#5 穿鑿


−−−思い返してみれば、いつだって彼の目に映っているのは私ではなかった。


雄英高校2年の体育祭、昨年と似たような面子が予選を通過する中、私も轟くんもお互いの個性を活かし、予選上位へと躍り出ていた。
次のトーナメント戦で今年の優勝者が決定する。予選を通過したメンバーは会場へと集められ、本線のトーナメント表の発表を今か今かと待っていた。

そんな気の張り詰めた会場の中で、柄にもなく不安気な表情を浮かべた男が1人、私の目に留まる。こういう場で緊張するなんて、彼らしく無い。何かあったのだろうか。整った眉が眉間に寄せられている訳が無性に気になり、つい声を掛けてしまう。

「轟くん、どうかしたの?」

急に隣から聞こえてきた声にハッとなった彼は、慌てて私の方を振り向く。少しだけ見開かれた綺麗な灰青色の瞳は、私の姿を真っ直ぐに捉える。
たったそれだけのことなのに、心臓はどくどくと大きな音を立て始まる。

落ち着け、私の心臓。もっと冷静になれ。
彼の目に留まるだけでこんなに喜んでいるなんて、絶対に彼には知られてはいけない。
もし知られてしまえば、きっと今みたいに気安く声を掛けられる仲では無くなってしまうだろう。
彼の言動の一つ一つにときめいてしまう心を何とか鎮めて、平然とした表情を取り繕う。

すると、彼は驚いていた表情を少しだけ曇らせながら静かに言った。

「ああ、その…八百万、大丈夫かと思って。」

彼のその一言に、先ほどまで弾んでいた私の胸はすっと冷たくなっていく。

あんなに不安そうな顔つきで彼が考え込んでいたのは、どうやら八百万さんの事だったそうだ。

ふと彼の視線を辿れば、その先には確かに不安そうに胸の前で掌を握る彼女の姿があって。それを見つめる彼の瞳に何だか温かいものを感じて、胸がぎゅっと締め付けられるような痛みに襲われる。

「あいつ、去年の体育祭でなす術なくやられちまったの、結構堪えてたみてぇだから…緊張で上がってねぇか心配だ。」

そう彼女を心配する理由をぽつりと語る轟くん。
自分の対戦相手が発表されよとしている今この瞬間に、他人の心配をするなんて、随分と余裕のある行為だといえる。しかし、彼の場合はそうではない。決して自身の余裕から来る他人への気遣いではなくて、本当に心から彼女のことを気に掛けている。
そう確信できるほど、轟くんの瞳は八百万さんを心配そうに見つめていて。

「そ、そうだね。常闇くん、強かったしね…。」

ここで黙り込むわけにもいかず、そんな言葉を適当に吐き出した。

−−本当は、言葉なんて何も浮かんで来ないほど動揺していた。
心配そうに彼女を見つめる彼の横顔に、胸がざわついて仕方がなかった。

彼が私をこんな顔で心配してくれた事なんて、これまでに一度だってあっただろうか。
それに気付いてしまえば、いかに彼女が彼にとって特別な存在なのか…そして私が何でもない存在なのかを思い知らされる。

別に、彼が私を特別に想ってくれなくても構わなかった。
そんなことは当たり前のことだから。
でも、他の誰かを特別に想っているなんて、知りたくなかった。
ましてや、その想い人がクラスでも一目置かれる程の美女なんて、どう考えても勝ち目なんてない。

悩ましげに彼の長い睫毛が伏せられる。
目の前にある端正な顔が浮かべるのは、いつにない不穏な表情で。何かを戸惑っている様に定まらない彼の瞳に、彼が今何を考えているのか何となく分かってしまう。

「声、掛けてきたらどうかな?…きっと轟くんに応援されたら、八百万さんの緊張も和らぐと思うよ。」

できるだけ明るい声で、不自然にならないように笑みを浮かべる。

側にいて、私を置いて行かないで−−
心の中の本当の自分がそう泣き喚いているのを無視して、踏み止まっている彼の背中を押してやる。
何となく、彼は今そんな言葉を欲しているような気がした。ずっと彼のことを見てきた私だからこそ、それに気付けたのかもしれないが。

