白くいられない



焦凍くんはキスをする時、いつもとても綺麗な顔をしている。



「名前、」

そう低く囁くように紡がれる私の名前。
するりと頬に手を添えられれば、背の高い彼の顔のほうへとぐいっと顔を上げられる。
されるがままの私の視線は空を仰ぐ様に上を向く。勿論、そこにあるのは清々しいまでの青空…なんてことはなく、代わりに空よりも綺麗な青と灰色の瞳がこちらを覗く。

やけに熱の籠ったその瞳に、どくりと心臓が跳ね上がる。

「なあ、もう一回、キスしていいか?」

静かに囁く様に、彼は私に問いかける。

そんなこと、一々聞かないで欲しい。
さっきまであんなに遠慮なく私の口内を犯していたくせに、どうして此処で私に伺いを立てるのか。
そんなに熱っぽい瞳で私を見つめておいて、私がイヤだと言ったら潔くその身を引くのだろうか。いや、こういうことに限って、この男がそんな簡単に引き下がるはずが無い。
こうして一度捕まれば、彼が満足するまでは絶対に離してくれないことなど、これまで散々体験してきたのだから。

「無言は、肯定と見なすぞ。」

伺いを立ててからそんなに時間は経ってないのに、私の無言に早速結論を出してしまう。
本当に、どうして彼はこんなにも我慢弱いのか。
普段は鍛錬だって勉強だって、何でも粘り強く最後までやってのけるのに。私がほんの数秒黙っただけで、キスが待てなくなるなんて。きっと彼のパパが知ったら、己に甘いぞと発狂しそうだ。そんな冗談を言えば、彼は間違えなく不貞腐れてしまうはずなので、思っても絶対に口にはしないのだが。

「今なんか、変なこと考えてただろ。」
「…考えて、ない。」
「考えてたな。名前は嘘をつく時、目が泳ぐ。」

そう言いながら、私の瞳を覗き込む様に色の違う焦凍くんの瞳はこちらを見つめる。
嘘をつく時、私の目が泳ぐのは事実である。
でも、こんなにも近くに迫り来る整った顔に、目が泳がない人間など居る筈がない。

「俺とこういうことしてる時に他のこと考えるなんて、随分と余裕があるんだな。」

そう低く囁く様に呟かれれば、頬に添えられた手の指先は私の耳を撫で始める。薬指で耳たぶをゆっくりと撫でながら、中指は私の耳へと侵入する。優しくも厭らしいその手つきに、身体がぞくぞくと震え出す。

「…っ、や、…」
「なあ、今の名前の顔、すげぇエロい。」
「そんなこと、ない…っ」
「エロすぎて、キスしたくなる。」

そう言って、焦凍くんは私の額や目元に唇を押し当てていく。先程まで交わしていたキスのせいか、彼の唇はしっとりと湿っていて、やけに官能的で。
どっちがエロい顔なのだと、言ってやりたくなる。

「キスしたら、そういうことするくせに、」

こんな熱っぽい顔をした彼が、たった1回深く口付けるだけで私を開放してくれるなんて、あり得ない話だ。
ここで私が引の姿勢をとれば、きっとこのまま最後まで彼のペースに流されてしまう筈だ。
それだけは、絶対にダメだ。

なぜなら私は今、彼を晩御飯に誘いに来ているのだから。
きっと下では今頃、皆んなが食事をしながら私達が遅いと噂している。もし誰かがここまで呼びに来たら、一体どうするつもりなのだ。
食事そっちのけで2人してやましい事をしていたなんて知られたら、これから皆んなにどんな顔をして会えばいいのか分からなくなる。

確かに、焦凍くんを呼びにここに来た時、手を引かれるがままに彼の部屋に入ってしまった私も悪い。
今日はずっと実習であまり側に居られなかったからと甘えてきた彼を、思うままにさせた私も悪い。
私に触れる彼の手にドキドキしてしまい、時間を忘れてしまっていた私も悪い。

