融解の手本



私は昔から、人よりも痛みに鈍感だった。
それは別に切島くんの様に硬化して怪我を防げる個性を持っているからでもなければ、怪我を癒し痛みを無くす個性を持っているからでもない。
ただ、子供の頃に敵にかけられた個性が、今も解けずに私の身体に残っているのだ。

痛みを感じなくなる個性。
それを聞いて「何も痛いと思わないなんて、それってつまり最強じゃね?」なんてことを言う人間が、私の出会った中で大半を占めた。
しかし、事はそんなに単純ではない。

痛いと思わないから、身体が倒れるまで怪我の深刻さに気が付かないし、痛々しい大怪我をしても一つも痛がらない私を、皆は異質だと気持ち悪がる。

痛みを感じない個性に掛かってからは、いい事なんて何一つなかった。

やはり人間は、痛いことを人並みに痛がっている方が自然で良い。
しかし子供の頃からずっとその個性に苛まれ生きてきた私は、痛いというのがどんな感覚だったかもあまり思い出せなくて。痛がるフリをすることすら、できない。

最初はそんな呪いの様な個性に掛かった事が受け入れられず、一人でずっと憂いていた。
しかし、いくら憂いたって何も変わらず、時間だけが絶えず進んでいく。
医者からもう解ける事はないだろうと言われたその呪いを、このままずっと憎みながら生きていくのだろうか。そんな生き方が本当に正しいのだろうか。
そんな事を考え始めた私は、そこからゆっくりと時間をかけてその呪いを自分のものとして受け入れた。

そして丁度その頃、テレビに映るヒーロー達が敵と激闘する映像を見て、ふと思った。
私のこの呪いも、ヒーローになれば上手く活かすことができるかもしれないと。

それから私は雄英へと進学し、ヒーローになるため必死に努力を積み重ねてきた。

だけど、やっぱり現実はそう上手くは進まない。







「名前、」

寮の洗濯室から出てきた私を、耳馴染みのある声が呼び止める。その落ち着いた低めの声に、振り返らなくても誰がそこに居るのか分かる。
愛しい人のその呼びかけに、いつもの私であれば嬉々とした表情で振り返っていただろう。
しかし、今日は少しだけ、彼には会いたくない理由があって。

「……焦凍くん、」

恐る恐る振り返ると、そこには両腕を組みながら、整った美しい眉を顰める焦凍くんの姿があって。
予想通りの光景に、ああやっぱり…、と胸の奥がずんと重くなるのを感じる。

「またやったのか…これで何度目だ?」

そんな溜息混じりの呆れた声が、冷たく突き刺す様に言葉を紡ぐ。
一瞬だけチラリと彼の顔を盗み見れば、凍てつくような鋭い視線がこちらに向けられていて。
どくんと心臓が嫌な音を立てる。

彼は普段はとても優しく穏やかで、こんな風に尖った態度を取ることは決してない。
彼がこんなに冷たい態度をとるのは、決まって私が何かしらの怪我をした時だけだ。

部屋着では隠しきれない包帯やガーゼを咄嗟に隠すと、彼の目付きは更に鋭いものへと変わってしまう。彼に不快な思いをさせない様にと思ったのだが、どうやら間違えてしまったようだ。
焦って頭が真っ白になる。
かなり怒っている様子の彼に何を言えばいいのか分からず、ただ黙って目を逸らし、腕に巻かれた包帯をぎゅっと握りしめる。

「…ごめんなさい。でも、もう平気だから、」
「平気なわけねぇだろ…足だって折れてるのに、なんで松葉杖使わないんだ。」
「リカバリーガールが治癒してくれたから、もう回復した。包帯だって大袈裟で、本当はどこも悪くない…、」

そう必死に訴えかける様に言うが、返ってくるのはただただ冷たい視線ばかり。
でも、どうして焦凍くんがここまで怒っているかが、私には全然わからなくて。

痛みを殆ど感じない私にとって、怪我なんて別に何ともない。少し身体が重く感じたりはするが、誰かに迷惑をかけるほどではない。
それなのに、私が平気だと言う度に、焦凍くんの顔はどんどん不快そうに歪んでいく。

「…痛くねぇからって自分のこと粗末に扱うの、いい加減やめろ。」

そう低く放たれる焦凍くんの声に、思わず肩がピクリと跳ね上がる。
苦虫を噛み潰したような顔で私を咎める彼に、心臓が苦しいぐらい重い鼓動を打つ。

「別に、粗末に扱ってない。」
「扱ってるだろ。」
「普通だよ、緑谷くんもよく似た様なこと、してる。」

いつもの私なら「ごめんなさい」「気をつける」と言ってすぐに食い下がる。しかし、今日の彼はいつも以上に怒っていて、普段口にする曖昧な謝罪では言い逃れできないという事を、何となく察してしまう。

