恋戦隊LOVE&PEACE | ナノ
jesus


 (Jesus, don't you love me ?)


 非常灯の明かりだけを頼りに階段を駆け登る。
 計画通り、マスターキーは手に入れることができた。ならばなんとしても逃げ切らねばならない。捕らえられたとしても、マスターキーだけは青山に渡さなければならないだろう。
 逃走経路を塞がれた紅子は屋上へと追いつめられていた。階段を登りながらマスターキーに発信機を張り付ける。
 ここで捕まる気など、ない。
 必ず戻ると約束したのだから。
 ……それでも、約束を守れない事があるかもしれない。
 紅子、と耳元で雑音混じりの聞き慣れた声が聞こえた。

 「紅子です。マスターキーは手に入れました、現在屋上に向かっています」

 ややあって、了解したという返事が返ってくる。本当であれば地下の非常口から脱出するはずだったが、青山はその事を一言も問うことはしなかった。

 『……追われているのか』
 「はい」

 まだ姿は見えないが、階段を駆ける足音だけが聞こえている。耳元では雑音だけが聞こえていた。

 『民間人か』

 民間人を傷つけることは青山の本意ではない。もちろん紅子も同じだ。たとえ操られ、正気を失っているとしても手が出せない。
 テロリストというレッテルを貼られ、追われる身となってもそれだけはできなかった。各地に潜むレジスタンス達と共闘できないのはその一点で徹底的に意見が食い違うからだ。
 時折、思う。
 「彼ら」も同じなのだろうかと。

 「いえ、戦闘員です」

 雑音の中で冷たい笑いが聞こえた。

 『それはいい。君は屋上で待機、次の指示を待て』

 ……その代わり、戦闘員に対しての報復は苛烈だ。スーツを封じられているので以前のような戦い方はできなくなったが、青山の仕掛ける戦術は容赦がない。
 紅子は階段を登りきり、鉄の扉に体当たりをして屋上へと飛びだした。
 ひんやりとした夜の空気が熱を持った体を冷やしてくれる。藍の空に浮かぶ満月は煌々と地上を照らしていた……
 空は常に変わらない。都市がどんなに荒廃しようと冷ややかに見下すだけだ。
 紅子は月を見つめて呼吸を整え、地上を見下ろす。
 光を失った都市はどこまでも静かで、紅子は以前の雑踏を懐かしく思い出した。
 そんな追憶も耳障りな奇声に破られる。道化師のような服に身を包んだ戦闘員たちが屋上に現れて紅子に近づく。
 待機を命じられた紅子はゆっくりと後ずさり、手すりに背を押しつけた。
 キイキイと何かを話し合っている様子の戦闘員は首を傾げたり考え事をしているようだったがやがて話がまとまったようで、一斉に紅子を見る。
 ここであの三人のうち、誰かを呼ばれたら紅子と青山に勝ち目はないが、どうやらそれはないようだと判断して紅子はマスターキーを握る手をゆるめた。
 女一人の反乱者と判断したらしい戦闘員たちが紅子に手を伸ばした時、耳元を何かがかすめて戦闘員の体を後方にはじきとばす。
 紅子の背後から次々と銃弾が飛び、戦闘員たちを狙撃していく。髪や耳元をかすめる銃弾を恐ろしいとは思わなかった。
 狙撃手は他の誰でもない、青山だ。自分に当てることはないと信じていたし、たとえ当たったとしても構わない。
 うっすらと笑みを浮かべた紅子と、正確無比な狙撃に次々と屋上に姿を現した戦闘員たちは恐れをなしたのか、遠巻きにしたまま動こうとはしない。
 そんな戦闘員たちに対して銃弾は容赦なかった。
 雑音が聞こえる。

 『私が合図をしたら飛べ』

 返事は返さず、ジャケットの内ポケットに手を突っ込んでマスターキーを密封してから紅子は銃に手をかけた。
 こんな物を使い慣れる日が来るなんて思ってもいなかった。
 手渡される贈り物がこんな無骨なものであっていいはずがなかった。
 欲しかった物はこんなものではなかった。
 狙撃が止んだことに気づいた戦闘員たちは戸惑いつつも紅子に近づき始める。
 後悔しない日などなかった。自分を責めない日はなかった。それでも今こうしてここにいるのはかつての思い出があるからだ。
 欲しかったのは、青山の隣。
 研究に没頭する青山の隣だ。
 紅子は躊躇いなく銃を構えると慣れた手つきで戦闘員に狙いを定める。

 「……返して」

 あの賑わいを、明るい光を、大切な人々を……甘い夢を、淡い恋を。
 仲間達を――大切にしてきた全てを。
 紅子は自分の意志で引き金を引いた。道化師が一人、また一人と倒れていく。
 
 『飛べ』

 何かに囚われるかのように引き金を引き続けた紅子は青山の声に我に返る。
 銃を納めると背中を預けていた手すりから落下するように紅子は屋上から飛んだ。落ちる瞬間に右手首につけていたバングルからワイヤーを飛ばして手すりに巻き付けたが、この高さではワイヤーが足りない。
 落下していく中で紅子は土煙を上げて疾走する何かを認めた。視界がわずかににじむ。
 ワイヤーが限界まで伸び、その反動で紅子の体は跳ねるように上昇して肩が抜けるような痛みを訴えた。
 自発的に切断されたワイヤーの支えを失った紅子の体が前方に放り出され、落下する。この高さは二階建てのビル程度、と妙に冷静な頭で思った瞬間、紅子の体を青山の腕が抱き止めた。紅子を受け止めた惰性を殺すようにバイクが走る。
 
