#6 徒跣


朝露に濡れるアスファルトを蹴り上げながら、前へ前へと進んでいく。朝のランニングは気持ちがいいものだ。近頃は少し肌寒くなってきているが、走れば身体も温まってくる。

昨日、突然親父から「ショート、お前は明日は非番だ!久々に冷に顔を見せに帰ってこい!」と非番を言い渡された俺は、昨晩から実家に帰って来ている。何だか親父の言いなりになった気がして癪に触るところもあったが、奴は今日もいつも通り出勤で、殆ど顔を合わせずに済んだから良しとした。
確かに最近は忙しくて、あまり実家に帰れていなかった。だから、お母さんとゆっくり話ができる時間ができたことは、単純に喜ばしかった。

実家にいた頃、いつものように走っていたランニングコースをひた走り、家の前へと帰ってくる。
すると、家を出る時にはなかった車が門の前に停まっているのに気が付く。
−−どこかで見たことのある車だな。
そんな事を思いながら車の奥にある門を潜ろうとすると、丁度そこには、インターフォンへと手を伸ばす見慣れた姿があった。

「名字…?」
「あ、轟くん…っ!」

思わず声を掛ければ、驚いたように目を丸めてこちらを向く名字。今日は彼女も非番なのか、ヒーロースーツではなく私服を身に纏っていて、ふわりと揺れる長いスカートに何だかいつもより柔らかい印象を抱く。そんな彼女の利き手には車のキーのようなものが握られていて。ああ、そうだ思い出した。この車は前に事務所の駐車場で見かけたもので、彼女のものだと言っていたか。そんないつぞやの記憶を蘇らせれば、モヤモヤした脳内が少しだけ晴れていく。

それにしても、非番のはずの彼女が一体なぜこんなところにいるのだろうか。まさか休日まで彼女に会えるとは思ってもみなかったため、此方としてはかなり嬉しいのだが。しかし、俺の実家は休日に通う様なところでは無いはずで。

「どうしたんだ、うちに何か用事か?」
「あ、うん。その、今日は…」

そう彼女が何かを言いかけたところで、門の向こう側からは何やら人の声が聞こえてくる。一体何事かと2人で顔を見合わせていれば、箒を片手に持った姉さんが少し慌てた様子でこっちへとやって来た。

「名前ちゃん…!もう来てくれたんだね、いらっしゃい!今お母さん呼んでくるから、どうぞ上がって待ってて?」

名字の顔を見るや否や、姉さんは嬉しそうににこりと笑って彼女を家へと迎え入れる。この様子だと、彼女をここへ呼んだのは、姉さんとお母さんなのだろうと推察する。

彼女と一緒に玄関へと入れば、「焦凍、居間まで名前ちゃんを通してあげて?」とだけ言い残し、姉さんはお母さんの元へと去っていってしまった。
残された俺と名字は、とりあえず姉さんに言われた通りに居間へと向かうことにした。

うちに彼女が上がるのは、別にこれが初めてでは無い。雄英時代に緑谷達を食事に誘って以降、姉さんは偶に彼女をうちの晩飯に誘っていたからだ。しかし、こうして2人きりでうちに居ると、何だか俺が彼女を家に呼んだみたいに思えて、少し気恥ずかしい気持ちになる。
彼女がまるで自分の恋人になったみたいで、擽ったい。

「今日は姉さん達とどっか行くのか?」
「うん、ちょっとショッピングに。…ほら、この間敵がショッピングモールに立て篭もった事件があったでしょ?…だから、その、用心棒も兼ねて私もご一緒させてもらう事になったの。」
「そうか、なんかうちの事に付き合わせちまって悪いな。」
「うんん、全然そんな事ないよ。私も丁度買いたいものがあったから、誘ってもらえて嬉しかったの。」

そう言いながら嬉しそうに笑う彼女は、何というか、本当に愛らしい。いつもの仕事中の真剣な顔とはかけ離れた、弾むように変わる表情に、自然と目を奪われてしまう。

最初は、休日が少ないはずの彼女の貴重な非番を用心棒に使わせるなんてと思っていたが、彼女もまた姉さん達との時間を楽しみにしていたのだと言うことが伝わってきて、何とも言えない気持ちになる。
彼女が良いと思ってやっているに対し、一々口出しをする権利なんて俺には無いのだが。

