#1 梼昧


昔から嘘や隠し事をすることがあまり得意ではなかった。
自分ではよく分からないのだが、目が泳いでいたり、急に挙動不審になったりと、怪しさがすぐ態度に出てしまうらしい。
だから、嘘や隠し事を極力しないように過ごしてきた。

しかし、嘘や隠し事のない真っ直ぐな言動は、時に人を傷つけてしまうもの。
それを知った時からずっと、誰も傷付けないように、誰も悲しませないように、耳当たりの良い曖昧な言葉を選んでは綺麗に陳列させる術を覚えた。相手の顔色を伺いながら、でも嘘になるような言葉は一切吐かない。
無難に、事を荒立たせず穏便にやり過ごす。

ずっとそうやって生きて来たからか、周りの皆んなのように飾らない真っ直ぐな言葉でぶつかり合ったり、心からの本当の言葉で互いを認め合うのが、何だか少し苦手だった。
そんな何にも包まれていない剥き出しの言葉を吐いてしまえば、意図せず誰かを傷付けてしまうかもしれない。どうしてもそんな不安ばかりが先走り、いつからか、ありのままの気持ちを口にすることができずにいた。

−−名字さんっていつも優しくて冷静で、本当にお手本みたいな女性だよね。

いつか、そんなことを学生時代のクラスメイトが言っていた。

そんなことないよ。
そう答える私の言葉に、嘘はない。

本当の私は、都合の悪い事が起きないように曖昧で聞こえのいい言葉を選んでいるだけ。人に嫌われない様に、自分の感情が熱くならない道を選択しているだけ。
こんな面白みも何もない私が、お手本みたいな女性である訳が無い。

皆んなが思っているほど、私は器用な人間でない。
本当は嘘も隠し事もできない不器用な人間で、それ故にいつもこうして必死に足掻いているのだ。


だけど、そんな私にもたった一つだけ、皆んなに隠している事があった。

ずっと誰にも言えずにいた。
誰かに知られてしまえば最後、それは脆く崩れ去ってしまうような気がしたから。
だから、いつもその事だけは顔に出ないように必死に隠した。周りに悟られないように、際どい曖昧な言葉を幾つも取り繕った。

慣れないことをするのは、とても大変で辛い。誰かにバレてしまうかも知れないと思うだけで、酷い緊張感に胸が押し潰されそうになる。
でも、それを耐え忍んでまでしても、私は彼の側に居たかったのだ。

ずっと好きだと、隠していた。
今も好きだと、隠している。

想いを伝える事なんて、できやしないのに。
気付けばどんどん好きになっていて、もう後戻りなんてできる状態ではなかった。




Evanescent



視界が一気に反転する。
ぼすっと背中がふかふかのベッドへと沈めば、温かくて冷たい手が私の手首をシーツへと縫い付ける。
それはたった一瞬の出来事で、アルコールにすっかり浸った私の脳はワンテンポ遅れて今の状況を理解する。

見上げれば、熱を帯びた美しい灰青色の瞳がこちらを見下ろしていて。
視線が絡まり合えば、どくりと心臓が跳ね上がる。

「なに、してるの…、」
「なにって…ここはそういうコトする場所じゃねぇのか?」

いや、そうかもしれないけれど。
そんなことを言いたいわけでは無い。
どうして私たちが今、そういうコトをする流れになってしまっているのか、それを尋ねているというのに。この男は、いつも通り何食わぬ顔で少しずれた答えを返してくる。

そんないつも通りな発言とは裏腹に、彼の瞳はいつもとは違うギラつきを纏っていて。色の違うそれらは、私のことをどこにも逃さんと言わんばかりに見下ろしてくる。
まるで捕食者の様なその視線に、ごくりと息を呑んでしまう。

嘘だ、これはきっとタチの悪い冗談なのだ。
そう思いたくとも、こんなにも熱の籠った瞳に見つめられれば、彼が本気であることなんて嫌でも分かってしまう。

きっと今から彼の理性に訴えかけたとしても、もう遅い。今更退いて貰えるような雰囲気には到底見えない。ならば強行突破に挑むまでだ、と拘束された手首を力一杯に動かしてみるが、びくともしない。職業柄、結構鍛えているつもりだったのに、こうも涼しげに力で押さえつけられると、かなりショックだ。

どうしよう。
酔っ払いの悪ふざけであるなら、この辺で本当に勘弁してほしい。心の中で白旗を上げる私に「本気にしたか?」なんて冗談気に笑ってくれれば、どれだけ良いだろうか。
しかし、当たり前だが、彼はそんな素振りなど1ミリたりとも見せる様子はない。
それどころか、私の抵抗に対して僅かに口角を上げ、その整った顔をゆっくりとこちらへと近づけてくる。

