#8 彩雲


「緑谷。俺、名字のことが好きみてぇだ。」

そう唐突に、まるで今日は晴れだと言う時と同じように淡々とした口調で、轟くんが初めて僕にその気持ちを伝えてくれた時のことを今でもよく覚えている。

何の前触れもないその告白に、その時僕は思わず飲んでいたお茶を盛大に吹いてしまった。そんな僕を見てキョトンとした顔で「悪りぃ、大丈夫か?」とタオルを渡してくれる轟くん。
誰もいない2人きりの寮のロビーでの出来事だった。


それは、まだ僕達が雄英に在籍していた頃、1年生の仮免試験の直ぐ後ぐらいの話だ。
仮免を取得して轟くんよりも一足先にエンデヴァー事務所へインターンに行ってしまった彼女に、きっと色々と思う所があったのだろう。
インターンで不在の彼女の席を見つめながら「早く追いつかねぇと…。」と呟く轟くん。そんな彼の隣から「うっせぇ、そんなん一々言わんくてもわーっとるわ!」とかっちゃんがいつも通りに茶々を入れていた。

僕や麗日さん、それに上鳴くんたちは、轟くんが名字さんのことが好きだという事に薄々気が付いていた。しかし、当の本人はからきしだった。
だから、インターンをきっかけに彼なりに色々と考え、そして漸くその結論に至ったことが何だかとても嬉しくて、応援したい気持ちで一杯になった。

そんな轟くんの想い人である名字さんは、勉強も戦闘も人並み以上にできる優秀な人で、しかし、それでいて自身の能力を鼻にかけることはない穏やかな人だった。
人当たりが良く優しくて、とびっきりの美人なのに笑った顔はどこか幼く可愛くて。雄英では密かに彼女のファンクラブが存在していたぐらい、彼女は学年問わず人気があった。

そんな彼女と轟くんは、誰がどう見てもお似合いで。実は既に付き合ってるのかなと思うぐらい凄く仲がいいのに、本人達はいつも気持ちを違えるばかり。
彼女の方も、よく見れば轟くんに気があるような素振りを見せるのだが、ただそれだけ。仲の良い女子の皆んなにも本心は語らず、ずっと黙っていた様だ。きっと叶わない恋だと思い込んで、自分の気持ちを押し殺していたのだろう。

当時の僕達は、そんな2人が早くお互いの気持ちに気付けるように、それはそれは様々な手を尽くした。…つもりだった。でも、人からの好意に慣れない彼らは、どうしてかいつもすれ違ってばっかりで。
もどかしい攻防戦を繰り広げていれば、あっという間に10年が経ってしまっていた。
さすがにここまで気持ちが伝わらないなんて思ってもみなかった僕達は、よく皆で一緒に頭を抱え込んだものだ。

いつも嬉しそうに口元を緩めながら名字さんの話をする轟くんは、何年経っても変わらない。本当に彼女のことが大好きなんだろうなと、何となく伝わってくる。
10年もの間、彼女のことを一途に想い続けてきた彼に、どうにか幸せになって欲しいと、ずっとずっと思っていた。

だけど、そんなある日、もどかしい両片想いを続けていた彼らの間に、とんでもない事が起こってしまった。

「…俺、名字以外の誰かとしちまったなんて、今でも考えらんねぇ。」

そう言って烏龍茶を煽る轟くんは、本当に酷く悲しげな顔をしていた。
ずっと好きだった、あんなにも一途に恋焦がれていた彼女を裏切るようなことをした自分が許せないのだと、轟くんは悔しそうにその綺麗な顔を歪ませていて。
思わず、胸がぎゅっと掴まれる様な感覚に襲われた。


あの日、轟くんが誰だか分からない女性と時間を過ごす少し前、僕達は雄英の同級生と一緒に飲み会を楽しんでいた。そこでは、いつもお酒に強い轟くんを酔わせてみたらどうなるのか、なんて話を男子勢でしていて。お手洗いから帰ってきた轟くんに、上鳴くんや瀬呂くん達は敢えて名字さんの名前を出して、お酒を沢山勧めていた。それを涼し気な顔で飲み干していく轟くんが、まさか記憶を無くしてしまうほど酔っていたなんて、誰一人として思わなかった。

