擬人カレシ | ナノ
02


 (それは恋ではなく)

 正体不明の少年と出会ってから一週間が過ぎた。
 相変わらず仕事は忙しく、残業が続いていたがそれは日菜子にとってありがたいことだった。
 眠りから醒めると少年の姿は消えていた。玄関の鍵が開いたままだったので日菜子が眠っているうちに出ていったのだろう。家に帰っていればいいけど、と余計な心配をして気がついた。
 少年の年齢も名前も聞かなかった。少年も日菜子に何も聞かなかった。
 これが行きずりの関係というやつか、などと考えたりもしたが休日を終えるころには少年の事で頭がいっぱいになっている自分にうんざりしていた。
 胸のあたりにぽつんと残った内出血のあざが薄れていくのを目にする度に寂しいと思ったし、ぼんやりしているといつの間にか少年の事を考えていた。
 仕事に没頭している時だけは少年のことを忘れていられた。だから日菜子は普段よりも仕事に没頭し、その結果と言っては何だが計算機よりも正確で早い暗算の技能を証明することができた。
 普段、自分を子供扱いする人たちがすごい、とほめてくれたのが嬉しかった。仕事で充足感を覚えて帰路につくと街灯の下で少年がうずくまってはいないかと探してしまう。
 そうやってまた、週末の夜を迎えた。
 シャワーを浴びた日菜子はアイスをかじっていた。内出血のあざはうっすらと黄色を帯びたものへと変わり、よく見なければ肌の色と変わらないほどまでになっている。
 ぼんやりしていた日菜子はふと、あることを思った。
 少年も自分と同じように思っているのだろうかと。
 嘘か本当かわからないことを口走っていた少年のことだから日菜子の事など忘れて、今もどこかの街灯の下で女性を待ちかまえているのかもしれない。けれど、詳しいことはよくわからないけれど、と考えた日菜子は呟いた。

 「あれは、慣れてるって感じじゃないよね……」

 知識はあるけれど経験がない日菜子としては少年に身を委ねるしかなかったが、少年も戸惑っているような部分が多かったような気がする。それも演技なら少年はきっと世界的な名優として名を馳せることができるだろう。
 どちらにしても少年がどこの誰だかわからないのだからどんなに思いを寄せてもかなうことはない。自分が望んだことだから仕方がないが、本当に浅はかと言うか考えが足りないのだとつくづく思い知って日菜子は深いため息をついた。
 溶けかけのアイスを急いで食べ終えるとテレビでも見ようとリモコンに手を伸ばす。電源を入れたとたんに来客を知らせるチャイムが鳴った。
 深夜に近い時間帯に何事かと怯えながらドアスコープからそっと外を覗くと両手で何かを大事そうに持った少年が立っていた。
 日菜子は慌ててチェーンロックを外し、ドアを開ける。

 「……どうしたの」

 心臓がばくばくと鳴っている音が外にまで聞こえてしまうような気がしたがそっけない言葉しかかけることができない。
 なんとなく薄汚れた感じがする少年は手にした物を日菜子に差し出した。
 何かの苗のようだ。どうやら根元から掘ってきたらしく、土がついているから両手で持つしかなかったらしい。

 「これ、くれるの?」

 少年は深々と頷き、日菜子をじっと見ている。土のついたままの物をそのまま部屋に持って入るわけにもいかなかったので少し待ってくれるよう少年に頼み、キッチンにあるビニール袋をもって急いで玄関に引き返した。
 急がないと少年がどこかへ消えてしまうような気がしたのだ。しかし少年はおとなしく待っていた。

 「ありがとう」

 苗を受け取って土のついた根の部分だけをビニールに包む。妙につやつやした濃い緑の葉がついた苗は一体何の植物かわからないし、少年がどうして苗をくれたのかもわからない。
 日菜子が苗を受け取ったことで満足したのか、少年は少し笑うとその場を立ち去ろうとした。

