ネックレスが解けない月曜日

ワードローブを一通り引っ掻き回しはじめて早1時間が経とうとしていた。ため息を吐きそうになるのを我慢して、手を止めずにクローゼットから衣服を1枚1枚確認するように取り出す。こういう時こそ決断力が欲しいと思うのはわがままだろうか。


みょうじなまえ、絶賛身支度中です。


明後日予定が空いていたら来れないか、というメッセージを、轟さんから、初めて、もらった。短文で一言だけ。その一言が、私と轟さんという一般人とスーパースターの間にあるはずの高い高い壁を少しずつ削っていくようで。不思議なような楽しいような、でもいけないことのような……そんな気分である。

要件は聞いていないが私は二つ返事でかしこまりました。と返していた。明後日、つまり今日は休暇を取っている。終日家でデザイン画のスケッチをするかネットで情報を漁るくらいしかやることが見つからなかった私に、予定を空けないという選択肢はなかったのである。


仕事関連での約束の取り付けであることはなんとなく分かってるけど、休みの日まで普段通りのスーツやオフィスカジュアルで行かなくてもいいんじゃないかな、なんて思い立ってワードローブへと向かってはみたものの、自分のThe.私服になると随分無頓着だったことを途端に思い出す。


「うーーーーーー、む」

探せど探せど、先程からカジュアル過ぎるパーカーやジーンズとかシンプルなニットしかワードローブから見つけられていない。

約束の時間が刻一刻と差し迫っているのを時計の針が進む音を聞きながら私はコーディネート完成を急いだ。さて、今日も1日が始まろうとしている。







ーーーーーーーーーーーー

息切れがだんだんとツラくなってきた。
待ち合わせ場所が遠くに見えている中、
焦点が合わない両の目で轟さんの姿を探す。

待ち合わせ時刻の5分前くらい。
約束事がある時は15分前に着くようにしていた私だったが、コーディネートを決め終わり着替えて身支度を済ませるまではきちんと配分の時間枠通りに出来たのに、電車の遅延により結局若干到着が遅くなってしまっていた。

「…ハァ、もう…っ!」

高めのヒールを合わせてきたので走りが普段より遅い。急げば急ぐほど思い通りにならない踵。半脱げになりながらようやく約束のカフェ前に到着した。走りながら轟さんの姿を見つけようとしたけれどその姿はどこにも居なかった。あれ?まだ到着されていないのかな?

かく言う私も電車が遅延していたし、少し遅れていらっしゃるかも、とスマホを確認しようとディスプレイを見る、連絡は特に入っていない。ついでに時間は待ち合わせ時間ちょうど。まあ、あまりにも遅くなるようならば連絡を下さるだろう。



入口付近の大きなガラス窓を背に息を整え始める。そういえばここ最近運動とか殆どしていなかったなぁ。

走ったせいで喉が乾いたので、折角カフェにいるのだから飲みものを買って待っていようかとディスプレイから視線を戻し前を見る。





(えっ、)

ふと気がつくと目の前に黒のコートにグラサン、更に目深にキャスケットを被るという出で立ちの人が立っていた。

グラサンの所為で視線は伺えない。しかし偶然私の側にいると考えるには目の前過ぎるし近すぎる。なんだろう、不審者だろうか。
即座にぱっと視線を外しディスプレイを眺める。あくまで気づいていない振りをしようと思った矢先、その不審人物は私の顔を覗き込むように少し屈んだ。


「……みょうじさん?」


低くもしっかりとした声色だった。迷いなく呼ばれた自身の名前に一瞬背中が跳ねる。
少なくとも私の名前を知っているような友人達の誰にも当てはまらない人物なのだが…。なぜ名前を呼ばれたのか検討がつかない。
恐る恐る顔をあげる。


「あぁ、やっぱみょうじさんだ。いつもと雰囲気違ェから気付かなかった。」

「.......その声…轟さん、ですか?」


私の顔を正面から確認するや否や、その人は声を上げた。それはもうここ最近何度か耳にした低くも通るしっかりした声色で。

サングラスも目深のキャスケットも何も外していないけれど、はたと気付く。目の前にいた不審者…と呼ぶには失礼か。目の前の人物はなんと轟さんだった。特徴的な髪の毛もお顔も今は大部分が隠れているが、それでもよく見れば十分わかりやすい変装をしていた。


