恋戦隊LOVE&PEACE | ナノ
02


 (dune)

 荒廃した一室に科学者が座っている。何かの資料に目を通し、紙に何かを書き付けていく。一心不乱に作業を進めていくその姿に鬼気迫るものを覚えて紅子は科学者を見ていた。
 やがて科学者は立ち上がると紙をつかみ、白衣を翻して廃墟のような建物を歩いていく。毅然とした歩みに紅子は引きずられていった。
 この世界の、終末の光景。
 科学者は誰かが座るデスクにつかんでいた紙の束を置くと何事かを告げる。
 がさがさとノイズが混じり、よく聞こえない。もう少し、と身を乗り出した紅子の耳に突然声が飛び込んできた。
 
 『では、私は出動する』

 来た時と同じように白衣を翻し、部屋を出ていく。デスクに座っていた誰かが引き留めようとしていたが振り向きもしない。
 長く伸びた髪を後ろでまとめ、眼鏡をかけ、疲れきった横顔はそれでも毅然としていた。
 これが最後の出動になることを紅子は知っている。この男は最後まで毅然としていた。
 見たくない。もうたくさんだ。紅子は何とかしてとどまろうとしたが白衣の後ろ姿に引きずられていく。
 もう、見たくない、と声にならない叫びをあげたとき、紅子は誰かに強い力で引きずりあげられた。
 白衣の後ろ姿が小さくなる。その姿が振り返り、見えないはずの紅子を見て笑った。


 目を覚ますと青山が紅子の手をつかんでいた。

 「……わ、たし」

 青山は心配そうに紅子をのぞき込んでいる。

 「ずいぶんうなされていた。よくない夢を見ていたようだな」
 「ええ……悪い、夢です……」

 夢であり、夢ではない。あの科学者は青山だ。今自分の手をとり、身を案じてくれる青山の未来だ。
 何をすればあの未来を回避できるのか……ゼータですら悩んでいることを紅子は考える。

 「水を飲むといい」

 青山は紅子の手を離すと立ち上がり、しばらくするとグラスに水を注いで戻ってきた。
 無言で差し出されたグラスを受け取って紅子は口をつける。強い炭酸が舌を刺激した。気を失っている間に照明をつけたのだろう、部屋はほのかに明るく、暖かな光に満ちている。
 荒涼とした光景とはあまりにも違う。
 残骸の世界からやってきたゼータが世界を守るためにメノスに荷担する気持ちも分からないではない……
 青山はソファに座ると無言でペットボトルの水を飲んでいた。

 「……君が眠っている間に考えていたことだが」

 ぽつりと青山が呟いた。

 「因果律を変えようとしているのか?」
 「……」

 部屋に沈黙が訪れる。紅子はこれ以上の情報を青山に話して良いものか考えていた。世界を壊滅に追いやる原因は、彼らが守るものにあると告げて良いのか。
 何より、科学者である青山がその原因を破壊することができるのか。

 「お答えできません」

 紅子はようやく、それだけを告げた。
 しかし青山は容赦がない。

 「シュレディンガーの猫を知っているか? 簡単に言えば箱の中に猫を入れ、猫が生きてるか死んでいるかという事だ。猫の生死を判断するには箱を開けるしかない。今回はその箱を開け……猫は死んでいた。箱を開けてしまったことで未来は確定した。確定した未来を変えるためには箱を開ける前に遡らねばならない。ゼータがしていることはそういうことだ。そして、箱を開ける行動を止めるためには」
 「やめてください!」

 紅子は耳を防ぐ。青山は言葉を続けた。

 「……箱を開けようとする何者かの行動を止めなければならない。原因があり結果が存在すると言うことを表した言葉を因果律という。君とゼータは因果律を変えようとしているとしか考えられない」

 低い声がふさいだ耳に滑り込んでくる。

 「原因は、何だ」
 「……あなたはそのせいで死にます」

 紅子は耳から手を離し、きっと青山を睨んだ。

 「あなたは科学者として、ハートレンジャーの一員として最後まで責任を全うして、それでも世界を救うことができずに死んでいきました。ほかの世界のあなたも同じです。あなたには、なにも、できない!」

 どこの世界にも存在しない自分。
 何かができるとすれば自分だけなのだろう、きっと。
 だから、自分で。

 「誰にも……メノスにも、ゼータでさえも」

 言葉を荒げた紅子に青山は悲愴なまなざしを向けた。それは自分の未来を告げられた事ではなく、紅子に対する感情。
 かつて紅子がゼータに抱いた感情と同じ思い。

 「私はいいんだ」
 「……?」
 「この仕事に就いたときから死は覚悟している」

 死にたくはないが、と言って青山は笑う。紅子は笑う青山を見ていた。

 「……君は、一人でこの世界を背負うつもりなのか」

 ふらりと立ち上がった青山は紅子の肩を両手でつかんだ。温かい手。
 あの白衣の科学者には誰かいたのだろうか、と紅子は思った。死を覚悟して去っていったあの人は最期に誰かの事を思ったのだろうか。
 
