01. Serendipity


春といえば、何を思い浮かべるだろう。雪解けの温度だろうか、世界を鮮やかに彩る木々や草花だろうか、数多の別れや出会いだろうか。
真新しい制服に身を包み、校門をくぐったあの時を未だに覚えている。新たな出会いへの期待と、踏み込んだことの無い環境へ身を委ねる不安と少しの憂鬱。二律背反する感情は、春特有のものだと知っていた。




「失礼します」


エレベーターに乗ってつい先日まで降りていた馴染みのある階を通り越す。ひとつ上のフロアで開いた扉の先は今までのそれと何も変わらないのに、やはり別世界に感じて足を踏み出すのに小さく息を吸い込んだ。
廊下に面した硝子張りの向こうには、オフィスデスクがいくつも島を作り出勤してきた人が疎らにその空席を埋めている。始業にはまだ早い8時前。先日までいた部署の上司を思い浮かべ、どこのフロアにも早朝出勤する人はいるんだなと当たり前ながらに思った。
自分もどちらかと言うと早めに出勤し、昨日のデータのチェックや当日のスケジュールの確認や業務に取り掛かってしまう方だ。元来の性格もあるが入職してからついた上司の影響もある。その人には本当に1年目から世話になり続けたので、最終日に出張で挨拶できなかったのは本当に残念だった。でも同じ会社にいる以上会おうと思えばいつでも会えるはずだから、その時に改めてお礼を言おう。誘ったらランチくらいは来てくれるだろうか。

フロアの突き当たり、右側にあるドアの前で足を止める。軽く身嗜みをチェックし、首から提げた名札が傾いていないかまで見た。そこまでやる必要もないのかもしれないが、緊張した心では些細なことでも気になってしまう。念の為手提げ鞄の中にある手鏡を取り出して、前髪やメイクの最終チェック。第一印象は大切だ。これから数年は身を置くと思われる場所で肩身の狭い思いはしたくない。あらかた問題は無さそうだと判断し鏡を鞄にしまって一息。部長室と掲げられているドアを3回、ノックした。


「おお、おはよう」
「おはようございます。本日よりお世話になります、経理課からこちらに配属になりました、名字名前です。どうぞよろしくお願いします」


ノックの後に部屋の中から「どうぞ」と朗らかな声が聞こえドアノブを捻る。はやる心臓の音を耳元で聞きながらドアを開けた先に、目的の人物がいるのを確認して佇まいを直す。挨拶と共に自己紹介を述べ軽く頭を下げると、そんなに畏まらなくて大丈夫だよと口角を緩めた。物腰が柔らかで親しみやすいと噂に聞いた通りの印象にそっと息を吐く。いつもこういう場では思ったより力が入ってしまう。もっと気楽に行けばいいのにといつかの友人がアドバイスをくれたけど、そう出来るのならとっくにそうしていた。


「来てくれてありがとう。部署移動ってやっぱり憂鬱だよね。また1からって感じで」
「いえ、そんなことは」
「いいんだよ、私だって部長にってなった時うわあって少し思ったし。あ、内緒ね」
「はい・・・」


部長はコーヒーメーカーからティーカップを取り出し、もうひとつもセットする。部長室というのはもっと緊迫したイメージだったが、ここは違うようだ。元いた部署の部長室は、入る時にどうしても緊張してしまって常に肩に力が入った。そんな様子を見た上司は少し呆れながら、いつも背中をとんと叩いてくれてた。というか、先程から上司のことを思い出してばかりで我ながらに引いてしまう。でも入職から2年お世話になると、親鳥を追いかける雛のようになってしまうのは仕方ないだろう。怖いと思われがちな上司だが、その実スタッフ思いで優しいのだ。


「あっ、いれちゃったけどコーヒー飲める?」
「えっ、あ、飲めます、寧ろすみません・・・!」
「いいのいいの、立ち話もなんだしね。まだちょっと来るまで時間あるし」
「あ、はい・・・失礼します」