私のその言葉にハッとした顔でこちらを振り向く轟くん。
そして、少しだけ考える様な素振りを見せ、静かに言った。

「そうか…そうだな。気休めかもしんねぇけど、八百万と話してくる。ありがとな、名字。」

私の言葉を聞いて、どこかほったした顔をする轟くん。
ほら、やっぱりこれが正解だったのだ。
苦しくて溢れ出してしまいそうな感情を無理やり押し殺すように、ぎゅっと拳を強く握る。

「うん…じゃあまた、本戦でね。」

チクリと痛む胸に耐えながら、必死に笑ってみせる。すると轟くんは「ああ、また後で。」とだけ私に言い残し、前言通り彼女の元へと去って行ってしまった。

その場に1人残された私は、他の皆んなと混じることも出来ずに立ち尽くした。
きっと、それはもう相当酷い顔をしていたのだと思う。今にも緩んでしまいそうな涙腺を乱暴に押さえつけながら、誰にも気付かれないように静かに俯いて会場の端に佇んだ。




そんな懐かしい夢を見たのは、今朝のこと。
今の今まですっかり忘れてしまっていたあの日の出来事は、確かに学生時代の私にとって酷く苦い思い出であった。
あの後、2人は付き合ったりはしなかったみたいだ。立派なヒーローになるために励みたい、なんてお互いに想いを押し殺したのかも知れない。

それなら、今はどうなのだろうか?
2人とも今をときめく立派なヒーローになっている。まだ2人が想い合っていたとしたら…。

もし轟くんが今も彼女を想っているのだとしたら、あの夜、轟くんは彼女だと思って私を抱いたのだろうか。こんなにも見窄らしい私の身体が彼女の代わりになるなんて、到底あり得ない話だが。
それでも、あんなにも愛おしそうな表情で優しく触れてくれたのだ、きっとずっと好きだった彼女のことを思い浮かべていたに違いない。

そうやってあの日の出来事を思い出せば出すほど、何だか辛くて苦しくて。
潔く全てを忘れきれない自分が本当に情けない。

ベットに1人座り込み、今にも泣き出してしまいそうになるのを目頭を押さえてぐっと耐えた。









満員電車、先頭から3車両目の前方ドア付近には、怪しげなサングラスをした黒い服の男がいる。今回の任務の標的だ。麻薬密売の容疑が掛かったこの男のアジトを特定するために、彼これ3日近くこの男を尾行している。
最初は警察がこの男の尾行を担当していたのだが、男の目くらませの個性により上手く尾行が出来ず、先日エンデヴァー事務所の私に捜査協力の要請が来たのだ。

私服にキャップを被った姿で、標的と同じ車両に乗り込む。少し離れた場所に立って、不自然にならない程度に男を覗き見る。
そんな静かな監視を続けている最中、不意にするりとお尻を撫でられる感覚がして、思わず後ろに意識を向ける。
恐らく、すぐ後ろに立つ背広男の仕業だ。

今、もし標的の尾行をしていなければ、迷わずこの背広男の腕を捻り上げているところだ。しかし、今は標的に警戒されるようなことはしてはいけない。
不快感をぐっと押し殺して平然としていれば、男の手は更に遠慮なくお尻を撫で続ける。

「君、抵抗しないんだね。」

後ろから囁くように声を掛けられ、ぶわっと全身に鳥肌が立つ。

「もしかして、こういうことされるの望んでたのかな?」

どことなく楽し気な口調で、私の耳元で語りかける男。私が大人しくしているのを良い事に、やりたい放題に身体を触ってくる。
この男、後で絶対に絞めてやる…!
ぐっと唇を噛み締めて気持ちの悪い感覚を必死に耐える。あと少しで次の駅だ。ここで集中が途切れて標的を見失ってしまうことがあれば、今日1日の尾行が全て台無しになってしまう。

耐えろ、耐えるんだ。
そう自分に言い聞かせていると、不意にその不躾な手が私の身体から引き剥がされる。

「…その人から手を離せ。」

そんな、どこか聞き覚えのある声が突然、背広男の直ぐそばから聞こえてくる。
相手を牽制するような口調だが、そこまで威圧的ではない…そんな声に思い当たる人物が一人だけ頭に浮かび、思わず後ろを振り返る。

