擬人カレシ | ナノ
04


 (それは恋ではなく)

 浅い眠りは来客を知らせるチャイムで破られた。一度しか聞こえなかったのでもしかしたら夢かもしれないと思いながらベッドから出る。
 ドアスコープを覗くと青年が立っていた。顔は髪に覆われて口元しか見えない……チェーンロックをはずさないまま日菜子はドアを細く空けた。

 「……どなたですか」

 警戒心を全面に押し出した日菜子に対して青年は笑っていた。

 「僕」

 外にいる青年がハクガだとわかっていた。ハクガはいつも日付が変わるか変わらないかの時間にやってきたし、なによりも部屋に上げたことがあるのはハクガだけだった。

 「こんな時間に訪ねてくる知り合いはいません」

 それでも日菜子は固い声で言い放つと青年を見た。どうして再びやってくる気になったのか。せっかく、思い出に変わりかけていたというのに。
 その言葉に青年は少し首を傾げる。口元から笑みが消えた。

 「……ヒナちゃんは僕の事を忘れたの」
 「あなたは誰」

 青年は自分からハクガだとは名乗らなかった。だから日菜子は頑なな態度を崩さなかった。
 勝手に消えて勝手に現れて、また部屋に上がり込もうとする。そんなことよりも先に言うことがあるのではないか。人の事をなんだと思っているのか。
 そう言いたかったが言えない。
 青年はためらい、しばらく黙っていた。

 「――ハクガだよ」

 日菜子はチェーンロックを外すとドアを開けた。入るなら勝手に入ればいいと言わんばかりにドアを開け放したまま部屋に戻る。
 照明もつけずにリビングに座り込むとドアが閉まる音と鍵をかける音が聞こえて人の気配が近づいてきた。
 ハクガは無言で日菜子の隣に座る。肩が触れそうな近さだ。それでも日菜子は黙っていた。
 秒針が時を刻む音が妙に響く。

 「怒ってるの?」

 低い声が様子をうかがうように聞こえる。日菜子は無言で頷いた。

 「何で?」
 「……急に姿を消して、急に現れて。姿も声も変わっているのに名前は名乗らないし。怒らない方が不思議ね」

 できるだけ淡々と言ってみたが言葉の端々がどうしても強くなる。ハクガは膝を抱えると頭を伏せた。

 「……褒めてもらえると思ったのに」
 「どうして」

 予想もつかない言葉に日菜子は呆気にとられる。ハクガの一連の行動を褒める人がいたら見てみたいものだ。それ以前に日菜子の隙だらけの行動を責められるだろうが。

 「ニンゲンになったから……」

 以前のようなたどたどしい言葉遣いからは考えられない口調でハクガは呟いた。日菜子はハクガが狐だと信じていなかったし、半ば忘れていた。それに、以前のハクガも今のハクガも変わらず人の姿をしている。昔は狐の耳がありました、今はありませんというなら話は別だが。

 「ハクガは前も今も変わらないでしょうに……」

 成長はしたがしっぽや耳が消えたわけではない。日菜子は深いため息をついた。

 「だって、人の姿をしていたもの。私はハクガが狐だっていうことを信じていなかった。普通は信じないと思う。確かに急に大人になっておかしいとは思うけど……」

 おかしいと思うとすれば急激な成長だけだ。ハクガは伏せていた顔をわずかに上げた。

 「――今も信じてないの?」
 「え?」
 「僕が狐だって信じてない?」

 感情の感じられない言葉でハクガは呟く。どんな顔をしているのかはわからなかった。

 「……そうだね。信じてない」

 条件を並べてみればハクガは人ではないという結論に至ってもおかしくない。しかし日菜子はそう思えなかった……思うことができなかった。初めての男が狐でした、なんて人がこの国に何人いるだろうか。
 会話が途切れて沈黙が続く。

 「これでも?」

 ぽつりと呟いた言葉に日菜子はハクガを見た。顔は伏せたままだ。
 照明をつけないままだから部屋は薄暗い。それでも頭に何か、余計な物がついていることはわかった。先程まではそんなものは確かになかった。
 触ってみようかとも思ったが怖くて手を伸ばすことができない。どうすることもできずにいるとハクガが顔を上げた。
 髪で覆われた顔は表情を隠している。頭には大きくとがったものがあった。

 「……触ってもいいの」

 おそるおそる聞いてみるとハクガは口元に笑みを浮かべる。

 「ヒナちゃんならいいよ」

 返ってきた返事は予想に反して穏やかなものだった。それでも手を伸ばすことをためらっていると何の前触れもなくハクガは日菜子の手をつかみ、自分の頭に置く。

 「頭、撫でて」

 どこか甘えたような言葉は夏や秋に聞いていたものと変わらない。細く、さらさらとした髪の手触りも同じだ。そっと頭を撫でると髪とは異なる質感の物が触れた。
 ふわふわした毛皮の触感に手を止めて日菜子はできるだけ刺激しないように毛皮の部分を指で撫でる。猫や犬の耳に似ている気がする。それなら耳はどうなっているのかと手を滑らせてもみあげのあたりを探ってみたがなにもなかった。
 手を止めた日菜子にハクガは言う。

