恋戦隊LOVE&PEACE | ナノ
stay


 「今日は」

 食堂で顔を合わせた瞬間に同じ言葉で話を切り出したが、続く言葉は全く異なる内容だった。

 「花火大会があるそうですよ」
 「手伝ってもらいたい仕事がある」

 紅子も青山もお互いの言葉を聞いて、一瞬止まる。

 「……仕事ですか」

 花火大会と仕事。どちらが大切かなんて言われずともわかっている。紅子もいい年の社会人だ。

 「そうだ」

 悪いが、という言葉は猿飛の陽気な声にかき消された。

 「紅子ちゃ〜ん!」

 背後からひょいと顔を出した猿飛は沈み気味の紅子といつものように無愛想な青山を見比べる。

 「……二人とも、座ったら?」

 そうだな、そうだねと口々に返事をして三人で同じテーブルに座る。猿飛が紅子の隣に座るのはいつものことだ。

 「猿飛くん、どうしたの?」
 
 話を促すと、猿飛は嬉々として花火大会の話を始めるが、青山の先約がある。今までの経験上、こんな時間に声をかけられると言うことは時間外の作業になることがほぼ決定したようなものだ。
 時間内に終わるものであれば、青山は声をかけない。

 「青山さんの仕事を手伝わなきゃならなくなって……」
 「……玲ちゃん、鬼?」

 猿飛は青山をにらみつけるが青山は平然として出汁巻き卵を食べている。

 「仕方がないだろう。急ぎの仕事だ」
 「にしてもさ、他の人に頼んでもいいんじゃない? 最近、仕事って理由で紅子ちゃん拘束しすぎだと思うけど」
 「……奈月は入力が正確だし早い。他の人、というなら奈月並の助手を捜してくれると実に助かる」

 猿飛の言うとおり、青山の仕事を手伝うことが多い紅子だが、総務や経理のように決まった仕事があるわけではなく、時間の融通が利く紅子のような存在は青山にとってうってつけの助手なのだろう。
 元々事務方の仕事をしていた紅子にとって、入力作業は慣れた仕事の一つだ。嫌だとは思わないし、むしろその方が楽でいい。
 猿飛は子供のようにむくれて青山を見ていたが、仕方ないか、サブリーダー様の命令だもんねぇ、とぼやいて紅子を見た。

 「とっておきの場所にご案内しようと思ってたのにな〜……残念」
 「ごめんね」
 「紅子ちゃんが謝る事じゃないよ。仕事なら仕方ないし」

 また今度、違うところにいこうねと猿飛は紅子に笑い、青山にはあんまり仕事入れないでよ、と釘を刺して食堂を去っていった。
 にぎやかな猿飛が立ち去ると、テーブルは急に静かになる。周囲の騒音などそっちのけで紅子と青山の周りだけが静かだ。
 もくもくとアジの開きを食べていた青山は紅子の視線に気づいたようで、箸を止めた。

 「すまないな」
 「いえ、いいんです……急ぎなんでしょう?」

 紅子の言葉に青山はしばらく考えて、まぁ、そうだ、という歯切れの悪い答えを返す。
 その様子に少し引っかかるものを感じたが、紅子はあまり深く考えずにプレーンオムレツを食べた。
 本当は花火を見たかった。しかしそんなわがままを通して許される年齢ではないし、わがままを許してくれる先輩でもない事は良く知っている。
 もし、高校生ぐらいだったら青山に散々わがままを言い散らしてひどくお説教を食らっていたのだろう。
 それはそれで楽しいのかもしれないと紅子は笑う。

 「なにか、楽しいことでもあるのか」
 「いえ……どうしてです?」

 唐突にそんな言葉をかけられて紅子は青山を見る。和定食はきれいに平らげられていた。

 「楽しそうに笑っていたからな」
 「そ……そうですか?」

 お説教されるところを想像してにやにやしていました、などと言ってしまっては変態の仲間入りだ。紅子は言葉を濁して紅茶を飲んだ。
 青山はそんな紅子に、仕事の段取りがついたら連絡するが、おそらく午後半ばになるだろう、と予告して去っていく。
 にやけている所を目撃されるとは思ってもみなかった紅子はカットされたメロンをフォークでつつきながら苦笑いを浮かべた。
 その後、赤木の誘いを断り、昼過ぎてからは黒峰のセクハラめいた花火の誘いを何とか断って紅子は青山の呼び出しに応じる事ができた。

 「……疲れていないか?」

 青山は妙な顔で紅子を見ている。はぁ、と紅子も力なく答えた。

 「黒峰さんにさらわれそうになりまして……」

 仕事があるんです、仕事なんかさぼっちまえ、いいえ、この仕事をさぼったらどんなお説教されるかわかりません、怖いです。恐ろしいです。
 そんなやりとりが延々と続いた事は青山には言えない。