2人向き合うように居間に座り、何でも無い会話を交わしていれば、いつの間にか外出の準備を整えた姉さんと母さんが居間へとやって来る。

「…そう言えば、焦凍も確か今日は一日非番だったよね?」
「?ああ、」
「じゃあさ、焦凍も一緒に行こうよ!ショッピング!」

まるで良い事を思いついた!と言わんばかりに両手を合わせて提案する姉さん。そんな突然の誘いに目を丸めて驚いていれば、姉さんは「ねぇ、いいでしょ〜焦凍〜!」なんて言いながら俺の肩を揺する。
そんな少々強引な姉さんの誘いに圧倒されてしまった俺は、何となく流れで「ああ、」と頷いた。

…まあ、今日はお母さんと久々に話をしようと思って実家に帰って来たのだから、一緒に買い物に付き合うのも悪くは無い。
それに、と不意に名字の横顔を盗み見る。
休日まで彼女と一緒に過ごせるなんて、こちらとしては願ったり叶ったりだ。
…しかし、彼女の方はどうだろうか。やはり女性だけの方が気兼ねなく楽しむことができるのでは?そんな考えがふと頭を過ぎる。

「いいのか、名字は…?」
「え?わ、私?…私はそんな、轟くんが嫌でなければ是非。」

急に話を振られて少し驚いたように慌てる名字。
しかし、その反応は決して俺を嫌がるような素振りではなくて、どちらかと言えば歓迎してくれているような感じに見え、ほっと胸を撫で下ろす。

焦凍が荷物持ってくれるから、今日は沢山買い物しようね。なんて冗談気に笑いながら名字の手を取る姉さん。そんな様子を黙って見ていれば、すぐ横にいたお母さんは俺にしか聞こえないくらい小声で言った。

「良かったね、焦凍。名前ちゃんとデートだよ。」

柔らかく微笑むお母さんに、ああ、そういうことか。と何となくこの買物の全容を理解する。

きっと、いつまでも名字と距離を詰めることができずにいる俺をお母さんと姉さんが気遣って、今回の計画を立ててくれたのだろう。そう言う事であれば、親父が昨日凄く不自然に非番を言い渡してきたのにも、全部納得がいく。
何だか人の恋路を面白がられているようにも思えるが、意地を張って折角与えられた機会を見過ごすのは如何なものか。据え膳食わぬは何とやらだ。

そうと決まれば自室に戻り、急いでランニングウェアから外行きの服へと着替える。
そして、玄関で出発を待っていた名字の掌にある車のキーを取ってやる。

「今日は俺が運転する。」
「え、そんな、悪いよ…!」
「いいから、名字は助手席な。」

そう半ば強引に諭すように言えば、彼女はそれ以上何も言うことはなく、ただ申し訳なさそうな顔で「じゃあお言葉に甘えて…でも、帰りはわたしがするね。」とだけ言って、助手席へと乗り込んで行った。









今日が日曜日だということもあり、ショッピングモールの中は想像以上に多くの人で賑わっていた。
元々買い物が好きなお母さんと姉さんは、色んな店へと入っては楽しそうに話していて。その中に名字が入ることもあれば、俺の隣で楽しそうな2人を眺めていたりすることもあって。女性は皆んな買い物好きなのだと芦戸が前に言っていたが、思い返せば名字は昔からあまり女子達の買い物の輪には入っていなかった気がする。
今こうして隣にいて思ったのは、彼女はきっと買い物が好きなわけでも嫌いなわけでもないということだ。

「そういえば、名字の買いたいものって何なんだ?」

姉さん達を眺めている最中、家での名字との会話を思い出し、尋ねてみる。すると彼女は、「ああ、」と自分の買い物のことなどすっかり忘れていたかのような反応を見せる。

「パーティドレスだよ。…ほら、来週サポート会社の50周年記念パーティがあるでしょ?」
「そう言えばあったな、そんなの。」
「忘れてたでしょ。…実は元々持ってたドレスがこの間の潜入捜査でボロボロになっちゃってね。今日は新しいのを買いに来たの。」

そう言いながら苦笑いをする名字。ドレスを着るような潜入捜査をしていたことに対しても驚きだったが、それがボロボロになってしまうような任務の内容だったのかと思うと、何だか少し不安になってくる。

勿論、彼女はヒーローとしても隠密捜査員としてもプロであるため、俺が不安に思う必要など微塵も無い。だけど、自分の知らないところで彼女が危険な目に遭っていることを改めて思い知らされたようで、胸がざわつき落ち着かない。

すぐ隣を見下ろせば、俺よりもずっと小さな身体に、白くて細い手足が伸びていて。穏やかに微笑む彼女を見ていると、大男の敵を一人でやつけてしまうような女性にはとても見えない。何というか、無性に彼女を護ってあげなければという気持ちに駆り立たされる。
そんなこと、彼女にとっては余計なお世話なのかもしれないが。