最後の方になって、漸く轟くんの様子が少し変だと言うことに気づいた僕は、酒を煽る轟くんを止めた。流石の轟くんでも、やはりこれは飲み過ぎだ。しかし、僕達との受け答えもしっかりできている轟くんに、別にそこまで酔っている訳では無さそうだと、焦っていた胸を撫で下ろした。
だから、一人で帰れると言って歩き出した轟くんを、誰も止めることはなかった。

だけど、その選択が完全に過ちであったことを知ったのは、次の日に轟くんから、あの夜何が起きたかを聞かされた時だった。
僕達は、本当に轟くんに取り返しのつかない事をしてしまったのだ。

酔った勢いで誰かも分からない人と身体を重ねてしまった動揺と罪悪感、ずっと好きだった彼女を裏切ってしまった後悔。
轟くんの声や表情からはそれが痛いほどに伝わってきて、息が苦しくなるほど胸が痛くなった。

轟くんを、助けなければ。
僕ができる彼への償いは、轟くんの不安や罪悪感が少しでも拭える様に、相手の女性を探し出すこと。
それは現実的に考えてとても厳しい事だけど、そんな事を言ってはいられない。兎に角、今はやるしかないのだ。

そう決心した僕は、それから毎日血眼になって相手の女性を探した。

すると、事態は思わぬ方向へと進んでいく。

なんと驚くべき事に、あの日轟くんが酔って身体を重ねてしまった相手は、実は轟くんの想い人である名字さんである事が分かったのだ。

こんなことが、果たしてあってもいいのだろうか。
轟くんは彼女を裏切ってなんかいないし、あれほど謝罪をしたいと願っていた相手は、実は毎日顔を合わせて話をしていた彼女自身であっただなんて。
神様は一体どうして、こんなにもお互いを想い合う彼らに、ここまで残酷な仕打ちができるというのか。

その事実を知ったところで、流石に轟くんにあの日の相手は実は名字さんだったみたいだ、なんて正直に言える筈もなく。
信じられないその事実に困惑し動揺していると、偶然にも街で捜査をしていた彼女と出会した。いや、まさか。もしかして、僕は誰かに試されているのか。そんな事を思わざる得ないタイミングで現れた彼女に、ごくりと息を呑む。この絶好の機会を絶対に逃す訳にはいかない。そう考えながら、何とかして彼女とゆっくり話ができる状況に漕ぎつけた。

名字さんはきっと、轟くんみたいに酔って記憶が無くなっている訳ではない。全部覚えている筈なのに、それを轟くんに何も言わずに黙っている。
密かに想いを寄せていた轟くんと一夜を過ごした筈なのに、どうしてそんな事になっているのか。
こんな事を考えるのは野暮だが、もし轟くんが優しく彼女に触れていたなら、彼女は轟くんに愛されていることに気が付き、黙って逃げ出したりしなかった筈。だからと言って、もし轟くんが乱暴に事に及んでいたなら、彼女が今まで通り轟くんと接しているのは可笑しい。
もしかしたら、そこには僕の想像を絶するような事実があるのかも知れないと思い、彼女にそっと尋ねてみた。

すると、彼女は今にも泣き出してしまいそうな顔をしながら、轟くんは自分ではなく他の誰かを思い浮かべながらしていたのだと、そう答えた。
僕は思わず絶句した。
あんなにも名字さんの事を一途に想っている轟くんに限って、そんなことは絶対に有り得ない。それなのに、名字さんにはそれが微塵も伝わってはいなくて、彼女は愛されていたのは他の誰かだと確信している。
彼女がそんな気持ちを抱いたまま、あの日轟くんに触れられていたなんて知らなかった。いくら好きな相手とは言え、男性に迫られ怖くて不安だった筈なのに。彼女は轟くんのことを一つも悪く言う事はなく、それどころか、別に好きな人がいる轟くんと身体を重ねた自分が悪者だと思っていて。
彼に軽蔑されたく無いのだと、黙っていてほしいのだと、あろう事か僕に頭を下げたのだ。