でも、恐らく1番の元凶は、そうやって甘い顔で私を捕まえ、絶対に離そうとしないこの男だと思う。

キスしたら、そういうことするくせに。
そんな私の言葉に図星をつかれたかのように、一瞬言葉を詰まらせる焦凍くん。なんて正直な反応なのだと、思わず笑ってしまいそうになる。

「キスしかしない…つもりだ、多分。」
「言葉が尻窄みになってるけど、」
「…1回だけなら、晩飯には間に合うだろ。」
「もう既に間に合ってないからね、」
「お、それなら全部終わった後で晩飯に行けばいいんじゃないか?」
「ひ、開き直らないで…!」

まるでいいアイディアだろう、と言わんばかりにこちらを見る焦凍くんに、何でそうなったのだと眉を顰めて返事をする。彼はとびきり頭がいい筈なのに、どうしてこうも真っ直ぐに斜め上をいくのだろうか。

恐らく、今すぐ皆んなの集う共有スペースへと駆け込めば、ギリギリセーフな筈だ。課題が終わらなくて…、なんて適当に嘘をついて誤魔化せる。でもこれ以上ここにいると、きっと食事を終えた砂藤くんや瀬呂くんが上がってきて、食事に来なかった彼を気に掛け、この部屋を訪ね来てしまう筈だ。

今ここでキス以上のことをするつもりなら、焦凍くんとはもう暫く何もしない。
そんな厳しい視線を送ってやれば、彼は何だか難しそうに顔を顰める。
今我慢しさえすればいい、その後もダメだとは一言も言っていない。そんな至極単純なことなのに、どうしてそんなにも我慢ならないのか。私には彼の思考がイマイチ理解できなくて。

私の頬を両手で掴み、とても苦し気に私の唇をじっと眺める焦凍くんに、何だかこちらが悪いことをしている気持ちになってしまう。
ぐっと何かを我慢するように顔を歪めた焦凍くんは、私の額に自身の額を当てながら静かに呟く。

「…なら1回だけ、名前が俺にキスしてくれたら…晩飯に行く。」

そんな彼の苦渋の呟きに、ああ今日は私が勝てたのだと安堵する。

「…約束破ったら、しばらく来ないからね。」

そんなトドメの一言を添えてやれば、彼は凄く不服そうな顔をしながら「…わかった。」と返事をする。

焦凍くんが諦めてくれたということは、もう最難関をクリアしたも同然。あとは緩くキスをして、皆んなの集う晩御飯に向かうまでだ。

私の頬に添えられている手と同じように、私の両手を焦凍くんの頬へと添えてやる。大してケアなどしていないくせに、彼の肌はいつもきめ細かく触り心地が良くて。ずっと触れていたくなる。
背伸びしたって届きやしない彼の唇に、少しでも近づこうと彼を屈ませれば、美しい瞳は徐々に瞼の裏へと隠れていく。伏せられた瞼の先には長い睫毛が生えていて、そのすぐ上には二重瞼の線が残る。

焦凍くんはキスをする時、いつもとても綺麗な顔をしている。
ついハッと息を呑み見惚れてしまうほどに、美しいのだ。

ギリギリまで彼を見ていたいと思いながらも、近づく彼の顔に心臓がおかしいぐらいに暴れ出し、つい目を逸らしたくなってしまう。

瞼を閉じて、そっと彼の唇へと近づいていく。
もうすぐ触れる、あの柔らかくて温かい感覚に。

そう思い胸を高鳴らせていた、丁度その時だった。

いきなり、部屋の扉がコンコンとノックされる音が部屋中に響き渡る。

『轟〜、寝てんのか〜?今日はハンバーグだから、早く行かねぇと上鳴達に全部食べられんぞ〜。』

ノックと共に外から聞こえてきた瀬呂くんの声に驚き、思わず彼から顔を離す。
あ、や、ダメ、入ってこないで!
瀬呂くんの声に思わずパニックになってしまう私の後頭部には、いつの間にか焦凍くんの手がするりと回っていて。

「!」

そのままぐっと引き寄せられれば、柔らかい彼の唇が私の唇に重ねられる。
せ、瀬呂くんがすぐそこに居るのに…!
そんなことを考えてしまえば、ぶわっと顔中が熱くなってくる。