そんな会話をしている間に次の店へと移った姉さん達は、何やら限定の商品があるのだと言って、長蛇の列へと並び始める。この列に並んだ先に一体何が売られているのか、その答えを知らされぬまま姉さんは申し訳なさそうに名字の手を握る。

「ごめん名前ちゃん、ちょっと時間が掛かりそうだから、焦凍と一緒に名前ちゃんのドレス見に行っててくれるかな?」
「でも、私はお2人の側を離れる訳には…」
「大丈夫だよ。ほら、あそこに警備の人もいるし。」

律儀にも2人の用心棒であろうとする彼女に、姉さんは「ね?」なんて言いながら彼女の背中を押し、俺の方へと送り出す。
そんな強引な姉さんに名字は少々戸惑った表情を浮かべながらも、「わかりました、終わったら此処に戻って来ますね。」と小さく頷いた。

そんな2人のすぐ側には、まるで名字とのデートを楽しんで来いと言わんばかりに、片目を閉じて何かの合図を送ってくるお母さん。少し強引な気がするが、それでも名字と2人きりの時間ができるのなら何だって良いかと思ってしまう自分がいた。

じゃあまた後でね、と手を振る姉さんを背に、名字と隣同士並んでショッピングモールを歩き出す。
ああ、何だかいよいよデートっぽくなってきてしまった。もうそんな事に一々緊張するような歳ではないのに、彼女と2人で休日に買い物を楽しんでいる事実に浮かれ、心臓が少しずつ煩くなっているのを感じる。

そんな中、不意に名字は俺の方を見上げて、小さな声で言った。

「いいの、轟くん…私の買い物なんかに付き合わせちゃって…、」
「俺は全然。寧ろ名字の方が、俺がいると邪魔になんねぇか?」
「そんな事ないよ。私あんまりセンス良くないから、1人で選ぶのはちょっと不安だし…その、一緒に居てくれると凄く有難い、かな…。」
「そうか、なら良かった。」

俺の顔色を伺うように見上げる彼女に、ふっと微笑んでやる。
どうしてか、いつも自分の事となると急に遠慮がちになるのは名字の昔からの癖で。最初は俺のことを遠回しに嫌がっているのかもしれないと思ったが、一緒に時間を重ねていくうちに、そうでは無いという事に気づいた。
彼女は、単純に人に甘えるのが苦手なのだ。
真面目で人当たりもよく、才能にも恵まれている彼女は、よく周りから頼られる。しかしその反面、人にはあまり頼らずに過ごしてきた様だ。
そんな誰も気付かない彼女の知られざる一面に気付いてしまえば最後、彼女のことを無性に甘やかしてやりたい気持ちが止められなくなる。今みたいに戸惑った表情を浮かべながらぎこちなく嬉しさを伝えてくれる彼女は本当に可愛くて、更に甘やかしてやりたいと思う気持ちが強くなる。
どうやら俺は、自分でも手に負えないほど彼女が好きで仕方が無いみたいだ。



名字と共に訪れたのは少し大人しい雰囲気のお店で、沢山のドレスや女性用のアクセサリーが並べられていた。
早速色々なドレスを手に取る名字。そのすぐ側で、一緒になってドレスを眺める。

「うん…この色はちょっと派手すぎる気がする…。」
「そうか?名字に似合いそうだけどな。」
「そ、そうかな?…でも、次に着るのは潜入捜査の時かも知れないし、色は大人しめで、ちょっと小細工ができるようなドレスが良いかも…」

彼女が手に取ったのは、少しだけ人目を引きそうな綺麗な色のドレスで。きっと直感的に彼女の好む色を手に取ったのだと思う。試着せずとも彼女に似合うことが分かるくらい、彼女にピッタリの色だった。

しかし、彼女のドレスの選定条件はあくまで潜入捜査で動きやすい事らしい。
来週のパーティは捜査でも何でも無いのに、真面目な彼女はまた呼ばれるであろう捜査の事をずっと考えていて。
そんな理由で、こんなにも彼女によく似合う、彼女好みのドレスを選べないというのは、何だかもどかしくて堪らない。

「潜入捜査はそれ用のを買えばいいんじゃないのか?俺は普通に名字が1番似合うドレスを着た姿が見てみたい。」

そう言って、元の場所へとドレスを掛け直そうとする彼女を止めるように、小さなその手を上から握ってやる。
すると、いきなりのことに驚いたのか、彼女は大きく目を丸めて勢いよくこちらへと振り返る。
…しかしそれも束の間、次の瞬間には何だか慌てた様子で向こうを向いてしまう。

