#7 帷幄


今晩は19時から例のサポート会社のパーティがある。
日本最大級の規模を誇るそのサポート会社は今年で創立50周年を迎えるそうで、記念パーティには日本中の有名なヒーロー達がこぞって招待されていた。勿論、大手であるうちの事務所もボスをはじめとする何人かのヒーローに招待状が届いていた。
しかし、いくら懇意にしている会社の記念パーティがあるからと言って、管轄地区を手薄な状態にしておくわけにはいかず、うちの事務所からは私と轟くんと、他数名のサイドキックだけがこのパーティに参加する事となった。


姿見の前に立ち、先日轟くんに買ってもらったドレスを身に纏ってみる。いつも着ている黒や紺のドレスとは違い、色鮮やかで美しいそのドレスは、何度見ても心を踊らされる。こんなにも素敵なドレスを、私みたいな女が身に纏っても本当にいいのだろうか。何かバチが当たりそうな気さえしてくる。

それに、と肩にかかるショールに触れる。
このドレスを見ていると、どうにも先週末のショッピングモールでの記憶が脳裏にちらつき、顔中に熱が集まってしまう。

「可愛い、か…。」

本当に轟くんは女性を悩殺する天才だと思う。
あんなに下心もなく純粋に、ただ思った事をそのまま口にするような言い方は、狡すぎる。2人きりの、まるでデートのような境遇でそんな恋人を褒める様な甘い言葉を吐くなんて、彼の天然は本当に凶悪だ。とてもじゃないが、可愛いなんて言葉で片付けられる代物ではない。

勘違いするな、私。
大体、あの時2人きりになったのは偶々で、彼の意思でも何でもないのだ。試着の時に褒めてくれたのだって、きっとドレスのデザインが可愛いと思って言ってくれただけ。決して私のことを褒めている訳ではない、だから期待するな。
そう頭の中で何度も言い聞かせているのに、どくどくと波打つ心臓は簡単には治らない。

あの時、私の手に触れた、轟くんの温かい手。
任務中のようにグローブ越しではなくて、お互いの素手が重なり合って、彼の大きな手は私の手を包むみたいに優しく握り締めてきて。
それは、お互いの指を絡め合ったあの夜の出来事を思い出さずにはいられない境遇で、つい頭の中が真っ白になってしまった。

幸い、何だか不思議な顔をされただけで、私が彼を意識しまくっている事には気付かれていなかった様だが、中々危なかったと思う。

きっとこんなにも彼のことを意識しているのは私だけで、彼は私のことなど微塵も特別に想ってはいない。
同じ事務所の同僚で、元クラスメイト。
それ以上でもそれ以下でもない私は、いくらこうして近くに居ても、彼の心を射抜くことなどできやしない。

彼には想い人がいて、私はその人にはなれない。
一度代わりに抱かれたからといって、彼の特別になれた訳ではない。そもそも彼はその事自体を忘れているのだから。

そう自分を制すれば、先ほどまで浮ついていた心は自然と冷たくなっていく。
同時に胸にずきりと痛みを感じるが、自惚れてもっと痛い目を見るくらいなら、この方が全然いい。そんな事を思いながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。









時刻は夜19時30分、とあるビルにある最上階のパーティ会場には、日本中の大物ヒーローや社長、俳優やモデルなど幅広い有名人が招集されていた。
余興の挨拶もそこそこに、広い会場の中で参加者達はそれぞれに雑談を楽しむ。会場の真ん中の方では発目さんが自分の発明品を披露していて、周りには沢山の人だかりが出来ている。自身のベイビー達をこれでもかと披露する彼女は、本当に相変わらずの様だ。
そのすぐ右のテーブルには有名ヒーローと製菓会社の社長が話し合っている。きっと次のCMに是非出演してくれ、なんて会話をしているのだろう。はたまたすぐ左のテーブルには有名な若手女優とチャージズマが仲良く談笑している。やはりこういう姿を見ると、彼は本当に抜け目のない男だなとつくづく思う。

そんな風に皆がそれぞれ自由に閑談を楽しんでいる空間で、私は一人静かに壁へと凭れかかる。
完全にマイナーヒーローに分類される私を知っている人など、同業者以外は殆どいない。故に、この場で私に声をかけてくれる人なんて殆どいない訳で。だからと言って、誰かに自分を売り込む様なことをする気にもなれず、グラスを片手に一人会場の端に佇む。