 「黒峰がねぇ……」

 青山は何事かを考えていたが、手にしていた書類の束をデスクに置いた。

 「少し休憩してからにするか?」
 「いえ、大丈夫です」

 その言葉を受けて青山は紅子に座るよう指示すると書類を一枚、手渡す。
 書類には何かのデータがびっしりと打ち出しされている。紙ベースの書類を扱うのは千鳥の癖らしいので、これは千鳥から流れてきたデータなのだろう。
 青山は紅子に渡した書類を指し示しながら、入力が必要なものとそうではないもの、計算式に入力するもの、と一通りの説明をする。
 始めはあまりの情報量の多さに面食らったが、慣れとは恐ろしいもので、大体の事は予測できるようになってしまった。
 雑談の合間にそんな事を話したら、千鳥のデータは一見複雑に見えるが、実は決まった様式に則っているので慣れれば楽、と青山が答えてくれた。
 他のメンバーは今でも解読不能だという。
 説明を受けた紅子は書類をキーボードの前に置いて入力を始めた。青山はヘッドフォンを着けて自分のパソコンに向き直っている。
 これもいつものことで、紅子も時々音楽を聴きながら作業を行うことがある。
 そうなると作業終了まで一言も口をきかない。ひたすら作業に没頭して気づけば深夜、それではお疲れさまでしたと挨拶をして青山の元を去る……色気もなにもあったものではない。
 黙々とデータの入力をしていた紅子は何かの音が遠くで鳴っていることに気づく。

 「……花火、始まったんだ」

 ぽつりと呟いて紅子はパソコンで時間を確認した。確か、青山に呼び出されたのが終業時間近くだったから、少なくとも二時間は経過していることになる。
 
 「青山さん」

 この具合だと、仕事が終わるのは日付が変わるか変わらないかの時間になるだろう。ということは青山の仕事は深夜にまで及ぶ。
 作業に没頭する青山を現実に呼び戻して、食事をさせるのも仕事の一環だと紅子は勝手に思っている。

 「……青山さーん」

 肩を叩くとようやくヘッドフォンを外して青山が紅子を見た。

 「何だ?」
 「ご飯を食べませんか?」

 紅子の言葉に青山はそんな時間か、と言いつつ立ち上がる……遠くで鳴る音に青山も気がついたようだ。

 「花火か」
 「そうみたいですね……赤木さんは猿飛くんと見に行くって言ってましたよ」

 部屋を出て食堂に向かいながら青山が笑った。

 「猿飛には悪いことをしたな」
 「一人で見るよりはいいんじゃないんでしょうか」
 「……男と花火を見ても楽しくないと思うが。特に猿飛は」

 あまりに的確な呟きに紅子は笑うしかない。職員たちは花火大会に出払っているのか、食堂にはいつもよりも人が少なかった。メニューも麺類しか出ていない。
 
 「今日は麺しかないんですね……」
 「食べにくる人間が少ないと計算したんだろう」

 紅子はフォーを食べながら花火の音を聞いていた。食堂とは反対側で上がっているのか、花火が見える気配すらない。

 「花火、見えないですねぇ……」
 「反対側で上がっているからな……やはり、見たかったのか」
 「それはまぁ。きれいじゃないですか」

 青山はさっさとおろしうどんを食べ終えて、窓の外を眺めている。

 「……そうだな」

 眼鏡の位置を調節して青山は上の空で答えた。こんな青山はかなり珍しい。ぼんやりしている青山、というものを初めて見た気がする。
 ごちそうさまでした、と箸を置いた紅子はそんな青山を見ていた……疲れているのかもしれない。そもそも、一人で抱えている仕事量が多すぎるのだろう。
 仕事が趣味なので、とさらりと言われた時は絶句した。
 趣味にしても度が過ぎている。

 「行くぞ」

 ぼんやりしていた青山は急に立ち上がると食堂を出て部屋とは逆の方へと歩いていく。あわてて後を追った紅子は普段、立ち入りが禁止されているフロアに入った時点で青山の腕をつかんだ。

 「ここ、立ち入り禁止ですよ!」
 「千鳥の研究室以外なら、私の権限で立ち入ることができる」

 非常灯に照らされた廊下をおっかなびっくりで歩く紅子を振り向きもせずに青山は歩いていく。ただ、紅子に捕まれた腕を振り払ったりはしなかった。
 人気が全く感じられないフロアに遠く、花火の音だけが響く。青山は固く閉ざされた扉にカードをかざして先へと進む。

 「あの……どこに行くんですか……」

 人であふれている場所ばかりしか知らない紅子にとって今歩いている場所は廃墟のように感じられて恐ろしい。
 今、青山がこの手を振り払ってどこかに行ってしまったら二度と戻れないような気がして、紅子は青山の腕を抱きしめた。

 「……奈月」
 「は、はい」
 「ここはお化け屋敷でもなんでもない。なにも出ないし置いていったりもしないから……抱きつかないでくれないか」
 「!」

 紅子はその言葉にはじかれるようにして青山の腕を放す。意識してとった行動ではないが、青山にとっては不快だったかもしれない……しかし、窓もなく青白い照明がぼんやりと照らす廊下は不気味で怖い。
 すみません、と小さく謝ると青山が手を差し伸べる。
 おずおずと手を掴むと青山はまた歩き始めた。
 前を行く青山の表情は見えないが、繋いだ手に少し力を込めると同じぐらいの力で手を握り返される……その感触に今まで感じていた恐怖がふっと消える。
 少し足を早めて、横顔が見えるか見えないか、という所まで近づくと青山が不意に振り向いた。