そんな彼女の姿に、胸が張り裂けるほど痛くて苦しくなった。
そんなことを、彼女がする必要なんて一つもない筈なのに。

あの時、僕が轟くんにお酒を勧める悪ふざけを止めていれば。一人で帰ろうとする轟くんを家まで送ってあげていれば。
彼女がこんな風に傷付くことなどなかったのに。

何をどう振り返っても、あの日の自分がどうしても許せない。
誰よりも2人の幸せを願っていた筈なのに、僕のせいで、こんな最低な形で彼らの関係を歪めてしまうなんて。悔しすぎて、言葉が出ない。

彼女がこれ以上自分自身を責めない様に、轟くんへの気持ちを失ってしまわないように、君の力になりたいのだと我儘を言った。そんな僕に彼女は少し驚き、戸惑いながらも首を縦に振ってくれた。









そして、あれから数日が経過した。彼女から特に何の連絡もないまま日々を過ごしていた僕に、彼女ではなく轟くんからのメッセージが届く。
「悪りぃ。今晩、話せるか?」というシンプルな彼らしいメッセージを受け取った僕は、その問い掛けに二言返事で了承した。

いつもの居酒屋に集まり、そして最近では当たり前となった烏龍茶を2人分注文する。ジョッキいっぱいに烏龍茶を注いで持ってくる店主は、常連である僕達がいつからかお酒を頼まなくなった事も勿論知っている筈で。
しかし何も聞いてこないところが、とても有り難かった。

出てきた料理を綺麗な箸使いでつまむ轟くんは、かなり浮かない顔をしている。そんな彼の様子に、きっと良くない話が飛び出してくるのだろうと何となく察する。
一人、静かに覚悟を決めていれば、彼はまるで溜息を吐き出すかのように苦痛の一言を口にした。

「…名字に、嫌われちまったかもしんねぇ。」

そんな轟くんの言葉に、思わず唖然としてしまう。
急に、どうしてそんな事になったのだ。
いや、彼がこうして嫌われたのではと勘違いするパターンは、この10年で数え切れないほどに経験してきた。きっと今回も何か思い違いがある筈だ、そう殆ど確信しながら確認する。

「ど、どうしたの?何があったの?」 

そう尋ねれば、轟くんは手元にある烏龍茶をじっと眺めながら、一つ一つその考えに至った経緯を口にしていく。

先週末に名字さんと一緒に彼女のドレスを買いに行った事、サポート会社のパーティにお互い出席した事、彼女が他の男の人に強姦されそうになっているのを見つけて、怒りでどうにかなってしまいそうだった事。
その時に、勢い余って言ってしまったそうだ。
彼女を手に掛けた男への苛立ちや醜く歪んだ憎悪を。

そしてその日から、彼女は轟くんのことを何処か避けている様子らしい。
会話も何故だかぎこちなく、いつも真っ直ぐに向けられる瞳が、ずっと手元にある様だ。

「きっと名字は俺の気持ちに気づいて、迷惑だと思ったから避けてるんだ。」

そう言って酷く傷付いたように顔を歪める轟くんに、彼は本当に名字さんの事が好きなのだと感じる。

だが、もし彼の言った通り名字さんが轟くんの気持ちに気付いたとして、果たして彼女は本当に彼の事を避けるだろうか。
ずっと轟くんのことが好きで、あんなにも切なく胸が痛くなるほど悲しい顔で、轟くんに嫌われたくないと言っていた名字さんが、彼に好かれていると知って避けるなんて、まず有り得ない。
それに、これまでの10年間、轟くんの猛アタックに散々勘違いをしてきた彼女が、ここにきて素直に轟くんに好かれている事を認めるなんて、どう考えてもおかしい。
きっと、彼女は何か良くない勘違いをしているに違いない。

