擬人カレシ | ナノ
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 梅雨明けの清々しい天気のせいか高原はいつもより人が多い。放牧されている牛と話し込んでいるのは確実に獣だろうが、広場で草滑りをしたりキャッチボールをしているのは人間なのか獣なのか、判断に一瞬迷う。
 月子も先ほどまではフリスビーを投げて遊んでいた。相手はもちろん、人間離れした身体能力をフルに発揮してどこまでもフリスビーを追う事ができるブラウだ。
 朝早くにやってきたかと思うと、天気が良いので遊んでくださいなどと言う。仕方がないのでおにぎりとお茶を持って高原まで遠出してみた。
 今、ブラウは顔見知りらしき獣と遊んでいる。獣同士となると遠慮がないのかフリスビーの投げ方もダイナミックだ。感心しながらその様子を眺めていると女性が近づいてきた。

 「あの……初めまして」

 遠慮がちに挨拶をする女性に月子も挨拶を返す。何かしただろうかと思っていると女性はブラウを指さした。

 「失礼ですが、彼は……」

 どう言ったらいいのか、とためらっている女性の様子にピンときた月子は彼は狼犬だと説明した。女性はブラウと遊んでいる獣の教師だろう。この様子だと「新任」なのかもしれない。

 「あなたの生徒さんですか?」

 安日区で擬人化した獣を連れている人間はほとんどが「教師」だ。そうではないことももちろんあるが、圧倒的に教師が多い。獣と一緒にいればそう思われてもしかたがないだろう。

 「まぁ、そんなものです」

 ブラウとの関係を説明しようとするとややこしい上に長くなる。月子は説明を早々に放棄して答えを濁した。しかし女性は安心した様子だった。

 「うちの狐と遊んでいただいてありがとうございます」
 「いえ、とんでもありません」

 あれは狐か、と月子は元気に駆け回る少年を見る。まだ幼さが残る顔立ちの狐は月子とブラウがおにぎりを食べているところにやってきて快活に挨拶をした。
 ブラウを知っている事から少年がつい最近研究所を出た獣であることはわかったが、擬人化した姿を知らない月子には種族すらわからない。それでも少年は月子に勉強が楽しいと話してくれたし、久しぶりにブラウと遊びたいと言ってブラウを広場までひっぱっていった。
 一時期、初期教育の手伝いをしていたブラウは獣達に妙に懐かれていた。本人もそれが嬉しかったらしく、獣達と一緒になって遊んでいたものだ。

 「生徒さんのお名前はなんていうんですか?」
 「ブラウです」
 「……名前は、あなたがつけたんですか?」

 突然そんなことを聞かれてしまい、月子は返事に困る。ブラウという名は月子がつけたものではない。擬人化した際に名乗る「名」は当人が決めることもあるし教師が決めることもある。ブラウは自分で名を決めたか、軍隊に所属した時点で名をつけられたのだろう。どちらなのかは聞いたことがないのでわからない。

 「いえ。彼は自分でブラウと名乗っています」

 そう答えると女性はあからさまに落胆の色を浮かべてため息までつく。その様子に月子はぎょっとしたがそれ以上に女性があわてて何度も申し訳ありませんと頭をさげた。

 「本当に……突然話しかけた上に失礼な態度をとってしまって申し訳ありません……」

 見ていて気の毒なほどしょげている女性は深いため息をつく。

 「実は、先週あの子がやってきたんですが、まだ名前をつけていないんです……」

 どうやら月子は相談相手として選ばれてしまったらしい。じゃれ相手の教師に相談を持ちかけるというのはよくある話だと聞いてはいたがまさか自分が相談相手になるとは思ってもいなかった。
 今更、私たちは研究所の職員ですとも言えず、月子は女性の話を聞くことにした。
 名前をつけてほしいと言われたが、どうしていいのかわからない。
 どう呼んで良いのかもわからないので会話が続かない。
 それなのに狐は明るく振る舞っていて胸が痛む。
 自分なんかよりももっと良い人間がいるのではと思う……等々。
 月子が見た限りでは狐は「明るく振る舞っている」のではなく「楽しいので明るい」のではないかと思う。しかし女性はそう思っていないようだし、それはいずれ狐にも伝わってしまうだろう。このままでも研究所の担当者から指導が入るだろうからそこまで問題はないだろうが、少しでも早く問題は解決しておいた方が良い。
 自分が育成に関わった獣が悲しい思いをするのは月子としても本意ではない。

 「生徒さんと少しお話しましたけど、楽しそうだと思いましたよ。狐は正直な獣です」
 「そうでしょうか……」
 「どんな名前がいいのか、生徒さんにはきいてみましたか?」

 女性は力なくうなずいてまたため息をつく。

 「先生が決めた名前でいいって……でも、私が考えるとエリマキとかおいなりとか、そんな変な名前しか思い浮かばないんです!」
 「それは、ちょっと……」
 「そうですよね! 普通そんな名前考えませんよね! 狐だって嫌だと思います……」

 他の候補としてはケガワとコートがあるらしいが、何をどうしたらそんな事になるのか月子にはわからない。多分ここは笑っても良いところなのだろうが、本人は真面目に悩んでいるので笑うに笑えない。
 しかし月子だって人のことは言えない。獣だったころのブラウを青と呼んでいたがその理由が「目が水色だったから」という実に安直なものだ。それなのにブラウはとても嬉しかったと言っていた。

