8歳くらい


どうにもこうにもじっとしていられなくて、アカデミーを抜け出したちょっと早めの帰り道。いつもより空が明るい歩き慣れた道を、人の間を縫って全力疾走で駆け抜ける。そのとき脇道から出てきた人影に気付いたものの、走り出した足が止まらなくて人に躓く。


「っと、ごめんよ!」


アタイは相手の顔も見ずにそう言うとすぐさま走り出す。はやく、はやくデイダラ兄にあいたい。はやく声が聞きたい。そう思うと自然と足がデイダラ兄の部屋を目指してまっしぐらに突っ走った。もちろんデイダラ兄が自分の部屋にいるのかはわからない。それでもアタイはただデイダラ兄に会いたい思いで走った。今日は5月5日。
なんてったって兄の誕生日だ。





「デイダラ兄ィ!」


バンッと勢いよく扉を開けて、アタイはデイダラ兄の部屋にずかずかと勝手に入り込む。そこにはいつもの机に向かう、大好きな背中があった。


「またお前は…静かに入って来いっていつも言ってるだろ、うん!」


こちらに目をやるデイダラ兄はアタイの大好きな声でそう言った。迷惑そうな顔されたって、気に止めないくらいにその顔が見れただけで、デイダラ兄の姿を見るだけで安心する。


「ねっ、デイダラ兄ってば今日誕生日でしょ!」

「!覚えててくれたのか?」


そう言ってデイダラ兄は「去年はすっかり忘れられてたから、今年も忘れられてると思ってた」と不思議そうな顔をする。実は言うと、アタイは忘れていたワケじゃなかった。だって大好きなデイダラ兄の誕生日を忘れるはずないじゃないか。去年のときは自分と同じ年頃のアカデミーの女の子が、デイダラ兄にプレゼントをあげるのをただ遠くで眺めていた。本当はアタイも用意してきたのに、なんて思いが少しもなかったと言ったら嘘になる。でもあの子のように顔を赤くして面と向かってプレゼントを渡すのも、なんだか気恥ずかしくて。ちょっと奮発して買った兄が前に欲しがっていた芸術図鑑、けっきょく渡せなかったんだっけ。


「だからさ、今日はデイダラ兄がしてほしいこと何でもしてやるよ!」


今年はものなんかじゃなくて、デイダラ兄が望むことを叶えてやろうと思った。前にジジイが贈り物は心の問題だって言っていたから。そんなアタイの言葉にデイダラ兄はよくわからないといった表情だ。


「オイラがしてほしいこと?」

「そっ」

「ん〜…そう言われてみるとなんにもねえかなあ、うん」

「それはダメ!」


デイダラ兄の言葉にアタイは思わず大きな声を出す。なんにもないなんて言わないでよ。いつも兄に迷惑かけてばかりだから、今日は絶対にワガママを言わないって決めたんだ。アタイが兄のために何かしてやるんだから。


「じゃあ…黒ツチがそんなに言うんなら、何かお願いしようかな」


ちょっと困った様子でデイダラ兄はそう言う。こくんと小さく頷くと、兄は真剣に考え込む。しばらくの間考え込むと兄は突然「あ」と何か思い付いたような声を発した。


「じゃあ、部屋の掃除!」


ニカッと笑ってアタイに指図するデイダラ兄。なんでこんなに可愛いのかなと悔しいけど不覚にも思ってしまった。そんなアタイの心情も知らずに笑顔のデイダラ兄を見ていると、自然とこっちまで笑顔になる。「うんっ!」とまるで口癖を真似たような返事をすると、また兄は歯を見せて笑った。






「いーい?デイダラ兄はちょっぴりでも動いちゃダメだかんね!」

「はいはい」


デイダラ兄をベッドの隅に追いやってアタイはホウキ片手にそう言い付ける。「手伝おうか?」と兄は言ってくれたけど、アタイは「一人でやる」と言い張って聞かなかった。だってせっかくの兄の誕生日なのに、兄にさせたら意味がなくなっちゃう。だからアタイ一人でやってやるんだ。


