遠くから絶叫が聞こえる。前からばたばた、と足音が聞こえる……紅子はびくびくしながら赤木の腕にしがみついていた。
二人で行ってきたら、と猿飛から渡されたのは「迷宮」のチケットだった。
三人からのプレゼント、という満面の笑みに紅子はありがたくチケットを受け取ったが……これは多分、プレゼントという名の嫌がらせもしくは罰ゲームだ。
歩いても歩いても終わらない「迷宮」は廃病院をモチーフに造られており、それだけでも怖いのに襲いかかってくる幽霊というか、亡霊が恐ろしくてならない。
さんざん悲鳴を上げて逃げまどい、恐怖のあまりハートセットと叫びそうになる赤木を止めるとまた亡霊が襲いかかってくるので二人で逃げる、という繰り返しだ。
「正義の味方なのに……」
心底ぐったりとした赤木の呟きが聞こえる。
「……これは、そういうの関係ないと思うんです……」
いくら正義の味方でも、心霊的なものに対する恐怖を克服しているわけではない。
常識外れな身体能力を誇る赤木が日本的な、じめじめとした陰湿な恐怖に対しても同じような強さを持っているかというと、そうではないだろう。
「一体、誰がここを選んだんだ……」
「……全員一致だと、思いますよ」
うぅ、といううめき声が聞こえる。赤木の絶望のうめきだ。それでもほかのカップルのように彼女を置き去りにして逃げたりしない赤木は偉い、と思う。
手術室では彼氏に置き去りにされたらしい女性が恐怖におののいた表情で一人、部屋を出ていくところを見かけた……
また、遠くで悲鳴が聞こえる。
薄暗い廊下を二人でびくびくしつつ歩きながら、それでも紅子は楽しかった。
普段、どこかに行くと言ってもカラオケかゲームセンターという健全な高校生レベルの付き合いに満足している訳がない。いい大人なんだけど、と思ってはいるが、楽しそうな赤木を見ているとそれはそれでいいか、と思ってしまう自分がいる。
こういう場にこない限り、こんなにおおっぴらにしがみついたりはできないだろう……何の脈絡もなく抱きついたりしたら、絶対に赤木はどこかへ暴走していってしまう。
だから紅子は嫌がらせとも罰ゲームとも思えるプレゼントをありがたく受け取ることにした。
「あ、あのさ……」
「はい?」
赤木は落ちつきなく周囲を見回していたが紅子を見た。
紅子も赤木を見る。
「あの……」
何かを意を決して言おうとしたとき、目の前の扉が内側へと勢いよく開いた。
破裂音にも似た音に二人して文字通り飛び上がり、紅子は絶叫して赤木に抱きつく……最終ポイントの霊安室は、最悪だった。
憔悴しきって出口へとたどり着いた赤木は紅子の手を引いたままふらふらとベンチに座る。同じように紅子も隣に座った。
「口から魂が抜けた……」
呆然とした赤木のつぶやきに紅子は無言でうなずく。
前言撤回だ。あの三人は悪魔かなにかだ。よりにもよってこんな恐ろしいアトラクションを選ぶことはないだろう。
放心状態の二人はしばらくベンチで呆けていた……至る所で同じような状態の人がおり、中には泣いている人もいる。
怖いことは怖かったが一つ、嬉しいことがあった。
時間にして一時間ほど迷宮を巡ったが、赤木は最初から最後まで紅子の手を自分から離したりしなかった。
紅子は立ち上がると赤木の手を離して自販機でお茶を二つ、買った。
「赤木さん」
はい、と差し出したペットボトルを力なく受け取って、赤木は一気にお茶を飲み干す。
隣に座った紅子もお茶を飲んだ。悲鳴を上げすぎて喉が、痛い。
「そういえば、霊安室に入る前、何か言いかけてなかったですか?」
「……あぁ、うん」
照れたように頭をばりばりとかいた赤木は紅子を見つめる。なにを言われるのだろうと思わず背筋を伸ばした紅子にかけられた言葉は思いもよらないものだった。
「俺は迷宮に再チャレンジする!」
「えぇ?」
正義の味方がこんなところで逃げまどったなんて全国の少年少女たちに顔向けできない! と熱く語る赤木に紅子は戸惑う。
「……いや、ここは逃げまどう為の施設ですから」
スルーされるだろうとわかっていながら紅子はつっこみを入れる。予想通りにつっこみはスルーされ、赤木は使命感に燃える表情で宣言した。
「なので、紅子も一緒に来てくれ!」
「嫌です!」
間髪入れずに同行を拒否した紅子に赤木が悲しげな目を向けた。雨の日の子犬のような目をされても嫌なものは、嫌だ。
「どうしてだ!」
「怖いからです!」
「だからこそじゃないか! 障害は高い方が燃えるってものだ!」
「障害でもなんでもありませんから!」
さくさくとつっこみを入れる紅子を意に介した様子もなく、赤木は言葉を続ける。
「それに、一人だとつまらないじゃないか!」
一人でも二人でも、怖いものは怖いですと言いかけて紅子は考える。一人だと怖いじゃないか、ではなく、つまらない、という言葉は何かおかしいような気がする。
考え込む紅子の耳にぽつりと赤木の小さな声が聞こえた。
「……普段、そんなこともないし」
紅子はその言葉の意味を考えて、つい笑ってしまう。
確かに、普段はそんなことをしない。
けれどそれは赤木が必要以上にうろたえるからであって、別に紅子が避けているわけではない。そのあたりを理解しているのだろうか。
全く、どこまでも高校生のようだ……今時の高校生でも珍しいのではないだろうか。
けれど困ったことに、そんなところも好きなのだ。
何事にもまっすぐで純粋な赤木が好きなのだから仕方がない。
赤木はなにがおかしいんだ、と不思議そうに紅子をみている。
「……とにかく、私は一度で十分です! どうしてもっていうなら、猿飛くんや青山さんや黒峰さんを誘ったらどうですか?」
「そ、それは……嫌だな」
うめくように呟いた赤木に紅子は笑いかけた。
「皆さん、どんな反応するんですかね? ちょっと見てみたい気もします」
「そうだな……あいつらが叫んだり逃げたりする姿が想像できないな」
「まぁ、一筋縄ではいかないでしょうね」
見てみたい気もするが、見たくない気もすると言う赤木の手を軽く握る。
「……紅子?」
「そろそろ、行きませんか?」
夕暮れの道を手を繋いだままで歩く。時々すれ違う人たちの顔はぼんやりとしていて、曖昧だ。
自分たちもそう見えているのだろう。
「赤木さん」
「なんだ?」
「……あのアトラクションみたいに、迷ってしまったらどうしましょう」
きょとんとした顔の赤木はそれでもしばらく考えて、力強くうなずいた。
「桃に助けを求めよう!」
「……そう来ましたか」
苦笑いを浮かべて紅子は繋いでいた手を離すと赤木の腕に腕を絡めた。赤木の体が硬直するのがわかる。
「通信も遮断されてしまったら……基地にたどり着くまで、赤木さんは私の手を離さずにいてくれますか?」
空に夜が降りてくる。地平を染める朱と混ざる青、それらを夜が覆い隠していく、一瞬。
「……そんなの、当たり前だ」
声と共に赤木の顔が近くなる……紅子は目を閉じた。
end
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