擬人カレシ | ナノ
03


 (親愛なる君へ)

 残業を終えた月子は帰りに商店街で惣菜を購入した。商店街には研究所から「教師」の元へと赴いた生徒たちが多く働いている。親しげに話しかけてくるのは月子が初期教育を行った獣たちだ。
 彼らにはすでに「先生」がいるので月子の事を先生とは呼ばないがそれでも嬉しい。
 惣菜屋の店員はどうやら犬のようだった。里芋の煮付けをおまけしてくれた店員に「先生」とは仲良くしているのかを聞くと満面の笑みでとても優しい人だと教えてくれた。
 時々図書館で勉強を教えてくれるのだそうだ。
 先生と生徒という関係は月子にとってとても興味深い関係だ。家族というわけでもなく友人でもない。上下関係ははっきりしているが獣たちが人間に近づくにつれて上下の差は縮まっていくように思える。双方が望めば友人にも恋人にもなることができる関係だろう。
 犬がとても幸せそうだったので月子も楽しい気分になることができた。総菜の入った袋を手に商店街を抜け、住宅街に入る。
 研究所ができた当初は商店街もなければ住宅街もなく、関係者だけが住む為のマンションだけがぽつぽつと建っていた寂しい場所だったと先輩に聞いたことがある。
 月子が知る安日区は活気があってにぎやかな街だ。緑が多く、商店街を中心に住宅街が広がっている。
 研究所の職員は全員安日区に居住しなければならないが、関係者以外の住人も増えている。
 寂しかった頃、このあたりの景色はどんなものだったのだろうと足を止めた。
 道路を隔てた向かいには公園があり、昼間は子供達が遊んでいる姿を見ることができるが今は誰もいない。安日区が他の街と異なるのは「ペット」を一切見かけないという点だろう。
 犬の散歩姿に出会うこともなければ猫を見かけることもない。確か、室内飼いも禁じられていたはずだ。
 何気なく公園を見ると大きめの影がたたずんでいる。日頃獣と接している月子にはその影が大型の犬もしくは狼であるという事が容易に想像できた。
 もし、研究所から抜け出してきたのであれば騒ぎになる前に戻してやらないと面倒なことになる。
 研究所の獣であれば言葉が通じるので話も早いだろう。月子は車が途絶えたタイミングを見計らって道路を渡り、公園へと入った。

 「ねぇ、きみ」

 大きな影が研究所の獣だと信じて疑わず月子は声をかけて近づいた。

 「どうしたの? 戻らないと――」

 影は月子の声に気づくと突然大きく跳ね、あっと言う間に月子の元へやってきた。思わぬ動きに動くことができない月子のまわりをうろうろと歩き、低い唸りをあげたかと思うと突然立ち上がり、月子の肩に前脚をかけて顔を何度も舐めた。
 その重さによろめいた月子は何とか踏みとどまり、獣が研究所所属ではないことを悟った。人間になりたいと願う獣はこんな事はしない。

 「こら! やめなさい!」

 顔をこすりつけてくる獣の前脚を肩から外すと獣は行儀良く座った。
 澄んだ水色の瞳がじっと月子を見つめている。毛の色は漆黒、影と思ったのはこの獣自身の色だった。
 ハンカチで顔を拭いながら月子は瞳の色に手を止めた。
 我ながら馬鹿げた考えだと思う。しかし、その水色には見覚えがあった――
 膝をつくと獣は何度か尻尾を振った。

 「おまえ……青?」

 何年も前に消えた獣が再び、しかも以前とは全く異なる場所にいる自分の元に現れるなんて都合の良い事が起こるなどあり得ない。もし、目の前の獣が青なら月子を探してやってきたとしか思えない。
 獣は青、という言葉に反応したかのように激しく尻尾を振る。そっと手を伸ばして喉元を撫でてやると獣は目を細めて頭を上向けた。

 「今までどこにいたの? どうしてこんなところにいるの……」

 あの得体の知れない男が言ったように青が言葉を喋ることができるなら答えてほしいと思った。今なら人語を解する獣がいると言うことを知っている。
 しかし獣はなにも言わず、ただ尻尾を振るだけだ。
 男が言ったことはやはり嘘だったのだろう。それでも月子は獣が自分の言葉を理解しているように思えた。手にしていた荷物をすべて地面に置くと獣を抱きしめる。

 「――無事で、良かった」

 獣は甘えるように鼻を鳴らして月子の肩にあごを乗せた。硬く艶のある毛の手触りは三年前と変わらない。しばらく獣はじっとして月子にされるがままになっていたがやがてもぞもぞと動き始める。
 月子が離れると獣は前脚を伸ばして月子の胸元を何度もひっかくような仕草を見せた。実際にひっかいている訳ではないが身につけているペンダントが足先に何度か引っかかる。

 「どうしたの?」

 獣の足を止めて聞いてみると獣はまた鼻を鳴らして足を動かそうとした。どうやらペンダントが気になっている様子だ。百合の紋章をかたどった安物だがデザインが気に入って良くつけている。揺れているから気になったのかとネックレスを外して手のひらに乗せると獣の前に差し出してみた。
 獣は手のひらを嗅いでからペンダントを鼻先でつついている。アクセサリーに興味を示す獣というのも妙な話だ。

 「……つけてあげようか。そしたらすぐに青だってわかるから」

 半ば冗談、半ば本気で呟いて月子はネックレスを青の首にかけようとした。しかし長さが足りない。少し考えてから月子はカットソーの編み上げ部分に使われていたグログランリボンをほどくとネックレスに通して獣の首に結びつけた。
 黒い毛皮に銀のネックレスが良く映える。思いつきでつけてみたがどこかのお金持ちに飼われている犬のように見える。
 一人満足して獣の頭を撫でていると遠くで何かの声が聞こえた。
 三年前にも聞いていた声だ……獣は声に気づいたように耳を動かした。この声が聞こえると獣は月子の元から去ってしまう。
 月子はあわてて立ち上がった。

 「青は人間と話したいと思ったことはない?」

 獣はゆっくりと顔を上げる。澄んだ水色の目が穏やかに月子を見ていた。

 「――私は青と話してみたい」

 もう一度、どこからか声が聞こえる。獣は立ち上がると一度だけ遠吠えをしてその場から駆け去っていった。障害物を軽々と飛び越える姿も全く変わらない。変わったところと言えば毛が黒くなったことぐらいだろうか。
 月子はいつまでも獣が去っていった方向を見つめていた。

 −続く−


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