「にしても、きったねーなあ…」


兄はあまり自分で掃除をしないようで棚に並べられた本の上にはたくさんホコリが積もっていて、床には粘土細工に使われたと思う道具やらで散乱している。とりあえず足元の道具を拾いあげて、ベッドまで運び兄のすぐ隣にのせる。それから机の椅子を本棚の前まで運んで、上に乗って高いところから叩きでホコリを払う。


「落ちんなよー」

「るっさいなぁ。わかってるもん」


横でうるさいデイダラ兄を睨んで、すぐにパタパタと手元を動かす。やっぱり椅子を使っても一番高いところまでは届かない。アタイは少し背伸びをしてぐっと手を伸ばそうとた、がそのとき、わかってると言ったそばから足元がぐらついて、思わず手元が狂い一冊の本が上から降ってきた。


「わっ!」


反射的に避けようとして背を仰け反らせたとき、当然のようにアタイは見事椅子の上からきれいに落っこちた。その振動で上から何冊かの本が大量にバサバサという音を立てて降ってくる。頭の上に本を被せて固まれば、すぐ隣で盛大に笑うデイダラ兄の声。


「いって〜…」

「ははっ、言わんこっちゃねえッ!」


デイダラ兄はアタイが無様に落っこちる姿が心底面白かったのか、腹を抱えて笑っている。けっこう痛かったのにそんなに馬鹿にしなくたっていいじゃんか。思わずベッドの上で転げ回るデイダラ兄のその無邪気な笑顔が恨めしく思えてくる。でも、可愛いかも。デカい声で笑う兄を見たら、もう痛いことも不思議と忘れてしまう。アタイはホコリを吸ってしまったため軽く咳をしてからまた兄に目をやった。兄ときたら、まだ腹を抱えて笑いを堪えていた。


「んなに笑わなくたって……ん?」


立ち上がろうと床に手を付いたとき、何かの上に手が重なる。手をどけてみるとそこには見覚えのある本。あれ?これって、もしかして、


「あ!それっ」


手にとって眺めているとデイダラ兄がその本を指差して声を上げる。え?と聞き返す間もなく本を取り上げられて兄は目を輝かせる。


「ずっと探してたんだ!そういえば、本棚の上にしまっておいたんだっけ」

「それ…」

「うん?…あぁ。これ去年の誕生日に同じクラスのやつからもらったんだ」


ちがうよ。そうじゃなくて。
その本、アタイが兄の去年の誕生日にプレゼントしようと…




「…へ、へぇ。見つかって、よかったじゃんか」


思い出した。確か去年の今日、デイダラ兄がアカデミーの女の子からもらったプレゼントの中身を見るなり「これ欲しかった本だ!」と大はしゃぎしていた。見てくれとしつこく言ってくる兄の手元を見てみれば、兄が前から欲しがっていた芸術図鑑。アタイが兄のために買ったものと、おんなじ本。そうだ。そんな兄の笑顔を見たら渡すに渡せなくて、包装紙に包まれたプレゼントをそのままゴミ箱に捨てたんだった。あの日の胸の奥がズキズキとするような痛みは、今でも忘れられない。


「こんな所にあったのかー、うん」

「…ちょっと見してよっ」

「ダメだぞ!オイラが見てるんだ!」

「いーじゃん!貸してっ」

「あっ、おい返せよ!」


食い入って本を読むデイダラ兄を見ていたらぎゅう…、と心臓の辺りが痛くなった。邪魔をするつもりなんてなかった。ただ去年プレゼントをもらったときのように目をキラキラさせる兄がイヤで。アタイは本を貸してくれそうもない兄からそれを奪い取ろうとした。身長も同じくらいだからしばらく本を取り合って、やっと兄から本を奪い取って取られないように手を高く上げたそのとき。頭の上で手が何かとぶつかって、次の瞬間ガシャン!と何かが壊れた音がした。


「あっ!!」


デイダラ兄が大きな声をあげる。アタイも思わずそれに驚いてすぐさま足元に目をやれば、顔色が一気に青ざめた。見れば兄の造った鳥の粘土が床に転がっている。それは棚の上から落ちたせいで翼が取れてしまっていた。固まるアタイをドンッと押しのけて兄が壊れた作品を拾い上げる。兄といえばそのまま動かない。