コーヒーを淹れ終わったのか2つティーカップを持った部長は、ミルクとお砂糖もいるかな?と言いながらソファーに座るよう促すので、コーヒーを淹れさせてしまった申し訳なさを持ちつつ1度礼をしてから手前のソファーにそっと腰を下ろした。目の前にティーカップ、ミルクとシュガースティックの小さなカゴが中央に置かれると、部長も向かいに腰を下ろし早速ミルクを手に取った。


「経理課は楽しかった?大変だったかな」
「あ、はい、大変でしたがやりがいのある職場でした。上司にも恵まれて・・・」
「あそこの新人担当は爆豪くんだっけ?怖いって思われがちだけど彼は面倒見がいいからね」
「はい、とても良くしてくださいました」
「たまに怖がって担当外してほしいっていう子もいるんだ。だからそんなふうに思ってくれて良かったよ」
「いえ・・・」


前の部署の上司、爆豪さんは勘違いされやすいと爆豪さんの同期の先輩が確かに言っていた。最初顔合わせをした時はわたしも例に漏れず怖い人なのかと思ったが、口調はともかくとしてわからないところは丁寧に教えてくれるし、見やすい資料の作り方や様々なデータ管理の事などを分かりやすくまとめた冊子を渡してくれた時は感激に打ち震えたのを覚えている。別部署の同期は爆豪さんをいたく怖がっていたが、そんなことは無いと力説したのも記憶に新しい。そんなとてもお世話になった爆豪さんの元を離れるのはそれなりにショックだったが、巣立ちの時だ、これからのわたしの評価が爆豪さんの評価にも繋がるのだと奮起し自室のワンルームで1人エイエイオー!と拳を掲げたりした。爆豪さんが知ったらアホを見る目で見られそうだ。


「私の部署も大変さで言うと経理課と同じくらいかな。向こうでやってこれたのならこっちでも大丈夫そうだと思うけど」
「はい、足手まといにならぬよう頑張りたいです」
「まあ肩の力を抜いてやってこう。新しい所は緊張するかもしれないけどね」


新しく配属された部署、総務課は経理課とは違って社内の様々な業務を幅広く扱う。ファイリング、備品管理、会議や社内イベントの企画運営、電話対応、来客対応、秘書業務、庶務などなど上げるとキリがないが、その全てを担当するわけではないのでそこは安心だ。だからといって慢心するのではなく与えられた仕事に誠心誠意取りくんでいきたい。出来るようになるのかという不安は拭えないが、移動してきた以上、やるしかないのだ。

少しだけ温度が下がったコーヒーにミルクと砂糖を入れてソーサーでかき混ぜる。小さい頃は大人になればブラックコーヒーが飲めると漠然と思っていたけど、全くそんなことは無かった。できる上司はみなブラックコーヒーを飲んでいると意気込みブラックのまま煽ったこともあったが、あまりの苦さにしかめた顔がしばらく戻らなかったら先輩に笑われたこともある。背伸びなんかしなくていいと頭をポンポンとされて、子供扱いに不本意だったがその先輩もコーヒーにミルクも砂糖も入れていたのであながち子供扱いでもなかったのかもしれない。ミルクと砂糖を入れれば飲みやすいけど、いつかはブラックコーヒーを飲める大人になりたい。


「そういえば、うちの部署に知り合いはいる?同期は2人くらいいると思うけど仲良しかな」
「あ、はい。入社式で顔を合わせて、様々なオリエンテーションで話をしたくらいですが」
「そっか、全く知らないよりはいいよね。」


コーヒーを飲みながら尋ねられる内容に、2人ほど顔が浮かぶ。たしかあの2人は総務部と言っていた気がした。気がした、と言うのも話したことがあるのはオリエンテーションくらいで、あとは廊下ですれ違えば頭を下げる程度。ここ雄英コーポレーションは大手企業で採用人数もそれなりだ。他部署の同期とも交流を図りたいけれど、新人は業務を覚えこなすのに必死で中々そちらまで手が伸びない。もちろんわたしだけがひーひーしているのではなく、すれ違う同期もみなよく草臥れた顔をしていた。1年目の終わりに声のかけられる同期数人で飲みに行ってからは、少しずつ連絡を取るようにはなったけれどまだ大手を振って仲良しです!と言える間柄では無い。

