擬人カレシ | ナノ
04


 (親愛なる君へ)

 青はどうしてあんな所にいたのだろう。
 夜通し考えていたおかげですっかり寝不足だ。しかし獣たちにそんなことが関係あるわけもなく、外に遊びに出した獣達は元気いっぱいに駆けまわっていた。
 そのうちに狐が一匹、ものすごい勢いで駆けだした。どうやら池に興味を持ったらしい。月子はあわてて狐を追った。
 池に興味を持つのはいいのだが、行動できる範囲を伝えて外に出している。池はその範囲外の場所にあり、決まり事は守ってもらわなければならない……気ままな狐にとっては窮屈な事のようだがそうでなければ人間はやっていけないのだ。
 どんなに足が早くても狐にかなうわけがない。それでも捕まえて指導するのが月子の仕事だ。池に向かって走る月子の目の前に男性が現れた。
 手には逃げ出した狐を捕まえている。
 荒い息を整えつつ月子は頭を下げた。寝不足なのに全力で走ったものだから気分が悪い。

 「あ……ありがとうございます」

 狐は男性の手の中でおとなしくしている。おびえているのかもしれない。

 「狐には決まりを守るように言い聞かせておきました――余計な事だったかもしれませんが」
 「いえ、とんでもないです……」

 ようやく落ち着いてきた月子はやっと男性を見る事ができた。
 長身で均整のとれた体、短く整えられた髪は黒く目は薄い青だ。見たことのない男性だが、狐にお説教ができるのであれば研究所の関係者だろう。
 狐を受け取ると月子はもう一度頭を下げた。

 「お手数をおかけしました」

 男性はいいんです、と笑っている。正直、助かった。

 「大変ですね、月子さんも」

 月子は笑って男性の言葉を受け流し、狐の頭を撫でる。確かに大変だが獣の前でそうですねとは言いたくなかったし、仕事ですからと言う気もなかった。
 男性は笑って月子をじっと見ている。
 背後で先生、と月子を呼ぶ獣たちの声がした。

 「申し訳ありません、私、行かないと――」

 慌てて引き返す月子を狐が小さな声で先生、と呼んだ。

 「なあに? 決められたことは守らないと駄目よ?」
 「うん。あのひとにもいわれた」

 あの人というのは男性の事だろう。

 「先生はあのひとのことしってるの?」
 「初めて会った人だけど……どうしてそんなこと聞くの?」
 「あのひと、先生みてないのにつきこさんのいうことはきかないとだめだっていってたよ」

 月子は思わず立ち止まり、振り返る。
 男性はまだ同じ場所に立ったままだ。顔もよく見えないがどうやらこちらを見ているらしい。

 「……あの人は私の事を知っているんだろうね」

 狐にはそう言ったものの、なんとなく違和感が残る。
 顔を見たこともない人が自分の事や名前を知っていると言うことは研究所では良くある話だ。
 しかし、庭を駆ける狐が初期教育中だとなぜわかったのだろう。研究所の敷地内を駆ける獣など珍しくもない。
 もやもやしたものを抱えたまま昼休みを迎え、食堂でサンドイッチを食べていると向かいに誰かが座った。食堂はいつも込み合うので相席は良くあることだ。何気なく顔を上げると狐を捕まえてくれた男性が目の前にいた。

 「……先ほどはありがとうございました」
 「いいえ、狐は足が早いですから。ニンゲンが追うのは大変でしょう」

 その口振りで男性が獣であることはわかった。しかし研究所では獣も多く働いているのでごく普通のことだ。

 「あの、お名前は?」

 男性は月子の唐突な問いかけに驚いたような顔をしていたが何かに納得したようにうなずいて笑う。

 「失礼しました。俺はブラウと言います」
 「所属は研究棟ですか?」
 「……どうなんでしょうね。今のところはまだはっきりしていません」

 何しろ、つい先日研究所に戻ってきたばかりなので、と付け加えた男性――ブラウは少し困った様子だった。

 「今はデータ測定ばかりなので研究棟にいます」

 ブラウが獣なのはわかったが、研究所に戻ってきたということが何となく気になる。獣たちは基本的に安日区内で生活しているはずだ。しかも研究棟でデータ測定をしているということは他の獣とは異なる体験をして戻ってきたということだろう。
 話をして解決したものは何一つなく、疑問は増えていく。初めて会ったときに感じた何かもよくわかっていない。黙り込んでオレンジジュースを飲む月子に気を悪くした様子もなくブラウも食事を始めた。
 気づかれないようにブラウを観察しているとあっと言う間に肉中心の定食を食べ終えてしまう。その早さにあっけに取られている月子に気づいたようだがブラウは何も言わなかった。

 「……明日は休みですか?」

 何の脈絡もなく切り出された言葉に月子はうなずく。シフト制の部署もあるが月子はカレンダー通りに働いている。休日を知ってどうするのだろうと思っているとブラウは嬉しそうに笑った。