轟くんは、もう来ているのだろうか。
数時間前に事務所で会った時は、任務で少し遅れそうだと言っていたのだが。辺りを見渡してみても、それらしき影は見当たらない。

デビュ当初から毎年の様にビルボードチャートにその名を刻む彼は、日本でその名を知らぬ者はいない程の大人気ヒーローで。ヒーローとしての活躍はもちろん、その容姿からメディアからの注目も浴び続けている。
今夜はヒーロー関係者だけではなく、メディア関係の方も沢山来ている。きっと彼がこの場に到着したとしても、すぐに色んな人に囲まれて、ずっとそれに対応する時間を過ごすのだろう。そう考えると、私が直接会って話をするのは絶望的のように思える。

ふと、自身が纏うドレスへと視線を落とす。
せっかく、彼が買ってくれたのだ。
別にそこに特別な意味なんてなかったとしても、彼が私のために買ってくれたものなのだ。ちゃんと着飾った姿で、一言だけでもいいからお礼を言いたい。
この姿で会えるのは、今日だけかもしれないのだ。ほんの僅かな時間でいいから、彼から人が離れる隙を見計らって、彼に話しかけなければ。

そう意気込みながら、再び彼の姿を探し始めた丁度その時だった。

何故か、会場で談笑を楽しんでいたはずの人達が、次々に同じ方向を見つめながら騒つき始める。
一体何が起きているのかと不審に思い、彼らの視線を辿ってみる。

すると、そこには今まさにこの場に到着したのであろうよく見知った姿が立っていて。
ずっと探していたその姿に、思わずあっと声を上げてしまいそうになるのを抑える。

いた、轟くんだ。
そこには、いつものヒーロースーツではなく正装に身を包んだ、とても凛々しく美しい彼の姿があって。こんなに遠目からでも見惚れてしまうほど洗礼されたその姿に、思わず心が舞い上がる。

しかし、そんな彼の姿に胸を躍らせていられるのも束の間で。
そのすぐその横には、ハッと息を呑むほどに美しい女性が立っているのに気が付く。

ああ、この光景は、知っている。
学生の頃から何度も見てきた。その度に、何度も見ぬふりをしてきたのだから。
心臓がどくどくと嫌な音を立て、息ができないぐらいに胸が苦しくなっていく。

『ショートとクリエティ、やっぱお似合いだよな。』
『本当、美男美女で素敵よね。クリエティならショートのお相手に不足ないものね。』
『2人で来たってことは、やっぱり去年の週刊誌の熱愛記事は本当だったのかしら?』

そんなヒソヒソと彼らを噂する声が、次々と私の耳へと入ってくる。
そんなのいつもみたいに聞き流せばいい筈なのに、何故か胸が張り裂けてしまいそうなぐらい、痛くて仕方がなくて。思わず耳を塞ごうとするが、体が痺れているみたいに動かない。仲良く向かい合い談笑する2人から今すぐにでも目を逸らしたいのに、まるで誰かの個性に掛かっているかのように目が背けられなくて。

こうなる事なんて、もう随分前から分かっていた。
分かっていたはずなのに、なんでこんなにも頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまうのか。
痛くて苦しい胸を耐え凌ぐように、ドレスの裾をぎゅっと握り締める。

不意に、先週末のショッピングモールでの記憶が脳裏に蘇る。
轟くんは、確かにあの時可愛いと言って褒めてくれた。嘘偽りのない真っ直ぐな瞳でそう言ってくれたのが、とても嬉しくて堪らなかった。
だが、実際はどうだろうか。こんなにも美しい八百万さんが隣に居るのに、私をそんな風に思うなんて、そんなことがあり得るだろうか。
つい見入ってしまうほどに整った顔立ち、スタイルだってずば抜けて良くて、その上育ちも良く秀才、何より優しくお淑やかで…。そんな完璧な彼女に、私か敵う所なんて何一つない。
そんなの、比べるまでもない話だ。

彼のお世辞にも気付かず浮かれきって、2人きりになってお礼を言うのだと意気込んで。
私は、とんでもない勘違い女ではないか。
本当に救いようのない、愚か者だ。

少し遠くの方のテーブルでグラスを取り合い、そのまま談笑を始める2人。
不意に、彼女に向かって優しく微笑む轟くんの綺麗な顔が目に映る。

知りたくないのに、気付いてしまいたくないのに、もうどう考えてもその事実からは逃れられない。

やはり、彼は今も彼女のことを愛しているのだ。

今更そのことを認めてしまったとしても、私が彼にしてきた事は何一つ消えたりしない。
幸せそうに微笑み合う2人に動揺し、そして次の瞬間には言葉にできないほどの激しい後悔に襲われる。