これから同じ部署の2人とは仲良くなれるといいのだけれど。部署異動は思ったより心細いのだ。気軽に話せる相手がいるだけで毎日の会社への足取りも少しは軽くなると言うものだ。
混ざりきって色を変えたコーヒーを口に運ぶ。少しの苦味と甘さが口に広がってほうっと息を吐いた。目の前の部長が穏やかで、この空間が苦痛ではないからコーヒーを味わうことが出来ている。ギスギスした雰囲気ではコーヒーの味もわかったもんじゃない。というか、カップを口に運ぶことすら出来ないかもしれない。


「あ、そろそろ来るかな」
「?」


同じようにカップを口に運んでいた部長が手元の腕時計を見ながら呟いた。その言葉に思い当たる節がなく疑問符が頭に浮かぶ。来るとは一体なんだろう。来る、と言うくらいだから人が来るか物が届けられるかだとは思うけど。そういえば、初めに挨拶した時も「来るまでに時間あるし」と話していた気がする。あの時はそれどころじゃなかったから聞き流していた。
今からだから、例えば業務に使う物品だったりするだろうか。経理課でも最初に支給されたものがいくつかあったし。


「あ、来たきた。どうぞ入って」


何かなぁちゃんと大事に使わないと。ともう一度カップを口に運んだ時に、後ろのドアから3回ノックの音が響いた。それに目の前の部長がにっこりと笑って、ドアに向けて入室を促す。持ってきてくれるなんて親切だと、勝手に支給される物品だと決めつけた頭で振り返ると、ゆっくりドアが開いて「失礼します」と放たれた言葉が耳に届いた。
そうして部屋の中に足を踏み入れた人物を見て、わたしは驚愕で体が石のように固まった。


「八木部長、遅れてすみません」
「いやいや、時間通りだよ。ごめんねこっちこそ朝から呼んで」
「いえ」


入ってきた彼から目が離せない。部長のソファーの近くまで歩く足音は敷かれている絨毯に吸い込まれているというのに、まるでその足音が耳の近くで聞こえるようだ。
綺麗な紅白の頭髪がさらりと揺れる。こちらから見える横顔が、鼻筋から唇までのラインが彫刻のように美しく、その下にある体もどこぞのモデルよりバランスが整っていた。
こんなに近くで初めて見た。遠目からは何度か、目にする機会はあったけれど。






「ねね名前、あっち見て!」
「え?」


頭の中でいつかの同期との会話と情景が浮かぶ。
次の会議で使用する会議室に準備に行くために、普段使用しないフロアの廊下を2人で進んでいたら、咄嗟に同期が肩を興奮したように叩いてそちら側を見るように促した。そんなに興奮するものが?と言われた通りに同期が顔を向けている方を向くと、いつかも見たそのわかりやすい頭髪が目に入る。


「あ、」
「総務の轟さんだよ・・・!やっぱかっこいい・・・!こんな所で見れるなんてラッキーすぎる・・・!」


総務の轟さん。この前も同期が轟さんを見たと興奮して伝えてきた時があった。なるほどあの人が轟さん。確かに遠目から見てもとてもかっこいい。
あの人が・・・と少しだけ見ていたら、その轟さんが不意にこちらを見てバチッと目が合った。
目が合ったということは、こちらを見ているということで。あまりにも不躾に見つめすぎていただろうか、そんなつもりはなかったけれど、視線が煩かったかもしれない。ハッとして急いで頭を下げると、轟さんも少ししてから会釈してその鮮やかな髪が揺れた。


「やば!目が合っちゃった・・・!今私見てたよね?!」


きゃーきゃーはしゃぐ同期に、そりゃこんなにきゃらきゃらと見つめていれば気づくかもしれないなと納得してそうだねと返した。もう少し見たいとごねるのを準備が遅れるからと引き摺りながら、もう一度だけ轟さんをこっそり盗み見る。
まるで別世界の人間のようだ。同じ会社にいる以上挨拶などはすることはあると思うが、かかわり合うことはないだろうなと独りごちてからまた前を向いた。






