#9 寧静

昨日、屋根の上から忍者が落ちてきた。そんな非日常のような事が当たり前に起こるのが、ここ吉原桃源郷だ。何だかよく分からんが、落ちてきたのは御庭番衆の痔持ちの忍者らしく、昨日はかなりの激痛だったと言う。足を滑らせ、思いきり落下したのはいいが、たまたま運悪く着地した屋根が腐っていたらしい。
忍者が落ちた目の前には血相を変えた相太の顔があったらしく、忍者は「すまん」と一言だけ謝ったそうだ。何と人騒がせな奴じゃ。

そんなこんなで、日輪が屋根の修理に雇ったのがこのやる気のない死んだ魚の目をした男だった。

「銀時、貴様欠陥工事でもしてみろ、ただじゃ済まさんぞ。」
「えっ、なに、お前、 まだあの事根に持ってんの?」

屋根の上から聞こえてくるその声は、ふざけたような人をおちょくっているような声色で。なぜ日輪はわざわざこんな奴に修理の依頼をしたのじゃと心底疑問に思った。しかも日輪は茶だけ置いて、銀時の見張りをわっちに全て任せて消えよった。
それも去り際に、にこりと意味深な笑みを浮かべて。

あ〜、あの時のアレは、アレだってアレ。そう、アレだから。そんなんじゃないからね。
そんな訳の分からない言い訳をひたすら繰り広げていく銀時に、呆れて思わず溜息が溢れ落ちた。
日輪はわっちが銀時に気があることに気付いているらしく、事あるごとにこうやって銀時と絡めようとしてくる。しかし、残念ながらわっちは気のある相手に素直にぶつかっていけるような性格ではない。寧ろ気のある相手にクナイを投げつける事しか今の所できていない、本当に情けない女にすぎない。そんなわっちに向かって、日輪はいつだって優しい笑みを浮かべながら「それで良いのよ、月詠らしくて素敵よ」と言ってくれる。まるで太陽のような温かい微笑みは、沈む心の翳りを一瞬で払い退けてくれる。
憧れていた。わっちがこんな笑みで銀時と笑うことができれば、なんてことを幾度となく思っていた。

そんなこんなで屋根の修理も終わり、下へと降りてきた銀時に茶菓子を用意する。

「ふ〜……やっぱ一仕事終えた甘味は最高だわ。」
「ああ、そう言えばこの羊羹、江戸一番の高級羊羹だと日輪が言っておった。」
「えっ、マジかよ。三口で食っちまったよオイ!」

くそ、勿体ねえ!なんて項垂れる銀時がおかしくて、柄にもなく笑ってしまう。
屋根の上は暑かったのだろうか、白く太い首筋にはぷつりぷつりと汗が浮かんでいて。すっと流れ落ちた先には分厚い胸板があり、その男らしく色っぽい雰囲気にドクリと心臓が飛び跳ねる。急に顔に熱が登ってくる感覚がし、思わず視線を他所へと逸らした。

だ、誰がこんな年中金欠の猥褻男なんかに触れたいなど思うものか…ッ!!
そう否定する思考とは裏腹に、鼓動の音はどんどん早くなっていく。

「───よし、んじゃ報酬も貰ったことだし、そろそろ帰るわ。」

茶封筒を着流しの中へと仕舞い、椅子から立ち上がる銀時。もう行ってしまうのかと内心思ってしまったが、それを口には出さなかった。
「エレベータまで送ってあげなよ、月詠。」そう後ろから日輪が銀時に聞こえるように提案する。そして、こっそりわっちにお土産の羊羹を持たせれば、片目を閉じて目配せする。
ああ、この女は本当に抜け目のない恐ろしい奴じゃ。そんなこと口が裂けても言えないわっちは、素直に羊羹を受け取って、銀時の背を追いかけた。




