擬人カレシ | ナノ
02


 日菜子と出会ったのは博雅がニンゲンと獣の間をさまよっていた頃だ。それからも「関係」は続いていたがそれだけで、いつの間にか日菜子は「特別なニンゲン」とやらを作ったり消したりするようになった。
 日菜子が博雅のそばで立ち止まったとき、花のような香りがした。
 差し伸べられた手はとても暖かくて優しかった。
 頭を撫でてもらうと混乱していた何かが静かになるような気がした。
 ――手の届かない場所に咲いている花を見つけたような気がした。
 自分だけの秘密にしておきたかった。自分だけの場所にしておきたかった。どこか硬い香りがくちなしのように甘くなる瞬間をずっと感じていたかった。
 それなのに遠ざかっていく。とどめる術を知らない博雅はただ、見ていることしかできない。
 日菜子が「特別なニンゲン」とやらを作ると香りが濁るのも博雅にとっては嫌なことだった。あの香りを一番最初に見つけたのは自分なのに。
 遠ざかっていく香りを、優しい手を、どうしたら引きとめることができるのだろう。そんな事ばかりを考えていた。そして、言ってはならない一言を口走ってしまった。

 「博雅主任……? 主任ってば!」

 耳元できいきいとわめく甲高い声に博雅は我に返る。ニンゲンの女は金属的な声を発することがあり、その声音は絶えず続く博雅の頭痛を助長させた。もっとも、頭痛とは長いつきあいになっているので多少ひどくなったところでどうと言うこともない。ただ、不快だという思いが強まるだけだ。

 「んー? なーに?」
 「面白いお店見つけたの! 一緒にいこうよ」

 店員がみんな猫なんだ、とさもおかしなものを見つけたかのように騒ぐ女から視線を逸らした博雅はいくつかの性格の中から、できるだけ波風を立てない断り方を探した。

 「うーん、ごめんね。今は仕事が忙しいんだ……」

 店員が獣でなにが面白いのかが博雅にはよくわからないが、こんな女とは同行したくない。おまえの勤務先はどんな場所だと問いつめてやりたくなったがそれすらも面倒だ。この女が「現場」に出ることはないだろう。
 博雅はニンゲンが嫌いだが、現場で働くニンゲンは嫌いではない。研究所でも有名なシオンやスタイルショップの店長には一目おいているし、彼らの下で働く若いニンゲン達の事も嫌いではなかった。獣の事を考えてくれていることがよくわかるからだ。

 「そうなの? 最近ずっと忙しいんだね……」

 女の声音には悲しげな気配が漂っている。博雅はその気配を感じていたが外を見る視線を女に戻す気にはなれなかった。この女とも潮時だろう。

 「うん。ごめんね。時間ができたら連絡するよ」
 「……本当に?」
 「うん」

 ようやく女に視線を戻した博雅はにっこりと笑ってうなずいた。ニンゲンの女は自分の笑顔に弱い、ということはずいぶん前に学習した。顔の半ばまでを髪で隠しているというのにどういう事なのだろうか。
 笑顔に騙されないニンゲンの女は、日菜子だけだ。
 女はなぜか安心したように笑うとじゃあねと手を振って研究室を出ていった。ようやく静かになった部屋で博雅は再び視線を外へと向ける。
 庭では獣達が初期教育担当者達とにぎやかに遊んでいた。そんな楽しげな光景を少し離れた場所で日菜子が眺めている。
 本心を口走ったりするのではなかった。あの一言を言わなければきっと、日菜子とは今まで通り、つかず離れずの曖昧な関係を続けることができたはずだ。それで満足しておくべきだったのだろう。
 日菜子は博雅からの連絡に一切返事をよこさなくなった。住まいも変えている。ずいぶん昔、日菜子に「プレゼント」したくちなしがそれを知らせてくれた。
 同じ場所で働いているのだから、どうして返事をしないのかと面と向かって聞くことはできる。しかし、そんなことをしても日菜子の態度が変わることはないだろうし、研究所では博雅も日菜子も「主任」という顔で働いている。常に複数の性格を切り替えながら生活している博雅にはそのことがよく理解できる。
 主任の顔をした日菜子はプライベートを語ろうとしないし、博雅も同じだった。

 「……何、見てるの」
 「外」

 呆れたような累の声に投げやりな答えを返して博雅は体ごと振り返った。累はディスクケースをデスクに置くと腕を組む。

 「外を眺めるのもいいけど、仕事はできてるの?」
 「できてるよ。データなら転送した」

 女には仕事が忙しいと言ったがそれは嘘だ。最近は急ぎの仕事もないし、解析も順調に進んでいる。時間なら有り余るほどある。

 「それならいいけど……あ、予算申請は出しておいたから」
 「……ありがとー」

 主任とその助手という関係だが累は昔も今も頼れる友人だ。特に何も話していないが何事かを察しているらしく、日菜子が関わる予算関係の書類はすべて累が作成してくれる。だから、研究所で日菜子と顔を合わせる回数は格段に少なくなった。
 累は博雅の隣に立つと窓から外を眺めて笑みを浮かべる。初期教育担当の一人、実弥は累が大切にしているニンゲンだ。楽しそうに仕事をしている姿を見て嬉しくないはずがない。

 「――飲みにでも行く?」

 累は外を眺めたままぽつりと呟いた。ニンゲンの姿で生活をしていると行動パターンもニンゲンに近くなるようだ。博雅は累の誘いに笑った。

 「今日はやめておくよ」
 「そう? 気が向いたら声かけて」

 累は笑顔のまま研究室を出ていった。かつかつというハイヒールの音が遠ざかっていくのを聞きながら博雅は椅子に座る。
 こうして悔やんではいるが、同じ瞬間を繰り返しても同じ言葉を口走るだろう。
 見えない誰かから日菜子を奪いたかった。自分だけがそばにいたかった。

 −続く−


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