擬人カレシ | ナノ
05


 (親愛なる君へ)

 研究所を出てのろのろと歩きながら、待ち合わせ場所は指定されたが時間まで指定されなかったことを思い出す。
 一方的な約束だがいろいろと気になってしまい、すっぽかす気にはなれなかった。せめて、ペンダントの入手経路だけは聞いておかないと気が済まない。もしかしたら青がつけていたものを外しただけなのかもしれない。
 だとすれば、青を呼ぶ声はブラウの声だったのかもしれない。
 かもしれない、ということばかりを考えながら歩いていると待ち合わせ場所に着いてしまった。商店街の入り口で待っていますからとだけ言われていたのだがブラウの姿を探す前に向こうから月子の元にやってきた。
 姿勢良く歩いてくる姿を見て獣は獣でも何かが違うような印象を受けた。ブラウ本来の性質なのかもしれないが、商店街で見かける獣たちとどこか違うのだ。しかし月子には何が違うのかがわからない。
 ブラウに対する印象は常にそんな感じがつきまとう。
 黒いシャツにはき古したジーンズ、それにミリタリー調のコートを羽織った姿はごくありふれた姿だ。

 「早かったんですね。もう少し遅くなるのかと思っていましたが」
 「……残業がなかったので」

 本当は片づけておきたい仕事があったのだがそんな気になれなかった。ブラウはそれは良かったですねとのんきなことを言っている。
 仕事が手に着かないのはあなたのせいですよと言いかけたがやめておいた。妙な勘違いをされては困るし気にされても困る。
 ブラウは楽しそうに商店街を見ながら歩いている。その様子に月子はなにか引っかかるものを感じた。まるで、初めて訪れた街を歩いているかのようだ。

 「――商店街は初めてですか?」
 「先日一度だけ歩きましたがゆっくり見ることができませんでした。俺がここにいた頃は建設途中だったのでこんな風になるとは思いませんでしたね」

 研究所も様変わりしていて驚きました、とブラウは笑っている。日菜子が言うにはここ数年で研究所はすっかり変わってしまったし、以前は研究所の存在そのものが隠されていたのだという。
 研究が軌道に乗ったから公表したのかもしれないと日菜子は言っていた。以前の状態を知っているということはブラウは擬人化した獣の中でも年長者だと考えて良い。少なくとも、月子が知らない街の様子を知っている。

 「何か食べたいものはありますか?」

 突然話を振られて月子は首を横に振った。そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのだ。

 「じゃあ、居酒屋にしましょう。妙な言葉を喋るご主人がいましたが料理はおいしかったです」
 「……磯山さんのお店ね」

 妙な横文字を交えて喋る人物が経営する居酒屋は商店街でも有名だ。獣たちの良き理解者でもあるのだがとにかく何を話しているのかがわからない。日菜子など真顔で通訳を付けた方がいいと言うほどだ。

 「有名人なんですか?」
 「知らない人はあまりいないと思います」

 それはそうでしょうねと言ってブラウは明るく笑う。確かに日菜子が言うとおりの好青年だ。何も知らない人がブラウと接したら間違いなく好感を持って迎えられるだろう。
 月子も狐の言葉やペンダントの事がなければ良い人だと思ったのかもしれない……研究所の敷地を狐が駆けているのは不思議ではない。問題はその狐が初期教育中だということを知っていたことだ。まるでどこかからその光景を眺めていたかのように思える。
 店に入ると時間が早いためかそこまで込み合っておらず、奥にある個室に通された。つい、入り口に近い方に座ってしまうがブラウは特に気にしてはいないようだった。
 いろいろ考えすぎて無言になってしまった月子にブラウは何を食べましょう、飲み物はどうしますと聞いてくる。
 そのすべてに生返事を返してしまった月子は少し寂しげな声に我に返った。

 「――お疲れのようですね」
 「あぁ、いえ……」

 ブラウは苦笑いを浮かべている。

 「急にお誘いした俺が悪いんです。無視されて当然だと思っていたので、来て下さっただけで嬉しいです」

 その言葉に罪悪感を感じて月子はごめんなさいと詫びた。気になることばかりとは言え、誘いに応じておいて上の空というのも失礼な話だ。

 「いいんです――料理は適当にたのんでしまいましたが、大丈夫ですか」
 「はい」

 苦笑いが嬉しげな笑みにかわる。つられて月子も笑うとブラウは薄い青の目で月子をじっと見つめた。その視線を受け止めることができずに月子は目をそらす。

 「あの、その――ペンダントは」
 「これですか?」

 金属がこすれるような音に目を上げるとブラウは首にかけていたチェーンを指にかけて持ち上げている。
 楕円のプレートと百合の紋章をかたどったシルバーのペンダントがチェーンから下がっている。