ちょっと待って…、
なんて声を上げる間もなく、彼の柔らかい唇が、私のそれと触れ合う。
初めて他人のそれと触れた唇に、顔中に熱が集中する。

私、今轟くんと...、

そんな衝撃を受けるのも束の間で、次の瞬間には角度を変えた彼の唇に深く深く口付けをされる。ぬるりと口内へと入ってくる舌に、何が何だか分からないまま自分の舌が絡められる。くちゅりと卑猥な音を立てながら、お互いの唾液が混じり合っていて。
知識はあったが初めての経験に、頭が真っ白になっていく。

「…その顔、すげぇ可愛いな。」

やっと唇を離したかと思えば、突然そんな言葉を溢す彼。
いくら感情を抑えるのが得意な私でも、こんなにも甘い顔をした色男にそんなことを言われて、平然としていられる訳が無い。
まして、相手は学生の頃からずっと片想いをしていた相手なのだ。
先ほどからバクバクと音を立てる心臓が限界を訴え、今にも破裂してしまいそうだ。

そんな私の心情など気にする様子もなく、目の前の男は再び私の唇を奪う。口内を這いずり回る彼の舌が歯列をなぞり、そして逃げ回る私の舌を捉え、めちゃくちゃに犯す。
気持ちが良いのか何なのか、もう何も考えられなくなってしまう私の脳。しかし、いつの間にか服の中へと滑り込んでいた彼の手の感覚に気付けば、危機感からか慌てて思考を復活させる。

「と、轟くん、もうこれ以上は…、」
「…それ、やめろよ。」

彼から目を逸らし、我ながら細々しい声で抗議すれば、何かが癇に障ったのか、少し低い声が返ってきて。
思わず、彼の顔を見る。
すると、そこには何だか切なげに私を見下ろす瞳があって。どういうことなのか、全く状況が読み込めない私の頬に、冷たい右手が添えられる。

「…いつもみたいに、名前で呼んでくれ。」

切なげに、その言葉が彼の口から溢れた瞬間、私の心は悍ましいほどに凍り付く。

ああ、やっぱりそういう事か。
私は一体、何を期待していたというのだ。
彼が私とどうにかなりたいなんて、思う訳がないのに。
鋭利な刃物が突き刺さったみたいに、胸が痛くて苦しくなる。

思わず震える唇は、すぐに彼の名前を紡ぐことなど出来なかった。



─ ─ ─彼には好きな人が居るらしい。

遡ること数時間前、雄英同級生の飲み会に参加した私は、偶々上鳴くん達がそんな話しているのを耳にした。
彼とは同じ事務所に在籍していて、唯一の同期ヒーローであるはずなのに、そんな事などこれっぽっちも知らなかった。

学生時代からずっと好きだったのに。
それなりに仲がいいと思っていたのに。
なのに、私は何も知らなかった。

そんな残酷な事実に、心はどんどん虚無感に見舞われていく。

きっとそれを盗み聞きした後の私の顔は、相当酷いものだったのだろう。
気を利かせてくれた女の子達は、2次会は女子会にするのだと、颯爽と私をその場から連れ出してくれた。

2次会でも、皆んなは私に何も聞かないでいてくれた。
きっと私の性格を加味してくれてのことだろう。その優しさがとても温かくて、心に沁みた。

そんな女子会という名の2次会もお開きになり、店から家までの道を1人歩いた。こんな夜遅くに女性1人で出歩くなんて、褒められたことではない。しかし、店から家まではタクシーを利用するほどの距離ではない。しかも職業上、その辺の敵であれば返り討ちにできる自信があったため、何も迷うことなく深夜の夜道を歩いた。

しかしその道すがら私が出くわしたのは、敵でも何でもない、よく見知った男の姿だった。

まさか、何で今彼がここを歩いているのか。確かに、彼の家の方向はこっちだった気もするけど。
でも、別々に飲んでいた筈の彼と、同じ時間に同じ道を通るなんて…本当に信じられない。

最悪のタイミングだと内心焦ったものの、すぐに目の前を歩く男の様子が何だかおかしい事に気付く。
顔は涼しげなのに、足元がふらついていて、真っ直ぐ歩けていない。
これは、さすがに不味いのでは無いだろうか。 

慌てて彼の隣に立ち、大きな背中に手を回して支えてやる。すると、「お、」と小さく声を上げた轟くんは、ちらりとこちらを見て、そして柔らかく微笑んだ。

これは、相当酔っていらっしゃる。
彼は普段こんなになるまで飲まない人だ、きっと上鳴くんや瀬呂くん達が面白がって酔いつぶしたのだろう。

さて、これからどうすればいいのか。
思っても見なかったイレギュラーな状況に、傷心したはずだった彼への恋心などすっかり頭の中から抜けていて。
私の家はここから近いが、彼を連れて帰るのも如何なものか。そんな事をすれば、真面目な彼はきっと酔いが覚めた頃に凄く申し訳なく思うはずだ。