なんだ、一体どうしたんだ。
彼女の顔を覗き込もうとすれば、何故か彼女はさらに向こうを向く。いや、何でそうなる。
何が起こっているのか分からないまま一先ず彼女の反応をじっと伺っていれば、少し落ち着いたのか、反対の手の甲で頬を押さえた彼女は呟くように言う。

「轟くんは、やっぱり休日も轟くんだね…。」
「どう言う意味だ?」
「うんん。…でも確かに轟くんの言う通り、もう何年も捜査の事を考えずにドレスを選んだことなんて無かったから、今日は普通のドレスを買ってみようかな。」
「ああ、それがいい。」

手元に引き戻したドレスを見て何処か嬉しそうに笑う彼女に、やっぱりこのドレスが気に入っていたんだなと思う。
こうして彼女が好きなものを選んで嬉しそうに笑っている姿を見ると、こっちまで嬉しくなってくる。
折角だからと「試着するか?」と尋ねれば、彼女は嬉々とした目で頷いた。


試着室へと入った彼女を待っている間、何だか妙にドキドキしてしまう。着なくても似合うと分かっているものを、彼女が着ようとしているのだ。きっと俺の安易な想像など軽く超えてくるのだろうと思うと、落ち着いてなど居られない。
心の中でそんな葛藤を繰り広げていれば、試着室のカーテンがゆっくりと開いていく。

「お待たせ…ど、どうかな?」

やっぱりちょっと派手な気がする…、なんて小声で言いながら少し照れ笑いをする彼女は、先程のドレスをこれでもかというほど美しく着こなしていて。その衝撃に、思わず目を見開き凝視してしまう。

大人びたデザインのドレスに身を包んでいる彼女は、少しだけあどけない表情を浮かべていて。これに心奪われない男など存在するのだろうか。
おかしくなりそうなくらい、心臓が大きく脈を打つ。

普段彼女が身に纏っているヒーロースーツや私服は殆ど露出がないものだが、このドレスはどうだろうか。普段見えていない彼女の綺麗な肩や腕、背中や脚が晒されていて、上品だが扇情的で堪らない。
思わず触れて、抱き寄せてしまいたくなる。

「…すげぇ似合ってる。」

彼女を目にした一瞬のうちに色んなことを考えたが、結局口にできたのはその一言だけで。
だが、そんな褒め言葉にも満たない一言に、彼女の表情は弾けるように明るくなる。

「ほ、ほんとに?…私、八百万さんとかお茶子ちゃんみたいにスタイル良くないし、ちょっと攻めすぎな気がするけど…」
「…確かに、これだと色々と不味いことになりそうだな。」
「う…や、やっぱり、かな?」

こんな彼女の姿を他の男に晒すなんて、絶対にあり得ない。男なんて皆、考えることは大体同じだ。どうやって彼女に近づき、そのドレスを脱がせてやろうかなんて生唾を飲む下品な奴らしか居ない。数週間前にとんでもない事をやらかした俺がいうのも何だが、男とは非常に危険な生き物なのだ。

ちょっと待ってろ、そう言って彼女の元を少し離れ、表のマネキンが羽織っていたのと同じ羽織を手に取る。この色なら、多分あのドレスと合うだろう。そう思いながら彼女の元へと戻り、マネキンと同じように彼女の肩へと羽織を掛けてやる。

「ああ、やっぱこのほうが良いな。すげぇ可愛い。」
「か…ッ!?」
「?どうかしたのか?」
「な、何でもないよ!確かに、このショールすごく可愛いね…っ!」

そう言って、嬉しそうに羽織をひらひらと動かしながら笑う彼女。どうやら気に入って貰えたみたいで、ホッとする。
それに、と彼女の肩を見る。少々透けてはいるが、これなら直接彼女の肌が晒される範囲を抑えられる。何処の馬の骨かも分からない男の下品な視線から、少しでも彼女を守ってくれる筈だ。
胸元や脚のスリットが少し気になるところだが、こればかりはドレスのデザインなのでどうする事もできない。悔しいが、細工が出来るのはここまでの様だ。