 「待って!」

 思ったよりも大きな声に日菜子自身が驚く。もちろん少年も驚いたようで赤い目を大きく見開いていた。ここで立ち話をしていれば近所迷惑になるし、何よりも誰かに見られてしまうかもしれない。慌てて手招きをすると少年はおずおずと近づいてきた。
 玄関に招き入れてドアを閉める。少年はここにいていいのだろうかと言う顔をしていた。薄汚れた感じがしたのは土で全身が汚れているからで髪には木の枝が引っかかったりもしている。顔にも白茶けた汚れがついていた。

 「どうして私にこれをくれるの?」

 そう聞いてみると少年はちらちらと日菜子を見ながらうつむいた。

 「……いたいってないてた、から」

 そう、ありがとうと言ってから言葉の意味に気づいた日菜子は顔が熱くなる。きっと今、鏡を見たら耳まで真っ赤にした自分の顔が映っていることだろう。少年もうつむいたままだ。
 お詫び、と言うことなのだろうか。
 しばらく玄関に立ち尽くしていた日菜子は慌てて部屋に上がる。そしてうつむいたままの少年をどうしたものかと考えた。
 自分から招き入れておいて帰れとも言いづらい。それに、再び姿を現してくれたことは意外な事だったし嬉しかった。

 「あれから、おうちにはちゃんと帰ったの?」

 とりあえず気になっていた事を聞いてみると少年は力なく首を振る。どうやら「山」には戻れていないらしい。それならこの一週間、少年はどこでどうして過ごしていたのだろうか。

 「じゃあ……今までどこにいたの?」

 その問いかけにも首を振る。ようやく顔を上げた少年はつり上がった目に涙をいっぱいに溜めていた。どうやら帰る、戻るという意味合いの事を聞くと悲しくなるらしい。今いる場所の事も悲しいようだ。

 「もどりたい……」

 聞き覚えのある言葉を口にして少年は泣き始めた。先週はこうなった少年を慰めるのに大変だった。日菜子は慌てて少年に声をかける。

 「泊まっていってもいいよ」

 日菜子の言葉に泣いていた少年はぱっと顔を輝かせた。しかし土だらけの手を見て困ったようにしている。汚れているから部屋に入るのは良くないと思っているのだろうか。

 「顔が汚れてるしお風呂に入った方がいいかもね」

 何度か頷いた少年は靴を脱いで部屋に上がってくる。結構ほこりっぽかったのでそのまま脱衣所へとつれていった。
 洗面台もバスルームも使った事があるから説明はいらないだろうと脱衣所を出た日菜子に少年の声が追いかけてくる。

 「……いっしょじゃないの?」
 「は?」

 思いもしない言葉に日菜子は立ち止まり、一緒じゃないと返事をした。とんでもないことを言うと思いつつリビングに戻った日菜子は頭を抱え込みたい気分になる。先週の事を思い出すと顔が赤くなるか頭を抱え込みたくなるかのどちらかしかない。少年が姿を消したままならそんなことにはならなかったはずだ。
 シャワーの音が聞こえてきたので脱衣所を覗くと汚れた服がひとかたまりに寄せられている。浮き世離れしているところがあるのに汚れている事を気にしたり、服を脱ぎ散らかしたりしないのが不思議だと思う。
 汚れた服をそのままにしておけず、日菜子は洗濯機を回すことにした。今洗って干しておけば朝までには乾くはずだ。
 洗濯機に服を投げ入れて洗濯機を回し始めた日菜子は少年の服が土ぼこりこそひどいが変な臭いがしなかったことに気づいた。どこかできちんとした生活をしている証拠だ。
 野宿生活を送るような羽目にならずに良かったと心底思う。それでも少年は「山に戻りたい」のだろう。少年が言う「山」とは一体どこのことで今はどこで生活をしているのか……気にはなった。
 洗濯機を回しつつそんなことを考えているとバスルームのドアが開く音がした。反射的に振り返り、慌てて顔を背けてからバスタオルを取って突きつけるように差し出す。
 日菜子の手に濡れた指が触れ、少年はバスタオルを受け取った。

 「服も汚れてたから今洗ってる……多分、朝までには乾くから」

 逃げるように脱衣所から出た日菜子はうっかり目にしてしまった少年の体を頭から追い出そうと努力した。つけっぱなしのテレビを見たりして気を紛らわそうとしたがうまく行かない。
 そして少年が着る服がないことに気づく。随分華奢だからきっと日菜子の服でも着ることはできるだろう。慌ててクローゼットからできるだけゆったりしたシャツと半パンを選ぶと脱衣所へ持っていった。下手をすると裸で出て来かねない。
 日菜子のそんな思いを裏切るかのように少年はバスルームにとどまったままだった。体は拭き終えているようだが何かを探すかのように視線をさまよわせている。