「紹介するね、名字さん」
「・・・は、はい!」
「総務課主任のひとりの轟くん。今日から君のお世話係をしてもらうことにしたんだ」
「・・・え、」


八木部長の声にハッと我に返り、急いで呼ばれた方を見て立ち上がる。置いたカップが少し音を立ててしまったがそれを気にする頭は残っていない。わたしの姿を見てか、にこやかに笑った後に部長は口を開いた。
その内容が咄嗟に理解出来なくて、頭の中は一切の機能を停止する。「今日から君のお世話係をしてもらうことにしたんだ」「主任のひとりの轟くん」
言葉を咀嚼して、咀嚼して、やっと飲み込んだ時に、斜め前に立っていたその人、轟さんはこちらを向いて柔らかく微笑んだ。


「主任の轟焦凍だ。今日からよろしく頼む」








何度か遠目で見た後ろ姿が、今目の前を歩いている。始業を少し過ぎたフロアは、スタッフが所狭しと並べられたオフィスデスクに身を寄せて画面と向き合っていた。時々鳴る電話やスタッフ通しの小会議などその全てが経理課とそうそう変わりはないのに、目の前のこの人だけがそこを今までいた場所ではないことを決定づける。

総務課の轟焦凍さん。2色の頭髪とその眉目秀麗な様相。スタイルも相まってその全てが彼をいわゆるイケメンと称するに値する。社内で彼を知らない人は居ないだろう。かく言うわたしも名前は直ぐに耳に入ってきて、遠目で何度かその姿を確認した。同期もひとつ上の先輩も定期的に轟さんの話をしては盛り上がり仕事中に妄想に耽っていたこともある。わたしも軽く参加しそうになったが、参加して手元を疎かにしたら最後、爆豪さんの怒号が飛んでくるに違いない。ましてや残業になったら目も当てられない。爆豪さんは残業は沽券に関わるからとさせてくれない主義だった。そのため就業時間は常に集中して取り組まないとならなかったが、定時で帰らされるのはわたしの為だとわかった時は爆豪さん・・・一生ついて行きます・・・。と熱くなりながらコーヒーを渡した。はァ?という顔をされたのが懐かしい。


「ここが名字のデスクな」
「はっ、はい!」
「緊張してんのか?」
「はい・・・」


思いに耽っていると轟さんが止まり、横にあるデスクを指した。それにハッとして勢いよく返事をすると、少し笑いながら言うため思わず顔が赤くなりそうになる。心臓に悪い。
こんなに顔が整っているとは思わなかった。遠くから見た時もかっこいいとは思ったが、近くで見ると尚更だ。かっこいいという言葉で収めていいのか?というくらいには美しすぎる。左側にある火傷痕は昔にちょっとした事故があってと同期から聞いてもいないのに聞かされていたから知ってはいたが、その火傷痕は全くと言っていいほど彼のかっこよさを邪魔しない。向かい合わせになって初めて気づいたが、彼の色違いの双眸もひたすらに美しさを際立たせる。これは社内で有名で人気があるどころの話じゃない。芸能人として紹介されても納得出来る。むしろ芸能人ではないことの方が驚きだ。


「こっちが俺のデスク」
「・・・えっ、と、隣ですか?」
「?ああ、隣の方が何かとやりやすいだろ」
「・・・」


轟さんがわたしの隣のデスクを指して自らのデスクだと言うので、一瞬固まってからその言葉を反芻した。隣、轟さんの隣。横にあるデスクの上には資料や私物などが置いてあり昨日まで仕事をしていた名残がある。ここで、轟さんが仕事をしていた。
ギギギと自分に与えられたデスクを見る。小綺麗なそこには支給のノートパソコンが1台とファイルが数冊。ここで今日から、わたしは仕事をする。
やって、いけるのだろうか。仕事内容もそうだが、それとは別に、


「俺も、」
「へっ」
「世話係とか初めてだから、少し緊張する」
「・・・」


やって行ける気がしない・・・と色んな意味で愕然としていたら隣に立っている轟さんが口を開いた。上司の話を顔も見ないで聞くのは失礼に値すると刷り込まれているわたしは咄嗟にそちらを向く。轟さんは自らのデスクを見ていたため横顔だったが、その横顔が少しだけ気恥しそうに見えて、心臓が変な音を立てた。