 「今日、夕ご飯を食べに行きましょう」
 「……え?」

 唐突にそんなことを言われて混乱している月子にブラウは一方的に待ち合わせ場所を告げて席を立つ。その姿を見ることしかできない月子の目が鈍く光るものをとらえた。
 それが楕円のプレートと昨夜、青につけてやったペンダントであることに気づいたのはブラウが姿を消してからだ。慌てて立ち上がったときにはどこへいったのかもわからない。へたり込むように椅子に座り込んだ月子はどうして青につけてやったはずのペンダントをブラウがつけているのかを考えてみたが考えがまとまらない。もしかしたら似たようなものなのかもしれないし、単なる偶然かもしれない。
 サンドイッチもサラダも残っていたが食べる気になれず食器を戻した月子は考えごとをしながらデスクに戻り、半ば無意識のうちに午後からの仕事に向かった。
 しばらくはにぎやかな獣たちが気を紛らわせてくれたが、獣たちが去ってしまうと教室は静まり返ってしまう。
 月子はのろのろと立ち上がると用具室に向かった。教室には毎日清掃が入っているが週の終わりには簡単な清掃を行うことにしている。すでに習慣になってしまっているのか意識することなくモップを手にして教室に戻る途中、呼び止められた気がしてようやく我に返った。

 「ぼーっとしてどうしたの」

 声の主は研究棟の経理を担当している日菜子だ。研究所が設立された当初から事務方の仕事をしており、気の強さと仕事の厳しさには定評がある。しかし月子にとっては頼れる先輩だ。
 手に書類の束を持っている所を見ると仕事中なのだろう。そんなことにはかまわず月子は日菜子を教室に引きずり込んだ。

 「ちょっと……月ちゃん?」

 仕事中なんだけど、という日菜子の肩を掴んだ月子は相談に乗ってほしいと泣きつく。誰かに話をして客観的な意見を聞けば少しは混乱した考えがまとまるかもしれないと思ったのだ……


 日菜子は忙しいと言いながらも教室に残って月子の話を聞いてくれた。青のことは以前話をしたことがあるので、昨夜青と思われる獣と遭遇してペンダントをつけたということだけを話した。
 ブラウのことを話すと日菜子は意外な反応を返した。

 「――彼なら知ってる」

 思わぬ言葉に月子は身を乗り出す。

 「どうしてですか!」
 「博雅主任から特別予算の申請が出ているから。彼は今、解析チーム預かりになっているの。研究に必要なデータが取得できる可能性が高いそうよ」

 解析チームは研究棟の中でも少数精鋭で知られるチームだ。獣のみで構成され、擬人化に必要な「呪」の解析を行っている。中でもチームリーダーの博雅は呪に関しては他の追随を許さないと言われている。

 「で、そのブラウがどうしたの?」

 実に冷静に日菜子が問いかける。月子はもそもそと午前中と昼休みの出来事を説明した。眉をひそめつつ話を聞いている日菜子の様子から察するに月子の説明はかなり要領を得ないものなのだろうが情報をうまく整理することができなかったので仕方がない。

 「……ブラウが青なのかそうでないのかで悩んでいると言うことでいいのかしら」

 我慢強く月子の話を聞き終えた日菜子は実にあっさりと言ってのけた。

 「はい……」
 「本人に聞けば? 私はブラウと話をしてみたけど好青年だと思ったし、嘘はつかないでしょう。それに、獣たちは好意を隠すことが苦手だから気に入った相手をその場で食事に誘うぐらいは普通にするわよ」
 「それはそうなんですけど」

 擬人化した獣達は人間とほとんど変わらないがいくつか異なる点がある。そのうちの一つが日菜子も言ったとおり好意を隠すことができないのだ。
 惚れっぽいと言うわけではないのだろうが獣たちは好意を持った人間に対する行動が非常に早い。そして恋人になれずとも友人として近くにいることを望む。研究棟では恋愛感情のコントロールを目下のテーマにしているらしいが、今の所それが原因で獣たちがだまされたりひどい目にあったりすることはないらしい。
 獣たちは人間にはない直感で相手を選ぶ。人間の嘘は獣には通じない。

 「どうしたらいいのかわからなくて」

 ブラウが青であろうとなかろうと、どうしていいのかが月子にはわからない。もしもブラウが青なら獣の状態でも言葉を喋ることができるのだから昨夜会った時にそう言ってくれれば良かったのだ。
 今は人間の姿でいます、と。

 「月ちゃんがわからないことを私がわかるはずないじゃない」

 ばっさりと切り捨てるかのように日菜子は言い放つと立ち上がった。

 「――言わないでおこうと思ったんだけど」

 書類を小脇に抱えた日菜子は眼鏡を外した。半ば表情を隠してしまう野暮ったい眼鏡が伊達であることを知る人は少ない。
 元々小柄で童顔なのがコンプレックスなのかもしれないと月子は密かに思っている。眼鏡を外してしまえば月子よりも年下に見えるのだ。

 「月ちゃんは青が好きなの?」

 唐突な言葉に月子は絶句し、一呼吸おいてから反論した。

 「……青は獣ですよ?」
 「安日地区にも獣が多いわね」

 それとこれとは違いますと言いかけた月子は日菜子が笑っていることに気づいて言葉を飲み込む。

 「獣に対する偏見がないのはとても良いことよ――自分にとっても、獣にとっても」

 世間的にはここで行われていることはひとでなしの所業なのかしら、と誰に言うでもなく呟いて日菜子は教室を出ていった。
 研究所設立時からここに勤務する日菜子にはまた別のものが見えているのかもしれない。研究棟で業務を行う日菜子は研究者と接する機会が格段に多く、多くの情報を持っているはずだ。
 モップを手に立ち上がった月子は深いため息をついて教室の掃除を始めた。日菜子の言うとおり、ブラウに聞けば済むことだ。それを恐ろしいと感じる理由が月子にはどうしてもわからなかった。

 −続く−


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