角度を変え、何度も何度も食むような口付けをされれば、いつの間にか唇の間からは遠慮なく焦凍くんの舌が侵入してくる。温かい彼の舌がゆっくりと私の口内を犯し出せば、じわじわと自分の身体が熱を帯びていくのを感じる。

「…んっ……ふっ…んん……っ!」

優しく舌を吸われたり、絡められたり、まるで私の舌を思う存分堪能するかのような彼のキスに、何だか脳が蕩けてしまいそうになる。

口から溢れ出るみっともない私の声が、もし扉の向こうにいる瀬呂くんに聞こえていたとしたらと思うと、どうしようも無い羞恥心に襲われる。
何とかして声を抑えたいのに、必死に息をしようと足掻けば足掻くほど、自分のものとは思えないような声が口の端から出てしまう。

もう十分でしょ、そう訴えかけるように彼の胸を叩いてやるが、どうしてか、私を拘束する腕の力は強くなる一方で。
これ以上したら、本当に戻れなくなってしまう。
彼に触れられながら何度もキスをして、すっかり熱ってしまった身体は、もっと彼に触れられることを望んでいる。
本当にもうこれ以上はダメだ、そんな思いでぐっと顔を逸らそうとすれば、漸く彼は理解してくれた様で、名残惜しそうに最後にちゅっと音を立てて私から唇を離した。

「しょ、焦凍くん…!瀬呂くんがいるのに…!」

慌てて彼から離れ、熱った頬を手の甲で押さえれば、何だか嬉しそうに口角を上げた彼がこちらに近づく。

「瀬呂がすぐそこにいるのに俺とキスして、興奮したのか?」

ふっと意地悪い笑みを浮かべる焦凍くんに、胸がどくりと跳ね上がる。
違う、そんなんじゃない。そう否定の言葉を口にしようとするが、いつも以上に熱った顔が、彼の言葉を肯定してしているみたいで。何だか言葉に詰まってしまう。
こんなの、私が変態みたいだ。
恥ずかしくて彼から顔を逸らす私を、「可愛いな。」と呟きながらその勇ましい腕に抱きすくめる。

焦凍くんの部屋着からふわりと香る、いつも通りのいい匂いに、慌てふためいた心がだんだん落ち着いてくる。
温かい彼の胸に耳を当てていれば、少しだけ早くなった心臓の音が聞こえて来る。

「悪りぃ、少し虐めすぎたか?」

すっかり黙ってしまった私の様子を伺うように、腕に抱いている私に優しい声で問いかける。
決して拗ねている訳ではないが、なんだか恥ずかしくて顔を上げることが出来なくて。
黙ったままの私の髪に指を絡ませながら、優しく頭を撫でてくれる。

「今日は名前の好きなハンバーグらしいぞ。」
「…どんな機嫌の取り方なの、それ。」

少し困った様にそんな言葉を口にした焦凍くんに、思わず笑いが込み上げる。
子供じゃないんだから、と肩を震わせ笑ってしまえば、彼はキョトンとした顔でこちらを見る。
ハンバーグ、好きじゃないのか?とでも言いたげなその顔に、もう仕方ないなと思いながら「早くハンバーグ食べに行こう。」と彼に告げる。

彼の腕を抜けて、すっかり静かになった廊下に瀬呂くんが居ないかどうかを確認する。
もう大丈夫そうだと扉に手を掛ければ、もう反対側の手を焦凍くんに掴まれる。

「飯食って風呂入ったら、名前の部屋に行くから。待っててくれ。」

さっきの続きをしよう。
まるでそう言っているかの様な焦凍くんの瞳に、思わず身体の奥が震え出す。

ぎゅっと握られる温かい手は、きっとこの部屋を出ると私から離れてしまう。
愛おしそうに私を見つめる瞳は、この部屋から出るといつも通りの涼しい瞳に戻ってしまう。
そんなことを考えれば、やっぱりこのまま彼とここに居たいと思ってしまう。

不意に、全部終わった後にご飯に行こうと言った彼の発言を思い出す。
実はそれはそんなに悪い提案ではなかったのではと心のどこかで考えてしまう自分がいた。




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