 「これは認識票です」
 「認識票……」

 チェーンを首から外し、テーブルに置くとブラウはプレートを指さした。

 「ドッグタグって言うのが分かりやすいんでしょうか。個体識別の為に身につけています。あ、俺は先日まで軍隊に派遣されていたのでこんなものをつけているんですが」
 「軍隊?」

 はい、と何のこだわりもなくうなずいたブラウは認識票を指で軽くはじく。

 「俺は軍用犬です。ニンゲンとして部隊に所属していましたが、時々は犬の姿で任務に就くこともありました……上官は俺の事をテストケースだと話していましたね」
 「……戦場にいたんですか」
 「はい。それが仕事ですから」

 居酒屋の店員と同じ事ですと真顔でブラウは言うが、居酒屋と戦場は違う。しかし月子はそれを指摘することができず、ブラウも何も言わなかった。

 「――それと、これは宝物です。この二つがあればどんな姿になっても俺だという事が証明されます」

 百合の紋章を指先で押さえたブラウはふっと笑みを浮かべる。

 「つまらない話になってしまいましたね。申し訳ありません」

 どんな姿になっても、という言葉には様々な意味が含まれているような気がして月子はペンダントの事をこれ以上聞けなくなってしまう。
 獣たちは楽しく日々を送っていると思っていた。少なくとも月子が知る獣たちは幸せそうだった。
 戦場で日々を送ったブラウは幸せだったのか。そもそも、望んで人間の姿になったのだろうか。テストケースと言うのなら、これからブラウのように戦場へと赴く獣が現れるのではないか。

 「――失礼な事を聞いてもいいですか」

 チェーンを首にかけていたブラウは何でもどうぞ、と笑う。

 「あなたは人間になることを望んでいたのですか」
 「――はい」
 「戦場が職場であることを知っていたんですか」
 「はい」
 「……あなたは幸せですか」

 思いがけない言葉を聞いたとでも言うようにブラウは驚いた顔をしてしばらく黙っていた。
 整った顔に笑みが浮かぶ。

 「ええ、とても」


 ブラウの「職場」についての話はそれで終わった。
 月子がそれ以上聞こうとしなかったこともあるが、ブラウも「つまらない話」だと思っているようだった。
 ただ、犬種を聞いてみたら狼犬だという答えが返ってきた。それも狼に近いハイ・パーセントと言われる犬種だという。

 「見た目は狼のようだと言われましたが……俺にはよくわかりません」

 獣は鏡を見たりしないものですからと真顔で言われてつい、月子は笑ってしまう。確かに普通の獣は鏡で自分の姿を確かめたりはしない。鏡を見ておびえたり威嚇したりする事はあるだろうが……

 「たしかにそうですね。研究所なら良くある光景ですけど」
 「獣のふりをするのも大変だというのは部隊で実感しました。何しろニンゲンの振る舞いが身に付いているので……汚れたままで屋内に立ち入っても良いものかどうかがわからなかったですね」
 「結局、どうしたんですか?」
 「そのまま入って怒られました」

 どうすれば良かったんでしょうね、自分で足を洗って入れば良かったんでしょうかとブラウは憮然としている。

 「……自分で足を洗う犬はいないと思いますよ?」
 「世界は広いですから、どこかに自分で足を洗う犬がいるかもしれない……」

 どうやらブラウは怒られた事を相当根に持っているらしい。憮然とした表情をしたまま言葉を続けた。

 「俺がその一匹目になれば良かったんでしょうか」
 「それはやめておいた方がいいと思います……」

 そんなことをして動画を撮られたりした日にはインターネットで全世界配信されてしまうだろう。おそらく、水を出すところからタオルで拭くところまでのすべての行程を犬が行うというあり得ない動画ができあがるはずだ。

 「月子さんは犬が汚れたまま部屋に入ってきたらどうしますか?」
 「足をふいてやりますけど。実家で飼っている犬は部屋に入ってはいけないって思っているらしく、玄関から先には絶対に入ってきませんけどね」

 特に深く考えずに実家の犬のことを口にしたとたん、ブラウの表情が明るくなった。
 犬は感情表現が豊かだがブラウも表情豊かでわかりやすい。

 「犬を飼っているんですか」
 「実家で、ですけど。雑種でちょっと小さめで、猫とも仲が良いですね」

 大きさはこれぐらい、と箸をおいて説明するとブラウは日本酒を飲みながら笑っている。

 「……月子さんに飼われている犬は幸せでしょうね」
 「私は時々帰って遊んでもらっているだけですよ」
 「犬を飼う気はありませんか?」

 学生の頃は犬か猫を飼いたいと思ったことがある。今は仕事で獣たちの相手をしているし、安日区ではペットを飼うことが禁じられているので考えた事がなかった。

 「安日区はペット禁止ですし、仕事で獣たちと接しているのでそう言う気はないですね……」
 「最近はニンゲンと獣が生活を共にする制度ができたと聞きましたが」

 そうですね、と言いかけて月子ははたとブラウを見る。

 「……私は職員ですから、教師制度は対象外です」
 「俺も育成完了した獣ですから対象外です」

 牛肉のたたきを食べながらブラウはしれっとした様子で月子の言葉を受け流した。何を言われているのかはわかるがはっきり言われている訳ではないのでそのまま違う話をしようと話題を探す。