◇◆◇





エレベータまで送るはずだったが、いつの間にか背後には数人の刺客がわっちと銀時を後を付けていた。
恨まれごとには思い当たる節がありすぎて、誰の手先か想像もつかない。「あ?誰だよ、おたくら。揃いに揃って人の後ろをぞろぞろと。みんなみんな生きてたら友達なんですかコノヤロー。」と心底面倒臭そうな文句を垂らしながら、銀時は木刀を抜いた。銀時が敵に向かって走り出すのと同時に、わっちも敵へと斬りかかった。

どうせいつものくだらない雑魚だと楽観視していたが、どうやら今日に限っては違っていたようだ。
斬っても斬っても数の減らない間者に、徐々に神経を削らされていく。そして、ほんの僅かに集中が途切れてた、その一瞬の隙を奴らは見逃してはくれなかった。
いつの間にか死角に回り込んでいた敵が、突如として斬りかかってくる。まずい、やられる…!そう理解した時には、もう遅くて。鋭く光る刃を前に、ただ痛みに耐えようと歯を食いしばった。

しかし、どういうことか覚悟していた痛みは一向に降りかからなかった。

代わりに降りかかったのは、愛する男の真っ赤な血だった。

「銀時ッッ!!」




◇◆◇





あの後、何とか敵の目を欺き、地上を必死に逃げた。わっちを庇い、腹を大胆に斬られた銀時の肩を支えながら、地上を歩く。
気が付けば日輪の元を離れた夕暮れ時からだいぶ時間が経っていて、辺りは真っ暗闇になっていた。こんな時間では病院も受け入れてくれないかもしれない。やはり、ここは一度吉原に戻った方が良いのでは……。
踵を返し、来た道を引き返そうとした最中、銀時はわっちに言った。

「……歌舞伎町に顔馴染みの医者がいるんだ...悪ぃが、そこに頼むわ。」

銀時は平然を装いながら、痛々しい傷口を左手で押さえながら顎で方向を示した。

「もうこの時間じゃ。病院など開いておらぬのではないか。」
「まぁ大丈夫だろ、そこならいつでもやってっから。」
「一体どんな病院じゃ。」

適当な銀時に思わず力強く突っ込むと、肩が揺れたのか、イタタタ…と弱々しい悲鳴が聞こえた。
よもや迷っている暇などないらしい。一刻も早くこやつを『いつでもやっている病院』とやらに連れて行かねばならない。そう思い、銀時に案内されるがままに夜道を歩いた。
今は、おそらく日付が変わったぐらいだろう。人の通りの無くなった歌舞伎町を、血塗られた怪しい二人がゆっくりと歩く。ぽとりぽとりと滴る銀時の血に、わっちなんかを庇うから…なんて言葉をつい吐いてしまいたくなる。

だから、この男が好きなんだ。
自分の懐に入れたものを、何が何でも必死に守り抜こうとするこの男が、愛おしくて堪らない。

今更隠しきれないこの感情。銀時は一体どう思っているのだろうか。銀時は誰か恋うている女子がいるのだろうか。
お妙か、猿飛か、それとも久兵衛か。銀時の周りには魅力的な女子が沢山いる。こんなことを考え出すとキリがないが、どうも気になってしまう。
すっきりとしないが、今こうして肩を預けて隣で支えることができている自分に、少しばかりの優越感を感じていないと言えば嘘になる。こうやって距離を詰めていけば、いつかは銀時はわっちのことを選んでくれるのだろうか。

沢山の疑問を抱えたまま、銀時はある診療所の前で立ち止まった。
真っ暗な、いかにも本日の診療は終了しましたと言わんばかりの静かな診療所に、本当に大丈夫かと不安になる。

「銀時、やはりここは開いておらぬ様だぞ…」
「こっち、この裏から入んだよ。」
「おい良いのか、そんな泥棒のような真似をして…!」
「人聞き悪いこと言うなって。俺はこっちのルートが玄関なんですー。」

