擬人カレシ | ナノ
パンドラ


 人間の夢が天界へ届くことは珍しくない……繰り返し同じ人間の夢が届くことは稀ではあるが。
 少し気になったので夢を辿って降りてみると、「門」に適した資質を持つ人間ではあったが都市自体が「門」の機能を有している。人間と言うよりは都市に原因があるようだった。
 永く人界から離れていた上に理解できない言語で引かれた図面だったが興味ある形状をしていたので都市に居着いてみることにした。
 久しぶりに肉体を持って都市を歩いてみたり意識を飛ばして図面を眺めるのは楽しい。眺める度に新しい物を発見することができて楽しい一方でこの図面を引いた存在はどんな者なのかがほんの少し気になった。
 どうやら人間は進化を続けているらしい。いつかバベルを再構築するのかもしれないが、図面からはそのような意図を感じることはできなかった。
 そんなある日、ぼんやりしている時に限って耳障りな音が聞こえはじめた。聞こえたり聞こえなかったりだがとても耳障りでかすかに懐かしい音に記憶を辿ると随分昔の記憶にたどり着いた。懐かしいがこんな場所で聞こえて良い音ではない。
 辿ってくるとすればあの人間だろうから、気にかけておくことにした。
 「あれ」が出てくるとして、昔と同じ姿形をとるのだろうか。出てこないことに越したことはないがほんの少しだけ気になった。

 「キミ、本当は何が目的な訳」

 研究所を出て街へと歩きながら聞いてみた。酒とプリン食べ放題が目的と言い張っているがこの悪魔が人界に出てくるとロクなことがない。
 堕落の代名詞のような行動を取る悪魔の嗜好品にいつの間にかプリンが加わっていた事には少し驚いた。

 「だから近寄んじゃねぇ! 痛ぇんだよ!」
 「うるさいなー……」

 一定の距離を越えて接近すると体が痛いらしい。しばらく会わないうちに妙な事になっている様子だが姿形は昔と大差なかった。

 「……本当も何も、酒とプリンだっつってるだろ。ま、女は寄ってくれば構ってやってもいいがな」
 「キミがこっちに出てくる時ってロクな事ないからね。戦争勃発したり革命が起こったり……」
 「担当が変わったんだよ。戦争も革命も俺じゃねぇ」
 「そうなの?」
 「そうだよ」

 どうやら悪魔は昔の担当とは異なる「仕事」に従事しているらしい。よく考えてみると悪魔と顔を合わせたのは人界で言えば数世紀前の話だ。時間の概念が存在しないから失念していた。

 「だからお前も人界に降りなかっただろうが」
 「そういえばそうだね」

 人間風に言えば腐れ縁とでも言うのだろうか、うやむやのうちにこの悪魔の担当は自分と決められてしまったので悪魔が悪さをすれば強制的に人界に降りる事になる。最近はずいぶんゆったりしていると思っていたら悪魔がおとなしくしていたせいらしい。

 「……そういえば、じゃねぇよ」

 小さな声で吐き捨てるように呟いた悪魔は大股で前を歩いていく。歩いていくのはいいが一体どこへいくつもりなのだろう。

 「キミ、どこいくつもり?」
 「はぁ?」

 数歩先を歩いていた悪魔は立ち止まり、振り返る。

 「そっちは高原だけど、牛乳でも買うの?」
 「牛乳なんか飲まねぇよ! 俺が呑むのは酒だ酒!」
 「それなら商店街だね。ま、こんな時間から居酒屋は開いてないけど。どちらにしてもキミを野放しにはできないから……」

 休暇中とはいえ、人界に出現した悪魔を放置するわけにはいかない。早々に送り返したいところだが、スタイルショップの店長経由というわけにはいかないので他のルートが見つかるまでは監視する必要がある。
 悪魔はいらいらした様子で話を聞いている。

 「酒屋になら連れていってあげるよ。この国の通貨は用意してるんでしょ」

 だましてかすめ取るつもりなら許さないが通貨を利用して購入するなら口出しするつもりはない。それに酒を呑むなと言えば延々と文句を言うだろうし、暴れられても面倒だ。
 商店街に歩き出すと悪魔は少し間隔を置いてついてきた。離れていても不本意という雰囲気が伝わってくるがこっちだって不本意だ。悪魔と天使というのは人界で言えば水と油のようなもので、交わることがない。交わったとしても結局は別れることになるだけだ。それなのにお互いの気配を察することができるのは非常に面倒だと思う。



 この国の酒はおいしいらしい。
 不機嫌だった悪魔は酒屋で大量の酒を購入したあげく、店員に配達できるのかと詰め寄っていた。妙に人間じみているが考えてみるとこの悪魔は人間に化けて人間をそそのかす事が得意だった。

