擬人カレシ | ナノ
02


 (親愛なる君へ)

 翌日も月子は公園にいた。人気のない公園は妙に静かで寂しい色の街灯がグラウンドを照らしている。大学にも行かず、昼間寝てばかりいるので夜は目が冴えて仕方がない。
 このまま部屋に引きこもっていると駄目になってしまうような気がした。つまらない理由だとはわかっているのだが自分一人ではどうにもできない感情の動きがあるのだということを初めて知った月子は犬が公園にいるかもしれないと自分に言い聞かせて公園までやってきた。
 本当は犬などどうでもよかった。引きこもりたい自分に危機感を覚えた別の自分が犬に会いたいという理由を作っただけのことだとわかっていた。
 ベンチに座ってぼんやりしているとまた、実家に戻りたい気分になってくる。よっぽど実家に電話しようかと思ったが今の大学でどうしても学びたいことがあると反対する親を説得して上京した手前、弱音も吐きづらい。
 深いため息をついて空を見ると星がまばらに見える。空気が汚れているからだろう。実家では星がよく見えた。なにをしてもなにを見ても実家のことばかりを思い出してしまう月子は深いため息をつく。
 そんなとき、視界の端に何かが掠めた。ぎょっとしてその方向へと顔を向けると犬がグラウンドを駆けていた。昨夜のように何度かグラウンドを回ると月子の元へと駆けてきて足元でぴたりと止まる。

 「また逃げてきたの?」

 犬は月子の言葉を聞いて首を傾げる。まるで逃げてきたのではないと言っているかのようだ。頭を撫でると犬は目を閉じた。

 「まぁいいか。ほら、ここ座る?」

 自分が座っている隣をぺたぺたと叩くと犬は身軽にベンチに飛び乗り、体を伏せる。あごは月子の腿にのせた。あまりにも迷いのない行動にやはりこの犬はどこかで飼われているのだと感じる。
 いつの間にか月子は犬の頭を撫でながら自分の身の回りで起こったことを話しはじめていた。犬が相づちを打つわけでもなければ返事をするわけでもない。
 もしかしたら返事も反論もしないから話す気になったのかもしれなかった。
 友人に対する不満や愚痴、将来に対する不安などを散々語って、元彼氏の話になると犬は体を起こして姿勢良く座った。
 元彼氏の話と言っても浮気はひどいとかどうして開き直るのか訳が分からないということばかりだったのだが、部屋に引きこもっていた月子にとっては犬が久しぶりの話し相手だった。
 元彼氏に対する不満を口にしている間中、犬は姿勢良く座っていた……

 「……なんか、ばかばかしいよね」

 あまりにも犬が冷静に見えて月子は苦笑いを浮かべる。犬は首を傾げていたが月子に近寄ると何度か顔を舐めた。
 犬の方がよっぽど大人に思えて月子はますます情けなくなってしまう。
 すぐ傍に座った犬の首を抱いて喉のあたりを撫でていると嫌なことを考えずにすむ。なにも考えずに毛皮を撫でていると昨夜聞こえた獣の声がまた、聞こえた。
 じっとしていた犬はその声に反応して月子の腕を抜けてベンチから降りる。しかし、昨夜のようにそのまま去ろうとはせずに月子をじっとみていた。
 澄んだ水色の瞳が美しい。

 「行かないの?」

 声をかけると犬は月子のスカートの裾をくわえて一度だけ軽く引くと走り去った。その様子を見ていると犬と言うよりも狼と言ったほうがいいような気がする。
 植え込みを軽々と飛び越えて犬がその姿を消しても月子はベンチに座ったままでいた。
 それから月子の日課に夜更けの散歩が含まれるようになった。相変わらず大学に行く気にはなれなかったが、昼間寝てばかりということだけはしなくなった。
 日中は部屋の掃除をしたり、別の友人から届く安否確認のメールに適当に返事をして過ごし、夜が更けると公園へと出向く。
 犬は必ず公園にやってきて、月子の隣に座って話を聞いてくれる。気ままにグラウンドを駆け回っていることもあるが、それを眺めているだけでも楽しかった。
 犬が駆ける姿はとても美しい。
 いつの間にか月子は犬を名前で呼ぶようになっていた。
 飼い主からは立派な名前を付けてもらっているだろうから、簡単でどうでもいい名前と考えて「青」と呼んだ。
 犬はと言えば青と呼べば反応しているのでどうやらそれが呼び名だと認識したらしい。
 
 「本当は水色にしようと思ったけど、おかしいでしょ? だから青にしたの」

 公園を歩きながら傍について離れない青に語りかけると青はそんなことはどうでもいいといわんばかりに先に歩いていってしまう。
 軽く笑って月子は青の後を追うと頭を撫でる。そのとき、青が急に立ちどまった。

 「なーんだぁ。どこに行ってるのかと思ったら」

 軽い口調の声が背後から突然聞こえて月子ははじかれたように振り返る。青はまるで月子をかばうように回り込んで前に立った。
 見るからに怪しい長髪の男がいつの間にか立っていた。
 白いドレスシャツに黒いスラックスという何の変哲もない格好だが、顔の半ばまでを覆う黒髪が怪しすぎる。こんな怪しい男は知り合いにいない。

