この二人の関係


その日、女主人公は夕食の支度で詰所の台所に立っていた。女主人公の前にあるのは使い古された大鍋。味噌を溶き入れたばかりのその大鍋には豚肉をはじめ、こんにゃくやジャガイモ、ニンジンなどの根菜類が入っている。今日の夕食は豚汁のようだ。女主人公は両手でおたまを握ると、大量の汁と具材で重くなったそれを力一杯かき混ぜる。詰所は人数は勿論のこと、よく食べる男も多かった。そうなると、一食に作る食事の量も必然的に多くなる。女主人公が「ふぅ……」と力仕事でかいた額の汗を手で拭った時だった。

「最強さんの姉ちゃん、居るかァ?」

暖簾の掛かった入口から女主人公を呼ぶ声がした。今まで会ってきた人の中で、最強さんの姉ちゃんと呼ぶのはあの人しかいない。女主人公がそう思いながら台所の入口を見ると、そこにはあの人ことジョーカーが暖簾から顔を覗かせていた。

「ジョーカーさん、こんばんは」

「おう」

ジョーカーが暖簾を潜り、女主人公の挨拶に短く返事をした。ジョーカーは紅丸と教皇庁に行ったあの日から、ちょくちょく詰所に来るようになっていた。

女主人公は弟の知人が来てくれたことを嬉しく思うのと同時に「最強さんの姉ちゃん」という慣れない呼び方にこそばゆくなっていた。最初の数回は女主人公もその名で呼ばれる度に、自分の名前を教えていた。しかし、それでも呼ぶ気のないジョーカーに困り果てると、とうとう名前を教えることですら諦めてしまったのだ。

女主人公はジョーカーにタタタッと近寄ると自分を訪ねて来た理由を聞く。

「私に何か御用ですか?」

「こいつを返しに来た」

ジョーカーは左手で持っていた風呂敷を女主人公に見せるよう自身の胸まで上げる。低い楕円柱のシルエットをしているそれは、ジョーカーが前回来た際に女主人公が渡した物だった。しかし、渡した時と違うのは弁当の中身が空になっていることだ。勿論、それを空にしたのはジョーカーだ。

「煮物、中まで味が染みてて美味かった」

ジョーカーが女主人公に風呂敷を渡す。このやり取りも今回で3回目。女主人公は風呂敷と一緒に弁当の感想を受け取れば、待っていた言葉に自然と頬を緩ませた。こちらが聞かずとも「美味かった」と口にしてくれるジョーカーが女主人公は好きだった。

「手羽元と大根の煮物ですね、お口に合って良かったです」

「あんたの作る飯はどれも美味いからな」

「ジョーカーさんにそう言っていただけると、こちらも作り甲斐があります。詰所の皆はなかなか食事の感想を言ってくれないので……」

そう、それはここ数年における女主人公の悩みでもあった。詰所の皆は、長年にわたり詰所の台所を担当している女主人公の手料理に舌が慣れてしまっていた。初めて作るもの、またはいつもと違うレシピなど、目立った変化がない限りは感想を言ってくれない。紺炉は時々口にしてくれるが、弟の紅丸に至っては良かれと思って味付けを変えてみれば「味付けはいつもので良い」と不満を口にする始末。

好みの把握や何より自分のモチベーションの為にも女主人公は食事の感想が聞きたかった。しかし、毎日三食あることをいちいち聞くわけにもいかず、気が付けば何もしないまま数年が経っていた。だからこそ、時々来ては感想を口にするジョーカーやシンラ達の存在は女主人公にとって大きかった。

「それで、あの鍋は何を作ってんだ?」

ジョーカーは詰所の夕食が気になるのか、女主人公の奥にある大鍋を見つける。女主人公はそんなジョーカーを大鍋の前まで案内した。

「これは豚汁ですよ」

「へー、豚汁かァ」

「はい、具沢山で美味しいですよ」

美味そうだ、と言うジョーカーを見て、女主人公は初めて彼が朝食を食べに来た時のことを思い出していた。台所に居たこともあり、しっかりと内容までは聞こえなかったが、確か味噌汁が好みの味だとかなんとか……。女主人公はその会話がてっきり聞き間違いだと思っていた。ところが実際はそうではなかったらしい。女主人公は「そうだ!」と胸の前で両手を合わせた。

