擬人カレシ | ナノ
06


 (親愛なる君へ)

 居酒屋を出ると商店街の半分ぐらいはシャッターが閉まっていた。ただ、人通りは結構多い。まだ営業している飲食店から出てくる人もいればこれから入る人もいる。
 会計をどうするかで結構もめて、誘った方が払うべきでしょうと言うブラウに押し切られてしまったが月子としては半額払っておきたい。
 ぼんやりと歩いていく人を眺めていると時折手を振ってくる人がいる。きっと獣なのだろう。その一人一人に手を振り返しながら月子はブラウに感じた違和感がわかったような気がした。
 訓練されている者とそうではない者の違いだ。
 今まで特に疑問にも思わず研究所で働いてきたが、どうして獣を人間にしようなどと言う構想が持ち上がったのか。獣たちは純粋に人間になりたいと思っているだけだ。理由は様々だが、どの理由も微笑ましい。
 そんな微笑ましい理由を裏切るような思惑があるのだろうか。月子は眉をひそめた。

 「――どうかしましたか」

 突然聞こえたブラウの声に月子は顔を上げる。

 「いえ、別に」
 「そうですか。それならいいのですが」

 笑みを浮かべたブラウは今日はありがとうございました、と律儀に礼を述べた。こうしていると礼儀正しい好青年にしか見えない。ただ、隠すことなく感情をぶつけてこられるとどうしていいのかわからなくなる。
 結局、青なのかと聞くことができなかった。

 「結構ですよ、今日は俺が無理にお誘いしたので、お詫びです」

 バッグから財布を出そうとした月子をブラウが止める。

 「気をつけてお帰り下さい。それでは」

 部屋についていくと言い出したらどうしようと思っていたがブラウは明るく別れの挨拶をして研究所の方へと去っていった。あまりにもあっさりした態度に拍子抜けしてしまった月子は姿勢の良い後ろ姿をしばらく見送っていたが我に返ってブラウとは反対方向へと歩き始める。
 部屋に遊びに行きたいなどと言っていたので月子なりに警戒していたのだが思い過ごしだったようだ。
 商店街を抜け、住宅街に入って昨夜青と出会った公園にさしかかる。もしかしたら黒い影が佇んでいるかもしれないと思った月子は公園の前で足を止めた。
 公園には誰もいない。獣の姿もない。
 携帯電話で時間を確認しながらそんな都合の良いことがあるはずないと一人で笑っていると背後から足音が聞こえた。
 何気なく振り返ると研究所に戻ったはずのブラウがなに食わぬ顔で歩いており、月子は思わず声を上げてしまう。

 「つ……つけてきたんですかっ!」
 「まぁ、結果としてはそうなりますね」

 月子の叫びをあっさりと認めたブラウは申し訳なさそうな表情で立ち止まった。

 「実は、職員証を忘れてしまいました」
 「……IDカードを?」
 「はい。研究所に戻れません」

 夜間、研究所への立ち入りは基本的に禁じられている。例外として研究所で居住する獣や職員は職員証を提示することで出入りが可能だが、必ず本人であるという証明ができない限りは絶対に入ることができないのだ。
 月子は深いため息をつく。

 「どこに忘れたか覚えていますか? お店とか……」
 「部屋に置きっぱなしです」

 申し訳ないという表情をしてはいるがその口調からは焦りが全く感じられない。むしろ好都合だと思っているのではないかと疑ってしまう。

 「そうですか、大変ですね。それでは私はこれで」

 抑揚のない口調でそう言い切ると月子は部屋へと歩き始めた。わざとなのか偶然なのかはこの際どうでもいい。このまま話を聞いていたら絶対に部屋に連れていけと言われるに決まっている。

 「冷たいですねぇ、月子さん」

 足早に歩く月子に追いついたブラウは大股で歩きながら楽しげに声をかけた。

 「このあたりに宿泊施設がないのはご存じですよね」
 「知り合いの職員に泊めてもらったらどうでしょう」
 「戻ってきたばかりの獣に知り合いの職員なんていませんよ。いるとしたら月子さんだけです」
 「外に住んでいる獣に知り合いはいないんですか」
 「いますが今日は研究所で残業だそうです」
 「その方に頼み込めば良いと思いますよ?」
 「頼み込んでみましたが、徹夜仕事になるそうで断られてしまいました」

 いつの間にか隣に並んで歩いているブラウに気づいた月子は立ち止まり、ブラウに向き直る。

 「うちも駄目です!」
 「……野宿をしろと?」

 にっこりと笑ったブラウはわざとらしくため息をついてみせた。

 「俺は軍人ですから野営の経験はあります。でも、安日区に戻ってまで野営する羽目になるとは思ってもみませんでした……装備もないですし、夜はまだ冷えますからねぇ」

 まるで立て板に水を流すかのようなブラウの言葉に月子は物も言えない。これでは薄情者と言われているようなものだ。
 それでも駄目です、と言いかけた月子は獣の声を聞いた。昨夜、青を呼んだ声だ。
 思わずその声に耳を傾けたとき、ブラウが少し低い声で呟いた。

 「狐の声ですね」
 「……狐?」
 「はい」

 青は狐に呼ばれていたのだろうか。月子は断続的に聞こえる狐の声を聞いていた。

 「――なにもしないって約束してもらえますか」
 「勿論。月子さんの嫌がることはしません」
 「客間なんてありませんけど」
 「寝かせてもらえるだけで結構です」

 もし、尻尾があればちぎれんばかりに振っていただろうと思えるような笑顔を浮かべたブラウに月子はもう一度ため息をついた。
 結局は流されてしまう。
 歩き始めた月子は隣に並ぶブラウをちらりと見る。
 穏やかな青い目はどこか遠くを見ており、月子は青と遊んでいた頃の事を思い出す。物言わぬ獣はいつも静かに月子の隣にいた。
 何も言おうとしないブラウは青にとてもよく似ている。
 袖口を軽く引かれる感覚に月子は立ち止まった。

 「――青」

 ブラウは何も言わずにただ笑った。

 −続く−


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