漂白されたまがいもの



閉じていた瞼を、ゆっくりと開く。
ベージュ色の内装を纏った車の中、窓越しに見える外の景色は次々と移り変わっていく。紫外線カット機能を有した窓は、色鮮やかなはずの風景を少しばかり暗く映していて。それが、どこか今の私の心情を表しているような気がして、誰にも聞こえないぐらい小さなため息をそっと静かに吐き出した。

すぐ目の前のシートへと視線を移せば、上方には見慣れた明るい色の髪が覗く。意志のある亜麻色の髪は相変わらず四方八方へと向かっていて。しかし、それが見た目よりもずっと柔らかいものであることを知っている私は、つい手を伸ばして触れたくなってしまうのだ。

今日も今日とてその髪に惹かれてしまった私は、膝の上に置いていた手をゆっくりと彼の方へと持ち上げる。
しかし、同時にすぐ傍から聞こえてきた鈴が鳴るような可愛らしい声に、伸ばしかけた手が宙に浮いたままピタリと止まる。

「ねぇ、勝己はどう思う?」

甘く響く高めの声は、ヒーロー名ではない彼の本名を口にした。その瞬間に、胸の中がほんの少しだけ騒ついてしまう。
無意識のうちに握りしめていた手を引っ込めて、再び膝の上へと落とした。

彼の髪を見つめていた視線をそのまま声のした方へと向ける。すると、そこには助手席から運転席へと身を乗り出そうとする女性の姿が目に留まる。
綺麗に緩く巻かれた髪に、しっかりと通った鼻筋。流行り色のグロスを塗った唇は、ぷるりと湿っていて色っぽくて。高いブランドのサングラスで目元を覆っていても、その人が美しいことは明らかだ。
そこから少し視線を下ろせば、胸元の開いたシャツからは白くて柔らかそうな膨らみが惜しげもなく晒されていて。女の私からしてもそれはドキドキしてしまうほど魅力的で、視線のやりどころに困ってしまう。

そんなどこをどう見ても魅力しかない彼女を目前にした彼は今、一体どんな顔をしているのか。
彼の真後ろに座る私には、それを確認する術などなくて。
満更でもない熱のこもった瞳で彼女を見つめる彼の姿を想像すると、胸がチクリと痛くなる。ぎゅっと下唇を噛み締めながら、そんなことはあり得ないと何度も自分に言い聞かせる。

そんな私のことなどまるで存在しないかの様に、彼女は隣に座る彼との会話を夢中になって続けていく。
好きな食べ物は何なのか。いつも休日はどうして過ごしているのか。恋人にしたい女の子はどんな子なのか。
それに対してどこか面倒臭そうだが、それとなく返事をする勝己くんの声に、どうにも心が落ち着かなくて。

これからの長時間任務に備え、移動中の車内でお互い仮眠をとる段取りの筈なのに、私はちっとも眠れずにいた。




人気モデルである彼女の護衛任務を言い渡されたのは、つい1週間ほど前のことだった。何やら殺人予告のような手紙が彼女の所属する事務所宛に送り付けられたらしく、犯人が逮捕されるまでの間、彼女の護衛をするよう依頼を受けたのだ。

当初はジーニスト事務所で唯一の女性ヒーローである私が彼女の護衛役を担当し、犯人捜査はダイナマイトが行う手筈でいた。しかし、護衛初日に彼女は「こんな弱そうでつまらない女と一緒に歩くなんて、絶対に嫌よ。」と駄々を捏ねたそうで、2日目からはダイナマイトが彼女の護衛を、私が犯人捜査を行うことになったのだ。

そうしてこの護衛任務が始まってから今日で1週間が経つ訳だが、今のところ彼女の行く先々で怪しい人間は現れない。ずるずると護衛期間が延びていくのをいいことに、彼女は次第に勝己くんにべったり引っ付くようになっていた。
しかし意外にも、彼は自分にベタベタと触れてくる彼女をいつもの調子で怒鳴り散らすことはなくて。
それが事務所を発つ前にジーニストから口酸っぱく「くれぐれも下手な言葉を吐いて彼女を不安にさせない様に。」と言われていたからなのか、それとも他に理由があるのかは分からない。だけど、綺麗にネイルの施された美しい手が彼の腕に触れるたびに、胸の中が酷く掻き乱される感覚に犯されて。自分の心の狭さや自信の無さに、何とも言えない気持ちになる。

彼の恋人は私であった筈なのに。
それすらも、ただつまらない私の妄想だったのだろうかと思えるほど、彼らは美男美女でお似合いだった。


「ねぇ、聞いてるの勝己?」

そう言って、彼女はその傷一つない手で勝己くんの肩にそっと触れる。ゆっくりと彼の肩を撫でる様に動く彼女の手が気になって、見たくないのに視線が他に逸らせなくて。
そんな明らさまな彼女の行為にも、何一つとして文句を言わない勝己くん。
その全てに対してもやもやとした気持ちが胸いっぱいに渦巻くのに、それを止めろと言えない私は、ただ空気になって彼らを見つめることしかできなくて。