頭が真っ白になってしまった私は、いつもは絶対に言わない余計な事を、つい口にしてしまって。
そんな私に、焦凍くんは盛大に眉を顰める。

ああ、やってしまった。
そう気づいた時にはもう遅い。完全に火に油を注いでしまった私は、もう何も言い逃れなどできなくて。

「…私、これぐらいしか取り柄がないから、」

ぎゅっと拳を握りしめる。
本当は、こんな事は彼に言うべきではないのに。
みっともないから黙っていようと決めていた思いを、つい焦って口にしてしまう。

「…痛みで怯まない私が敵の囮になるのが、1番正しい立ち回りだと、思うから。」

彼のように戦闘に優れた個性を持っている訳ではない私は、戦闘時にできることはごく限られる。そんな私が皆んなの役に立てるのは、この呪いを有効に使う事だけ。
それに、そうやって皆んなの為にこの呪いを使っていると、どこか今の自分が肯定された気がして、不安が和らぐ。
私はずっと呪いに掛かった自分が嫌いで、だから、藁にもすがるような思いでそうしてきたのだ。

しかし、そんな私の思いは、どうやら焦凍くんの神経を逆撫でしてしまっただけの様で。

「お前、それ本気で言ってるのか?」

俯いている私に浴びせられたのは、そんな冷たい一言だった。
やっぱり、言わない方が良かったのだ。
何一つ彼には伝わらなかったのだと思うと、胸がぎゅっと潰されるように苦しくなる。

「俺は、そうやって無抵抗に傷付く名前を見るなんて絶対に嫌だ。」
「でも私、痛くないから平気、」
「だから、そう言う問題じゃねぇんだって何度も言ってるだろ…ッ!」

そう声を荒げながら、ドンと私を挟んで直ぐ後ろにある洗濯室の壁を叩く焦凍くん。
勢いで背中を壁に打ち付けた私は、その反動でよろけそうになるのを必死に踏ん張る。
戦闘訓練以外で、彼から初めてぶつけられたその乱暴な行動に、思わず身体が縮こまる。

何がいけなかったのか。
何が彼をこうしてしまったのか。
必死に考えたって、何も浮かんでは来なくて。
私が傷ついたとしても、私は痛くないのだから、可哀想に思う必要なんて何処にもないのに。

なのに彼は、どうしてそんな事を言うのか。

「わ、分からないよ…、」

ぐっと拳を握り、震えてしまいそうな身体に力を入れる。
俯きながら静かに呟くように言った私に、頭上からは呆れ切ったような溜息が降り注ぐ。

「そうか、ならもういい。」

そう言って彼は私から離れ、そして冷たい目をしたままその場を去っていく。
取り残された私は、彼の後ろ姿が見えなくなった途端に全身の力が抜け、その場にぐったりとしゃがみ込んだ。







「ねえ、名前最近あんまり轟と一緒に居ないよね。喧嘩でもしたの?」

夜、女子側の共有スペースでテレビを見ていた私の横に、三奈ちゃんがひょこっとやって来た。
見渡せば、いつの間にか女子みんなが揃って、さっきまでの自分がいかに放心していたのかに気付く。

あの洗濯室でのやり取りから、ちょうど1週間が経った。あの日を境に私と焦凍くんの間に会話が無くなり、そして顔を合わせることも無くなっている。
あんなに毎日一緒に居て、沢山話をしていたのに。今では出会った頃以上の距離を感じる。

私たちは、喧嘩をしたのだろうか。
あれが果たして喧嘩だったのかは、よくわからない。ただ私が一方的に切り捨てられたような、そんな感じだった。
ということは、私は彼に捨てられてしまったのだろうか。
私の不快な言動にあんなにも呆れ果てていたのだ、もう顔も見たく無いと思っているのだろう。
あの日から目も合わせてくれなければ、口も聞いてくれない焦凍くんは、明ら様にもう私のことが好きでは無いと、そう言っている様で。