「その、避けられているのは何か別の理由があるんじゃないかな?」

そう轟くんを励ますように、少し明るめの声を掛ける。
すると、彼はとても深く息を吐きながら首を横に振る。

「…他に理由なんて、思いつかねぇ。」

そんな、まるで根を上げる様な弱りきった声色に、心が苦しくて堪らないのだと訴えかけられているような気持ちになる。
轟くんは、完全に名字さんに嫌われてしまったと確信しきっている。このままでは、どんどんいけない方向へと向かってしまうだろう。
例え2人の間にとんでもない真実が隠されていたとしても、ずっとあんなにも想い合ってた2人が、こんな形で結末を迎えるなんて、あってはならない。

弱りきった轟くんを説得できるような言葉を、頭の中で必死に探す。

「名字さんと、もっとちゃんと話をした方がいいんじゃないかな?…何かの勘違いかもしれないし。」
「話って、何で避けるんだって言うのか。そんなこと、今更俺が聞くのも可笑しいだろ。好きじゃねぇから、俺の気持ちが迷惑だから、俺を避けてるに違いねぇのに。」
「そ、そうと決めつけるのは、ちょっと早い気がするよ…!君はそれを直接彼女の口から聞いた訳じゃないんだよね?」
「聞かなくたって、こんだけ避けられてんだ、そんなの分かるだろ…っ」

そう少しだけ声を荒げた轟くんの顔は、切なそうに歪んでいて。ぎゅっと胸が痛くなる。
そうじゃない、君にそんな言葉を言わせたかった訳じゃないんだ。彼女ともっと向き合って、そしてお互いの心の底を晒し合うべきだと、そう言いたいだけなのに。
うまく伝えられない自分が悔しくてたまらない。

でも、絶対にこのまま食い下がる訳にはいかなくて。
暗く影を落とす轟くんの心に靡く言葉とか、心が報われる温かい言葉とか、僕にはそんな気の利いた言葉なんて一つも思いつかない。
だから、ただ心に思ったままの言葉を口にする。

「僕が知ってる名字さんは、自分に好意を持ってくれている人を、そんな無下に扱う様な人じゃない。
…君が知ってる彼女も、そういう人じゃないのかい?」

僕のその言葉に、轟くんは弾かれる様に俯いていた顔を上げる。
そして、そのまま此方へと向けられた色の違う綺麗な瞳は、何だかとても困惑している様子を浮かべていて。きっと、轟くんも心のどこかでは僕と同じ事を思っているのだと言うことに気付く。

「ああ…でも、そう思い切れる自信が、俺にはねぇんだ。」

そう言って、ぐっとお箸を握りしめる轟くん。
ああ、そうだ。彼はいつだって、自分を嫌う人間のことは軽んじて受け入れるのに、誰かに愛されることには自信がなくて。
こんなにも他人思いで優しくて、一人の女性をずっと一途に愛し続ける格好良い人なのに、彼は自分自身の魅力に全然気付いていないのだ。

「名字さんは君のこと、凄く大切に思ってたはずだから、きっと大丈夫だよ。」

今はそんな事しか君に言ってあげられないけど、でも彼女は君が思う何百倍も、君のことを好きだと思っているんだよ。
少しでも轟くんが自信を持てるように、心の中で何度もそう訴えながら、彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。すると、目の前に座る轟くんは、少しだけ驚いた様な顔を浮かべていて。そして、少しだけ躊躇ったような素振りをしながら「…話、してみようと思う。」と小さく呟くように口にした。









轟くんと話をしたあの日から、2日が経った。
仕事の合間や移動中には、轟くんは名字さんと上手く話ができただろうか、また拗れてしまってはいないだろうか、なんて事を不意に考えてしまう。我ながら、2人のこととなると異常なまでに心配になってしまう癖みたいなものが、この10年の間に染み付いてしまったようだ。

そんな中、ヒーローデクとして緊急チームアップ要請を受けた先で、珍しく名字さんと一緒になった。
一昨日の今日で、これは何かのドッキリだろうか、なんてことを思ってしまうが、流石にそうではなさそうだ。真面目な顔で人質救出の作戦提案をする彼女に、やっぱり隠密行動に長けた彼女はこの手の戦略立ても凄いなあと改めて思った。

