底抜けにたゆたふ



※灯瀧さんのお誕生日記念に書かせて頂きました!おめでとうございます!




「名前、お粥できたけど食べれるか?」

寝室の扉がゆっくりと開けば、そんな穏やかな声が聞こえてくる。重く気怠い身体を何とかして起こそうと身を捩れば、「寝たままでいい、あんま無理するな。」と彼は私の肩を軽く押してベッドへと戻す。優しい手に促されるままに横になれば、目の前のサイドテーブルには、湯気の立つ深い器とフルーツが盛り合わさったガラスの器がお盆に乗ってやってくる。それをぼんやりと眺めていれば、いつの間にか枕元にあるクッションをかき集めた焦凍くんは、私の身体をそっと抱き上げ、背もたれへとクッションを敷いていく。

今の私は、ただほんの少し熱があるだけで、起き上がってお粥を食べるぐらい造作もない。しかし、こうして尽くしてくれる彼へと甘えてしまうのは、きっと熱で上手く頭が回らないからだろう。

「体勢、しんどくねぇか?」
「うん、大丈夫…ありがとう。お粥も作ってくれたんだね。」
「ああ。……前に名前が熱出した時に何も作ってやれなかったの、すげぇ後悔したから。あの後、実は姉さんと練習したんだ。」

だから味の保証はできるぞ。と少し自慢げに笑う焦凍くんに、思わず口元を抑え驚いてしまう。
そう言えば遠い昔、大雨の翌日に私が熱を出した時、彼が近所のコンビニで食べきれないほどの果物やゼリーを買ってきてくれたのを覚い出す。あの時は、私のことを思って沢山買ってきてくれた焦凍くんの気持ちが本当に嬉しくて堪らなかった。しかし、どうやら彼には心残りがあった様で。冬美さんと相談し、実家でこっそり練習していたであろう彼の姿を思い浮かべると、どうしようもないほどの愛しさが込み上げる。

「嬉しい…ありがとう、焦凍くん。」

昂る気持ちをそのままお礼の言葉として吐き出せば、「名前こそ、いつも俺に飯作ってくれてありがとうな。」と彼は柔らかく微笑んでくれて。
ああ、この人は、どうしてこんなにもできた人間なのだろうか。熱で冒された私の頭は、ついそんなことを考え出す。
優しくて真面目で努力家で、見た目だってこんなに格好いいのに、彼はどこまでも私のことを大事にしてくれていて。それなのに、私は彼にこれっぽっちも返せていない。それどころか、今日だって私の誕生日だからと前々から休暇を取ってくれていた彼に、こうして看病をさせてしまっている。本当なら今頃は、ずっと前に2人でテレビで見たあのカフェでランチをしている筈だった。夜だって、随分と前から予約してくれていた人気レストランのディナーコースを2人で楽しむ筈だったのに。
当日になって急に熱を出すなんて、最悪だ。私は本当に彼に迷惑を掛けてばかりいる。

「どうした?…やっぱ、あんま食欲ねぇか?」

つい考え込んでしまった私の視線は、いつの間にか手元に落ちてしまっていて。お粥の入った皿を片手に心配そうにこちらを見る焦凍くんに、ハッとなって首を振る。

「うんん、そんなことないよ。ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃった。」
「そうか。辛かったら無理して食べなくてもいいぞ。ゼリーとか色々買ってきたから、食べれそうなものがあれば何でも言ってくれ。」
「全然無理なんてしてないよ。私、焦凍くんの作ってくれたお粥が一番食べたい。」

料理が苦手な焦凍くんが、私のために練習までして作ってくれたお粥。私のためを思って頑張って作ってくれたそのお粥を、私はどうしても食べたくて。直ぐそばに座る焦凍くんの服の裾をぎゅっと握り、お粥を下げないでと訴えかける。すると、彼は少しだけ驚いたように目を見開き、そしてどこか嬉しそうに頬を緩めながら「わかった。」と言って頷いた。

湯気の立つお椀から掬われたお粥は、彼の右手の個性により丁度いい温度まで下げられる。彼は普段から熱い食べ物をそうして冷まして食べているらしく、それに気付いたのは2人で同じ家に住み始めてからだった。あの時、あれだけ彼に狡いと文句を言ったくせに、今は湯気が止んだお粥がとても有り難くて。そのまま私の口元まで運ばれてくる匙を、口を開けて受け入れる。
丁度いい温度のお粥は、驚くほどに美味しくて。丁度いいお米の柔らかさ、優しく染み渡る味付け、そして何より私のためを思って作ってくれた彼の心の温かさに、胸の中がじんわりと熱くなっていく。

「おいしい…。」

心の底から出てきたその言葉に、隣に座る焦凍くんは「口に合ったみたいで良かった。」と言って安堵のため息を溢していて。
更にもう一口とお粥を掬っては、私の口元まで運んでくれる。
そうしてお粥を一口一口、口に含む度に、焦凍くんの優しさが胸の中に積もっていくようで、だんだん心が苦しくなる。
彼は今日、こうして私の介抱をするために貴重な休みを取ってくれたわけではないのに。突然体調を崩した私を一つも責めることなく、当たり前のように世話を焼いてくれる彼は、本当によくできた優しい人で。

「名前…?」

焦凍くんの人の良さを頭の中で染み染みと考えていれば、気付けばお粥を運んでいる手が止まっていて。不意に私の名前を呼んだ焦凍くんに、どうしたのだと振り向けば、そこには何故か目を見開きながらこちらを見つめる彼の瞳があって。一体何事なのだと混乱する。

「悪りぃ、何か不味いもんでも入ってたか…!?それともどっか身体痛むのか…っ!?」
「え…っ!何で、どうしたの急に…?」
「どうしたのって、それはこっちの台詞だ…何でそんなに泣いてんだよ…。」
「え…?」