最低だ、私はどこまでも最低な人間だ。
あんなにも幸せそうな2人の仲を引き裂くようなことを、してしまったのだ。
自分本位で、もう2度と彼に触れて貰える機会はないと、酔って何も分からなくなった彼と身体を重ねて。
相手が誰であれ、きっと彼は酷く後悔したに違いない。
責任感が強くて優しい彼のことだ、彼女を裏切ってしまったと随分と心を痛めた筈だ。

私のせいで、私があの日、あんなことをしたせいで。
大切な親友2人を、酷く傷付けてしまったのだ。

そのことに気付いてしまえば、もうどんな顔をしてここに居ればいいのか分からなくなる。
ただ胸が酷く抉られるように痛くて、耐えられなくて。
唇をぐっと噛み締めながら、逃げるように会場の外へと出ていった。








会場から出てすぐの廊下を、どこに向かう訳でもなくただひたすらに進んでいく。誰一人として居ない廊下はしんと静まり返っていて、騒がしかった会場の雰囲気よりも幾らか気持ちはマシになる。

しかし、どれだけ沢山の空気を吸って吐いてを繰り返しても、まるで酸素が足りない人のように胸は苦しさを訴える。
私は一体、彼らにどう償えばいいのか。
本当の事を黙ったまま、誰にも何も語らず過ごせばいいと、そう思っていた筈なのに、今日のあの2人の姿を見ると、もう何が正しい選択なのか分からなくなってしまう。

緑谷くんは、あの2人が恋人同士であることを知っていたのだろうか。
知ってて、私にあんなに優しい言葉を掛けてくれたのだろうか。
どう考えても、私は最低な筈なのに。

『…でも、もしこの事で悩んだりする事があったら、迷わず僕に相談して欲しい。』

不意に、あの日緑谷くんがくれた言葉を思い出す。
こんなの、緑谷くんに相談できるわけがない。
彼の優しい言葉に甘えて、また私は2人を裏切るような事を重ねるなんて、そんなの一体誰が許すというのだ。

泣くな、私が泣いていい訳がない。
そう心の中で叫びながら、熱くなる目頭をぐっと抑える。握った拳は爪がめり込み、噛み締めた唇からは血の味が滲む。

そうして無心で廊下を進み続けた先には、パーティ出席者用の休憩室が並んでいて。ここなら1人で静かにいられるかもしれない。この荒んだ心を何とかして抑え込まなければ、あの会場になんて戻れやしない。
そう思い、その内の一室へ入ろうとした、丁度その時だった。

「君、見ない顔だね。どこの事務所の子かな?」

直ぐ側から突然声をかけられて、驚きながらも振り返る。するとそこには、何度かテレビで見たことのある男の人が、私の顔を覗き込むように立っていた。誰だったか名前は覚えていないが、かなり有名な人物だということだけは直ぐにわかった。

だけど今の私は、とてもじゃないが誰かと談笑ができるような心情ではなくて。この男の人には悪いが、軽く遇わせて貰おう。ぐちゃぐちゃな感情を押し込む様に、何ともない普通の表情を取り繕う。

そんな私の事情など知りもしない目の前の男は「ほう」と一言唸ると、何か品定めをするかの様な視線をこちらに向けてくる。私の全身を舐める様に見つめてくる不躾なその視線に、不快感が湧き上がる。

「へえ、君なかなか可愛いね。」
「…ごめんなさい、そういうのは…」
「まあそう言わずに、どう?もし君が今夜一晩だけ僕と共に過ごしてくれるなら、君のこと色々なところに薦めてあげてもいいんだよ。」

私の言葉を遮りながらそう低く囁く男は、自然な流れで私の腰へと手を回す。
いきなり何なのだ、この男は。
何を言っているのかさっぱりわからないし、私をどうするつもりなのかも分からない。ただ知らない男が急に身体に触れてきて、不快なことには変わりない。

ヒーローである私にこんな事をするなんて、呆れてものも言えない。男を拘束して、2度とこんな不躾な真似ができないように少し痛い目を見せてやろう。残念なことに今の私の心理状態は最悪な訳で、彼に手加減をしてあげられる余裕があれば良いのだが。