そんな俺の葛藤など微塵も知らないであろう彼女は、うんうん、と鏡の前で何度も頷きながら「これにするね。」と満足気に笑う。

これまで何度か彼女と買い出しに行ったりする事はあったが、こんなに満足そうに買い物をしている彼女の姿は初めて見る。きっと、いつも何か別のことを考えて自分の思いを二の次にしていたのかもしれない。非番でも咄嗟に動ける様に、いつもヒールやサンダルではなくスニーカーを履いているのと同じように、普段の買い物でもきっと色々な思いを押し殺しているのだろう。
しかし、やっぱり自由に自分の思うままの選択をする彼女はとても生き生きとしていて微笑ましい。
確かにヒーローをしていると自由に出来ないことも沢山あるが、今日みたいに自由にしていい事もあるのだと、彼女にはもっと知っていて欲しいと、そう思った。

試着が済み、小物を見に店内を回る彼女を横目に、先程のドレスと羽織の会計を済ませる。深く帽子を被ってはいたものの、カードの名義を見て俺に気付いた店員はギョッとした目でこちらを見て「ショートさん、いつも応援しています…!」と一言発する。「ありがとうございます。」なんて適当な会話を交わしていれば、不意に店員の視線は向こうでアクセサリーを眺める名字へと向けられる。
ああ、まずい。
俺のことはまだしも、彼女のことが記事になるのだけは絶対に避けなければならない。これまで目立たず隠密捜査に取り組んできた彼女のヒーロー活動に支障をきたすなんて事は、あってはならないのだから。

彼女と俺は別に恋人同士という訳ではないが、それを勘繰っている店員に何かを言っても、きっと余計に怪しまれるだけ。
故に、ここは敢えて何も語らず、困った表情を浮かべながら「内密にお願いします。」とだけ小声で告げてやる。
すると、なぜか目の前の店員の顔は徐々に赤く染まっていく。この反応はよく分からないが、多分、黙っていてくれる筈だと、信じたい。

そんな店員から紙袋を受け取れば、あまり気に入ったアクセサリーが無かったと呟く名字に店を出る事を提案する。

「待って、お会計…」
「ああ、済ませておいたぞ。」
「え、いや、済ませておいたって…まさか轟くんが払ったの?!」
「ああ、いつもお母さんと姉さんに付き合ってくれてる礼だ。」
「いや、そんな!私こそお世話になってるのに…!それに、さっきのドレス結構したでしょ?悪いよ…っ」
「気にすんな、俺がしたくてしたことだし。値段はあんま見てねぇけど、大したことねぇだろ。」
「…そ、そりゃあ、ショートのお給料からすると、大したことないかも知れないけど…!」

そういう問題では無いのだと慌てる名字に、別にこれぐらい何とも無いと言い張ってやる。こういう時、大体先に折れるのは名字の方であるという事を、俺は知っている。
今日も同じように断固として捻じ曲がらない言葉遊びをしていれば、突然ポケットに入っているスマホが振動する。

「お、姉さんからだ。」

ディスプレイに示される『冬美姉さん』の文字に、そう言えばあれから結構時間が経ってしまっていたなと気付く。そのまま電話に出れば、何だか含みのある言い方で「焦凍、名前ちゃんのお買い物は上手くいった?」なんて茶化してくる姉さん。帰ったら色々聞かれんだろうなと苦笑しながら、適当に返事をする。

「姉さん達、並ぶの終わったらしいぞ。さっき行きたいって言ってたレストランの前で合流しようって言ってた。」
「そういえば、もうお昼の時間過ぎちゃってるね。」

腕時計を見ながらそう呟く名字。
ヒーローは昼食の時間が大体不定期であり、彼女も俺もお腹は空くが、身体がお昼の時間だと訴える事はなくなっている様だ。
一先ず約束のレストランへと足を進めていれば、隣を歩く彼女は俺の手元にある紙袋を眺めながら言う。

「轟くん、その、また今度絶対にお返しするから…っ」
「お、なんかデジャヴだな、このやりとり。」
「確かに…!」

何時ぞやの変な形のチョコの時も同じ事を言ってたなと思い出していれば、彼女もそれに気付いたようで、くすくすと可笑しそうに笑い始める。


ああ、今日はなんて良い休日なのだろうか。
お母さんや姉さんの図らいには少しどうかと思うところはあったが、こうして仕事なんて関係なくのんびり彼女との時間を過ごせて、心は一杯に満たされていて。

きっと彼女は俺のことなど何とも思っていないのだろう。そう頭では分かっていても、彼女を好きだと思う気持ちを止めることなどできなくて。
止めるどころか、寧ろ時間を重ねる度にどんどん膨らんでいくその想いに、もうずっと溺れてしまっている。

いつか彼女が俺に振り向いてくれる日が来ることを信じながら、こうして彼女との何気ない時間を重ねていければいいと、そう思った。


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