「ああ?何か言ったか?」
「えー、ひっどーい!勝己、ほんとそういうとこあるよね!」
「んだよ、それ。…つーかテメェ、今は外じゃねぇから普通にヒーロー名で呼べや。」
「え、嫌よ。そんなややこしいことしたら外でも間違えちゃうじゃない!」
「ハッ、あんだけドラマで演技してるくせに、そんなこともできねぇのかよ。」
「できなくないけど、したくないの。」

それより勝己、私のドラマ見てくれてるんだね。なんて嬉しそうに笑う彼女の反応は、とても女性らしくて愛らしい。
いつも彼の前では素直になれない私では、こんなにも愛嬌のある素敵な人に敵う筈がなくて。
彼女の言う通り、平凡でつまらない私という存在が、どんどん恥ずかしく思えてしまう。

こんなにも完璧な彼女と自分を比較されたくない。
私には何の魅力もないことを、勝己くんに知られたくない。

彼女が言葉を放つたびに、勝己くんの心が自分から離れていく気がして仕方がなくて。
焦りや戸惑いでいっぱいになる頭の中に、不意に聞き馴染みのある小さなため息が聞こえてくる。
それに思わず胸がドクンと跳ね上がれば、間も無くして彼女の会話を遮るように低い声が放たれた。

「おい、名前。」

いきなり呼ばれた自分の名前に、ハッとなって顔を上げる。
何気なく視線を上げた先にあったバックミラーには、真っ直ぐにこちらを見つめる緋い瞳が映されていた。

「眠れねぇんか。」

そんな短い一言が、静まり返った車内に響く。
今まで完全に空気であった私は、その言葉の意味を理解するのに少し時間がかかってしまう。

慌てて返事をしようと言葉を探すが、こちらに向けられた心底つまらなさそうな彼女の視線が気になり、上手く言葉が見つからない。「…う、うん、まあ…。」なんて歯切れの悪い返事が口から溢れ出ていけば、まるで邪魔をするなと言う様に、彼女の眉間にぐっと皺が寄せられる。

「俺のカバンの中にアイマスクが入ってっから、それ使え。」

そう言って、彼はスッと後部座席の下側を親指で指し示す。その指の先を辿る様に視線を落としていけば、彼がいつも愛用しているショルダーバッグが転がっていた。言われるがままにバックを拾い上げ、そして遠慮の気持ちを持ちつつもチャックを開いて中を見る。よく見知った財布やキーケース、ハンカチなどが見える中、アイマスクらしき布の袋が目に留まる。

「ありがとう…これ、借りるね。」

これで視界を遮れば、彼女が彼に触れる光景が見えなくなる。それはさっきからずっと望んでいたことだけど、果たしてそれだけで眠れるのか。きっと、例えアイマスクや耳栓で全ての情報を遮ったとしても、色んなことを考えてしまい結局眠れないまま過ごす気がする。

「そんなことより勝己はさ、」と再び話を続ける彼女の声を聞きながら、布袋を開けて中身を取り出す。すると、黒色のアイマスクと一緒に何かキラキラと光ったものが袋の中から出てくる。

「あっ、これ…」

手に取ったそれは、見覚えのあるチェーンのついたペアリングだった。
ハッとなって自分の首元を触れてみると、そこにあるはずのリングが無いことに気づく。そんな私の反応をミラー越しに見た勝己くんは、漸く気づいたかとでも言うようにふんと鼻を鳴らしながら言った。

「お前、それ今朝洗面所に置きっぱなしにしてただろ。」

その言葉に、そう言えば…と今朝の記憶を甦らせる。洗面所で身支度をしていた最中に、ロードワークから帰ってきた勝己くんに絡まれて、気付けば家を出る時間になっていた。あの時は、遅刻すると慌てて洗面所を出たため、リングを付けるのをすっかり忘れていた様だ。

そこまで理解したところで、何やら凄まじい視線を感じてリングから視線を上げる。そこには、これでもかと言うほどに目を見開いた彼女が、私の手元にあるリングをじっと見つめていて。
そんな彼女の反応に、一緒に住んでいるのがバレてしまったことに気付き、盛大に慌ててしまう。

「わ、忘れてたみたい…その、ありがとう。」

彼女の視線に耐えきれず、慌ててリングをポケットにしまう。
すると、それをバックミラー越しに見ていたのか、勝己くんは少しだけ低めの声で問いかけた。

「つけねぇんか。」
「え…っ、」
「まあいい、車降りたら付けてやるから、それまで適当にしまってろや。」

そう言った勝己くんの口調は、何故だかとても楽し気で。彼の意図がよく分からない私は、バックミラーに映る彼の顔をただ見つめることしかできなくて。


「あー、んで、どんな女が好きかって話だったかァ?」

突然、勝己くんの口から繰り出されたのは、数分前に終わったはずの話題で。
こちらを見つめていた彼女の視線は、「えっ?」という間の抜けた声と共に彼の方へと移っていく。

「弱そうでつまんねぇ女。」

そう言った勝己くんがどんな顔をしていたのか、ミラーを見なくても何となく想像がついてしまった。






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