「轟さんもなにも、今日ここで待ち合わせしてたよな?」

「あ、失礼しました!そういう意味ではなく結構変装されてたのでまさか轟さんだと思わなかったんです。」



酷くグラサンが似合わない表情で轟さんは首を傾げた。確かに節々に轟さんらしさが出ていると思う。立ち居振る舞いとかオーラとかいざ振り返ってみれば轟さんまんまだった。
轟さんは思い出したように悪ィ、と言ってサングラスを外す。オッドアイの双眸が現れるとより轟さんらしさが際立つなぁ。というか…これはこれであまり変装の意味がなくなってしまったかもしれない。



「取っていただいたところ申し訳ないですか、サングラスは取らない方が良いかもしれません、多分高確率でバレます。」



グラサンのままプロヒーローが歩くというのは面白い絵面だ。マスコミが騒ぐかもしれないなぁ、なんて呑気に考えた。しかしグラサンを外せば途端に抑えられない本人のオーラが露出してしまう、さてどうしたものか。

あ、そうだ。

少し小さいかもしれないが、グラサンのまま歩くより、お顔丸出しのままバレるよりはいくらかマシな方法があるじゃないか。

そっと自身のかけているスクウェアレンズの伊達メガネを外してみる。黒縁でほんの少しレンズに色が付いている。轟さんの今日のコーディネートに合わせても遜色ないような度なしメガネだ。これをかけてもらえばいいんじゃない?



「そうだ、こちらよかったらかけますか?」

「いいのか?」

「私より必要かな、と」

「じゃあ、借りる。」


ありがとな、と静かに俯き加減でメガネをかけた轟さんはシンプルながらも上品な出で立ちと相まって知的な雰囲気を纏っていた。凄い、似合いまくってる。


「とてもお似合いですよ、渡して良かった。」

「言い過ぎだろ、みょうじさんの方こそ似合ってた。」

「お世辞はやめてくださいよ。」

「お世辞じゃねェ。」


お世辞じゃない、だと…?言葉がリフレインして脳内に染みていけばいくほど理解が追いついて表情に隠せないほどの気恥しさが湧き上がってくる。男性にそんなことを言われるのは滅多にない。ましてや稀代のイケメン代表と言わんばかりのヒーローにだ。


なるべく考えないようにしていた思考が再び降ってくる。待ち合わせ、休日、そして私服。これってデートになってしまうんじゃ…?いやいや、思い上がりも甚だしい。これは仕事だってば。


「ところで、本日のご用件はなんでしょうか?」

仕事モードを再びONにして。何の約束だったのか、当初より不明だった部分へ焦点を当てる。回答次第で進捗がぐっっ、と進む可能性すらあるので実は本日の呼び出しはとても光栄で、そして歓迎するべきことだった。
二つ返事で休日返上してでも是非お会いしたかった私。どうやら最初の面会から考えると大分轟耐性がついてきているみたい。



「スーツを買おうと思ってる。」

「…………ほう。」

「選んでもらえねぇか。」


前言撤回します、ちょっとやっぱり轟さんが何言ってるか分からない。








連れられてやってきたのは、所謂ハイブランドが集う高級デパート。重厚な入口に人通りは疎らだった。平日の微妙な時間だ、いくら都市部とはいえ今の時間はゴールデンタイムに当てはまらないのだろう。受付嬢が貼り付けたような笑顔でこちらを向いた。昼下がりのデパートには緩慢な空気が漂っていた。

導かれるようにエレベーターのボタンを押す轟さん。4階メンズコーナーが目的地らしい。さっきデパート館内案内図見たけど本当に高級スーツしか扱ってないお店が多い4階。一体どこのお店にするんだろ。

程なくしてエレベーターからそんなに離れていない一角の既製服紳士服店を轟さんが視線で指定した。


「既製ですか。」

「あぁ、作ってる暇がなかった。」


揃って入店する。さすがに今の時間、店内にお客さんは殆どいなかった。ご来店ありがとうございます、と目のあった穏やかそうな店員さんから挨拶された。うーん、上品だ。店員さんのみならず店内も雰囲気たっぷりで、ウッド調の床と金色のラックが立ち並ぶ店内にはずらりと高そうなスーツが並んでいる。



「それにしても随分なハイブランドをお選びになりましたね。」

「今着てるやつがサイズ変わっちまってな。直近で使う用事もあるし、高いやつが良かったんだ。」

「なるほど…。ところで直近でって、何にお使いになるんですか?」

「試写会に使う。」



SHISYAKAI…著名人ならばいざ知らずだが、凡人には縁のない世界の話だ。試写会が当たって参加するならまだしも、試写会にお呼ばれして舞台挨拶に赴くなんて経験をしたことが私みょうじなまえにはない。私の親族友人全員あたっても多分見つからない。
スーツのことには一応アパレル業界の分類にいる以上そんじょそこらの人よりは勿論詳しいけれど、試写会用のスーツなんて私が選んで良いのだろうか……。