「あ?…って、お前!ヒーローデク!!」

背広男がそう叫ぶのと同時に、次の駅に到着した電車の扉が開く。
まずい、標的が…!
流れるように人が電車から降りていき、その波に埋もれるように標的の男は人混みの中へと消えていく。きっとヒーローデクに反応し、警戒してしまったのだ。
慌てて標的を追おうと電車を降りるが、ぱっと誰かに右手を捕まれてしまう。

「ちょっと待って…!」
「み、緑谷くん…!」
「え?あれ、名字さん?!」

自身が掴んだ腕が私のものだと知った緑谷くんは、唖然とした表情を浮かべる。それもそうだ、ヒーロー歴7年の同級生が電車で痴漢に遭遇しているなんて、誰も思わないだろう。
しかし今はそれどころではなくて、標的を追わなければ…と、人混みの中で奴の姿を探すが、時はすでに遅く、完全に標的を見失ってしまった。
私が個性を使っていることに気付いた緑谷くんは、ハッとなった顔で私を見つめる。

「ごめん!もしかして余計なことしちゃったかな…?!」
「あ、いや…捜査の方は、たぶん大丈夫。明日また張り込めば良いから。」

だから気にしないで、と笑ってみせるが、何故か更に申し訳なさそうな顔を浮かべる緑谷くん。彼は私を痴漢から守ってくれただけで、何も謝る事などない。寧ろ、これは静かに痴漢を対処できなかった私が招いた結果で、標的に逃げられたのは自業自得なのだ。

「それより、助けてくれてありがとう。…実はとても不快だったの。」
「いや、そんなの当然だよ。というか僕がもうちょっと空気を読んでいれば名字さんの任務の邪魔をすることなんて無かったのに…本当ごめん!」
「任務のことは大丈夫だから、何も気にしないで。」

緑谷くんのせいではない、緑谷くんはヒーローとしての仕事を全うしただけ。いくらそう言っても、彼は悔しそうに首を横に振る。相変わらず真面目で優しい同級生に、少しだけ心が穏やかになる。
彼は昔からこういう人だった。
だからこそ、世間は彼のことをNo. 1ヒーロー、平和の象徴だと言って担ぎ上げるのだろう。

痴漢男を手際良く駅員へと引き渡す緑谷くんは、こうしてヒーロー活動こそしているが、ヒーロースーツではなく私服を身に纏っていて。もしかしたら今日は非番だったのかも知れない、そう思えば、何だか本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。
一先ず標的を逃してしまった事を塚内さんに報告すれば、今日の捜査は切り上げにしようという返事が返ってくる。確かに決められた業務時間はとうに過ぎている。今日はこのまま上がりの様だ。
そんな仕事のやりとりをしていれば、いつの間にか私の側へと戻ってきていた緑谷くんは、首を傾げて私に尋ねた。

「名字さん…これから少し時間あったりするかな?」









「緑谷くんが誘ってくれるなんて、珍しいね。」

駅のすぐ近くにあるカフェへと入った私たちは、目立たない奥の席へと座った。知名度の低い私はともかく、大人気ヒーローである彼に変な噂が流れるのは宜しくない。今時のマスコミは裏取りもせずに好き勝手に記事を書くのだと、よく週刊誌に名前を書かれている上鳴くんが言っていた。

それはともかく、卒業以来こうして2人でお茶をすることなんて殆どなかった緑谷くんが、こうして私を誘ってくれたのだ。何か重要な相談事があるのだろう。
あ、いや〜、その…
なんて歯切れの悪い返事が緑谷くんから聞こえてくれば、一体今から何を言われるのか、嫌に緊張してしまう。

そして、何やら覚悟を決めたような顔つきをした緑谷くんは、射抜くような鋭い視線をこちらへ向けた。

「名字さん、だよね?…あの日、酔った轟くんをホテルに運んでくれたのは。」

そんな思いもよらない話題が突然彼の口から出てきて、思わず硬直してしまう。

どういうこと?
どうして緑谷くんがその事を…?
本人はおろか、誰にもその事を言った覚えはないのに。
なのに、一体どうして…、

変な汗が噴き出てくる手のひらをぎゅっと握る。
突然切り出されたその話に、明らかに動揺を見せてしまう。そんな私の表情を見て、緑谷くんは少しだけ驚いた様な素振りを見せる。

