答えはひとつ、貴方もひとつ

背後ではエンドレスで流れる轟くんの勇姿。前には驚き固まる轟くん。黒のスエードシューズを履いている。やはり私がぶつかってしまったお相手ご本人の様だ。


「………。」


本物と映像の両方の轟くんに挟まれるという現実逃避したくなるような状況に置かれ、頭も回らなければ口も思ったように動かない。
思考に切り離された手足とは裏腹に、目だけは素直に轟くんの顔を見据えている。整い過ぎた顔立ちと星を囲むように伸びた柔い自まつ毛が緩やかに天を向いていた。ここまで鮮明な幻があるはずはなく。彼は紛れもなく本物だった。信じたくないけどそれ以外に確かな答えはどこにもなかった。


「本物…ですか?」

「…ああ。」

「え、なんで………。」


伝えたいことすらままならない。当たり前だ、だって本当にこの場に轟くんがいるはずは無いのだから。私は渡米して直ぐに連絡先を変えて全ての情報をカットしていた。轟くんから連絡が来ないようにしたんだ。だから勿論今日一時帰国することだって伝えてないし、到着時間だって…分かるはずがない、のに。

「なんで、いるんですか……。私、だって…今日帰ること一言も、言ってない……」

夢だと言われれば腑に落ちるのになぁ。目の前の人物は夢と呼ぶには少々存在感があり過ぎて。しどろもどろに問いかけると、少しして轟くんが口を開く。


「教えて貰ったんだ。」

「誰から?」

「なまえさんの会社の、なんかすげえ勢いがある人に。」

「………。」


脳裏に先程同僚から送られてきた途切れた不完全なメッセージを思い出す。そう言えば似たようなこと言ってなかった?みょうじさん、いますか?って聞かれてーー、その先は何と続けるつもりだったのか。
すぐ様スマホを確認すると、メッセージが一件。言わずもがな同僚からのメッセージだった。

“轟さんが帰国したら挨拶したいってさ”


「……そういうこと。」

もっと早く言って欲しかったな、それ。
本人と対面してからじゃ何もかもが遅すぎて、心の準備さえ出来ないじゃないか。



ああ、でも夢なら醒めてと願う傍ら。


「会社に確認して、わざわざ会いに来てくれたんですか?」

「……悪ィ、帰国するって知ってつい、来ちまった。」

「ーーっ、」


醒めないでとも同時に思ってしまった私は、単純だろうか。




「また会えるとは、思いませんでした。」

「俺もだ、間に合ってよかった。」


半年間音信不通の友人もどきの為に何故ここまで……私にはまるで見当がつかない。互いに一言も発することが出来なくなり、刹那沈黙の帳が降りる。

醒めて、醒めないで。

ぐちゃぐちゃな思考にまとわりつく私の天邪鬼な部分が素直に喜ぶことを許さない。どの気持ちにも似つかわない不透明な感情が煩わしくて。
思わず轟くんの目を見つめると、彼は何か言いたげな顔をして僅かに目を伏せた。



「なぁ、勘違いだったら悪ィけど、なまえさんさっき……」

「さっき?」

「俺に会いたいって…言ってた、よな?」



「ーーえ?」


耳の奥底で何かが爆ぜる。目の前が急速に色褪せていった。ざわめきの中にいるはずなのに、何故か酷く静かで何も聞こえない。乾いた笑いが喉から溢れて口元が引き攣って、それから。


精一杯の悪あがきを頭で考える。悪事を暴かれた小学生みたいだと我ながら思うけど。ただそうだとしても、とりあえず繕わなけばとてもじゃないけど平常心で居られるはずがない。


一番聞かれてはならない人に、アレを聞かれていたらしい。よりにもよって感極まって思わず会いたいと口走ってしまったあの発言を。

ただ漏れただけ、それでも時は止まってくれないし戻ってくれるはずもない。どこまでも現実がじわじわと侵蝕して襲いかかってくる。……笑えない、流石に。本当笑えない。

ああどうしよう今すぐ逃げたい!消えてしまいたい!ふつふつと湧き上がってきた消えたいという気持ちが脳内から正常な思考を奪っていく。なんてことをやらかしたのだろう。



「え、私そんなこと言ってました?」

「なまえさん、」

「違う人と間違えたんじゃないですか…?」


名前を呼ぶ轟くんの言葉を遮り矢継ぎ早に否定を重ねた。あまりにも苦しい言い訳過ぎて、最早嘘だと見抜かれているかもしれない。対する轟くんは、そんな私を真顔のまま見ている。ただひたすらに弁解をしている間も彼はずっと口を噤んで押し黙っていた。そんな目で見られても、困るのはこっちも同じだ。


「勿論、私も偶然久しぶりにお会いできて良かったとは思ってますけどね。」


「じゃあ、」


一通り否定し終わったのも束の間、轟くんが待っていたかのように突然口を開く。



「格好いいって、言ってくれたのも俺の気の所為なのか?」

「え」


私たちの背後を怪訝な顔してサラリーマンが通り過ぎていった。時刻は昼を回ったところだ。またもや止まる思考。責めるようなアイスグレーの瞳に睨まれた刹那、身体が嘘みたいに硬直して動けなくなった。