 「……申し訳ありません」
 「構わない」

 バイクを止めた青山は無言で後ろに乗れ、と紅子に示す。

 「どうするか……」

 青山らしからぬ呟きが漏れたのは、ここがメノスの拠点の一つであるという事実からだろう。
 後部座席に乗った紅子は青山にしがみつく。その手をぽんぽんと叩く手は、なにも心配しなくてもいいと言っているようだった。
 耳障りな声が聞こえて、青山の体がわずかに緊張する。
 そんな中、轟音が迫った。その音に青山も紅子も振り返った時、青山と紅子の側にバイクが砂煙を上げて乱暴に停車する。
 ライダーは二人、どちらも黒づくめの男だ。

 「煙幕」
 「わかってるよ」

 ハンドルを握る男の声に後部座席の男が軽く答えて何かを地面に叩きつけた。
 とたんに煙が周囲を包み込み、混乱した奇声が巻き起こる。その中で断末魔のような声が聞こえ始めていた。
 青山はゴーグルを降ろす。紅子は煙に思わず目を閉じた。

 「退避するぞ、青山」
 「後はよろしくね、リーダー!」

 何かを問う暇も与えられず、バイクが急発信する。忘れようのない声が聞こえた気がするのは幻聴なのか。
 しかし声は青山を呼び、煙の中にいるであろう人物をリーダーと呼んだ。罠かもしれない、けれど、と混乱する紅子はひときわ強く青山の体を抱いた。


 「基地はなぜか破壊もされずに封鎖されている」

 暗い中に青山の淡々とした声が流れていく。
 軽い声が答えた。 

 「……それで、マスターキーを奪ってきたってこと?」
 「そう。まずは拠点を手に入れたい」

 紅子が奪ったキーはすでに青山の手元にある。

 「けど、どうして奴らは基地を破壊しなかったんだ?」

 場違いに明るい声が流れた。その声を聞いていると何も変わらないような気がして、紅子は少し笑う。

 「思い出、なんじゃねぇの?」

 飄々とした声が笑いを含んでいる。どう言うことだ、と青山が水を向けた。

 「Xの大切な思い出の一つなんだろうよ」
 「思い出――まさか」
 「裏切り者にも懐かしむ昔があってもおかしくないだろ」

 俺達にだって懐かしむ昔はある、という言葉に誰もが黙ってしまう。その沈黙に耐えかねたかのように明るい声がした。

 「とりあえず! そういう難しい話はまたにして!」
 「難しいっていうか、暗いっていうんだよリーダー……」
 「しばらく国外にいたからな、日本語を忘れちまったんだろ」

 あきれたようなため息が二つ聞こえる。変わらないやりとりに紅子はつい声を漏らして笑ってしまった。
 
 「あ、紅子ちゃんやっと笑った」
 「奈月としては青山じゃ物足りなかったんじゃねぇか?」
 「な……なんて破廉恥な事を言うんだ!」
 「俺は、笑いの要素が足りねぇって言ったつもりなんだがな……」

 思わせぶりな事を言うんじゃない、という叫びが響く。青山も声を殺して笑っているようだった。

 「……基地奪還の計画は一任していいわけか」

 先ほどとはうって変わった冷静な声が青山の笑いを止める。

 「ああ……ただ、各人が所有している戦力のデータをできるだけ早くもらえるとありがたい」

 行動は早いに越したことはない、という言葉に誰もが頷いたように思えた。
 突然、光が射し込む。薄明るい、夜明けの光だ。
 開かれたドアの光の中で懐かしい顔が見える。

 「すぐに戻ってくるからな!」
 「オレもオレも! だから玲ちゃん、二人っきりだからって紅子ちゃんに妙なことしたらダメだよ?」
 「何言ってんだよ、おまえらは……俺はそんな事言わねぇから好きにしろ。何なら俺も参加してもいいぞ?」

 誰がそんなことをするか、と言う青山の言葉に赤木は安堵したように、猿飛は疑わしげに、黒峰はせせら笑って外へと出ていった。
 暗い部屋にはいつものように、二人だけが残される。

 「泣くな」

 わからないように涙を拭っていた紅子はその言葉に青山を見る。暗い中、隙間から差し込む明かりで青山の表情が見えた。

 「君は大切な戦力なのだし、ここで気を緩められても困る」
 「……はい」

 それにしてもと言う青山の言葉からいつも感じていたそこはかとない暗さが消えたことに紅子は気づく。

 「あいつらは変わらないな」
 「変わっているのかもしれません……」

 仲間と離れ、活動を強いられる辛さは身にしみてわかっている。自分は青山がいたからまだよかった。それぞれがなじみある土地へと潜伏し、紅子とは比べものにならない強さを持っていたとしてもやはり辛いのではないだろうか。

 「そうだな。だが、変わらない」

 青山は長く彼らを見ていた。だからこそそう言えるのだろう。

 「だからここに戻ってきたんだ」

 楽しげに呟いた青山の横顔は、いつか研究室で見た横顔のようだ。
 その笑みに紅子は祈らずにいられなかった。
 いるのか、いないのかすらもしれない神に。

 end


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