 「狐の姿を見せるわけにはいかないんだ」
 「……そう」

 考えなければならないことがあるのだろうが考えることができない。日菜子は黙って手を引いた。ハクガもなにも言わない。
 再び、秒針が時を刻む音しか聞こえなくなった。そのうちにハクガの頭が揺れたかと思うと日菜子に寄りかかってくる。あわてて隣を見るとハクガは眠っていた。
 ずるずると力なく寄りかかってくるハクガの頭を支えて膝に乗せ、頭と耳を撫でながら日菜子はため息をついた。
 狐だと言われたときにどうして研究所と結びつける事ができなかったのかを考えてみる。
 日菜子は自分の勤務先が獣の擬人化を研究している場所だという認識がかなり薄い。それは今でも変わらない。それに、どこかで信じていなかった。実は別の研究をしているのではないかとすら思っていたのだ。それに、ハクガが狐であるという告白を信じて研究所と結びつけることができたとして、その後どうしただろうか。
 おうちに戻りなさいと諭したように研究所に戻りなさいと諭すぐらいしかできなかっただろう。ただ、体を許したりはしなかったかもしれない。
 あんなに悲しげに戻りたい、人間になりたくないと言っていたのにどうして人間になる気になったのだろうか。
 今更考えた所でどうしようもないことを延々と考えているうちに寒気を感じた。日中はすっかり暖かくなったが夜はまだ寒い。ハクガを起こさないように立ち上がった日菜子は寝室から毛布を持ってくるとできるだけ静かにハクガにかける。
 肩まで毛布をかけて立ち上がろうとした日菜子は腕を捕まれて動きを止めた。
 腕をつかんだままハクガが体を起こす。

 「……ヒナちゃんはさ」

 膝をついたままの姿勢で動けない日菜子をハクガはじっと見て言葉を続けた。目は髪で覆われているというのに視線を感じる。

 「僕に会いたくなかった?」

 会いたくなかったなら怒ったりしないし部屋に上げたりしない。姿を消した事を冬中引きずったりもしない。
 ようやく思い出になりかけていた存在が再び現れ、その上自分とは違う生き物であると理解したところで会いたくなかったかと聞かれてどう答えたらいいのかわからなかった。
 素直に頷くことができない。

 「――僕は会いたかったよ」

 言葉が流暢になっても、語彙が増えても、姿が青年になっても、会いたかったという言葉は変わらない。日菜子はその言葉を聞くのがとても好きだった……自分と同じことを考えているのだと思うことができたから。
 狐であるハクガは人間である日菜子にどうして会いたいと思ったのだろう。ただ、懐いていただけなのだろうか。
 日菜子は手を伸ばしてハクガの頭を撫でる。

 「わからない」
 「ヒナちゃん……」
 「わからないよ」

 緩やかに首を振って呟くとハクガは腕を掴んでいた手を離し、日菜子の傍に寄ってきた。

 「泣かないで」

 ハクガは困ったように呟いて目の前に座り、顔をのぞき込んでくる。なぜかこぼれる涙を手でぬぐって日菜子は顔を背けた。
 おろおろしている様子が泣いていてもわかる。それでも泣き止むことができない日菜子にハクガは顔を寄せると頬を舐めた。
 温かい感触も変わらない。出会ったときからハクガは狐だった。今も、これからも。
 ハクガの背に腕を回すと日菜子は胸に顔を伏せて泣いた。ためらうようにハクガも日菜子を抱いて少しずつ力を強めていく。
 日菜子が夏の夜に出会ったのは人間ではなく、人間の姿をした狐だった。
 あの夜、狐の求めに応じたように今夜も求めに応じるだろう。
 それが恋であるのか、感情が体に引きずられているだけなのかはわからない。ただそれだけが確かな事だった。


 目覚めるとハクガが隣で眠っていた。
 こんなことは初めてだ。
 すっかり高くなった日差しがカーテン越しに部屋を照らし、その光で日菜子はハクガの整った顔と艶やかな黒髪、そしてとがった耳を見る。
 華奢な少年は成長して細身の青年になった。

 「帰らなくていいの?」

 その言葉に目を開いたハクガは赤い瞳を日菜子に向けてうっすらと笑った。

 「うん」

 ハクガの腕が日菜子を抱き寄せる。
 腕の中で日菜子は再び目を閉じた。いつかまた、ハクガは自分の前から姿を消すだろう。そして二度と現れることはないだろう。
 そんな気がした。

 end


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