(ロマンス)
久しぶりに「良い夢」を見たような気がする。
夢に追われて満足に眠ることもできないブラウにとって「良い夢」はとても珍しい。
「……おはようございます」
ぼんやりとしつつも隣で本を読んでいた月子に声をかける。月子はいつものように本を読んでいた。
「おはよう。よく寝てたよ」
そう言われてベランダを見ると昼の光が差し込んでいる。夜中の記憶がないのできっと一度も目覚めずに眠っていたのだろう。どれぐらい眠っていたのかと考えたブラウは一気に目が覚めた。
月子を見るが特に変わった様子はない。
「……月子さん」
「何?」
本を閉じた月子は少し笑ってブラウを見た。
黒目がちの大きな瞳は出会った頃から変わらない。
「あの、俺は昨日……」
「うん。よく寝てたね」
笑った月子は同じ言葉を繰り返す。どんなに考えても月子を抱きしめた先の記憶がない。
「寝ましたか」
「寝てた」
月子にはっきりと断言されてしまいブラウは軽い自己嫌悪に陥った。もう少しだったのにとか惜しいことをしたとかいろんな言葉が頭に浮かんでは消える。
しかし、よく考えてみればしかたがないのかもしれない。
月子の声や鼓動だけが悪い夢を消してくれた。本を読む声を聞いているだけで眠りに誘われた。だから、あんなに近くにいれば眠ってしまうに決まっている。
黙っていろんな事を考えているとくすくすと笑う月子の声が聞こえた。
昨日はそんなに眠っていなかったからあっさり寝てしまったのかもしれない。目が覚めたばかりの今ならどうなのだろうかと笑っている月子を見た。
「月子さん」
「何?」
お腹空いたの、と子供に聞くような口調で月子が聞いてくる。
「これから昨日の続きをするのは駄目でしょうか」
上機嫌に笑っていた月子はあっという間に頬を赤く染めてブラウから離れた。
「なっ……何言ってるの! 今昼よ?」
「日が暮れたら構いませんか?」
「駄目!」
昼が駄目ならと聞いてはみたが駄目と言われることはわかっていた。顔を赤くした時点でこれは断られるだろうなという予想もついた。月子は嫌なときは本当に嫌だと言う顔をするし雰囲気でわかる。
「じゃあ、深夜とか」
「駄目なものは駄目!」
優しげに獣達に接する月子がなぜか自分には突き放したような物言いをしたりろくに話を聞かずに拒んだりする。それを嫌だとか悲しいと感じたことは一度もなかった。聞いていて嬉しくなるのはきっと、言葉の中に照れや戸惑いを感じ取れるからなのだろう。
それに、近くにいても迷惑だと言われたことはなかった。獣の姿でもいつもと変わらず接してくれたし眠れずにリビングで座り込む自分に我慢強くつきそってくれた。
「そうですか……では、次の機会に」
「次はないから!」
ブラウは月子の言葉に逆らうことができない。いつかまた、そんな機会もあるだろう。月子の傍を離れるつもりはなかったし、これから先遠くへ行くこともない。
月子は上気した頬を手で押さえてため息をついている。そんな姿を見ているとおぼろげな記憶がよみがえった。
それは「良い夢」の記憶なのかそれとも現実なのか、もしかしたら「良い夢」は眠っていたブラウが感じた現実なのかもしれない。
わずかに揺れる体。体を抱く腕の柔らかさと穏やかな鼓動。
一緒にいようねと囁く優しい声。
ブラウはとても幸せだった。
end
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