まさか、嵌められた?!
しまった…、そう思った時にはもう遅く、推測が完全に確信に変わった緑谷くんは、なんだかとても腑に落ちたような表情を浮かべる。

「…やっぱり君だったんだね。じゃあ、その…轟くんとは、えっと……」
「こ、これ以上は何も言わないで…っ!言いたいこと、きっと全部私のことだと思うから…っ」

何か言いにくそうに言葉を濁す緑谷くんに、慌てて横から口を挟む。
そう、事実はきっと緑谷くんの想像している通りで、あの日私は酔った轟くんをホテルに運んだだけではなく、意識もままならない彼と情を交わしたのだ。
今更そのことを緑谷くんに隠し通せる訳もなく、私はあっさりとその事実を認めた。一生誰にも言わずに墓まで持っていくつもりだったのに、本当に緑谷くんには敵わない。

しかも最悪なことに、私が情を交わした相手は、彼の最も親しい友人である轟くんである訳で。
彼の親友を傷つけた私が、一体どのツラを下げて話をすればいいのか…。そう考えると、どんどん居心地が悪くなってきて、思わず視線が手元に落ちる。

「…どうして、分かったの?」

誰にも言っていない、私だけの秘密な筈なのに。
ごくりと息を飲み、緑谷くんの言葉を待つ。

「君だって確信していた訳じゃないんだけど…。この間、麗日さんとあの日の話をした時に、偶々君達の2次会の場所と解散した時間を聞いたんだ。それで、よく考えてみたら僕達と殆ど同じ時間に解散してて、しかも轟くんと君の帰り道の途中に例のホテルがあったから、もしかしたらなって思ったんだ。」

本当に勘が鋭いと言うべきか、分析が的確と言うべきか。こんなに少ない情報で、よく相手が私だと導き出したものだ。
その推察を、いつも通りの落ち着いた口調で説明する緑谷くん。不自然なまでに穏やかなその声色に、ドクドクと煩いぐらいに心臓が騒ぎ出す。

「あれからずっと、轟くんは君のことを探してるよ。」

その言葉に、思わずピクリと肩が揺れる。
賑やかなカフェの店内の音が、一瞬にして遠のいて行く。
全てが静まり返る中、「…ねぇ、聞いてもいいかな?」と私に問う緑谷くんの声だけが、直接脳を刺激する様にはっきりと聞こえてくる。

「どうして逃げちゃったの?」

そう尋ねてくる彼の声色は、とても優しく穏やかで。
決して責めるような言い方ではないのに、何だか厳しい質問をされているみたいに言葉に詰まってしまう。

きっと『言いたく無い』と一言言ってしまえば、それで終わる話だ。彼はよくできた優しい人で、無理を強要するような真似は絶対にしない。
そう分かっているのに、どうしてか、ちゃんと彼が納得できる答えを探す自分がいる。

何か弁明の言葉を言ったところで、緑谷くんからすると私は、泥酔した大事な友人と無理やり寝た迷惑な女であることには変わりないのに。
でも、真剣に聞いてくれようとしている彼の姿勢を、無下にすることができなくて。

混乱してとっ散らかっている頭を回し、必死に言葉を並べる。

「…あの日、轟くんはすごく酔ってた。」
「うん、そうだね。」
「…私のこと、誰か分かってなかった。」
「うん、」
「…私のこと、他の人と勘違いしたまま、その…してたみたい。」

誰か好きな人と一夜を過ごした筈なのに、目が覚めたら隣に私がいるなんて、そんな酷く残念な話はない。
轟くんに失望されたくなくて、嫌われたく無くて、だから彼の元から逃げたのだ。

虚しさに耐えきれず、思わず声が震えてしまいそうになるのを堪える。
すると、どうしてか私の言葉に驚いたように緑谷くんは声を荒げながら言う。

「ちょ、ちょっと待って!他の人って一体誰のこと?!」
「分からない…とても親しい人だと思う。轟くんのこと、いつも名前で呼ぶ人だって。」

もしかしたら、それは八百万さんなのかも知れない。
今朝の夢が不意に脳裏に過ぎる。
推薦組である2人は秀才で、どちらも容姿端麗。並んで歩く姿を見てお似合いだと思わなかった事は一度もなかった。そして、2人はとても仲が良かった。いつも彼は右隣に座る私ではなく、左隣に座る彼女と雑談をしていた。そこには私の入る隙さえなくて、いつも私は黙って彼らの会話を聞いているしかなかった。

