禁色 捌乃表


 墨色の天より大粒の雫が、まるで断罪の矢のように数多ふりそそぎ、三成の身体を激しく叩いた。
 雨に打たれた自分の身体が、穢れの色に染まっていくような気がしたが、見れば赤くも黒くもなってはいなかった。
 果てて直ぐ、よろめきながら立ち上がった三成は額に張り付いた前髪を払うと、のろのろと己が犯した罪を見下ろした。
 先ほどまで三成の背中に回っていた手は力なく泥土の上に投げ出され、剥きだしの太腿の付け根から内股にかけてを赤く、白く濡らしていた。
 三成が撒き散らした淫欲の飛沫がその顔といわず胴宛といわず汚していた。羽織をつけたままの胸は特に酷かった。生乾きの粘液が赤い縁取りの金地の羽織に大きな染みをつくり、黄金造りの胴宛から臍までべっとりとこびりついている。
 三成はぞっとして、己の羽織を脱いで丸め、己の精の名残を乱暴に拭いとった。
 穢れに塗れて力なくぐったりと横たわっている家康の顔や腹を清めたが、被り物のついたあの羽織の染みだけはどうにもならなかった。
 三成は何かを確かめるようにもう一度家康の顔を覗き込んだ。
 目を閉じ、ぽってりとした肉厚の唇を半開きにした顔は雨に打たれ土に塗れて汚れていたが、どこか清らかで稚(いとけな)かった。
 唐突に鳩尾に沸いた嫌悪感と焼けるような痛みに三成は咄嗟に両手を突いて抜かるんだ泥の上這いつくばった。四つん這いになり、嘔吐く。己の犯した罪に、反吐がでた。
 しかし、腹の中はいつも空洞で、吐き出すものがないためか吐き気は一向に収まらず三成を苦しめた。
 しばらくの間、三成は獣がのたうつように悶絶びゃく地していたが、ようやく臓腑の痙攣がおさまり家康の足元に倒れ伏した。
 遠くなる意識を懸命に手繰り寄せながら浅く呼吸し、手首の内側で口元を拭って立ち上がる。今までにないほど、身体が重い。喘ぎながら己の身づくろいをし終えると、雨ざらしにされていた白を拾い上げ納刀した。そして、同じように転がっていた家康が必死に守ろうとしていた女の遺品となった懐剣を躊躇いがちに拾い上げた。
 血泥に汚れた刀身に憔悴した己の無様な貌が映る。その貌もまた、血と泥に塗れていた。それは戦場での日常茶飯事であった。それは違っていた。秀吉に見出されてからつい数刻前までの己とは明らかに異なってた。
 堕ちて穢れた己が、そこにいた。
 三成は激しく動揺した。
 変わった自分に。そして、懐剣を拾った自分に。
 こんなものを拾ってどうするのだ、とたじろぎながら己に問いかけるが答えは見つからない。手を離せ、そのようなもの打ち捨ててしまえと思えど、身体は動かなかった。
 気持ちが悪い。
 堂々巡りするようなもどかしさと焦れったさが三成の中でとぐろを巻く。思案するにも、筋道がたたず思考の糸が矛盾に縺れ、いたずらに神経をすり減らすばかり。耐え切れなくなって、三成は顔を歪めると、懐剣の鞘を拾い上げ刃を納めると白と供に腰にさした。
 顔を上げると、雨が一層強くなっており、数寸先も良く見えないほどだった。空の色が黒いか青いかすら、自分は分かっていなかったのだと気づく。滑稽だと笑う余裕などありはしなかった。
 三成は震える手を伸ばし、雨に濡れそぼった家康の身なりを整え、その体を背負って歩き出した。
 鍛えられた厚みのある肉体は、三成が考えていたよりずっと軽かった。それにも関わらず、三成の歩みを鈍らせた。
 家康のみっしりと肉がついた体は硬く引き締まっていたが、三成の背中にあたる感触だけはそれを裏切っていた。
 漠然とした恐怖と肺が潰れそうな程の重圧に耐えながら、刹那とも永遠とも思える時を刻む。
 三成は初めて知った罪咎を引き摺り、断罪の驟雨の中を彷徨った。 




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