焦凍くんにそう言われ、慌てて目元を手の甲で拭ってみると、そこは確かに湿っていて。どうして私は泣いているのだと、思わず吃驚してしまう。

「本当だ、何でだろう…ご、ごめんね…焦凍くんのお粥、とっても美味しいよ、」
「いや、名前が何ともないなら別にいいんだ…。お粥、まだ食べるか?」
「うん、食べる。」

心配そうに私の顔を覗き込み、そして部屋着の袖で優しく私の目元を拭ってくれる焦凍くん。彼がどこまでも優しくて、熱で冒された私の頭は渦巻く色んな感情が処理できず、知らぬ間に涙を溢してしまっていたらしい。でも、そんなこと、一体彼にどう伝えればいいのか分からなくて。
そっと口元まで運ばれてくるお粥を食べては、また一層物思いに耽ってしまう。

そして気付けばお皿に盛られていたお粥はなくなり、歪な形にカットされた果物を幾つか食べると、お腹はこれでもかというほど満たされた。

食事が終わり、その場に立ち上がった焦凍くんは、私の背中にあるクッションを退けて、そっと私の身体を寝かせてくれる。そして食べ終わった食器を片手に「片付けてくるから、ちょっとだけ待っててくれ。」と反対側の手で優しく頭を撫でてくれた。

焦凍くんが去ってしまった寝室は、どこか静かで物寂しくて。お腹は満たされたというのに、嫌なことばかり考えてしまって一向に眠れない。
本当は、早く寝ないといけないのに。このまま私が起きていては、きっと彼は私に気を遣い、せっかくの休みを家の中で過ごす羽目になってしまう。私の誕生日だろうが何だろうが、休みの少ない彼の休日をこんな形で潰して良い訳などないのに。

ぎゅっと目を閉じて布団に篭ってみるものの、気怠い身体と重く響くような頭の痛みを感じるだけで、眠気なんて一つも訪れやない。それなら、しばらくの間は寝たフリをしてみようと考えていると、不意に寝室のドアがゆっくりと開き、部屋の中へと入ってきた焦凍くんとしっかり目が合ってしまう。
どうした?とでも言うように首を傾げ私の顔を覗き見る焦凍くんに、何でもないのだと首を横に振る。そして当たり前のように私の側に座った焦凍くんは、優しい手つきで乱れた布団を掛け直してくれる。

本当に、私は一体何をやっているのだろうか。
彼に優しくされる度に、そんな事を思ってしまう。

「焦凍くん…せっかくお休み取ってくれたのに、本当にごめんなさい。」

胸を圧迫する彼の優しさから逃れるように、ボソリと謝罪の言葉を口にする。
そんな私の言葉に、彼は首を横に振る。

「今朝も言っただろう、そんなの気にするなって。」
「でも、」

気にするなと言われても、そんなの無理な話で。彼は今日のために色々なことを沢山調べ、そしてかなり前から準備をしてくれていたのを私は知っている。それを私は、こんな形で全部台無しにしてしまった訳で。それどころか、こうして彼の貴重な休日までもを蝕もうとしているのだ。どう考えたって、気にしないでいられる訳などない。

ぎゅっと布団を握り締めれば、その上から新しい切り傷のある大きな手が添えられる。

「今日は名前の誕生日で特別な日には違いねぇけど、別に今日しかできない事をするつもりだったわけじゃねぇ。それにレストランでもベッドの上でも、当日にこうして2人揃って名前の誕生日を祝えるのなら、俺はそれで十分だ。」

「勿論、名前がそれで不満じゃないならな。」と付け足す焦凍くん。その言葉に、ぐっと込み上げてくる感情を抑えながら、ふるふると首を横に振る。不満なんて、ある訳がない。私の方こそ、こんなにも私のことを思ってくれている彼が側に居てくれるのなら、本当は何だっていいのだ。
さっきまであんなに私の心を追い詰めていたはずの不安は、彼のその一言に掻き消されていく。
そして嬉しさのあまりじわりと熱くなる胸に、涙腺が緩んでしまいそうになる。

「元気になったら、また休みとって2人で出かければいい。だから、今日は何も考えずにゆっくり休んでくれ。」

そう言って優しい手つきで私の頬を撫でてくれる焦凍くんが、愛おしくて。
うん、うん、と何度も彼の言葉に頷く。

「ありがとう、焦凍くん」

そう微笑みかければ、細めた目尻からは溜まった涙がポロリと落ちてしまう。でも今回は、これが何の涙なのか彼は理解しているようで、さっきみたいに戸惑うことはなくて。

目を細めて微笑み返してくれる彼に、少しだけ覚悟を決めて言ってみる。

「ねえ、焦凍くん…誕生日だから、我儘言ってもいい?」
「ん?どうした?なんでも言ってくれ。」

ん?と首を傾げて私を見る焦凍くんは、どこか嬉しそうで。
そんな彼の期待に沿えられるようなお願いじゃないかもしれないけれど…と思いながら、穏やかな色をした彼の瞳を見つめて言う。

「その…眠れるまで、ずっと手を繋いでて欲しいの。」

そう言い放った私の言葉に、色の違う綺麗な瞳は少しだけ見開かれる。
もしかしたら、あまり誕生日っぽいお願いではなくて、がっかりしてしまったのだろうか。そんな不安を抱いていれば、不意に頬を撫でていた彼の手が私の手元へと戻ってくる。

「ああ、今日が終わるまで、ずっと繋いでいような。」

その言葉と共に、大きな手がぎゅっと私の手を握り締める。
その温かくて優しい両手に、今年の誕生日もとても幸せだなんてことを染み染み思った。





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