「それ、私が選んでいいんですか?本当に?よく考え直した方が……。」

「ヒーロー仲間でスーツに詳しい奴なんか居ねえし、知り合いん中ならみょうじさんが適任だろ。」

「私が知り合いに換算されてるの、ちょっとおかしいような気が。」

「そうか?」


そうだわ、と反射で返しそうになり、ぐっと耐えた。何時もながらよく耐えた。思わず口から溢れそうになるツッコミ。こんなに人に向けてツッコミたくなることはない。轟さんの元の性格なのかな、ちょっと天然というかマイペースな部分が絶対あると思う。今日のグラサンも然りだけど。


「まあ、みょうじさんに任せる。」

「左様ですか。」


あんま詳しくねェし、と付け加えて轟さんは店員さんに声をかける。店員さんはメジャーで採寸を始めた。店員さんは少しウキウキした様子だ、接客が好きなんだろうな。

程なくして採寸し終わったのか、サイズのコーナーへと案内された。色別に並べられたラックから店員さんが何着かピックアップし説明してくれている。
素材云々、メーカーがどうだの、色の見え方によって違うだの、楽しそうに説明してくれた。その説明にデザイナーとしての血が騒ぎだす。スーツ1つとってもなんて奥が深いのか、スーツのディティール一つ一つが呼吸をし出したかのようだ。


「ーーーーー、お客様でしたらシングルのスリーピースがよろしいのではないでしょうか?より華やかな場面で映えますし、体格の良さを引き立ててくれますから。お色はネイビーか、グレーのストライプなど如何でしょう?」

「確かに、色は私もネイビーが良いと思います。イメージ的にもピッタリですし似合うんじゃないですか?特にこのスーツ、ボタンのワンポイントが素敵ですね!」

「そう言って頂けますとこちらとしても鼻が高いですお客様。そうですね、お連れ様もそう仰ってますし、宜しければお召になってみますか?」


「あ、あぁ……」


一通り説明とピックアップを紹介して頂いていたものの、当の本人は微妙に上の空っぽいリアクションをかました。
しかし店員さんもやり手である、鉄は熱いうちに打てともいうが、まさにその通りに有無を言わさず轟さんを重厚感溢れるフィッティングルームへとつっこむ。華麗な手さばきでスーツとサイズも測ってないのに適正サイズの試着シャツを渡され、バタンと入り口のドアを閉められ隔離される轟さん。店員さんの技量と力量が凄い。


私と店員さんはニコニコしながら何でも似合ってしまいそうな、かのお客様が出てくるのを待っている。俄然楽しみになってきた。轟さんのスーツ姿ってあらゆる【映え】に適応しそうだ、マスコミが騒ぎそう。と本日2回目の感想を吐き出して扉が再び開くのを待っていた。


「なぁ、みょうじさん……」


今か今かと待ち望んでいた瞬間は、想像とは少しだけ毛色を変えてやってきた。
扉を半開きにして、フィッティングルームから轟さんの顔が覗く。手招きをされたことで私だけ来てくれ、という意味を察した私はのこのことフィッティングルームの僅かに開いた扉から中を覗く。鏡には後ろ姿。
そして視界の真正面には私と店員さんが選んだスーツを100%清く正しく美しく着こなした全貌の…………姿……。


「…………。」

「着てみたんだが.......」

「あっ、すみません店員さん。こちらのスーツでお願いします。」

「どうもありがとうございます、お客様。」

「おい。」


このスーツにしてもらうことにしよう。
だってこのスーツはこの人の為にこそある、と心の中の私と心の中に誕生した店員さんが語りかけてきたんだもの、買わざるを得ないでしょう。本人の意思は、任せると言われた時点で捨ておくとあのスーツ姿を見て直感的にそう感じた。

デザイナーとは直感と感性の塊である。
マイペースである。
こだわりが強いのである。

こう!と決めたらそこに捉われて戻ってこれないことすらある。

でも本当の所轟さんにはこのスーツしかないと思えた。店員さんのセンスも一発で似合うスーツを選び抜く洞察力も尊敬に値する。

轟さんは表情変えずに抗議の声を上げた、上半身を全てフィッティングルームの外へと出して。店員さんも感嘆のため息を吐いて震えている。「お、お似合いだ!」と営業スマイルを一瞬忘れたテンションで叫んでいた。


私もあのスーツと同じくらい、このコスチュームにこの人ありき!って言われるようなそんな創作がしたいものだ。



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