺も、目の前にいるこの女が今すぐ欲しいと言えずにいる、馬鹿な野郎だ。
かれこれ十年以上はこんな冗談を口にしているのに、全く一歩も前に進んでいない。
そして最悪なことに、この俺の好意が全て冗談であることが染み付いてしまっている。徐々に近づこうにも、冗談だと流されてしまう。
俺は完全に彼女へのアプローチを間違えてしまっていて、それに気付いた時にはもう、彼女との距離が十分に詰まりすぎていた。

「私が銀時のこと貰うんじゃなくて?」

ふふっと笑いながら、耳からこぼれ落ちた髪を耳へと掛け直す。
そして俺を挑発的な目で見るこの女は、本当に世界中のどの女よりも魅力的だと思う。

「いやいや、俺、名字銀時って感じじゃなくね?やっぱ坂田の方がいいと思うんだけど?」
「うーん、じゃあ私が坂田名前になるの?」
「おう、そっちの方がいいんじゃね?やっぱ坂田だって。坂田はどんな名前にも万能だわ、やっぱ。」

うんうんと頷く俺に、坂田妙、坂田九兵衛、坂田綾女、坂田月詠、坂田綾乃…などと色んな身内の女を隣で当てはめて楽しむ名前。
いやいや、本当に勘弁してくれ。そのどれもが、この間までなり得る可能性を秘めていた名前なのだと言うのに。

「でも、銀時が貰ってくれるんだったら、私、相手を探すのやめちゃうかもね。」

そうやって、その気など無いくせにこいつは耽美な台詞で俺を誘ってくる。

いっそのこと、そうなれば良いのに。
なんなら、今すぐそうなれば良いのに。

名前がどこまで本気で言っているのか、俺にはわからない。戯言なのか、少しは望んでくれているのか、それすら全く見えやしない。

「まあ、いいんじゃね?お前みたいな女らしさの欠片もねー天然女を相手に出来るのは、この江戸でも俺ぐらいしか居ねーだろうし。」

そう、だから今日も俺は彼女の戯言に冗談を重ねる。

「銀時みたいなプー太郎と一緒に生活できるのは、きっと良く働く私ぐらいかもしれないし、ね?」
「ね?じゃねーよ。誰がプー太郎だってんだ。俺はギリギリの残金で生活をするスリリング的なものを味わってるだけですー。」

お金の話をすると、それはもう悲惨なほどに我が家はだらし無いのだが。と言うか、主に俺がだらし無いのだが。
だけど、その点は名前がいれば何の心配もいらない。ほら、案外俺たちはバランスが良いのだ。

やはり最後の決め手は、彼女の気持ち次第。

「私が売れ残っても大丈夫なように、銀時も不祥事には気をつけてね。」
「御尤もでゴザイマス。」

鋭い一言を食らわされた俺は、何も言えなくなる。
そんな俺に、冗談だと笑う名前。
ああ、やっぱりこの先一緒にいるならこいつが良い。ふと、何気ない時間の中で感じる。

彼女が俺と一緒になる事を選んでくれるとすると、それは遠い先の話だと思うが。
それでも良いと思いながら先のことを想像していれば、いつの間にか名前と二人でソファで毛布に包まりながら寝てしまっていた。






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