そして任務の合間の待機時間、休憩室に一人座りながら深く息を吐く名字さんに、さっき自販機で買っておいた温かい飲み物を差し出す。

「隣、いいかな?」

そう静かに声を掛ければ、僕の気配に気付いていなかったのか、名字さんは慌てて顔を上げてこちらを見る。そして、勢いよく頷きながら「うん、もちろんどうぞ。」と言って隣の席を引いてくれた。

僕から差し出された飲み物を受け取りお礼を言う彼女は、心なしかいつもよりも浮かない顔をしていて。きっといつもの僕なら、仕事が大変で少し疲れてるのかな?なんて事を思っていただろう。しかし、今の僕の頭の中には轟くんの言葉が渦巻いていて、彼女がこうなっている要因が轟くんを避けている理由と繋がっている気がしてならなくて。

「何だか元気がないみたいだけど…どうかしたの?」

彼女の顔を覗き込むようにしてそう問い掛ければ、彼女は驚いたように目を丸めてこちらを見る。

「そ、そうかな?いつも通りだと思うけど、な…、」

そう言って、あははと誤魔化すような笑みを浮かべる名字さん。その様子からして全然いつも通りではないことは明らかだ。きっと轟くんと一緒で、彼女も相当何かに悩んでいるのだと察する。
恐らく彼女がこうなってしまっている要因を突き止めなければ、轟くんと2人で話し合ったとしても、更に誤解を重ねてしまうだけかもしれない。

彼女の様子からして、きっと僕にそれを話す気はないことは何となく分かる。でも、このまま何もせずに見過ごす事などできなくて。
空笑いを続ける彼女をじっと見つめていれば、きっとこれ以上誤魔化す事などできないと察したのか、少し困ったような笑みを浮かべて彼女は俯く。

「み、緑谷くんは…その、知ってたのかなって……」
「?…僕が、何を…?」
「えっと、轟くんと八百万さんが、その…付き合ってたこと、」

そう言って、名字さんはぎゅっと唇を噛み締める。
ああ、そう言うことか。彼女の放ったその一言に、轟くんから聞いていた不可解な彼女の行動全てが繋がっていく。
彼女は、何故か轟くんと八百万さんが付き合っていると勘違いしている様だ。という事は、恐らく彼女は2人の邪魔をしてはいけないと、身を引く思いで轟くんのことを避け始めたのだろう。

どうしてそんなとんでもない考えに至ったのかは分からないが、一先ずこの誤解を正さなければ2人は先には進めない。

「多分だけど、2人は付き合ってはいないと思うよ。」

彼女を安心させる様に、2人の関係を否定する。
しかし、そんな僕の言葉に彼女が驚いたり、安堵したりする事はなく、俯いている表情は何故か更に曇っていってしまう。

「そうかな…でも轟くんは八百万さんにずっと片想い、してたんだよね?」
「えっ!?」
「え?」

思わず驚き声を上げれば、彼女も同じように驚いて声を上げる。
一体どういう事だ、彼女の中ではどんな風に話が拗れてしまっているのだ。全然話が見えないままだが、兎に角彼女の誤解を解かなければと言葉を探す。

「そうかな?そんな話は…」
「誤魔化さなくてもいいよ。私、知ってるの…轟くんが誰かに片想いしてること。飲み会で上鳴くん達が話してるの、聞いたから。」

そう言って此方から視線を逸らした名字さんは、ぐっと何かに堪える様に顔を強張らせる。
彼女の言う、飲み会で上鳴くん達が話していたというのは、十中八九名字さんのことだろう。まさか彼女があの時の会話を聞いていて、しかもこんな変な風に誤解をしていたなんて、全然知らなかった。

ああ、どうして君たちはいつもこうなってしまうんだ…!
膨れ上がるもどかしさに、轟くんがずっと昔から愛しているのは君だけだと、思わず口にしてしまいそうになるのを抑える。

「…確かに、轟くんはずっとある人に片想い?をしてるけど…。それが誰かは僕の口からは言えないけど、少なくとも八百万さんの事じゃないのは確かだよ。」

そう、八百万さんでなければ、轟くんと仲の良い女の子なんて、もう君しか居ないだろう。そんな事を心の中で訴えてみるが、どうだろうか。
彼女は僕のその言葉に目を見開き、そして少し泣きそうな顔で視線を落としてしまう。
いや、そうじゃない、どうしてそうなるんだ…!
また掛ける言葉を間違えてしてしまったのだと気付き、内心盛大に焦り出す。

