擬人カレシ | ナノ
07


 (親愛なる君へ)

 会話らしい会話をかわすことなく部屋に着くとブラウは興味深げに室内を見回していた。

 「良い部屋ですね」
 「……景色が良いだけです」

 どうやらベランダから見える風景が気に入ったらしく、ブラウは窓の前で外を眺めている。月子にはただ暗い景色にしか見えないのだが、獣であるブラウにはまた違った景色が見えるのかもしれない。

 「寝るならソファを使って下さい。小さくて申し訳ないですけど」
 「ありがとうございます――おやすみなさい」
 
 振り返り、小さく頭を下げたブラウに月子ははいとだけ答えて寝室として使っている部屋に逃げるように入った。
 ドアを閉めて鍵をかけるとベッドに倒れ込むように横になる。疲れる一日だったことは確かだ。
 ブラウのあの笑みは一体何だったのか、部屋に戻る間ブラウはほぼ無言だった。つい、青と口にしてしまったのは袖口を引かれたからだ。
 遊ぼうと言わんばかりに服の裾をひっぱる癖がブラウにはあった。
 肯定も否定も質問もせず、笑って受け流されてしまってはもう一度きいてみることなどできない。少なくとも月子にはそんな度胸がなかった。
 青とは話をしてみたい。今までどこにいたのか、今はどこにいるのか。どうして安日地区にいるのか。聞いてみたいことはたくさんある。だから、昨夜青が何事かを語ったとしてもそんなに驚かなかっただろう。語る獣には慣れている。しかし、研究所へ連れていこうとは思わなかった。考えた事すらなかった。
 なぜか怖かった。その理由は薄々わかっている。気がつかないふりをしていることもわかっていた。
 疲れからくる睡魔が月子を眠りに引き込んでいく。ブラウに毛布かなにかを持っていかなければ、と思っているのにまぶたが落ちた。
 つま先が寒い。目を覚ました月子はなおもうとうとしていたがリビングにブラウがいることと、眠りに落ちる前に考えていたことを思い出して目を覚ました。
 慌てて押入れから毛布を出すと部屋を出る。ずいぶん暖かくはなったが夜はまだ少し寒い。
 薄暗いリビングのソファから足が見える。ブラウは月子よりも頭二つ分ぐらいは背が高い。窮屈で申し訳ないとは思ったが自分のベッドを譲る気にはなれなかったし、寝室に使っている部屋に他人を入れたくなかった。
 眠っているようだったのでできるだけ足音を忍ばせて近づくと微かなうめきが聞こえてきた。うめき、と言うよりは動物の唸りに近いかもしれない。
 月子は眠るブラウを見て眉をひそめた。もし、夢を見ているなら間違いなく悪夢だ。左腕でかばうように隠している顔に苦しげな表情を浮かべ、時折びくりと体を震わせる。
 起こした方がいいのかどうか迷ったあげく、月子は床に座り込んでブラウの腕を掴んだ。その途端にばね仕掛けの人形のようにブラウが跳ね起きる。
 うつむいたままのブラウはしばらく動こうとはしなかった。

 「――月子さん?」

 ようやく顔を上げたブラウは何故ここに月子がいるのかとでも言いたげな顔をしている。慌てて月子は腕から手を離した。

 「ごめんなさい。起こそうかどうか迷ったんですが」

 使って下さい、とブラウに毛布を押しつけた月子は立ち上がろうとしたが腕を掴まれてしまい動けなくなってしまう。
 ぎょっとしてブラウを見るが腕を掴んだままで何かをするようなそぶりを見せることはなかった。

 「あの、離してもらえますか……」

 恐る恐る頼んでみるとブラウはあっさりと手を離した。嫌がることはしません、と言っていたことを思い出す。

 「あなたは俺が苦しいときに来てくれる」

 妙に静かな呟きに月子はブラウを見た。

 「俺はどうだったんでしょうか。つまらない男や利用するだけの友人とは縁を切ることができましたか」

 月子を見ることなく、目を伏せたままブラウは言葉を続けた。

 「水色だろうが何だろうが、あなたの言葉で呼んでもらえることが嬉しかった――話をしたかったですよ、俺も」

 どうしてブラウが青に語った話を知っているのだろうと月子は思っていた。どうしてだろうともう一度考えて答えを出す。

 「青……?」
 「はい。昨夜はペンダントをありがとうございます」

 ようやく笑ったブラウに言いたいことはたくさんあったが、ありすぎて結局、真っ先に思ったことが口をついて出た。

 「昨日、今は人間ですって言ってくれればよかったのに……」
 「申し訳ありません。獣の時は言葉を喋れません。昔は喋れたんですが」
 「それなら昔、何か話してくれたらよかったのに!」
 「そんなことをしたら怖がられるか気持ち悪いと思われるかですよ。どちらにしても月子さんは俺と会ってくれなくなったでしょうね」

 苦笑いを浮かべたブラウにそう言われて、当時の自分のことを考えてみる。

 「……そうだね」

 青と喋ってみたいと思ったのはあの妙な男が「青は喋ることができる」と言ったからだ。何も知らずに喋る獣に遭遇したらきっと幻聴だと思うか何かの仕掛けがあると疑ってかかるだろう。薄気味悪く感じてしまうかもしれない。

 「でも、狐を捕まえてくれたときに教えてくれることはできたでしょ」
 「そうですね。でも、月子さんは信じてくれましたか」

 信じた、とは断言できずに月子は口ごもる。おそらく信じることはできなかっただろう。

 「そ……それなら名前を呼んだ時、返事ぐらいしてくれたっていいと思う……」

 もごもごと言うとブラウは申し訳ありませんと嬉しそうに笑った。その笑みに目を奪われる。

 「あまりに嬉しかったもので、何も言えなくなりました」
 「何が嬉しかったの?」
 「俺が「青」だと気づいてくれたので――気づいてもらえないままでもよかったんですが」
 「……そうなの?」