 「これ、私のだけど入ると思うから、着てね」

 できるだけバスルームを見ないようにしながら着替えを差し出すと少年は素早く着替えを奪いとった。着替えがないからバスルームから出ることができないと思っていたようだ。
 仕事なら複数の事を同時進行で進めることができるのに、こういうことは一つの事も満足に進めることができない。
 もっともこんな事をしたことがないので仕方がないのだろうが、世の中の女性は一体どうやって対処しているのかが気になった。
 にぎやかなテレビの音声に混じって足音が聞こえる。やがて少年が無言で日菜子のすぐ隣に座った。
 女物でも問題なく着ることができるらしい。地味な色合いの服なので違和感もなかった。
 しばらく黙ってテレビを見ていた日菜子は肩のあたりが濡れている事に気づく。どうしてだろうと肩を見ると少年の髪から水滴が落ちている。

 「髪はしっかり拭かなきゃだめよ」

 夏場だからいいものの、冬なら風邪を引いてしまう。日菜子は脱衣所からタオルを持ってくると少年の頭にかけた。
 少年はタオルをかけられたまま日菜子を見上げている。何となく犬に見つめられているような気がする。無条件で相手を信頼しているような目だ。

 「……拭いてほしいの?」

 つい、聞いてみると少年は嬉しげに頷いた。多分自分の方が年上だから口調も態度も「お姉さん」のようになってしまうが実は少年からコントロールされているのではないかという気になってしまった。
 それでも、懐かれていることに悪い気はしない。膝をついて髪を拭いてやりながら気になっていたことを聞いてみる事にした。

 「君、幾つ?」

 少年は首を傾げるだけで返事をしようとしない。言葉を変えて聞いてみたが結果は同じだった。日菜子は年齢を聞くことをあきらめて名前を聞いてみることにした。

 「名前は? 私は日菜子っていうの」

 人に名前を聞くときは自分から名乗るものだ。少年はしばらく黙っていたが何か重要な事を告げるかのように口を開いた。

 「――ハクガ」

 どう聞いても漢字の名だ。英語圏の呼び名ではないだろう。少年は少なくとも漢字圏の国の生まれということになる。

 「……ハクガ君、か」

 何気なく呟くと少年が緩やかに首を振る。違うというのだろう。

 「ハクガ」

 そして同じ言葉をもう一度繰り返した。

 「え? ハクガ君で間違ってないよね……? 違うの? 何が違うのかな……」

 どう考えても呼び方を間違えたりはしていないはずなのに少年はもう一度ハクガ、と繰り返した。
 髪を拭く手を止めて日菜子は考える。

 「……ハクガ?」

 試しに呼び捨ててみると納得したように頷いてみせるが敬称をつけると首を横に振った。
 少年――ハクガは名前を呼び捨てにしてほしいようだった。

 「滅多に人の名前を呼び捨てたりしないんだけど……いいの?」

 ハクガは日菜子の問いに頷いてからタオルを首にかける。その仕草に気づいた日菜子は髪をさわってみた。
 水分もかなりとれているし、これなら大丈夫だろう。その間、ハクガは黙ってじっとしていた。

 「じゃあ、私も呼び捨てでいいよ」

 そう言って首にかけていたタオルを取り上げるとハクガは口の中で何かをもごもごと呟いている。良く聞いてみると日菜子の名前のようだったがうまく言えないようだ。
 三文字の名前は一文字省略されて呼ばれることが多い。日菜子も親しい友人からはヒナと呼ばれていた。

