「みつなり!」
 空気のふれる気配を感じた一瞬の後、地図を挟んで目の前に座していた家康が唐突に掌底を三成の顔面目掛けて繰り出してきた。
 幾つもの生傷がある大きく厚みのある掌を間一髪で避けると、反射的に脇に置いてあった白を引き寄せた。
 片膝を立て、すぐさま愛刀を構え、鯉口を切りいつでも抜ける体勢を作った。
 そんな三成を家康がぽかんとした阿呆面をして光に梳かすと黄金(こがね)色の光を帯びる大きな瞳を瞠らせていた。逃げるそぶりみせず、突き出した掌は間抜けにも空で止まっていた。
苛苛する。
「なにするんだ、三成・・・」
「なにするんだ、だと?巫山戯けているのか、貴様ッ!」
「いや、ワシは巫山戯けてなんてないぞ」
「巫山戯けていない、だと?」
 では、本気だったとうのであろうか?
 三成は己の眉尻が釣り上がっていくのを感じた。衝撃と怒気が腹の底から沸きあがり、どろりと胃の臓腑を満たすと、居合い抜きで一太刀を放った。
「う、わあ!」
 憎らしくも家康は緊張感のない声を上げながら、立ち上がり三成の剣を避けた。
「何を怒ってるか、知らんが、抜刀(ぬ)くことないだろう!」
 しかし、勢いあまった家康はよろけて尻餅をついた。
 不平を鳴らすその様は怒っているようでもあり、困っているようでもあった。
 三成は広げられていた地図をまたいで、一歩、二歩と家康に近づき、切っ先を首筋に突きつけた。
「この首が狙われているのに、抜刀(ぬ)かんでなんとする!」
 ぎりっと歯噛みしながら、見下ろすと家康は目を丸くした。
「どうして、そうなるんだ?」
「貴様ッ・・・!たった今、私に一撃を喰らわせようとしたではないか!」
 家康の掌底を脳天にまともに入ってしまっては、頭蓋に罅が入ってもおかしくはない。当たり所が悪ければ、そのまま逝くこともある。
「あぁ・・・そうか」
 なにがそうであるのか、まったく話が三成には見えなかったが、家康はなにやら納得したらしく横座りの形になっていた足を投げ出し、喉を反らしてカラカラと笑った。
「家康ぅ・・・何が可笑しい!」
 このまま喉笛を掻き切ってやりたい気持ちを押し殺し、ぎりっと歯噛みする。
「やぁ、すまん。三成」
 それなのに、家康はあっさりと詫びたので三成は拍子抜けした感が拭えなかった。
「命を狙った謝罪がそれか?跪け!頭を垂れろ!」
 そうしたら、許してやらないこともない・・・。
「いや、だからそれが違うんだよ」
 家康はまだ笑いを含んだまま立ち上がり、刃が首を掠め、うっすらと血が滲むのも構わず三成にゆっくりと手を伸ばしてきた。
「ワシがしたかったのはな、こういうことだ」
 何故だろう。避けることも手を押し留めることもできなかった。
 素手で戦っているが故に生傷の耐えない家康の指先が三成の前髪に差し込まれると、まるで額を撫でるかのようにして梳き上げられた。
 視界が広がり、間近に家康の顔があった。嘗てない、近さだった。
「わ、三成・・・綺麗な顔をしてるなぁ」
 感心したような、何かを喜ぶような家康の口ぶりに、三成は苛立ちを覚えて手を振り払った。
「触るなっ!」
「三成、気を悪くしないでくれよ。ワシはお前の髪が長すぎるから、地図が見にくいだろうと思っただけなんだ。驚かせたことは、謝る。すまんかった」
 三成の柄を握る手がぴくりと反応した。
「・・・」
 家康の意図が真だとすれば、己の早合点であったことになる。そうなると、益々面白くなかった。このまま斬って捨ててやれば、気がおさまるだろか・・・。
 三成が弓手の抜き身を一瞥して、次に家康を見た。
 目と目が会うと家康はその頬に赤みがさした血色の良い頬に悪戯をする童のような笑みを浮かべていた。
「それに、男前が隠れていちゃ、勿体無いぞ」
 三成は鼻に皺を寄せて、己が内に沸きあがってくる何か得体の知れない感情に耐えて、
「戯れるな。次はないと思え・・・」
 と言い捨て、刀を鞘に納めたのだった。




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