 ブラウは体の向きを変えてソファの上であぐらをかくと月子に向き直る。少し考えた後、そうですと呟いた。

 「月子さんは青の事を覚えていたし、身を案じてくれた。それでいいんです」

 できれば、ニンゲンの姿の俺の事も同じように思ってくれると嬉しいのですが、と付け加えられて月子は一瞬何も考えられなくなってしまう。
 しばらく沈黙が流れ、ブラウは相変わらず笑って月子を見ていた。青い瞳は穏やかだ。

 「そっ……それはわからないけど!」

 月子は慌てて立ち上がるとブラウの視線から逃げるように寝室へと向かう。ドアの前で立ち止まり、振り返るとブラウはソファの背に腕をかけて月子を見ていた。

 「悪い夢をみていたんじゃないの?」
 「ええ」
 「もう大丈夫なの?」
 「はい」
 「――おやすみ!」

 ドアを閉める寸前におやすみなさいと言う声が寝室に滑り込んできたような気がして月子は軽く頭を振る。

 「……寝よ」

 眠ればきっと、頭の中が整理できるはずだ。寝不足だし疲れてもいる。
 布団にもぐり込んで見た夢は、公園の情景だった。
 そこにいたのは獣ではなく黒髪の少年で、月を眺めている。とても寂しく、悲しげな後ろ姿に思わず声をかけると少年は振り返って無表情に月子を見た。
 うすい水色の瞳が助けを求めているような気がして月子は歩きだした――


 翌日、IDカードを忘れたブラウを連れて研究所に戻ると白衣姿の男女が研究棟の前で待ちかまえていた。

 「……無断外泊というのはいただけないね」

 栗色の髪を巻いた女性があきれたように呟き、ちらりと月子を見る。

 「申し訳ありません。カードを部屋に忘れました」
 「へぇ? わざとじゃないの」
 「とんでもありません。それに博雅さんには連絡を入れておいたんですが」

 月子には白衣の男女とブラウの関係がよくわからない。白衣を身につけているということは研究棟の職員だろうし、会話の様子から何らかの上下関係が存在していることは明らかだ。
 女性は美しい顔に呆れた表情を浮かべて隣に立つ男性を見た。
 男性の顔は半ばまで髪に覆われていて、口元だけがにやにやと笑っている。

 「……博雅? 私は何も聞いていないけど」
 「だって言ってないからね〜」

 浮かれたような声に聞き覚えがあるような気がして月子は記憶をたどった。研究棟の男性職員に知り合いはいない……ただ、博雅という名は日菜子から聞いて知っている。
 解析チームの主任で、獣だ。

 「へぇ? わざと黙ってたってこと?」
 「ブラウの保護責任者は累じゃなくて僕だし? 累に報告義務は……いたたたた!」
 「そういう事は、やることをやって言うべきだね!」

 累と呼ばれた女性は冷たい笑みを浮かべつつ博雅の耳をつまんで引っ張っている。呆れてその様子を見ているしかできない月子にブラウがお手数をおかけしましたと小さく囁いた。

 「あ――うん。この人たちは?」
 「解析チームの博雅さんと助手の累さんです。昨夜の狐の声は博雅さんですよ」
 「……狐なんだ」

 そう呟いたとき、青を呼ぶ獣の声を思い出した。声に呼ばれるように駆けていった青の姿と同時に妙な男の事も思い出した月子は思わず声を上げる。

 「あ!」
 「何か?」
 「博雅さんって、あの変な人?」
 「そうです。変というのは……まぁ、変ですかね」

 ブラウは苦笑いを浮かべている。変、という言葉に耳を吊られていた博雅が反応してひらひらと手を振った。

 「お嬢さん久しぶり〜」
 「何? 月子さんの事も聞いてないよ?」
 「だって話してな……痛い痛い!」

 容赦なく耳をつねりあげている様子の累は月子に笑いかけた。

 「……うちの変人とブラウが迷惑をかけたようで、本当にごめんね」
 「僕は迷惑かけてないよ! ブラウだけだし!」
 「うるさい! 戻るよ!」

 累は博雅の耳をつまんだまま研究棟に入っていく。

 「ブラウも、後で来るように」

 にぎやかな二人が去ってしまうと急に静かになってしまう。しばらく黙っていた月子はぽつりと呟いた。

 「あの人、青はもう来ないって教えてくれた」
 「俺が頼んだんです。俺の育成に関わっていた唯一の獣ですから」
 「そっか」

 研究棟の入り口を眺めていた月子は視線に気づいて顔を上げる。
 ブラウが笑って月子を見ていた。

 「また遊びに行ってもいいですか?」
 「……教室ならいつでも大歓迎よ」
 「月子さんの部屋がいいのですが」

 昨夜と同じようなやりとりを繰り返して月子は目をそらす。

 「――時々なら」

 自分でも聞き取れないような小さな声で言うと打ち消すように大きな声でじゃあねと言って門へと歩きだした。
 少し歩いて振り返るとブラウは研究棟の前に立ったままで月子に手を振る。
 ブラウが研究棟に入って姿を消しても月子はその場から動けずにいた。
 怖かったのは、そんな自分を認めることができなかったからだ。穏やかな獣に恋に似た感情を持ち、その感情を忘れることができなかった。
 夜更けの公園で出会ったのが獣ではなく、夢で見たように少年の姿だったなら、と思う。けれど獣であることには変わりはない。
 月子は思いを振り切るように頭を軽く振って歩き始めた。青が無事に戻ってきたのであれば、それでいい。
 今はそう思うことにした。

 −続く−


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