なんで、どうしてこうなってしまったのか。

三奈ちゃんの言葉に首を振りながら、押し寄せる感情をぐっと堪える様に返事をする。

「…見限られた、みたい…」

そんな思わぬ私からの言葉に、ぎょっとした顔を浮かべる三奈ちゃんと、皆んな。

「え、ちょっとそれどう言う意味?!もしかしてフラれたの?」
「…分からない。でも、私のこと凄く呆れてた。きっともう、一緒に居てくれ、ない…っ」

あんなにも冷たい目で私のことを睨んでいたのだ、もう元になんて戻れる気がしない。
もしかしたら、この先一生ずっとこのままなのかもしれない。
もう2度とあの温かい腕で抱きしめてくれることも無ければ、優しく名前を呼んでくれることも無くて。目が合えば、あのうんざりとした様な瞳を向けられて、話しかければ、言葉より先に溜息が返ってくる。

そんな事になれば、私は……、

ぎゅっと胸が握りつぶされるみたいに、痛くて痛くて仕方がない。
徐々に視界が滲んできて、耐える様にぐっと拳を握りしめるが、包帯の巻かれた手の甲の上にはぽとぽとと水滴が落ちていく。

「えっ、ちょっ待って…!名前ちゃん泣いとるん…!?」
「ケロ、名前ちゃん、落ち着いて。…轟ちゃんと何か辛い事があったのね…。」

そんな優しい言葉を掛けながら、お茶子ちゃんや梅雨ちゃんまでもが私の座る周りにやってくる。すぐ横では心配そうに謝る三奈ちゃん。そうじゃない、三奈ちゃんは、何も悪くない。そう首を振りながら必死に涙を止めようとするが、涙腺が壊れてしまったかのように涙が次々と溢れ出てきて、上手く止められなくて。

「…何でもない、ごめんなさい。…今日はもう部屋に戻る。」

そう言って立ち上がった私は、優しく引き止めようとしてくれる声を無視して、「…おやすみ。」とだけ言い残し、その場を後にした。








どうしていつも、私は上手く生きれないのだろうか。
涙を止めようと目元を必死に擦る。
今日の訓練で切島くんに触れて切れた掌。白い包帯には赤い色が滲んでいて。でも、痛いなんて一つも思わない。

それよりも、胸が内側から引き裂かれる様に、痛くて痛くて堪らない。
本当はこの掌も、こうして痛いのかもしれない。でも、何も感じない。そんな自分がとても醜くて、本当に大嫌いだ。

エレベーターの上の階へ向かうボタンを押すと、それと同時に扉が開く。
何も考えず、俯きながら中へと駆け込もうとすると、足元には見知ったスリッパが現れる。

「お、」

そんな驚いたような声が、短く聞こえてくる。

ああ、最悪だ。
どうしてこんな時に、このタイミングで。
ぐっと胸が苦しくなって、呼吸が止まってしまいそうになる。
今のぐちゃぐちゃな気持ちのまま、少しでも彼から冷たい態度を取られたならば、私はきっと崩れ落ちてしまうだろう。
そんなの、また彼を不快にさせてしまうだけだ。
もうこれ以上、嫌われたくはない。例えもう2度と私を好きだと思ってくれなくても、私は彼が好きで、嫌いになんてなれないのだから。

「ご、ごめんなさい…!わたし階段で行くから、」

慌ててエレベーターから身体を引き、階段の方へ向かおうとする。
しかし、後ろからぎゅっと腕を掴まれ、そのまま引き寄せられるようにエレベーターの中へと引き込まれる。

「ちょっと待て、」

そう言った焦凍くんの声色は、どこか取り乱しているかの様に、らしくないもので。
何が起こったのかが分からず、思わず唖然としてしまう。
しかし、だからと言ってこんなに酷い顔を彼に見せる訳にもいかず、ただ黙って俯いていると、不意に私の肩には大きな手がそっと添えられる。

「…泣いてたのか?」

静かに、優しく問いかけるようなその言葉に、思わず目を見開く。
何で、顔も見えていないのに、どうしてそんなことが分かるの。
胸の奥がぎゅっと苦しくなる。

「泣いてない、」
「ならこっち向け。」
「で、できない…っ」

私の肩にある焦凍くんの手に、ぎゅっと力が入っていく。泣いていたなんて知られたら、面倒な女だと思われてまた嫌われてしまう。
彼の言葉に聞く耳を持たず、ただ首を振りながら更に俯く。
すると、焦凍くんはすっとその場で膝を折り、私の顔を覗き込む。

「誰かに何かされたのか?…そいつのこと今すぐ殴りに行ってやる、」
「そんなんじゃない、から…っ」

まるで私を気遣うような言葉に、思わず躊躇いながらも彼の方を見る。
するとそこには、最後に見たあの冷たく鋭い眼差しではなくて、ただ私を心配そうに見つめる優しい彼の瞳があって。