 「お前は呑まねー……よな」

 大きな瓶を抱えて、水を飲むように酒を呑んでいた悪魔は上機嫌で杯を向けてきたがすぐにおろす。

 「呑まないね。呑めるけど」
 「可愛げねぇな」

 肉体を構築せずにふわふわ浮いていても良かったがせっかく人界に降りたのだから久しぶりに足で歩いてみたい。そんな話をしたら擬人研究所は滞在用にと部屋を用意してくれた。ずいぶん物わかりの良い機関だと思う。家具も備え付けになっていて、今座っているソファはなかなか居心地がいい。
 その部屋が悪魔の監視場所になるとは考えもしなかった。

 「わかってるとは思うけど、結界を作ったから一人じゃ外出できないよ」

 話を聞いているのか聞いていないのか、投げやりな返事を返した悪魔は瓶を床におくと盛大なため息をついた。

 「酒とプリンが途切れなきゃこの際文句は言わねえよ」

 いつになくおとなしく言うことを聞いて、おとなしく結界に落ち着いた悪魔は突然床に寝そべる。

 「ところでお前、今回はどっちだ」
 「……は?」

 悪魔はにやにや笑いながら意味ありげな目つきで頭の先からつま先まで眺めてくる。もし自分が普通の人間で悪魔が肉体を構築していなければこの時点で「魅入られてしまう」だろう。悪魔とはそういうものだ。堕落の魅力に満ちた存在。堕落には快楽がつきまとう。
 その視線で質問の意味を悟り、天使はため息をついた。

 「それは僕が決める事じゃない」

 天使には確たる性別が存在しない。姿形さえもなく、見る者の願望によって形が決まる。今は店長が想像した容貌を元に肉体を構築しているが、性別までは考えていなかったらしい。
 服に合わせて体が変わると言ったら人間はどんな反応を見せるのだろう。

 「なんだ。相変わらずどっちつかずか」

 酔った悪魔の戯れ言に付き合う気はない。図書館で借りた書物を読もうと顔を伏せた瞬間、それなら俺が決めてやろうという声が聞こえた。

 「お前は女だ」

 まるで呪いのように言葉をたたきつけられて顔を上げたときは遅かった。にやにやと笑う悪魔と目が合う。

 「そんなに嫌そうな顔すんなよ。昔は俺の女だったろ?」
 「そんな昔のことは忘れた」

 人界の重力を感じさせないなめらかさで立ち上がった悪魔は近づいて来ると覆い被さるように顔を近づけてきた……昔、むかしの話だ。

 「近寄ると痛いとか言ってなかったっけ?」
 「痛ぇな……けど、慣れるだろ」



 ――昔、むかし。
 悪魔も天使も人間に近しく存在していたお伽噺の昔。
 天使を陥れようとしたのか悪魔を封じようとしたのかはわからない。
 本性を忘れた天使と悪魔が自分たちは人間だと疑いもせずに暮らしていた。それだけの話だ。
 そんな昔の事は忘れた。時間の概念がない次元に存在していると人界で過ごす時間など記憶にも残らない。ただ、肉体を構築すれば当時の記憶が蘇る。それが疎ましくて肉体を構築しなくなった。だから忘れていた……抱き寄せられる感触も、目を閉じて聞いた音も。
 触れてはならない記憶だ。
 交わっても別れてしまう。交わることなどできはしないのだから。
 今、腕に抱いているものとは世界が終わっても交わることができない。
 わずかにうわずった声があのまま一生を終えても悪くはなかったと呟く。そして、名を呼ぶな、と。
 肉体は人間の感情に似た何かをもたらす。人間ではないからそれが何なのかはわからない。けれど腕に力を込めるとそれが消えるような気がしたから力を込めた。
 知ってはならない「何か」は消さなければならない――
 
 早く、ルートを見つけなくてはならない。



 酒を呑んでプリンを食べて、少しばかり女をからかってやろうと思っただけだった。
 女の顔を見るより早く天使の顔を見ることになったのはどういう事だろう……この天使はかつて、自分の「女」だった。正確に言えば、悪魔であることを忘れた男の恋人だった。
 華奢で儚げな容姿に似合わず気が強く、そういうところも可愛いと思っていたようだ。きっとああいうのを「幸せ」と言うのだろう。
 人間は口癖のように幸せになりたいと呟くが、あんなものならどこにだって転がっている。それに気付かないあたりが浅はかであり、愚かだ。ただ、悪魔である自分は堕落の快楽を知っているからそんなことを思うのかもしれない。
 幸せと快楽は別だ。混同してはならない。
 人間が得る快楽などたかが知れている。それ以上の快楽を手にし、与えることができるからこそ悪魔と呼ばれるのだ。それなのに「女」の笑顔と声を忘れることができなかった。
 何かを求めるように差し伸べられた腕に抱かれ、何かを呟く唇をふさいだ……そうやって終わることができるのなら、あのままでも良かった。
 そんなことが許されるはずもないことは承知している。いつかはどちらかが消えてどちらかが残る。そのときに、天使が「気の強い女」の一面を少しでも残していたら自分が消えてやってもいい。
 地獄へのルートを見つけるまでの時間が対価だ。

 end


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