 「狐は名前そのものではなくて、先生がつけてくれた名前に意味があると考えていると思います。黒いからクロ、って呼ばれている生徒もいますし、もう少し簡単に考えてもいいと思いますよ」
 「……そうでしょうか」
 「私はそう思います。どんな名前でも狐は喜びますよ」

 女性の表情が和らぐのを見て月子も笑った。きっと生真面目な人なのだろう。ネーミングセンスは斜め上のようだが良い名前を付けることができるはずだ。狐は良い人間を選んだ。

 「ありがとうございます。もう一度考えてみます」

 ほっとしたような女性の言葉に先生、という大きな声がかぶる。振り返ると狐が手を振りながら駆けてくるところだった。

 「……楽しかった?」
 「はい、とても!」

 狐は女性の問いかけに嬉しそうに答えている。いつの間にかブラウが隣に立ってその様子を見守っていた。



 「先生は良いニンゲンだとしきりに言っていましたよ」

 帰り道、ブラウに狐の事を聞いてみるとそんな答えが返ってきた。

 「どんな名になるのか楽しみだと言っていました。ケガワはさすがに気の毒ですが」

 狐の名前候補を聞いたブラウは笑いをこらえているような顔をしていた。やはり獣でも「ケガワ」は気の毒だと思うのだろう。

 「ブラウの名前は誰がつけたの?」

 ついでに気になっていた事を聞いてみることにした。獣の中には生まれた時から「名」をもつ個体が存在するらしく、そんな獣達は名を使い分けていると資料で読んだことがある。ブラウもそんな特殊な獣なのかもしれない。
 月子の問いかけにブラウはとても戸惑ったような顔をした。

 「……悪いことでも聞いた?」
 「いえ。悪いことなんて何もありませんが……俺の名は月子さんがつけてくれたじゃありませんか」

 今更何を言う、と言わんばかりの口調だが月子がつけた名前は青であってブラウではない。次は月子が戸惑う番だった。

 「私が? そんな覚えないけど……」
 「青って呼んでくれました」
 「青とブラウは違うでしょ?」
 「同じですよ。俺が所属していた国では青をブラウと読みます」
 
 むきになって言い返しているとブラウは勝ち誇ったように言って笑う。

 「月子さんがくれた大切な名を変えたりしません」
 「ふぅん」

 できるだけそっけなく言ってみたが実は嬉しい。狐の教師にはあんなことを言ったが自分の事になると安易な呼び名をつけてしまったという思いが強くて気になっていたのだ。

 「……何食べたい?」
 「夕ご飯ですか? 唐揚げが食べたいですね」

 満面の笑みで即答したブラウは月子の袖口を軽くつんつんと引く。獣の頃からの習性だが、観察していると上機嫌な時に袖口を引くことが多い。獣の姿だとスカートの裾をくわえたりもするが、さすがに擬人化の姿をしている時にスカートを掴んだりはしない。

 「どうしたの」
 「青って呼ぶのは月子さんだけです」
 「――そう」

 並んで歩きながら月子は空を見た。真っ青な空には雲一つ浮かんでいない。

 「狐、名前が決まったら月子さんに報告しますって言っていましたよ」
 「ケガワにならなければいいんだけど」
 「コートぐらいで思いとどまってくれるといいですね」

 縁あって狐と出会ったのだからできれば楽しい時間を過ごしてほしい。どんな未来になるのかはわからないが、獣にとって人間の教師は一人しかいない「特別なヒト」なのだから。

 「そうね」

 月子は研究所の職員という立場上、獣の「特別なヒト」にはなれない。ほんの少しだが、あんなに獣に慕われる教師をうらやましいと思った。

 「……彼らがあまりに教師のことを嬉しそうに語るので、俺もニンゲンの元で育成されてみたかったと思います」

 穏やかな口調に月子は思わずブラウを見る。表情に変化はないが、水色の目が空を見ていた。
 特定の目的のために育成された獣。何一つ選ぶことができず、戦場へ送られた狼犬。
 そんなブラウが今の獣達の有り様をみてうらやましいと思うのは当たり前だろう。しんみりした気分でいると突然、手を捕まれた。ぎょっとして歩みを止めた月子をブラウが笑って見つめている。

 「でも、俺には月子さんがいますから」

 ブラウが好意を隠しもせずにまっすぐにぶつけてくるのはいつものことだ。あまりにも直接的で月子はいつも反応に戸惑うのだがどんな言葉を返してもブラウはいつだって笑っている。
 先ほど、教師がうらやましいと感じたことを思い出した。教師にはなれないが、どんな言葉を返しても笑ってくれる獣ならいる。

 「買い物して帰ろう」

 いつもならそらしてしまう水色の目をまっすぐ見つめて月子は笑った。手をふりほどきもせず、目を見て笑った月子にブラウは一瞬驚いたようだが笑ってうなずく。

 「はい」

 見えない尻尾を盛大に振るブラウをつれて月子は商店街へと歩いた。
 いつになく素直になれるのはブラウが青という名前を大切にしていることを知ったからだろう。名前に悩むあの教師もいつか、狐が名前を大切にしていることを知って嬉しく思う日が来るはずだ。
 狐の報告を楽しみに待とう、と月子は思った。

 end


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