「至らねぇ所もあると思うが、名字が早く馴染めるように努力する」
「いえ、いえとんでもないです・・・。こちらこそ迷惑をかけずに頑張りたい・・・というところですが、」
「ああ」
「やはり初めてなので・・・お手数をお掛けすることはあると思います・・・」
「当たり前だろ、そんなの」


なるほど有名で人気の理由は外見だけじゃないらしい。もちろん仕事もそつなくこなしてその手腕は素晴らしいとのことだが、性格もとてもできた人だ。努力するだなんてそんな、こんな一介の部下に心を割いてくれるだけありがたすぎる。
迷惑をかけずに頑張りたいが、気持ちとは裏腹に仕事は気合いだけでできるようになるものでは無い。自分の勉強以外にも教えてもらわなければならないところだってあるだろうし、むしろ至らない点ばかりになるのはわたしの方だ。確実に轟さんの業務に差し障る可能性があるし、手を煩わせることもあるだろう。
こちらを振り向きながら真剣に、それでもそれを当たり前だと告げる轟さんに心を打たれないはずがない。
わたしはとことん、上司に恵まれているらしい。


「あ、そうだ。これ」
「え?」


心を打たれ感慨に耽っていると、轟さんはおもむろにスーツの内ポケットに手を入れた。そしてそこから何かを取り出してこちらに差し出す。手の中にある包装された細長い箱に首を傾げると、轟さんも首を傾げる。これはどういうことだろう。とりあえず持っていればいいだろうか。疑問符が消えないままに手の中にある箱を持つと、轟さんは小さく頷いた。


「メインはもちろんパソコンやタブレットになるが、メモや何かしらに使えるから」
「はい」
「?開けねえのか」
「・・・え?これ、わたしに?」
「そうだ」


手の中にあるものを開けないのかといわれてはじめて、これをわたしにくれたものだと理解した。ただ持たされていただけじゃなかったのか。というか、どういうことだろう。とりあえず開けた方が良さそうなのでそっと包装を解くと、日常にありふれているが、その名前は書きやすくて有名な3色のボールペンがそこに鎮座していた。
何故にボールペン、何故にプレゼント・・・?と頭をひたすらに傾げるしかないが貰ったからには感謝するしかない。というか、轟さんからのプレゼントなんて同期が聞いたら発狂しそうだ。ボールペンひとつにプレミアがついてしまう。


「あ、ありがとうございます」
「こういう時は、何かあった方がいいって聞いたから」
「はい・・・?」
「お近付きの印?に。俺はこんなんだけど怖くねぇから、なんでも聞いてくれ。わかりやすく答えるよう努力する」


とどのつまり、轟さんはわたしのお世話係になると決まってから、わたしに怖がられないようにと考えたということだろうか。そして誰かに相談して、お近付きの印をと進言されたと。

轟さんは轟さんなりに、お世話係になったということに、本当に緊張していたのかもしれない。怖がられないように、過ごしやすいように。そのために色々考えてデスクの配置や、こういったものまで用意して。



部署異動は簡単に辞令が下るが、移動する本人は簡単な心持ちではない。新しい場所にいって、人間関係も変わって、下手したら今までと180度違う仕事をする。その心的ストレスは少なからず誰にでもある。移動した先で上手くやって行けなかったらどうしようと不安になって、落ち着かなくて。

頑張ってやっていこうと明言していた。そう言い聞かせれば大丈夫な気がしていたから。
でも本当は、本当に、不安で、そして少し怖かった。
でも、


「名字」
「・・・はい」
「さっきも言ったけど、改めて。」

「名字のお世話係の轟焦凍だ。これからよろしく頼むな」


伸ばされた手が宙に留まる。務めて柔らかく発せられた言葉に、不安に塗れた心が少しずつ晴れていく。
左手のボールペンを強く握りしめる。1度息を吐いてから、右手をその手に差し出した。


「3年目の名字名前です。ご迷惑をおかけするかと思いますが、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします」


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