「もう少ししたら夕食の時間なのですが、ジョーカーさんもご一緒にどうですか?」

「ん?あー……、今日はそいつを返しに来ただけだからなァ……」

ジョーカーは女主人公の手元にある風呂敷を見ながら、あまり乗り気でない様子で返事をした。

「……そう、ですか」

何処か寂しそうに聞こえたジョーカーの返事に女主人公は視線と、心の中で肩を落とした。

女主人公は感想が聞きたいのは勿論だが、なるべく出来立て食べて欲しいのもあった。そこで回数は少ないが、ジョーカーの訪問と食事のタイミングが合った時は彼を食事に誘っていたのだ。しかし、ジョーカーが詰所で食事をとったのは紅丸が連れてきたあの日以来なかった。

(ジョーカーさんは皆でいるより、一人で過ごすのが好きなのかもしれない。今後の誘いは控えよう……)

女主人公が伏せていた視線をジョーカーに戻せば、彼の口が動いた。

「まぁ、弁当にでも詰めてくれりゃ、持って帰って食うんだが……」

「え?」

独り言のように呟いた微かな声は女主人公の耳に入っていた。その言葉に女主人公の顔がぱぁっと明るくなる。そして、キラキラした目でジョーカーに詰め寄った。

「お弁当に詰めれば、食べていただけるんですね!」

「お、おう……」

「今すぐ準備しますッ!」

ジョーカーの返事に女主人公が喜ぶと、急いで準備に取り掛かった。保存容器が入った戸棚を開けると使えそうな容器の確認をする。

(豚汁は水筒に入れた方が漏れずに持ち帰れそう、あとの容器は……)

なんてことを女主人公が真剣に考えていると、何かを思い出したようにハッと顔を上げた。

「ジョーカーさん、お弁当の代わりと言ってはなんですが、一つだけいいでしょうか?」

「あァ?なんだ?」

「あの、……出来ればまた食べた感想を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?一言二言で構いませんので……」

ジョーカーは目をぱちくりさせると、女主人公の可愛らしいその条件に笑った。

「ハハッ!それならお安い御用だ。何ならレポートでも書いてきてやろうか?」

「うふふ、それはそれで読んでみたいですね」

ジョーカーがおちゃらけた様子で言えば、女主人公が口元を押さえて笑う。

「レポートの冗談は置いといて、感想のお話は本気ですよ?」

「あァ、分かってる」

「約束です」

女主人公はそうはっきり言うと、ジョーカーに近付いた。右手の小指だけを立て、ジョーカーに差し出す。ジョーカーは一瞬キョトンとしてから「あァ」と漸く意味を理解すると、自身の骨張った右手小指を女主人公のそれに絡める。

「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」

女主人公は子守唄を歌うような優しい声で歌い、リズムに合わせて手を上下に揺らす。

「ゆびきった」

歌い終わると互いの指をそっと静かに離した。女主人公は満足そうに、また「うふふ」と笑った。

「それでは、今からお詰めしますので少しだけ待っていてください。良かったら出来るまでの間、客間で待たれますか?」

「いや、ここで良い」

「分かりました」

ジョーカーは後ろのポケットから煙草の箱を出すと、そこから一本取り出し口に咥えた。左手をポケットにしまってから、煙草の先端に指で火を着ける。待っている間、ここで一服するつもりらしい。

彼が吸い終わる前にお弁当を詰めよう、と意気込む女主人公の胸には、ジョーカーから4回目の感想が聞ける楽しみで溢れていた。

(ジョーカーさんはタダで食事ができて、私はその感想が聞ける。この関係がいつまでも続けば良いな……)

そう思いながら、女主人公は戸棚に置いてある水筒に手を伸ばす。

後ろにいるジョーカーがジッと絡めた自身の小指を見ているとは知らずに――――。



20201225
知り合い以上、友達未満。

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