いつも敵にするように、男を床に叩きつけようと身体を捻り踏ん張ろうとする。
しかし、何故か身体は思うように動かない。

何かの間違えかもしれないと思い、更に力を込めて身体を動かそうとするが、身体はピクリとも動かない。
嘘だ、そんなはずは…なんて考えていると、不意に男の口元が緩んでいることに気が付く。
どうやらこれは、この男の仕業らしい。

「…こういうことに個性を使うのは、犯罪だと思いますよ。」

男を睨み付けながら、静かにそう言い放つ。
すると男は少しだけ驚いた顔をし、そしてふんと鼻を鳴らしながら答える。

「どうやら君は世間の渡り方というものを知らない様だ。」

そう言ってニヤリと笑いながら舌舐めずりする男に、ぶわっと不快感が込み上げる。
その随分と余裕のある男の態度に、彼にとってこれが初犯ではないことを察する。

権力と個性で女性を押さえつけるなんて、なんて最低な男なんだ。こんな卑怯な手口を繰り返しているなんて、絶対に許せる訳がない。男の個性が緩む隙をついて、十分に懲らしめた後にしっかりお縄を頂戴してやらなければ。そう考えながらギッと男を睨んでやれば、男はククッと愉快そうに喉を鳴らして笑う。

「いいね君、気に入ったよ。今夜はこの僕が君に上手い生き方とは何たるかを、手取り足取り教えてあげよう。」

そう言って男は私の腕を掴みながら、先ほど入りかけた休憩室へと強引に引き入れる。
思うように身体に力が入らず、されるがままに壁へと押しつけられれば、男の手は私の太腿をスルリと撫でる。

「…触らないで。」

気持ち悪い手の感覚に、思わず鳥肌が立つ。
最低だが、こうしてじっと男の隙を見計らう他、この個性に対処する方法はないようだ。
こちらがある程度流されたフリをしていれば、男はそのうち隙を見せる筈。その時、一瞬でも個性が解ければ、間違えなく返り討ちにできる。その瞬間だけは絶対に逃さないように、兎に角集中しなければ。
恐らく男の個性は、私に触れている間だけ発動するものだ。彼がこの部屋へ私を引きずっている間も身体は動かなかったから、ほぼ間違いない。
という事は、彼が1ミリでも私から離れるその瞬間に、反撃を繰り出せばいい。身体さえ動けば、こっちのものだ。

「その目、いいね…ここ最近は従順な子ばっかりだったから、久々にゾクゾクするよ。」
「こんなことして、タダで済むと思わないことね。」
「済むさ、君がどこの芸能事務所に所属してるかは知らないけど、生憎僕はどこにでも顔がきく。」

にたっと気持ちの悪い笑みを浮かべる男は、どうやら私をヒーローだとは思っていない様だ。このままそういうことにしておけば、きっといつか思わぬ隙ができる筈だ。

はあっと息を荒げながらベタベタと私の身体を触る男は、ショールを肩から落としていく。
あの日轟くんが選んでくれたショールが、見知らぬ男の手によって剥がされる。その手が不快で仕方がなくて、ぐっと奥歯を噛み締める。

れろっと首筋を舐められれば、ぶわっと全身に虫唾が走る。

「…ッ!」
「首は弱いのかな?声、我慢して可愛いね。」
「うるさい、失せろ…ッ!」

最悪だ。気持ち悪くて仕方がない。
これは、何かの罰なのだろうか。もしそうだとしたら、きっと轟くんと八百万さんを傷付けるようなことをした罰なのだろう。

同じように轟くんに触れられた時は、微塵も不快だとは思わなかった。誰か分からない女性を思い浮かべている彼に、切なくて胸が苦しくなったけど、同時に優しく大切に触れられているのが嬉しくて堪らなかった。
私の記憶の中だけにある、あの夜の甘い感覚が、今目の前にいる男にじわじわと塗り潰されていく。
自業自得なのだ、きっと。幸せな2人の邪魔をしてしまった私には、当然の報いなのだとすら思えてくる。

声を上げることなく耐え凌ぐ私に不満を感じたのか、男は私の首筋に容赦なく噛み付いてくる。
ぐっと身体に力を入れて痛みに耐えていれば、突然、休憩室の扉が開く音がする。

