擬人カレシ | ナノ
03


 ハクガとはずいぶん長いつきあいになる。いわゆる腐れ縁という奴だ。
 年を重ねるごとにその関係が希薄になっていくことは感じていた。
 それでいいと思っていた。それがハクガと自分の為になるのだと日菜子は思っていた。
 時折、胸の奥底で何かがちくりとしたけれど、それが何なのかもわからないぐらいの月日は経っていた。
 職場で特定の誰かと親密そうに語らうハクガを見ても特に何を思うわけでもなかったし、日菜子が誰と付き合ってもハクガは何も言わなかった。お互いに、そういったことは話さないと言う暗黙のルールができていた。それがいつからかはわからない。
 誰かと付き合っていると噂が立っている中でも突然、ハクガは部屋にやってきて翌朝帰っていく。この行動だけは理解できないが狐には狐の行動理念があるのだろう。
 日菜子も特に追い返すようなことはしなかった。
 最後に部屋にやってきたのは半年前だ。それから、日菜子はハクガからの連絡を一切無視している、誰にも知られないようにマンションも変えた。
 恐ろしくなったのだ。
 半年前、ハクガは帰り際にこれから恋人と会うのかと聞いてきた。あまりにもさりげない問いかけに日菜子はうっかりそうだ、と答えてしまった。
 答えて後悔した。今までハクガは日菜子に面と向かって恋人の存在を確かめたりしなかったし日菜子も報告しなかった。しかし付き合っている人がいることを隠している訳でもなかった。後悔したのはハクガの瞳を見てしまったからだ。
 獣の瞳が日菜子を見ている。猫のような瞳でハクガが笑っていた。
 ドアを開けながらハクガは呟いた。

 「――僕はヒナを奪いたい」

 くくっ、と小さな笑い声を漏らしたハクガはそのまま出て行ってしまった。氷のような冷たさの風が開け放たれたドアから吹き込んできたが日菜子は全く異なる寒気に襲われて立ち尽くしていた。
 その日のうちに恋人には別れを告げた。
 理由をしつこく聞かれたが言えるわけがない。もしかしたら誰かが危害を加えるかもしれない、などと。
 危害だけならまだいい。命を落とすようなことになる可能性だってあっった。ハクガは呪を扱える数少ない獣だ。そんな馬鹿なまねをするとは思わないが、獣の目を見てしまった日菜子はとにかく自分から恋人を切り離そうと必死だった。ハクガが誰かを傷つけることは止めなければならない。
 とにかくもう嫌になった、別れたいのだと強引に言い切って二度と連絡には応じなかった。そのうちに恋人もあきらめたようで連絡はこなくなった。
 ハクガからは相変わらず連絡が入ってくるがそのすべてを無視し続けた。仕事で顔を合わせることは何度かあったが、連絡を無視していることについては聞かれなかったし日菜子も特に話しはしなかった。
 仕事とプライベートは別だと日菜子もハクガも考えている。それだけのことだ。
 ただ、携帯電話の履歴だけが増えていった。そうやって梅雨明けを迎えた。
 久しぶりに日付が変わるまで仕事に追われていた日菜子はぼんやりしながら歩いていた。どこからか甘い香りが漂ってくる。香りの正体がくちなしの花だとわかるのは部屋に小さな鉢植えを置いているからだ。
 仕事が忙しくてろくに世話もできないのに毎年白い花を咲かせて部屋に甘い香りを漂わせている。
 そろそろくちなしの季節も終わるが、梅雨明けの少し湿り気のある空気にくちなしの香りが漂う夜は嫌いではなかった。
 通りなれた道だがくちなしの香りが漂っているのは始めてだ。どこからだろうと辺りを見回すと道の先に誰かが立っていた。
 昔、日菜子は街灯の下で少年と出会った。黒髪で赤い瞳のとても美しい少年だったことを覚えている。今、道の先に立っているのは青年になった少年だった。
 日菜子は歩き続けた。何の用事があるのか、心当たりは山ほどあるが立ち止まったところで問題が消えるわけではないことはわかっていた。だから歩いた。
 すれ違った瞬間に手首を掴まれる。

 「ヒナちゃん」

 ハクガは髪で顔を隠しているため、口元でしか感情がわからない。ただ、名を呼ぶ口調は仕事の時とは全く異なっていた。

 「……話があるんだけど」

 にいっと笑った口元からは何の感情も感じられない。日菜子はそのことが怖かった。

 「ここで聞くけど……何の話?」

 手を振り払おうとしたがハクガは手を離そうとしない。

 「ここじゃ嫌だ。ヒナちゃんち行こう」
 「嫌よ」

 そう、と小さく呟いたハクガは突然歩き始めた。強い力に引きずられるような形になってしまった日菜子は仕方なくハクガについていく。

 「ちょっと! どこへ行くの!」

 ハクガが歩いていく方向は日菜子のマンションとは逆方向だ。商店街やショッピングモールがある方向でもない。日菜子はハクガと二人きりになることが恐ろしかった。

 「ヒナちゃんが怖がるようなことはしない」

 ふいに立ち止まったハクガは日菜子を振り返る。

 「話をしたいんだ」

 口元はもう笑っていなかったがどこか悲しげだった。日菜子はハクガが誰かと話す時に浮かべる笑顔が大嫌いだった。長い間ハクガを見てきた日菜子にはその笑みに感情を感じることができなかった。

 「ヒナちゃんは僕の手を引いて部屋に連れて行ってくれたよね」

 ハクガは唐突に呟いて手首をつかむ手に力を込めた。

 「とても嬉しかった」

 ずいぶん昔の話だ。日菜子は道ばたでうずくまるハクガに出会い、部屋へと連れ帰った。日菜子は高校を卒業したばかりでハクガは少年にしか見えなかった。二人とも、子供だった。

 「僕は」

 ふいに黙り込んだハクガに日菜子はうずくまって泣いていた少年を思い出す。あのとき、ハクガは山に戻りたいと繰り返し呟いては泣いていた。今は泣いてこそいないが、すがるように日菜子を見た少年そのものの雰囲気を漂わせている。
 これが嘘だというのなら、ハクガは俳優になればいい。そんなことを思って日菜子はため息をついた。
 同じような事を随分昔に考えた事を思い出したのだ。時間は流れたが思うことは変わらない。

 「……わかった。行こう」

 もしかしたら自分も変わっていないのかもしれない。昔、ハクガの縋るような目に負けて手を伸ばしたように、今もハクガの要求を断りきれない。
 嬉しそうにうなずいたハクガは歩き始める。日菜子は手を引かれて歩きながら、随分しっかりした手になったものだと思った。

 −続く−


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