一体なんなんだ。不安を隠しきれないまま、言われた通り庭を横切り、勝手口まで回る。しかし、勝手口が開いているとは思えず、再び銀時の方を不審に見つめると、銀時は勝手口の足元に並ぶ端からニ番目の鉢植えを指差した。

「この下に勝手口の鍵があんだろ。」

それ使って中に入るぞ。
そんなことを平然と言う銀時に、思わず目を見開いた。
いや、なぜそんなことまで此奴は知っているんだ…ッ!
診療所の鍵の隠し場所を知っているだなんて、この診療所と一体どんな仲なのだ。
銀時に言われた通りの鉢植えの下には鍵が隠されており、それを拾い上げて勝手口の鍵を開ける。

「邪魔するぞ。」

真っ暗な部屋の中へ、少し大きめの声で挨拶をする。なぜか泥棒をしているみたいな気持ちになり、早く中から人が出てこないかとそわそわする。
一方、銀時はと言うと、暗闇の中、手慣れた手つきで電気を付け、床へと座り込む。その様子から、本当に常連なのだとつくづく思った。

すると、中から足音が聞こえてきた。

「銀時?」

そう彼を呼ぶ女性の声が奥から聞こえた。男性の医者とばかり思っていたため、女性の声がしたことに意表を突かれる。
そして、足音が目の前までやってきたとき、手前の扉が開いた。
中からは、美しく若い女子が出てきた。

「よお。」
「まあ。また大胆な帝王切開だこと。」
「今すぐ我が子の顔が見たかったんだよ。」
「もう、そんな冗談叩いてる暇があるんだったら、ほら服脱いで。」

ふう、とため息を漏らしながらも、優しい目つきで、手慣れた様子で銀時のブーツ、着流し、上の服と脱がしていく。流血と痛みで限界まできている銀時は、されるがままに女子へと身を委ねる。その一連の動作を見ただけでも、分かる。この女子と銀時が浅い関係ではない事を。

銀時の身ぐるみを剥がし切った女子は、すっと立ち上がって申し訳なさそうにわっちに頭を下げた。

「こんばんは。銀時をここまで連れてきてくれて、ありがとうございます。」
「いや、こちらこそ。こいつをよろしく頼まんし。」
「はい、銀時のお腹が縫い終わた後、すぐに貴女の手当てもしますからね。」

そう言って、女子は深い切り傷があるわちきの左手に優しく手を添えた。わかりにくい場所であったのにも関わらず、一発で見抜かれてしまい、ああ、こやつは戦いで負った怪我を診慣れているんだと感じた。

銀時を毛布の上に仰向けにさせ、手慣れた手つきで体を拭いていく。彼女のその優しく丁寧な一つ一つの仕草に、つい見入ってしまう。

わっちの視線に気づいたのか、女子は立ち上がって「ちょっと時間がかかってしまいそうなので、もしよければ、先にシャワーを浴びててください」なんて気を使ってくれる。
あまり見てもやり辛いだろうし、加えて血で汚い体を早く洗い流したい思いもあった。

ここは女子の気遣いに甘え、シャワーを借りることにした。

銀時はよくここに来て傷を治療するのだろうか。
銀時はよくここへ彼女を頼りに来るのだろうか。
あのよくできた女子は、わっちやお妙、猿飛や久兵衛にはない特別な何かを持っていて。弱ったときや困ったときに、わっちらが頼りにするのが銀時だった。だが銀時はどうだ?こんなに弱った状態で、彼女を頼りにここまで来たのだ。わっちとここへ来る途中は、傷の痛みや意識の朦朧さを隠していたというのに、ここへ来て彼女と少し喋っただけで、安心したかのように倒れ込んでしまったではないか。

もやもやとした気持ちと、重く悲しい気持ちが胸を深い底まで沈めていく。
女子と銀時は一体どんな関係なのか。恋仲なのだろうか。そうでなくても、あんなにも魅力的な女子に敵うはずもない。