「あ、アタイのせいじゃないからね。兄だってちょっとは…」


アタイの言葉に兄はうんともすんとも言わなかった。いつも怒鳴られよく叱られるだけに、俯いて無言のままの兄が少しこわい。アタイは少々困った顔をして頭を掻く。しばらくしてから兄がぼそりと小さく口を開く。


「…から、」

「え?」

「上手くできたから飾っておいたんだよ…今まで造った中でもお気に入りだったんだ、それなのに…」

「…!」


その言葉にアタイは何も言い返せなくなった。よく見てみれば兄の壊れた作品を持つ手が震えている。それに気付いて余計に焦る。謝らなきゃ、そう頭の中ではわかっているのに喉の奥に出掛かった言葉が出てこない。はやく、はやく謝らなきゃ…


「…出てけ。もう掃除はオイラ一人でやる」

「で、でも…」

「出てけ!!」


デイダラ兄の大きな声に思わずビクッと肩を跳ねさせて、兄はそれを見てほんの少しバツの悪い顔をするとすぐさま顔を逸らして俯く。アタイがいつまでもその場に立ち尽くしている間に、兄は手に持っていたものを少し乱暴に床に置いてすくっと立ち上がった。「出て行かないならオイラが出てく」と言うと、デイダラ兄はアタイのそばを横切る。兄は目も合わせようとせずに下を向いたままだった。背後で思いきり扉を閉める音がした。


「……」


一気に静けさが増した兄の部屋に取り残されたアタイは、しばらく呆然としていた。アタイのせいで本が床に散乱して余計に散らかった部屋、その片隅にあるアタイのせいで壊れてしまった兄のお気に入りの、お気に入りだった作品。それを見ていたら急に泣きたくなって、溜め息を吐いて崩れるようにしゃがみ込む。
どうして素直になれないんだろう。去年の今日から何も変わっちゃいない。今だって謝らなきゃと思うだけで、何も言えなかった。アタイはいつまでも弱虫のままだ。
もうダメだ。兄に嫌われてしまった。あんなに怒った兄は初めて見た。きっと本当に大事なものだったんだろう。せっかくの兄の誕生日なのに、アタイは迷惑かけてばっかじゃないか。


“あ、アタイのせいじゃないからね。兄だってちょっとは…”


本当に、つくづく自分がイヤになる。兄の気持ちも知らないであんなことを言ってしまった。ちがう、言いたかった言葉はこれじゃないのに。アタイはただ、デイダラ兄に、


「……っ…」


ぽた、と下を向いていたら涙が零れてアタイはそれに気付くなりすぐさま腕で涙を拭う。何度かぐしぐしと目元を擦ると、ちょっぴりヒリヒリするけど何とか涙はおさまった。泣いてる場合なんかじゃない、そう自分に言い聞かせてアタイは床に落ちた本を棚に戻し始めた。








目が覚めると兄のベッドの上にいて、窓から見える空にはもう星が浮かんでいた。一通り部屋を片付けた後そのまま寝ちゃったみたいだ。アタイは体を起こそうとその場に手を付いた、そのとき手が何かに触れた。


「──!」


目をやれば、すぐ傍で静かに寝息を立てているデイダラ兄の姿があった。驚いてアタイは兄の髪に触れていた手を思わず引っ込める。なんで?いつから?どうしてデイダラ兄が?


「……ん…、」


なんて思っていると、兄が小さく声を漏らして寝返りを打つ。しばらくするとまた吸って吐いてを繰り返し始めてアタイは恐る恐る顔を覗き込んだ。…起きてないみたい。自分でもよくわからないけどホッとしていた。
寝てる間に来てくれてたのかな。でも怒らせてしまったのにどうしてだろう。そんな疑問が浮かんだけど、兄の寝顔を見ているとなんだか全てがどうでもよくなる。ほんと、可愛いな。なんて思って兄の柔らかい髪に触れる。サラサラ、アタイのなんかよりずっとキレイ。手までやけに可愛い。少しだけアタイよりも大きな手。