 「――午前中は助かりました」

 探したあげくに気になっていた事を聞いてみようと決心した。青なのかと聞くことはやはり怖ろしくてできない。

 「お役に立てたようで嬉しいです。狐は足が速いですからね」
 「狐が不思議がっていましたよ。どうして初期教育中の獣だと知っていたのかって」

 狐が、と言ってはみたが本当は月子自身が気になっていることだ。ブラウはにこにこと笑っている。

 「月子さんが獣たちを引率してきたところから見ていました。いいですね、彼らは」
 「……どこから見ていたんですか」
 「上から」

 上、と言われて月子は庭の周囲にある棟を思い浮かべる。確か、研究棟と居住棟に挟まれた形で庭は造られており、ブラウは現在研究棟にいると言っていた。

 「研究棟から、ですか?」
 「はい。俺も遊んでもらいたかったのですが……」
 「……遊びたかったんですか?」

 また話が変な方へと進んでいきそうになる。何かの聞き間違いだろうかと月子は念のために聞いてみた。
 獣たちと遊びたいのなら大歓迎だ。ニンゲンになった獣と遊ぶことで何か学ぶところがあるだろう……

 「月子さんに遊んでもらいたかったのですが、獣の姿で乱入したら大混乱になるからと累さんに止められてしまいました」
 「そうですね……きっと混乱します」

 主に私が、とは言わずに月子はため息をつく。どこでどうなったのかはわからないが、どうやらブラウに懐かれてしまったらしい。
 
 「――犬と一緒に暮らす気はありませんよ?」
 「では、時々遊びに行っては駄目でしょうか」

 月子なりに釘を刺してみたがブラウはどこ吹く風、と言った様子だ。嫌だ、駄目だとはっきり言うことができないところが自分の欠点だということはわかっている。
 学生時代もこの性格のせいでひどい目に遭ったのだ。

 「教室ならいつでも大歓迎です」
 「教室もいいですけど、月子さんの部屋がいいです」
 「だっ……駄目です駄目!」

 自分の意見をここまではっきりと口にできるのはうらやましいと思うが、言われる側としてはたまったものではない。月子は首をぶんぶんと横に振った。
 ブラウは手元のパネルで何かを注文している。

 「何か飲みますか……アルコールとか」
 「結構です!」

 思わずきっぱりと断ってしまってから月子はうかがうようにブラウを見る。言ってしまって何だが、せっかく気を使ってくれたのに悪いことをしたと言う罪悪感を覚えたのだ。しかしブラウは笑っている。

 「……グレープフルーツジュースを」
 「はい」

 慣れた手つきでパネルを操作していたブラウは顔を上げた。

 「俺は結構お買い得ですよ。恋人にすれば浮気しませんし、友人にしても裏切ったりしません。それに、命令には絶対服従です」

 ちなみに得意なのは「待て」ですと笑いながら妙なアピールをしてくるブラウを慌てて止める。獣も長くニンゲンとして過ごしているとこんな表現もできるようになるのかと言う感慨もあるが、今はそれどころではない。

 「私は命令なんてしません! それに、そのお買い得っていう表現はどうかと思います!」
 「良く聞く表現だと思ったのですが、使いどころを間違っていたのでしょうか」
 「……そういうことではなくて」

 ため息をついた月子に対してブラウは楽しそうな様子だ。頼んだ料理の大半を食べながら時々月子を見ては笑う。
 まるで次はなにを投げてくれるのかと待ちかまえている犬のようだ。そう言えば、青も良くそんなそぶりを見せていた。
 ……簡単な事だ。
 あなたは青ではありませんか。昔、私と会っていませんか。昨夜、獣の姿で私の前にやってきましたか。
 そのどれかを聞けばいい。ブラウは答えてくれるだろう。
 そんな簡単なことができないのは「怖い」からだ。
 では、なにが怖いのだろう。
 ブラウは笑っている。

 「好きな人がいるのなら、俺はいつまででも待ちます」

 そんな人はいない、と口走りかけて月子は口をつぐんだ。そう、人はいない――

 −続く−


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