ワシは石田家の旗印が好きだ。
 大一、大万、大吉。
 万に勝ち、万年の繁栄を願うという意味もあるそうだが、他に一人が全ての為に尽くし、全てが一人のために尽くさば、天下は遍く幸福になるというという意味もあるそうだな。
 ワシはあの旗印を見て、心が躍ったぞ。目の前が開けたような気すらした。人と人との繋がりのなんたるかを教えてくれる、実に心ある紋だ。


 葵の一葉を象った兜の下にある丸みを帯びた頬を紅潮させて三成に微笑みかけた少年の顔を、三成は時折ふと思い出すことがある。
 当時の徳川は豊臣の家臣団の中にあって、本多忠勝という有力な武将が仕えているという以外は特筆するべき能力もない存在だった。家康本人は体つきも小さく、腕が立つわけでもなかったため、目立った武功を上げることもなかった。常に俯き加減で口数も少く、本多忠勝のみを侍らせ、空ばかりを見上げていた。籠の鳥でもあるまいに、と三成はその姿に軽い蔑みにも似た所感を覚えたものだった。
 その物欲しげなつまらぬ横顔こそが徳川家康という三河の小侍だ、取るに足らぬ者よと軽んじていたために、ふいにみせた太陽を思わせる弾けんばかりの笑顔は鮮烈な光の矢となって三成の灰がかった緑黄(りょくおう)色の眼を挿した。
 生まれつき色素の薄い瞳は光に弱い。不思議と炸薬による光焔には強いが、日光が駄目だ。
 強すぎる陽射しは、目を灼き痛みと堪らない不快感を齎す。
 三成は刹那の間、視覚を奪われ、目の前が白く灼けたような心地になった。
 ひ、ふ、みを数えるか否かのうちに感覚を取り戻し、常ならば併せて感じる痛みもなかったために、目を押さえてよろめくような無様な姿を晒さずにすんだ。
 三成は一度瞬きをして、瞼の裏の残光を打ち消すと、目を輝かせる家康を「くだらん」のひと言で斬って捨てた。
 石田の旗印は先祖代々のもの。三成はそれを嫌っても好んでもいない。旗印など、ただの記号に過ぎぬ。
 旗印を変えることもできるが、石田家伝来の紋である故、それをするにはまず家中に対して変更することを納得させる大義名分が必要で、そんなものを考えなければならぬというだけで閉口する。
 それに、家康が気に入ったと言っている旗印の意味は、三成にとっては正反対の意味を成す。
『個は豊臣に尽力し、豊臣は日ノ本の為に覇業を成す、それ即ち、全の幸福である』
 そう、天下は豊臣の御為にあるのだ。
 三成がそう講釈すると、家康の顔からまるで潮が引くかのように笑みが消えていった。
 その後、ひと言ふた言、言葉を交わしたような気もするが、それについては覚えていない。
 

 その回想に捕らわれると必ずあの光が網膜に甦りそして、消える。
 あの時には伴わなかった痛みは、目ではなく胸に生じ、三成をじりじりと灼き焦がした。
 家康、と名を呼んでも応えを返すものは無く、在るのは己が内の陽光の名残ばかりだった。




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