いや、開くというより、鍵のかかった扉を誰かが強引にこじ開けたような、そんな凄まじい音だ。

一体何が起きたのか何も分からず、ただひたすら目を見開き呆然としていれば、目の前の男がいつの間にか部屋の奥へと飛ばされているのに気が付く。

「何やってんだ…ッ!」

そんな聞いたこともないほどの低い声が、部屋中に響く。
いつの間にか男の拘束が解けて自由になった身体は、力が抜けてその場に倒れかける。そんな私の腰を抱き締め、身体を支える様に力いっぱいに手繰り寄せてくれる。

その温かい左手に、それが一体誰のものであるかなんて嫌でも分かってしまう。

「轟くん…、」

見上げれば、今しがた殴り飛ばした男をただひたすらに冷たく睨め付ける轟くんがいて。
その恐ろしく鋭い視線に、思わずこちらの背筋が凍ってしまいそうになる。

「チッ、何でショートがここに…ッ!」
「…汚ねぇ手でコイツに触れてんじゃねぇ。」
「ハッ!そんなの君には関係ないだろ!?そもそも彼女とは合意の上でのことだ。駆け出しの女優が僕に媚びるなんて、別に変な話じゃないだろ?」
「誰か駆け出しの女優だ、コイツはエンデヴァー事務所のサイドキックだ。」

そう轟くんが低く言い放てば、「な…ッ!」と短く悲鳴をあげてた男は、その顔色をどんどん悪くしていく。きっとヒーロー事務所に彼の顔はきかないのだろう。

動揺した様にきょろきょろと辺りを見回した男は、轟くんに殴られた頬を押さえながら逃げる様にドアの方へと走っていく。

「行かせねぇ…ッ!」

そう言ってドアを氷結で塞ごうとする轟くん。そんな彼の右手を掴み、慌てて「待って…!」と止めに入る。
ここで氷結を使えば、間違いなく騒ぎになる。折角のパーティをこんな形で中断するのは宜しくない。
あの男をこのまま逃すのは確かに癪だが、2人のヒーローに現場を目撃されて、後日言い逃れができる訳などないのだ。
その事を轟くんに説明すると、彼はかなり不服そうな顔をしながら「…絶対後で拘束する。」と低く呟いた。


「…それより、アイツに何された?」

そう言いながら私を近くのソファへと座らせ、乱れたショールを優しく肩に掛け直してくれる。そこには、先程まであの男に向けていた凍てつくような瞳はなくて、とても心配そうな、悔しそうな瞳がこちらを見つめていて。

やめて、私にそんな風に優しくしないで。
そんな瞳で私を見ないで。
先程まで抱き締められていた事だけでも、罪悪感で一杯なのに。私を心底気遣うような優しい彼の言動が、更に私の心を追い詰める。

「何もされてないよ。」

そう言って、できる限り明るい笑顔を、必死になって浮かべる。

「ごめんね、手煩わせちゃって。男の拘束の個性が緩むまで様子を見ようと思ってたんだけど、轟くんが来てくれるのが先だったね。」

これぐらい何ともない、私は大丈夫なのだ。
だから、そんな顔で私を心配するのはもうやめて。
哀れだと思って、優しくしないで。

本当は、さっきまで男が触れていた感覚が肌に残り、不快で不快で仕方がない。気を緩めば、思わず震えてしまいそうになる身体を、ぐっと強張らせて耐えている。

そんな私の気など知れずに、彼は私の方へと手を伸ばす。

「首、噛まれたのか。」

そう言って、先程まで噛み付かれていた私の首へと、彼の右手が優しく触れる。
強く噛まれて腫れ上がっているであろうそこに触れる、彼の冷たい指の感覚は甘く身体を刺激する。

「悪りぃ、もっと早く来るべきだった。」

そう言って謝る彼に、どう返せばいいのか分からなくなる。
こんな人気のない所に駆け付けてくれただけでも、嬉しくて堪らないのに。
なのに、どうしてそんなにも優しい言葉をくれるのだろうか。

彼は彼女のことを1番に想っていて、私のことなど何とも思っていない筈なのに。
こんな事をされると、馬鹿な私はもしかしたらとまた愚かな勘違いを重ねてしてしまうのに。

こんなにも彼の優しさが苦しいなら、
彼を裏切り続けるのに胸が痛むのなら、
それならもう一層のこと、本当のことを全部ここで口にしてしまえばいいのかも知れない。
そうしたら、彼は間違えなく私を軽蔑して、そして最低な女だと忌み嫌うことだろう。

きっともう2度とこんな風に優しくなんてして貰えないし、目が合ったって微笑みかけられる事はなくなる。
そうすれば、私は彼の優しさに期待することなんて無くなるのだから。

