夜明けと、サンドリヨン

なまえさん、少し痩せたか?と隣に並ぶ轟くんから問い掛けられる。私は問い掛けられるなり自身の身体を見下ろした。

痩せた、のだろうか?実感が無いから分からない。ただ半年ぶりに出会う人からしてみれば、私にとっては微細な差だったとしても、轟くんには大きな変化に見えたのかもしれない。


「そう…なのかな?確かに向こうでも、忙しくはしてましたから、それで少し痩せたのかもしれませんね。」


スカートをぐっと引いてみると、僅かに隙間が空く。意外と気付かないうちに変化は起きているものらしい。轟くんはそうなのか、と呟いた。

一通り泣いて、小休止。そして泣き終わって落ち着いた私の手を緩やかに引いて彼が歩き出したのは少し前のこと。重なった手から温度が伝播し伝わってくる。未だ夢心地のまま繋がれた手をそっと握り返した。
向かう先は聞かずともなんとなく分かっている。これからのことを話そう、と彼がそう言ったからだ。


「うん…。」

俯いてぽつりと応える。この瞬間が永遠に続けばいいのに。そう思っても、叶わない。自分で選んだ道とはいえ寂しくならない理由にはならなかった。だって、明日の夜にはもう戻らなきゃ行けないのだから。

次また会えるのは、私たちが初めて出会った秋口になってしまうだろう。



見慣れた場所で降ろされ、私たちを降して直ぐにバスは街の角へ消えていった。轟くんの事務所がある道路の斜向かいのオフィス街を歩いている今も、轟くんは私の手をそっと引いてくれている。私たちの間に漂う雰囲気は、柔らかくとも切ない。



「不健康そうに、見えました?」

「ん、何がだ?」

「さっき痩せたかって言ってたから。」

「…あぁ、いや不健康そうには見えなかったな。」


無言で轟くんの事務所まで歩いているのが気まずくなって口を開く。何か明確な目的がある訳ではなかったが、何でもいいから何かを話していたかった。

痩せたか、と聞かれたことにパッと見で窶れたとかそういう意味が含まれていたのかもと思って掘り下げて聞いてみたが、それは杞憂だったらしい。ただ純粋に慣れない土地で少し体重が落ちたというのが正解のようだ。

窶れた姿で轟くんの前に半年ぶりに現れるのは何処と無く憚られるから、少しスレンダーになって寧ろ丁度良かったのかもしれない。



「ただ、」

「……ただ?」

「久しぶりに顔見て、やっぱり俺が好きになったなまえさんのまんまだ、って思った。」

「えっ、」


握られた手のひらに力が籠る。予想外の言葉に驚き見上げてみると、彼は僅かに口元を緩めて笑っていた。


「なまえさんの横顔が好きなんだ。 だから、出てきた瞬間の表情が何よりも綺麗だって思っちまった。」

「え、な、なんでそんな…」

「ヒーローのこととか考えて、没頭してる時の横顔が…、なんつうか…なまえさんって感じがして好きなんだ。」


繋がれた手が絡んで、恋人繋ぎになった。なまえさんって感じがする……から、好き。声が脳内を反芻してゆっくりと溶けていく。ああ、甘すぎて目眩がしそうだ。

事務所の裏から、慣れた素振りでシンプルな廊下を先導してくれる轟くんの後ろをついて歩く。私の役目が終わってからも、ここに招いて貰えるときが来るなんて。



「私、…あの、」

「…どうした?」

「っ、ごめんなさい…なんか全然上手く返せそうになくて。」


隠すように顔を覆うと、少しだけ安心できた。触れると想像以上に熱い頬。今の私は、彼が好きだと言った横顔になれているのかな?いや、絶対恥ずかしい顔してると思う、だって指先まで真っ赤だし。轟くんから紡がれる言葉の一つ一つを噛み締められたらどれほど良かっただろう、しかし残念ながら私にそんな余裕はないみたいで。



「私も、轟くんの真っ直ぐな目が大好きです。」


情緒が不安定なのは致し方ない。今だって何故か泣きそうになってしまうし、彼の瞳に真っ直ぐ見つめられるだけで、こんなにも満たされているのだから。


「嬉しくて仕方なくて…ごめんなさい。今多分すごく変な顔してると思う…。」

「なまえさん…」

「こんな風に一緒にいられるようになるなんて、思ってなかったから。」



嬉しくて、でも寂しくて、しかも追い討ちをかけるように轟くんの私を見る眼差しが暖かいし。抱えきれない感情が混ざり合ってもうよく分からない。ただひとつ言えるのは……私はきっと世界で一番恵まれてるということなんだろう。


「好きになってくれてありがとう。」


心を込めて、ありがとうを。あの時ヴィランから私を救ってくれた彼の手をとって微笑む。轟くんの見開かれた瞳には私の姿が映っていて、泣き笑いって表現が似合いそうな顔をしていた。

そんな自分の顔は確かに滑稽で変な顔で。更に言うなら自分でも酷いなってくらい不細工で。でも……幸せそうで。何故か嫌いじゃないなって、思ってしまったんだ。



「わ、」

強い力で引き寄せられ、気がつけばあれほど焦がれた轟くんの胸の中に飛び込んでいた。
どことなく薄らいだ春の匂いと轟くんの匂いが鼻を掠める。ほう、と吐息が耳元で響いては消えて。半年前と同じ力強い腕に更に力が込められ二人の距離が正真正銘のゼロ距離になっていく。