 「おまえ、いつこんなお嬢さんと知り合いになったの? うらやましー」

 男はけらけらと笑うとまるで体重のない者のように近づいてくる。月子は思わず後ずさったが青は唸るわけでもなく、ただ男を見ていた。
 しばらく男と青はにらみ合いを続けていたが男は何度か頷くとくるりを体を翻す。長い黒髪がふわりと散った。そしてけらけらとしか表現しようのない笑いを上げながら公園を出て行ってしまった……

 「……なにあれ」

 月子の呟きに青は袖口をくわえて何度か引く。まるで気にするなと言っているようだ。

 「夜は怖いね。変な人がいるし……」

 そう呟いたとき、いつも聞こえている獣の声が聞こえないことに気がついた。いつも同じ時間に聞こえてくる声を合図にしているかのように青は公園を去っていくのだが、今日はその声がしない。
 携帯電話で時間を確認してみるといつもの時間を過ぎていた。

 「――青、そろそろ戻らなくていいの」

 携帯電話をポケットに戻して声をかけたとき、青は突然月子に飛びつくと頬を舐めた。その勢いと重さによろめいたがなんとか踏みとどまると青は月子から離れていつものように走り去ってしまった。
 次の夜、青は公園に現れず、その代わりとでも言うように妙な男が月子の元に現れた。
 思わず公園から逃げようとした月子は男の声に足を止める。

 「キミが会っていた犬はもう、ここには来ない」
 「――青が?」

 思わず立ち止まり呟いた小さな声を男は聞いたようだ。軽く笑うと月子に近寄ってくる。

 「青って呼んでたね……彼はいい名前をもらった」

 犬を彼、と呼ぶ男に違和感を感じて振り返ると男はどこか申し訳なさげに肩をすくめた。

 「……まぁ、仕方ないですよね。夜な夜な徘徊する大型犬なんて怖いから」

 自分に言い聞かせるように月子は呟いて恐ろしいことに気づいた。彼氏が浮気をしていると知ったときよりもショックを受けているのはどうしてだろうか。
 そのことを悟られないように月子は無理に笑った。男も口だけで笑うが髪で見えない目が笑っているようには思えなかった。

 「僕なんかで申し訳ないけどね。彼の替わりに挨拶に来たんだ」
 「あなたは青の飼い主ですか」

 彼、と言う口調には親しみがこもっているような気がして月子はつい聞いてしまった。そう考えてみれば昨夜のあの言葉も青の様子もわかるような気がする。
 しかし男は首を横に振った。

 「違うよ。強いて言えば……そうだねぇ、友人かな」

 何度か首を傾げていた男は思わぬ言葉を口にした。

 「楽しかったってさ。きっとキミのこと忘れないと思うよ」
 「楽しかった……? 青が、そう言ったんですか」

 まさかとは思うが聞いてみると男はあっさりと頷く。
 月子はなんだかバカにされているような気分になって男をにらみつけた。

 「青は犬ですよ? 犬がそんなこと言うはずない!」
 「犬でも喋るものがいる。キミが喋れないと勝手に思っているだけだよ」
 「だって青は一度も喋らなかったし、他の犬だって喋らない! 喋れるものなら喋ってみたかった!」

 個体差はあるが犬は人の言葉を理解し、感情を察することができる。青は特に頭が良いのだと思っていた。
 話ができるものなら話してみたかった……
 男は黙り込んだ月子を見ていたがしばらくして口を開く。

 「キミ、獣と話してみたい人?」

 あまりにも唐突な言葉にあっけにとられて月子は素直に頷いてしまう。
 男はその後も学生なのか、学生なら専攻はなにか、資格を取得しているのかを矢継ぎ早に問いかけてきた。あまりの勢いに月子はついつい素直にすべて答えてしまう。
 何が何だかよくわからない月子に対し、男は満足げに何度か頷いてこう告げた。

 「来年の国家公務員試験を受けるといいことがあるかもね……あ、何の試験でもいいから、とにかく筆記だけは受かるといいよ」
 「はぁ?」

 男はじゃあね、と言って一方的に話を打ち切ってしまう。そしてこう言った。

 「彼にはキミが話をしたかったって言ってたと伝えておくよ」

 男は立ちすくむ月子の傍をすり抜けて公園を出ていく。何がどうなっているのかよくわからないが青とはもう会えないということだけはわかった。
 それから何度か公園を訪れてみたが青の姿を見ることもなければ謎の獣の声も聞くことはなかった。
 何となく時間が過ぎて何となく立ち直ることができた月子は妙な男が言うように公務員試験を受けることにした。別に「いいことがある」という言葉につられたわけではない。
 就職先も少ないし公務員は大人気の職種だ。運良く受かればとりあえず安定した生活を送ることができる。
 就職活動と卒論に忙しい日々を送って、何の間違いなのか公務員試験に受かった月子は事務職を希望したはずなのになぜか擬人研究所へと配属されることになり、大学時代に専攻した発達臨床心理学と保育士の資格のおかげで情操教育担当を引き継ぐことになった。
 賑やかに会話を交わす獣たちと接しているとどうしても青のことを思い出してしまう。
 妙な男が何者で青がどんな素性の獣だったのか、今にして思えばこの研究所の関係者ではなかったのだろうか。
 もう三年も前の出来事だ。

 −続く−


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