「…ごめんね」


薄暗く静けさに包まれた部屋に、自分の小さな声が響いた。やっぱりデイダラ兄は目を瞑ったままだった。アタイは一安心して口元を弛ませると、兄の隣に横たわる。兄と添い寝なんていつぶりかな。アカデミーの女の子達は知らない兄の寝顔。もちろん兄とケンカなんてしたこともないんだ。アタイだけが知っている、デイダラ兄。そんなさり気ない特別が嬉しい。もう一度その髪を撫でようと手を伸ばしたとき、兄が小さく声を漏らす。


「ん……、あれ…黒ツチ…?」

「!」


目を擦りながらデイダラ兄が体を起こしている間に、アタイは咄嗟に伸ばしかけた手を引き戻す。兄はくしゃくしゃの前髪を手ぐしで直すと、眠たげな顔で部屋を見渡した。


「部屋…片付けてくれたんだな」

「ま、まあっ!」

「そっか、ありがとな…うん」

「うんっ…」

「「……あのさ、」」


しばらく間が続いて決心した言葉を伝えようとしたそのとき、デイダラ兄と声が重なった。それに二人して顔を見合わせて目を丸くする。


「な、なんだよっ」

「何って兄こそ先に言いなよ、」

「だから、その……これ…」

「!」


兄が見せたものはアタイが壊した鳥の粘土作品だった。取れた翼と胴体をセロテープでぐるぐる巻きに固定されていて、とても壊れる前と比べると不格好なもの。アタイはそれに兄に何か言われると思い俯いた。


「黒ツチがこれ直してくれたんだろ?その礼と…さっきは、怒鳴ったりして悪かった。それが言いたくて」

「…!」


「だったんだけどオイラも寝ちまったみたいだ、うん」と歯を見せて頭を掻きながら言うデイダラ兄に、胸の辺りがかき乱される。兄が謝るのも、あんなに怒るのも滅多にない。その分だけ兄に応えたくなった。


「ちっちがくて、兄はなんにも悪くないじゃんかよっ…アタイも兄のやつ、壊しちゃっ、あやま、たくて…っ」

「!」


泣くつもりなんてなかったのに、思わず兄の言葉に涙が止まらなくなる。ぶわあ、といっぱいに溢れる涙が頬を濡らすと、兄は目をぎょっとさせてあたふたとした様子だ。


「お、オイラが悪かった!だから泣くな、なっ!?」


デイダラ兄は女の子に泣かれるのには苦手というか弱いようだけど、そんな優しいことを言うのだからまた涙が溢れた。兄はどうにかアタイを泣きやませようとするが、それでも涙は止まらない。困った様子で兄は少し考えるとアタイの前髪を右手でたくし上げる。そして初々しく、兄の唇がやさしく額に触れた。


「…!」

「泣き止むおまじない、だろ」


恥ずかし気にそう言うと、兄は顔を逸らす。おでこにキス、された?いやアタイもデイダラ兄にちっちゃい頃よくしてたけど、されるのは初めてかもしれない。涙は止まったけど呆然とするアタイに、兄はまた口を開く。


「お、お前だってよくオイラにしてただろーがッ」

「──デイダラ兄」

「あぁ!?」


慣れないことをして顔を赤くする兄がたまらなく可愛いくて、思わず好きが溢れそうになる。兄のはじめて。キスされたところが熱くなった気がした。もう頭がおかしくなってしまう。今なら伝えられる気がする、本音。


「……た、誕生日おめでとう!」


けっきょく言えなかったけど、ただアタイは来年も再来年もずっと兄の誕生日を隣で祝いたい。この言葉に、兄は「おせーんだよ」とアタイの大好きな笑顔で笑った。こんな毎日がずっと、続いてほしいな。











素直になれなくて



「そういえば、さっきのデイダラ兄聞いてたりする?」

「…?なんのことだ?」

「あ、わかんないんならいいやっ」

「なんだよそれ、気になるだろ」

「だからー、もういいんだって!」




今日も「好き」を言いそびれたけど、こうやって兄が隣にいてくれるだけでいいや。これからもずっとアタイだけの兄でいてね。誕生日おめでとう!