なんで、どうして。
頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

「本当に何でも無いの。ちょっと涙が出てきただけ。」
「何でもねぇのに何で涙が出てくるんだよ…」

そんな言葉とは裏腹な穏やかな声色に、酷く胸が苦しくなる。
じわじわと滲んでいく視界。
そんな私の目尻には、彼の親指が優しく押しつけられる。

「胸が痛くて、涙が出てきた。」
「?」
「焦凍くんが私のこと、嫌いになったんだと思ったら、胸が痛くなって、耐えられなくて…っ」

身体のどこにも感じた事のない痛みが、あの日からずっと胸を刺激していて。焦凍くんのことを考えれば考えるほど、痛みは激しさを増していく。

普段、何の痛みも感じない私には、その痛みが強烈なのかも分からない。
でも、涙が出るほどそれは痛くて苦しいもので。

ぽろぽろと落ちていく涙を、焦凍くんの親指は器用に払っていく。
その優しい親指の感覚が、嬉しくて堪らないのに。
きっとあの時のように、しどろもどろな私の言葉は、彼に上手く伝わらない。そう思うと、心が空っぽになっていくような感覚に襲われる。
次はどんな言葉で私は見放されるのだろうか、そんな事を考えていた私に、彼は思いもよらないことを口にする。

「…胸が痛かったのか?」
「?」
「なあ、胸痛くなったの、本当か?」

そう何度も問いかけてくる彼の顔は、何故かあり得ないものを見たかのように驚いていて。
何がどうなっているのかが全く掴めない私は、思ったままを口にする。

「い、今も痛い…凄くズキズキする。」

そう戸惑いながら返事をした私に凄く驚き、そして次の瞬間には何処か嬉しそうに頬を緩める焦凍くん。
そんな彼の反応に、何が起こったのかが分からず呆気に取られる。
そんな私などお構いなしに、彼は長い腕をすっと伸ばし、そして一瞬にして私を掻き抱いてしまう。
久しぶりの、視界いっぱいに広がる焦凍くんの部屋着に、どくんと心臓が跳ね上がる。

「名前、俺はそれをずっと感じてるんだ。
お前が平気な顔しながら怪我して帰ってくる度に。」

そう穏やかな声色で言葉を紡いでいく焦凍くん。
その言葉に、思わず目を見開き驚く。

「怪我しても痛くねぇって言ってるのに、でも本当は痛々しく傷付いてる名前が目の前に居るんだ。」

身に覚えのある、その光景。
私は大丈夫だと、平気だと、いつも彼に言っていた。
でも、今目の前でそう語ってくれる彼の声が、酷く傷付いているような辛いもので。何だか違うもののように思えてくる。

「痛いとか痛くないとか、そう言う問題じゃねぇんだ。身体中傷だらけの名前を見ると、何でまた守ってやれなかったんだって気持ちになって、胸が痛くなる。」

そう言った焦凍の腕には、力が篭っていて。
こんなにも優しく私を想ってくれている彼のことを、私は酷く傷つけてしまっていたのだと、今更になって気付く。

私が傷を負う度に、彼の胸はずっと、こんな風に痛かったのだろうか。
私はたった1週間も耐え切れなかったこの痛みを、彼はずっと何ヶ月も感じ続けていたのだろうか。

「焦凍くん…ごめんなさい。焦凍くんがそんな風に感じてたの、私は何も知らなかった。」

自分勝手なことを思い込んで、痛みを感じる彼が私を理解してくれることはないなだと嘆いていた。
私の方が、彼の気持ちを全然汲み取っていなかっただけなのに。

これまでよく分からなかった彼の冷たい態度が、全て繋がっていく。
全部、私を想って言ってくれていた事だったのだ。

「いや、いい。俺の方こそ酷いこと言って突き放して、悪かった。ずっと謝りたかったんだ。」

そう言って、焦凍くんは優しく額に唇を当ててくれる。
もう2度とこんな風に彼から触れては貰えないと、彼から優しい言葉を掛けてはもらえないと、そう思っていた。
だから、これは夢ではないかと疑うほどに、嬉しくて堪らなくて。

しっかりと私を抱きしめる焦凍くんの背中へと手を回し、そしてぎゅっとしがみつく様に、彼のことを抱きしめ返した。



余談だが、ロビーを出た後、こっそりと私を追ってきてくれていた三奈ちゃんが、私と焦凍くんのあれこれを目撃し「男子側のエレベーターは取り込み中につき暫く使用禁止!」というメッセージを皆んなに送っていた事を、私達は後で知るのだった。




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