 「こんなに細い肩で?」

 あまりに悲しげな目で見つめられて紅子は身動きがとれない。肩をつかむ手は優しいが小さく震えている。

 「私たちが……私ができることはないのか?」

 紅子はようやく、小さく首を横に振った。しかし青山は大きく首を振る。

 「君のことは私たちが守る。だから、君は」
 「できません!」
 「私は、君に」

 青山は紅子の強い言葉に絶句してうなだれた。そして絞り出すように、言った。

 「君に、以前のような服を着てほしい……」
 「……どうして、ですか」
 
 悪夢に追われて黒い服を身につけた。以前のような服を着る気力はない。
 色とりどりの服は、紅子が何も知らず幸せだった日常の名残だ。

 「君が好きだ。初めて見たときから」

 思わぬ言葉に反応できないでいる紅子に黒い服で現れた時も、と青山は言った。

 「すぐにわかった……黒い服の君はいつも悲しげで、消えてしまいそうに思えた。だから私は、君と話がしたかった。できれば」

 うなだれていた青山は顔を上げると紅子をまっすぐに見て言葉を続ける。
 紅子はただ呆然と青山の告白を聞いていた。

 「Jガーディアンズに連れていきたかった。君は一人ではないんだと言いたかった……一人ではなにもできないんだ、人というのは」
 「青山さん」

 紅子は初めて青山に向かって青山の名を呼んだ。

 「ありがとう」

 できれば何も知らないときに青山に会いたかった。時間を巻き戻してしまいたくなった。
 ぎこちない笑みを浮かべた紅子を見て青山は眉をひそめ、そして抱きしめた。

 「私は君を助けることすらできないのか? 君の細い肩が重圧につぶされていくのを見ているしかできないのか」

 低い声がかすれる。紅子は目を閉じてその声を聞く。低く心地よい声。腕を上げると青山の背中をそっと抱いた。

 「さよなら」
 「!」

 そう囁いて紅子は青山の腕をするりと抜ける。そのままベッドを降りようとしたが腕を捕まれた。

 「行くな」

 青山は紅子を引き戻すとベッドに押し倒した。そのまま紅子に覆い被さるように抱きしめる。
 紅子は青山の腕をほどこうとしたが強すぎる力に逃げることができない。抗う手が青山に顔に触れて眼鏡が外れた。
 青山は外れた眼鏡を拾うとベッドの上に置く。

 「お願いだから、ここにいてくれ……」

 懇願ではない、半ば強制に近い言葉だったが紅子は逆らえなかった。眼鏡越しではないまなざしに抗う手を止める。
 整った顔がにじむ。紅子の頬を涙が伝った。
 この人はいずれ死んでしまう。そんな思いがこみ上げてきて紅子はぼろぼろと涙をこぼす。
 青山は少し困ったような顔をして涙を拭う。指についた紅子の涙を舐めると目の縁に口づけた。
 涙を吸い、頬に流れていく涙を舐めて青山は紅子の唇を塞ぐ。
 投げだした手に長い指が絡み、紅子はその手をしっかりと握った。
 黒い服を脱がしていく手は優しい。素肌に触れた指に紅子は白衣の科学者の事を思い出した。

 「あの人は」

 紅子の呟きに青山が手を止める。

 「あなたは、最後の出動のときに笑っていた……」
 「……君を思い出したんだろう」

 紅子、と耳元で名を呼ばれて紅子は目を閉じる。見えるのは薄い薄い明かりだけ。あの光景はもう、見えない。
 閉じた瞼に柔らかなものが押し当てられる。その優しさとは裏腹に青山の手は紅子の服をはぎ取っていく。
 下腹部にひたりと手のひらが触れた感触に紅子は息をのんだ。


 黒い服を身にまとう。
 青山は何かを思案している表情だった。ドレスシャツを着崩し、頬杖をついてソファに座っている。

 「……私は」

 部屋を出ようとした紅子は青山の呟きに振り返った。
 じっと紅子を見つめている。

 「必ず君を連れていく」

 どこに、と聞かず紅子は少しだけ笑って部屋を出た。青山も今度は止めなかった。
 言葉なら聞いた。耳に残る囁きや息遣いは忘れないだろう。
 体の奥深くに残る感覚を思い出すことはあるのだろうか……
 夜の街に出ると少年が立っていた。

 「遅かったね」
 「少しね」

 紅子はゼータと並んで歩く。紅子がゼータに対して抱いた感情と、青山が紅子に対して抱いた感情はきっと似ている。

 「きみ、誰かを選んだね」
 「え?」
 「ほんの少しね……未来が変わっている」

 ゼータはぽつりと呟いた。

 「……青山玲士が笑いながら出動していったよ」

 科学者は笑いながら死地へと向かった。
 
 「私は、何をすればいいんだろう」
 「きみはきみの思うままに。僕は強要しないよ……」

 だって、僕はきみの事が嫌いじゃない、とゼータは残念そうに笑って夜の街を見渡した。

 「時代の特異点に選ばれた人間が、強くあってくれればいい、とは思うけどね」

 きみの支えになるように、きみを最後まで支えてくれるように。
 そんなゼータの呟きに紅子は密かに笑う。
 悪夢はもう見ない。今はそれで十分だ。夜の夢に時折でいい、訪れて笑ってくれればいい。
 立ち止まり、ホテルを振り返る。明かりが灯る窓のどこかで青山はまだ思案に暮れているのだろうか。
 また、会う時まで、と紅子は別れの言葉を告げて歩き始めた。

 end


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