「そう、なんだ。…じゃあ、別の人に私はあんな最低なことを、」

そう言って言葉を止めた名字さんは、これまで見てきたどの瞬間よりも、辛そうに顔を歪めていて。
その苦痛の表情から、彼女がこんなになるまで自分を責め続けていたのだという事実を思い知る。

名字さんは、何も悪くなんてないのに。
彼女は酔った轟くんを介抱しようとしてくれただけで、決してやましい気持ちで轟くんをラブホに連れ込み事に及んだ訳ではないのに。
きっと彼女は、ずっと好きだった轟くんに迫られ、求められて、何もできなかっただけなのに。酔って自分を襲った轟くんを責めるどころか、轟くんや彼の想い人を傷付けてしまった事に心を痛めているなんて。
彼女の気持ちを考えると、悲しくて辛くて堪らなくて、胸が引き裂かれるみたいに苦しくなる。

「君は、最低なんかじゃない。」

もうこれ以上自分を責めないで、最低なんて口にしないで。
そう伝えるように、彼女に向かってハッキリと言葉を紡ぐ。

「誰が悪いかなんて言い出せば、あの日、轟くんが無理して飲むのを止められなかった僕の方が、君よりもずっと最低だ。」
「違う…っ!緑谷くんは最低なんかじゃ…!」

僕の言葉に慌てて首を振る名字さん。
僕があの時、皆んなを止めていれば、轟くんを一人で帰さなければ、彼女は身も心もこんなに酷く傷つく事などなかったのだ。彼女よりも僕の方が絶対に悪い筈なのに、彼女はそうではないと否定する。
自分が悪いのだと言って、僕や轟くんのことを一切悪く思わない。
優しくて、本当によくできた人。
そして、一人で何でも抱え込んで潰れてしまう、とても脆くて儚い人。

「君は誰も傷付けてなんてない…その、何でかは上手く伝えられないけど、取り敢えず君が自分を責める必要なんてないから、それだけは分かっていて欲しい。」

僕が不甲斐ないせいで、本当にごめんね。
君はもうこれ以上、もう何も抱えなくて良いんだ。不安に思うことも、後悔する気持ちも、きっと事実を知れば何にもならないものだった事に気付くのだから。

本当のことを言う以外に、彼女を上手く励ます台詞なんて思い浮かばない。
でも、僕の口から本当の事を告げるのは、きっと許されない事だから。
大事なことが丸々抜けた曖昧な言葉しか今は彼女に言えないけれど、お願いだから伝わってほしい。
轟くんも君も、本当に心からお互いを想い合っているのだと。

そんな想いが一杯に詰まった僕の言葉に、彼女は戸惑ったように言葉を詰まらせる。
そして、両手で目元を押さえつけながら、震える小さな声で言う。

「…分からない、よ。」
「…、」
「どうして緑谷くんがそんなことを言うのかも、なんでこんなにも私に優しくしてくれるのかも、全然分からないよ…っ」

その声色からは、彼女が相当困惑していることが伺える。
ああ、彼女も、轟くんと同じなんだ。誰かに大切に思われることも、愛される事も、受け止められる自信がないから。友達として当たり前のことが、僕からの無償の好意が、きっと不安で仕方がないのだ。

「僕はただ、大切な友人に幸せになって欲しいだけなんだ。」

轟くんには勿論、名字さんにも幸せになって欲しい。
こんな辛くて悲しそうな顔を、していて欲しくなんてないから。

「僕の言葉は、今はよく分からないかもしれない。でも、きっとこれから先、君にも分かる日が来るから…その時まで、忘れないで。」

轟くんが君を好きだと言える日に、君が轟くんにあの日のことを言える日に、今の僕の言葉がどう言う意味なのかがわかる筈だから。

目元を覆っていた彼女の手をそっと取り、そして大丈夫だと伝えるように、ぎゅっと優しく握りしめた。


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