しかし、いくらそんな事を思ったところで、彼に全てを打ち明けられるほど、私の心は据わってはいない。

「これぐらい全然平気だよ。私、ヒーローだし怪我も慣れてるし…それに、この歳で生娘って訳でもないし。」
「…嘘だ。肩、震えてんぞ。」
「轟くんの右手が、冷たいだけ、」
「いつもはこれぐらいじゃ震えねぇだろ。」

大きな手にぎゅっと肩を握られ、震えを隠していた身体の力が緩みそうになってしまう。
ダメだ、これ以上彼を心配させる様なことをしては、いけない。彼は優しい人だから、きっと私のことを心配してずっと付きっきりになってしまう。
そしたらこの後、私はどんな顔で八百万さんと会えばいいのか。罪悪感で一杯になって、上手く笑うことなんてできないだろう。

私は大丈夫なのだと、何とかして伝わる様に精一杯の笑顔を浮かべる。
すると、轟くんは少し困った様な顔を浮かべながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「…そのドレス、すげぇ似合ってる。」
「!」
「それを言いにここまで来たら、アイツがお前のドレスに手を掛けてた。」

突然そんなことを語り出した彼に、思わずはっとなって彼を見る。
すると、そこには何故か苦虫を噛み潰したような顔をする彼がいて、つい唖然となってしまう。

「頭に血が昇って、おかしくなっちまいそうだった。2度と表に顔が出せなくなるぐらい、本当は殴ってやろうと思ってた。」

そんな彼らしからぬ台詞に、思わずぎょっとした目を向けてしまう。
何で、どうしてそんな事を思ったのか。
何でもない普通の友人、ただ事務所が同じだけの元同級生が、知らない男に触られていただけだと言うのに。
でも、それを彼に聞いていいのかも、私にはよく分からなくて。

「分かってる、俺はヒーローでそんな事は絶対許されねぇことぐらい。でも、それぐらい苛立った。」

そう静かに語られる彼の感情には、確かに沸々と湧き上がる苛立ちが垣間見えて。
その苛立ちが一体どこから来るものなのかが全く分からず、ただ彼の言葉に小さく相槌を打つことしかできない。

彼は今確かに、私に一声掛けるためにここまで来たのだと、そう語ってくれた。それはつまり、彼はあの広い会場の隅にいた私のことを見つけ出し、ここまで追って来てくれたということだろうか。彼が会場に現れて直ぐに私はここに逃げてきたのに、あの5分にも満たない時間に彼は私のことを…。

何だか自分の良いように解釈をしている気がしてならない。
もうこんな勘違いは辞めようと、そう決めたのに。
彼の言葉を考えれば考えるほど、そんな愚かな解釈しかできなくて。

混乱する頭をリセットしたくて、思わず拳を握り締めれば、私の目の前に膝をついていた轟くんはスッとその場に立ち上がる。

「…俺が側にいるのも落ち着かねぇだろ。麗日も会場にいたから、ここに来て貰うように頼んでおく。悪りぃが、ちょっとだけここで待っててくれ。」

そう言って、私が安心できる様にと穏やかな笑みを浮かべてくれる。そんな彼の優しさに、胸が引き裂かれるような痛みに襲われる。

彼にそばに居て欲しいのに、彼はそばに居てはいけなくて。
引き止めなければ、行ってしまう。
引き止めることなんて、許されてはいないのに。

静かに部屋を出て行こうとする轟くんの後ろ姿が、やけに恋しくて。
ドレスの裾を握りしめながら、勢いよくその場から立ち上がる。

「ま、待って…!」

突然そんな言葉を口にした私の方へと、彼は少し驚いたような顔で振り返る。

言え。今言わないと、きっともう二度と言う機会を失ってしまう。
別に何もやましい事は何もないのだ。ただ一言、これだけは絶対に今日言うのだと、そう決めたのだから。

ぎゅっと裾を握り直し、震える体に力を入れる。
真っ直ぐにこちらを見る轟くんと視線を絡ませれば、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「ドレス、ありがとう…。私も、それが言いたくて、轟くんのこと探してた。」

そんな私の一言が意外だったのか、彼の色の異なる綺麗な瞳はこれでもかと言うほどに見開かれる。

そして、すぐにその目を細めながらふっと優しく微笑む彼は「ああ、どういたしまして。」と穏やかな声色で返事をした。


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