それなら酔いが醒めるまでは、と近くのホテルの一室を借りることにした。これならきっとそんなに畏まって謝られることはないだろう。
そこが所謂、ラブホテルと呼ばれる場所であることは、部屋に入ってから気づいたことだ。

何をやっているのだ私は…と呆れながら、一先ず彼をベッドに寝かせて、水を取りに行く。
そして、ベッドに横たわる彼へと水を差し出そうとした矢先、彼は私を組み敷いた。
そして、冒頭に至るわけだ。



私から名前を呼ばれるのを静かに待っている彼は、今相当酔っている。
私ではない誰かを思い浮かべながら、名前を呼ばれることを期待している。

彼は、いつも彼のことを名前で呼ぶ誰かと、今目の前にいる私を重ねている様だ。

さっきまでの頭がクラクラする様な激しいキスも、低く囁くように放たれる甘い声も、熱を帯び色めいたその表情も、全部私に向けられたものではなかった。
それがどれほど残酷なものか、きっと彼は知らない。

人の気など何も知らず、まして今自分が組み敷いている女が誰かも分からず、とても幸せそうな顔で私を見下ろしている彼。
なんて酷い仕打ちなのだろうか。
私が一体何をしたというのか。
こんなの、耐えられる訳が無い。

ずっと好きだったのに。今もすごく好きなのに。私は所詮、誰かの代わりなのだ。
そう思えば、泣きたくなる程に惨めな気持ちになる。

今すぐにここから逃げ出したい。
今ならきっと、何も無かった事にできる筈だ。

そんなことを考えていれば、不意に切なげに顔を歪める彼の顔が視界に留まる。

それを見た瞬間、ここから逃げようと必死に巡らせていた思考が停止してしまう。

なんで、貴方がそんな顔をするの。
その顔をしたいのは、こっちだというのに。
唇を噛み締め、溢れ出てしまいそうな感情をぐっと抑える。

この期に及んでも、まだ私は今目の前に居るこの男のことが好きで、どうしようも無くて。
頭の中で感情がぐちゃぐちゃになって、もうどうすればいいのか分からない。

彼に、こんな顔をさせたかったわけではない。
さっきみたいに、幸せそうに笑っていて欲しくて。
彼にはいつも幸せでいて欲しくて。


「焦凍、くん…、」

愚かな私は、また一つ嘘を重ねてしまう。
彼の望む誰かのフリして、優しく大切にその名を呼ぶ。

たったそれだけなのに、彼はさっきまでの曇った表情などまるで無かったかの様に、一瞬のうちに蕩けるような緩やかな笑みを浮かべる。
それにまた、心臓がどくりと跳ねる。


「好きだ、愛してる。」


形の良い唇から、低く囁くように様に紡がれる。

ずっと、その言葉を望んでいた。
冗談などではない、気持ちが籠った本当の言葉。

他の誰でもない私に触れながら、私の目を見ながら、彼は確かに私に向かってそう言った。
なのに、どうしてこんなに胸が痛いのか。
決して受け取ることのできないその言葉は、ふわりと宙を舞って消えていく。

そんな愛の言葉と共に優しいキスが降り注げば、彼の手はそっと私の身体へと触れる。
ゆっくりと丁寧に、どんな小さな反応も逃さないとでもいわんばかりに。

一層のこと、手酷く抱いてくれればいいのに。
ただ欲望のままに貪って、愛なんて何一つ感じないぐらいに滅茶苦茶にしてくれた方が、まだ踏ん切りがつく。

しかし、目の前の男は根からヒーローで紳士なのだろう。
盛大に酔っているくせに、初めての私に不安なんて何一つ感じさせないくらい、優しくて丁寧な手付きで触れ、私の事を心配するように「大丈夫か?」と何度も繰り返し聞いてくれて。
本当に、ずるい人だ。
こんなの、どう考えたって愛されていると思ってしまう。

首元にかかる彼の吐息が熱くて、心臓が跳ね上がる。
ただ彼にしがみつくことしかできない私を、逞しい腕は力強く手繰り寄せてくれて。ぴたりと肌が触れ合って、お互いの熱が混じり合う。

何度も何度も名前を呼べば、その度に甘くて蕩けそうなキスが返ってきて。
それが本当は誰に向けられたものだったのかなんて、もはやどうでも良くなっていた。

今、彼の心は確かに満たされていて。
そして、同じく私の心も満たされている。

その事実だけで、もう十分だ。

こんなのおかしい。間違えている。
心のどこかでそう思っているのに、今だけは彼に触れていたい、愛されていたいと思う愚かな自分もいて。

何度か愛し合えば、自然と力尽きる様に眠ってしまった彼。
そんな彼の腕をすり抜け、その辺に散らばった服を再び身に纏う。

もう、これで終わりだ。
愛され幸せに浸る偽りの時間も、彼へと片想いをしていた時間も。

痛む身体に鞭を打ち、彼を起こさない様に、そっとその場を去った。


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