 「高所恐怖症ではなかったな」
 「……高いところは、嫌いではないですが」

 唐突な問いに首を傾げて答えた紅子にそれならいい、と青山が笑った。その笑みを見ると胸が詰まるような感覚を覚える。
 いつからそんな感覚を覚えるようになったのかは意識していない。滅多に見せない優しげな笑みは紅子を安心させたり、嬉しくさせたり、時折悲しくもさせる。
 青山について階段を上がりながら紅子は思う。
 仕事を手伝ってほしいと言われて、嫌だと思ったことは一度もない。それが徹夜を強いられるものであろうが、パソコンとひたすら向き合うだけで、会話など皆無に等しい状態であっても。
 同じ世界に生きているのに違う世界を見て違う言葉を理解する青山にほんの少し、近づけるような気がしているから。
 階段を上りきった先には鉄の扉がある。青山はやはりカードをかざしてロックを解除すると扉を開いた。
 夏の夜の空気が流れてくる。わずかにひやりとして、昼間の熱を含んだ独特の空気。
 続いて空気を震わせる音。扉から見える限られた空には虹のように色彩を変えながら流れていく光がある。

 「……花火」

 思わず扉の外に出た紅子に青山は、見たかったのだろう? と声をかけて繋いでいた手を離した。しかし紅子は手を離さずに青山を振り返った。

 「はい。青山さんと」

 空気を震わせて破裂音がする。僅かに遅れて明るい光が夜空を昼間のように照らした。
 青山は驚いたような顔をして紅子を見て、目をそらす。

 「私と見ても、何も楽しいことはないぞ」
 「……青山さんと同じものを見て、記憶を共有することができるのは、嬉しいです」

 紅子はそう言って青山の手を離した。ぱらぱらと光が降る中を紅子は歩いて手すりに寄りかかる。
 空が暗くなり、また明るくなった。青山が歩いてくる。

 「君は変わった事を考えるな……」
 「だって、青山さんはいつも私と違うものを見ていますから」
 「それは、どういう意味だ」

 空を仰ぎ見ると大輪の菊のように大きく開いた光が曲線を描いて流れていった。
 空は白く煙り、煙に様々な色がつく。

 「りんごを見ても、私と青山さんが感じることは違うと言うことでしょうか」
 「君は食べごろかどうかを考えたりするわけだな?」
 「青山さんは、どのりんごの交配種なのかを考えるんです」

 軽く笑った青山は紅子の隣で同じように空を見る。

 「花火を見てもそんなものだぞ。火薬の配合や玉や星の詰め方を考えているかもしれない」
 「りんごや花火はその程度ですけど、研究のことになると私には理解しがたい世界なんです」
 「そうか。私にとってはそれが日常だからな」

 だから、という呟きに青山が紅子を見た。

 「時々は、同じものを見てみたいと思うんです」

 音も光も止んで、夜の静寂が戻る。静寂の中に青山の声が聞こえた。

 「君は、本当に変わっている……けれど」

 続く言葉に一際大きな破裂音が被る。言葉が聞き取れず、紅子は青山を見上げた。
 目を射るような光が降ってくる。

 「……青山さん?」

 光の中で青山は紅子の視線から逃げるように顔をそらした。

 「すみません、今、聞こえなかったんですけど……」
 「重要なことではない」
 「……そうなんですか?」

 何となく、ではあるが聞き逃した言葉はとても重要なことのような気がする。
 青山が優しげに笑っていたから。

 「……まぁ、君と花火を見るのも、悪くはないと言うことだ」
 
 そうですかと笑って答えた紅子の手に青山の指が触れた。ほのかに伝わる体温に紅子は安堵する……いつもより少し近くに青山がいるような気がして。

 「仕事……日付が変わるまでに終わればいいんですけど」
 「何とかなるだろう。君が頑張れば」
 「……私がですか!」
 「君のデータ待ちだからな。花火を見た分、頑張ってもらおう……何ならアイスもつける」
 「ハーゲンダッツなら、頑張ります」

 ハーゲンダッツはないな、というぼやきに似た呟きを笑って聞いたとき、稲妻のような破裂音がして空が明るくなった。
 空を見ると息もつかせぬ勢いで花火が打ち上げられている。これが最後の花火なのだろう。

 「すごい! ねぇ青山さん……」

 空を指さす紅子に青山が顔を寄せる。スターマインだ、という声が聞こえる。
 きれいですね、と少し声を大きくして言うと何故か青山は少し黙り、それから笑った。

 「そうだな……きれいだ」

 手に触れていた指が繊細な動きで紅子の指に絡む。
 光の洪水は止まない。このまま終わらなければいいのにと紅子は思い、青山の指をそっと掴んだ。

 end


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