轟くんはきっと、今も彼女のことを特別に思っているに違いない。
あの時の心配そうに八百万さんを見つめる横顔が、どうしても頭から離れない。

轟くんと親しい人、と言った私の言葉にギョッとした緑谷くんは、顎に手を当て何かを考えだす。

「轟くんにそんな人、居たかな…?」
「緑谷くんも知らないの?」
「うん…まあ、思い当たる人が1人居たけど、何かちょっと違うかも…」
「そっか…」

そう言って何だか難しそうな顔で笑う緑谷くん。
どうやら彼の思い浮かべていた人物とは違う様だ。それはもしかして、あの日飲み会で上鳴くんや峰田くん達が言っていた轟くんの想い人のことだろうか。その人では…八百万さんではないと言うのなら、彼は一体誰を私と重ねていたのだろうか。

例えそれがどこの誰であったとしても、10年もの間彼に振り向いて貰えなかった私にできることなど何もないのだが。
どうしようもないぐらい惨めな自分に、呆れ笑いすら溢れてくる。

そんな私を罵る訳でも憐れむ訳でもない緑谷くんは、ただどこまでも優しく穏やかな声色で「今まで一人で背負って、辛かったね。」と言ってくれた。
そんな緑谷くんの言葉に、目頭がじわりと熱くなってくる。

彼の親友を深く傷つけた私に、どうしてそんな言葉をくれるのか。
2度と轟くんに近付くなって、きっとそう言いたい筈なのに。
全く真逆の温かい言葉が、優しい視線が、胸にぐさりと突き刺さる。向かいの席に座る緑谷くんは私に一つも触れていないのに、その声色だけで、まるで優しく抱きしめてくれている様な気持ちになる。
轟くんにあんなにも最低な事をした私が、誰かに甘えて良いはずなんてないのに。緑谷くんは、私は悪くないのだと、そう言ってくれているみたいで怖い。

ぐっと拳を握り、今にも溢れ出しそうな涙腺を繋ぎ止める。

「…この事、轟くんには内緒にしておくの?」
「うん、言えない、から…」
「そっか…でも轟くん、とっても自分の事責めてたよ。会って、ちゃんと謝りたいって。」
「謝られることなんて何も無い…。それよりあの日の相手が私だって分かったら、きっと轟くん、凄くガッカリすると思う…。それに、もし轟くんに軽蔑されたら私は…」
「そんなこと…!」
「だからお願い、轟くんには黙ってて欲しいの…。」

そう言って、向かいに座る緑谷くんへと頭を下げる。
轟くんは緑谷くんの大切な親友で、私は今、そんな親友を裏切る様なことをしろと、そう彼にお願いしている訳で。

あの日、轟くんに吐いた嘘は、白い紙に落ちたインクの様にじわじわと広がっていく。こんなに優しい緑谷くんを巻き込み、嘘や隠し事という最低な行いを繰り返しながら、どこまでも滲んで広がっていく。

急に頭を下げた私に、慌てた様子で頭を上げる様に言う緑谷くん。やはり友達は裏切れないと断られてしまうのだろうか。自業自得だと切り捨てられてしまうのか。
そんなことが頭に浮かべながら、恐る恐る顔を上げる。
するとその先には、まるで私を安心させるかの様に穏やかに私を見つめる瞳があって。
じわりと胸が熱くなる。

「分かった、絶対に言わないって約束するよ。…でも、もしこの事で悩んだりする事があったら、迷わず僕に相談して欲しい。」

君の力になりたいんだ。
そんな力強くも優しい言葉を掛けられてしまえば、頷くほかない。
どうして彼はこんな私のことなど気に掛けてくれるのか。どうして彼の大切な親友のことよりも、私の気持ちを大事にしてくれるのか。

本当に呆れてしまうほどのお人好し。
だけど、そんな彼になら…と固く閉ざした心を開きたくなる。

「ありがとう、緑谷くん。」

しっかりと彼の目を見てお礼を言えば、何だか少し照れたように緑谷くんはにこりと笑った。


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