シャワーを浴び終わり、浴室から外へ出たとき、足元には「私のでごめんなさいね。」とメモを乗せたバスタオルと女性物の綺麗な着物が置いてあった。
あの女子はお世辞にも綺麗な柄とは言えない袴を履いていたのに。こんな綺麗な着物を出すなんて、本当に恨ませてはくれないようだ。
女子の厚意に甘えて綺麗な着物を身にまとい、先ほどの部屋へと戻った。

戻った時には銀時の傷の手当は終わっており、隣の和室の布団の上で眠っていた。
2枚敷かれた布団の一つに銀時が寝ており、もう片方の布団へと自然と体が動いた。そう、多分疲れてしまったのだ。心身共に。
倒れこむように布団に身を任せれば、視線の先には穏やかな顔をして眠りにつく銀時の顔があった。どうしても、やっぱりわっちは銀時が好きだった。




◇◆◇





鉛のように重い体。いつもと違う寝床にふと我に帰れば、そう言えば銀時と共に歌舞伎町の診療所へと来ていた事を思い出す。
上半身を起こせば、昨日と同じ位置関係で銀時が眠っていた。なんとも安心し切ったその締りのない寝顔に、少し笑ってしまう。

「おはようございます。」

少し遠慮気味の声とともに襖が開いた。声の主は昨日の女子だった。そう言えば、あの後疲れてすぐに寝てしまったのだと思い出し、不意に左手の傷口に触れた。だが、そこにはむき出しの傷口はなく、治療が終わった事を示す包帯が巻かれていた。
この女子はおそらく、わっちが寝てしまった後にわっちの手当もしてくれたのだろう。そう思えば、昨日からこの女子に向けていた嫉妬心がとても恥ずかしく思えてしまった。

「これ、お口に合えば良いのですが。」そう言って女子から渡されたのは、ご飯に味噌汁、そして鮭の焼き物と漬物の乗ったお盆だった。
夜遅くに訪れ、最後まで治療をしてくれたにも関わらず、朝早く起きて朝食まで用意してくれるとは。ますますこの女子に頭が上がらなくなる。

「すみません、そう言えば自己紹介がまだでした。私はこの診療所の医師を務める、名字 名前と申します。」
「いや、こちらこそ、手当てに加えて朝食まで出してもらい、申し訳ない。わっちの名は月詠と申す。」

深々と頭を下げれば、女子も慌てて畳へと座り込んだ。
夜中に泥棒のように入り込んだ図々しい客としてではなく、完全に大切なお客様として扱ってくれている名前。
本当に、銀時には勿体無い女子だとつくづく思う。
視線の先に銀時が移ったことに気づいた彼女は、そう言えば、と言葉を続ける。

「銀時は今日は夕方まで起きないと思います。いつもこれぐらいの傷を負ったあとは、次の日の昼過ぎまで起きないので。」

この女子はやけに銀時に詳しい。
見た所、この診療所はそれほど古いものではなく、ましてこの女子が何年も前から医者をしているような歳だとは思えなかった。
だとすれば、銀時とはただの患者と掛かりつけの医師という関係ではなさそうで。
気になっていたことがつい、口から滑り出てしまった。

「聞いても良いだろうか、主と銀時の関係を。」

息を飲む。
女子は、えっと驚いたような素振りを見せたが、すぐに優しい眼差しで涎を垂らしながら眠る銀時を見つめた。

「幼馴染です…ただの。」

「そうでありんすか。」

ああ、この女子にはどうしたって敵わないだろう。
どうしてこんなにも愛おしそうに、そして切なげにあの男を見つめるのだろうか。

こんなにも銀時に頼ってもらえる女子を、人間を、初めて目の当たりにしたというのに。女子には全然届いていないではないか。

くすぐったいこの二人の関係に何も言えなくなるが、兎に角、今回の件で一つ言えることがある。
わっちは名前が好きじゃ。







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