「なまえ……、」

「ーー、焦凍くん。」

「細い、な。」


確かめるように背中を辿る手。か細い声からは心なしか悲しそうな印象を抱かせる。無意識に名前を呼びあって、私も僅かに震える背中へと手を伸ばした。



「毎日連絡する。」

「……毎日は大変だと思いますよ。」

「大変じゃねぇ。」

「じゃあ交代で毎日連絡するようにしましょうか。」

「なまえこそ、大変だろ。」

「なにも大変じゃないですよ。」


相手を思えばこそ。少しでもそばにいたい、声が聞きたいと思うのは必然だろう。


「戻ったら、次会えるのは秋頃になるけど、でも…また必ず連絡します。」

「ああ、待ってる。」



寂しいけれど、きっと今度は泣かずにいられるだろう。そして秋にまた会う頃はもっと貴方の好きな私になっていられるように。

身体を離して、向かいあう。一筋だけ零れた涙を拭った焦凍くんの後ろには私の作ったコスチュームがまるでどこまでも続く空のように、誇らしげに佇んでいた。






これは、私と彼の長い長い物語。言うなれば第一部で、今日は第一部が幕を下ろす日だった、ただそれだけの話。これからも何編にも渡って幕は上がり続ける。物語は、多分終わらないのだろう。私と彼が紡ぎ続ける限りは。


シンデレラに掛かった魔法は途切れない、次の夜が明ければそこにはまた幾重にも重なった朝が来ると信じている。そこに不安なんて欠片もなかった。何故なら夜明けに怯えることなんて無いんだと、私に教えてくれたのが他でもない貴方だったからーーー。








ーーーーーーーーーーーーーーー


行きより随分と重くなったキャリーを引きずってすっかりハロウィン気分の街並みを駆け抜けた。手馴れた仕草で購入したのは電車の切符で、それを突き出して改札を抜ける。タイミングよく空港行きの電車がプラットフォームに侵入してきたので、私は迷うことなくその電車に乗りこんだ。

窓の外をふと見上げると、空は鮮やかな夕焼けに染まっていて。地平線は時期に日没を迎えるだろう。そうしたらもうすぐこのニューヨークの街から世界で一番騒がしい夜が、今日も始まる。この街とも今日でさよならか、とふと考えると、心のどこかがやっぱり寂しくなった。




春を超え夏を仰ぎそして待ち望んだ秋。

3回目になる空港の出発ゲートは変わらずDepartureの文字をチカチカと表示させている。


「Have a nice flight.」

「Thank you.」


にこやかに笑って返事をひとつ返す。チェックインを終えて大きな荷物を預けて、ようやく一息ついた。ここを超えたらもうあとは離陸するだけとなる。スマホは勿論機内モードにするので連絡を取ることもできない。


「あ、忘れないうちに連絡しなきゃ。」

私は思い出したようにスマホを取り出した。連絡しとかないと…とディスプレイをタップすると通知が一件来ていることに気付く。
あれ?誰からだろうと気になってフライト前の最終確認をしてみれば案の定というかなんというか。それはざる蕎麦アイコンの人物からのメッセージで、短い文章でただ一言“そろそろか?”と表示された。


「心配性だなぁ。」


あまりのレスポンスの早さに思わず笑う。この5ヶ月一度も連絡を切らしたことなんてないのに、出発の直前まで連絡をくれるとは律儀なものだ。というか日本ってまだ日も出てない時間だよね?

若干心配になるものの、しかし嬉しかったのも事実なので緩む頬をなんとか抑えてから“搭乗ゲートまで来てます”の一言を無難に送信する。

送信されたメッセージは一拍置いた後に即既読になった。


「早い……。」


本当に早い……。あの人ちゃんと寝てる?大丈夫?やっと会えることになったからって無理して怪我してないといいけど。

しばしの間メッセージ画面と神妙な面持ちで睨めっこをしていたが、その時不意に搭乗開始を告げるブザーが鳴った。


「え、もう出発?」

何てメッセージ送るか、結局のところ考えてる時間も無かったなぁ。ぞろぞろとタラップ目指して歩いていく乗客の後ろ姿を見送りながらとりあえずいつも通りのスタンプを送る。まあ、いっか。続きは明日本人に直接言えばいいや。

スマホを機内モードにして、ポケットに仕舞いながら時計へと視線を落とす。よし、準備は万端だ。忘れ物も心残りも全て精算完了。


遠くの空を見つめ、キャリーを引いてまた歩き出す。キャビンへ荷物を預けてから窓際の指定席へ。相変わらず椅子の座り心地が最高だ。今日はなんだかゆっくり眠れそうな予感。

出迎えの時に力いっぱい抱きしめてくれることを夢見て私はゆっくりと目を閉じた。


「もうすぐ会えるよ、焦凍くん。」

さあ、今度こそ帰ろう。
他でもない愛しいあの人のところへ。


fin

- ナノ -