 「友達はみんなヒナって呼ぶから、ハクガもそれでいいよ」
 「ともだち」

 ハクガはぽつりと呟いてから次にヒナ、と呟いた。二文字だと呼びやすいらしい。何度か名前を呟いてから日菜子に笑顔を向ける。
 何の邪気もない笑顔に日菜子は見とれ、洗濯機の電子音で我に返った。洗濯が終わったらしい。
 服を干してくるねと言って立ち上がる。あのまま見つめあっていたら先週のようなことになるような気がした。
 わざと時間をかけて丁寧に服のしわを伸ばして洗濯物をハンガーにかけると脱衣所のすみにかける。ハクガが使ったバスタオルと髪を拭いたタオルも干してから日菜子はリビングに戻った。
 ハクガはテレビをじっと見つめていたが、日菜子が座ると寄り添うかのように隣にやってくる。おもしろくもないお笑い芸人の映像をぼんやりと眺めていると突然、部屋の照明とテレビが消えた。
 日菜子は驚いて声を上げたがハクガは特に驚いた様子もない。明かりが消えてしまったのでどんな表情なのかはわからないが、少なくともあわててはいないようだ。
 何度かテレビのリモコンを操作してみたがテレビがつくこともないし部屋も暗いままだ。部屋のブレーカーが落ちたのかと考えてみたが照明とテレビ程度の使用電力でブレーカーが落ちるとは考えづらい。
 日菜子はそろそろと立ち上がると手探りでベランダまで歩き、外を見た。
 何もない所だが街灯やほかの建物はある。普段なら明かりがぽつぽつと見える光景も今は夜の闇に沈んだままだ。
 どうやらこのあたり一体が停電しているらしい。研究所で電力を多く使ったのか、送電線が断線したのかは知らないが広範囲の停電のようなので復旧には時間がかかるのかもしれない。
 ただ、国の施設がある以上は速やかに復旧作業が行われるだろうからそんなに心配はしていなかった。強いて言えば冷凍庫に残っているアイスが気がかりだがあきらめるしかないだろう。常温で腐るようなものは入っていなかった気がする。
 暗闇に目が慣れてくるとうっすらとした月明かりで部屋の様子がおぼろげにではあるがわかる。テレビのコンセントを抜き、照明のスイッチをオフにしようと歩いているとすぐ近くに人の気配を感じた。
 ハクガがいつの間にか傍にいた。

 「停電みたい」
 「ていでん?」

 照明のスイッチをオフにすると日菜子はハクガをベランダまでつれていった。外に出るわけではないが、外の景色が見える。

 「ほら、街灯もほかのマンションも電気がついてない。しばらくは真っ暗なままだね……」

 そう言ってマンションがある方向を指さそうとしたとき、ヒナ、と名を呼ぶ声が聞こえた。頬に生暖かい感触がゆっくりと這う。
 日菜子は先週のことを思い出して目を閉じた。

 「――ヒナ」

 次に指が頬を撫でていく。ハクガに抱き寄せられた日菜子は抵抗せず、されるがままになっていた。
 痛いだけで楽しくともなんともなかった。それなのに同じことをされると悟ると今まで感じたことのない感覚が体の内を巡る。

 「ね、ハクガ……」

 目を開くと薄闇の中でハクガが自分を見つめている。華奢な体に腕を回すと体を押しつけた。

 「私に会いにきてくれたの?」

 小さく頷いたハクガはまた、頬を舐める。どうしてこんなことをするのかはわからないがキスをされているような気がした。

 「私に会いたかった……?」

 唐突に強く抱きしめられて日菜子はため息をつく。

 「……あいたかった」

 日菜子の背に回された手が服を強くつかむ。もっと言いたいことがあるのだろう。言葉がうまく出なくて悔しいのかもしれない。どんなことを言いたいのか、いつか知りたいと思った。

 「私もハクガに会いたかったよ――」

 そう囁くと日菜子は目を閉じた。頬を舐めていた舌が離れたかと思うと薄い唇がそっと撫でるように触れて日菜子の唇をふさぐ。
 膝に力が入らず、くずおれそうになる日菜子の体を支えたハクガは唇を離すと日菜子を畳に横たえた。
 華奢な体のどこに、自分を支えるだけの力があるのか日菜子には不思議でならない。体にかかる重みに目を開くとハクガの整った顔が間近にある。

 「ヒナ」

 名前を呼ぶ声に促されるかのように日菜子は手を伸ばしてハクガの頭を優しく撫でた。

 −続く−


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