「今、なんて?」



身体はどうしても動かなくて。もうこれから夏に移ろっていく時期だというのに、指先は何故か氷のように冷たい。

これはもうダメかもしれない。ぶつかった時、すぐ真後ろにいた事、それから珍しいくらいに目を丸くして固まっていた姿が脳裏に浮かぶ。あの不自然な態度と、近過ぎた距離はそういう事だったのか。



「まさかずっと、聞いて…?え、嘘」

「悪ィ、…実はなまえさんがゲートから出て来たところからずっと見てた。」

「ーーーーー!!」


正真正銘目の前が真っ白になり、足から力が抜けていく。ずるずると柱に背中を預けてしゃがんでしまった。


……やっちゃったなぁ、轟くんすごいびっくりした顔してる。引かれたんだろうな、あーあ、何もかも終わりだ。膝に顔を埋めて今にも泣き出しそうな顔を見られないように隠した。戸惑い気味に轟くんが「大丈夫か?」と呟く。


「……ごめんなさい。」

「何が、」

「今日私が言ってたことは全部、聞かなかったことにしてくれませんか。」

「何言ってーー、」

「お願い、します。」


これじゃ何の為に私は彼の前から姿を消したのか。全ての人にとって最高のヒーローのままでいて欲しかったから、自分に対して恋心を抱いていたデザイナーのコスチュームを着てるんだ、と知られたくなかったからこそ傍にいることを、諦めたのに。

語尾の最後は頑張って耐えてみたけど、やっぱりダメで。どうしても少し震えてしまった。


「お願いします。」

「………なまえさん。」

「知られたくなかったの…。」


顔を伏せたまま続ける。


「傷付くのが怖くて、私は逃げたんです。だって、私が全身全霊こめたコスチュームを否定されるのが、轟くんのヒーローとしての輝きを奪ってしまうのが恐ろしかったから。」

「なまえさん、聞いてくれ」

「ごめんなさい、本当…ごめ……泣くつもりないのに…ダメだ、」

「なまえさん。」


こんな結末なら、帰ってこなきゃ良かったなあ。相変わらず止めどなく溢れる涙、やっぱり私はまだまだ引きずってたみたい。
しかしそんな状態でみっともなく座り込んでる私に、彼は優しい声で私の名前を幾度も呼ぶ。その声にびくりと肩が飛び上がった。

刹那、肩に手を置いて、あやすような素振りで頭をそっと撫でられる。



「な、」

驚いて、顔をあげると目線の高さまでしゃがんだ轟くんがすぐ傍にいた。
あまりにも距離が近くて、思わず上体を退いた途端バランスを崩しかけた。彼はどことなく寂しそうな、それでいて嬉しそうなそんな表情のまま僅かに笑みを浮かべて、呆気にとられる私の頭へと手を伸ばしてくる。


「何してーー、」

「やっと、こっち見てくれたな。」


ゆっくりと切なげに微笑んで、凛々と結ばれたその眦を落とした。ゆったりとした陰が星のような瞳を覆う。美しい所作に息が詰まる。

今も尚続くのは到底理解できそうにない状況。信じられない顔で見つめ続けても、それでも轟くんは私のそばを離れなかった。
あれだけ見られたくなかった泣き顔だったのに、気付けば最早隠すことを忘れていて。


「聞かなかったことになんて出来ねぇよ。」

「………。」


少しだけ、俺の話聞いてくれるか?と問いかけられる。すぐさま首を横に振るけど「じゃあ、これから話すのは俺の独り言だな」と轟くんは冗談めかして再び緩やかに微笑んだ。

自惚れたくなどない、自分の立場も存在も痛いほど理解しているのだから。彼の独り言を聞き続けたとて、いずれ後悔するであろうことは誰の目から見ても明らかなのに。


「手紙、ありがとな。」

「……こちらこそ。」

「あん時、すげえ落ち込んでたんだ、俺。……だからなまえさんから手紙が来てるって知って、驚いた。」

「…………。」

「なあ、なまえさんは何であん時、俺があんなに落ち込んでたんだと思う?」


自惚れたくない、自惚れたくない。淡々と独白めいた言葉の連なりを吐き出して、私の目をじっと見つめてくるその人の眼差しはどこまでも、柔らかな息吹を湛えている。


自惚れたくない。


「同じ気持ちだったんだな。」

「轟くん、それ以上…言わないでください。」

「嫌だ。」


会えただけでもういいの、それ以上は何も望まない。そこから先に踏み出すのが怖いのだから。夢なら醒めて、醒めないで。今の私ならばはっきりと夢なら醒めないでくれ、と願うのだろう。


「伝えるためにわざわざ来たんだからな。」


もうダメだと、そう思ったのはあながち間違いじゃなかったらしい。まさしく現状私はもうダメで、そして轟くんも多分ダメ。
何故なら私たちはもう、欲張ってしまった。

二人して足並みが揃ってしまった以上、迎える先はただ一つしかない。


お互いが同じ気持ちをもっていたのに、相手のことを考えに考えて、そして傷付くのを恐れ離れてしまった時から、全てはとっくに始まっていたんだ。
轟くんは、ほんの少しだけ息をついてから「俺の、話…今度は聞いてくれるか?」と言った。私は、僅かに迷った末に今度は首を縦に振る。
彼は小さく「ありがとな。」と呟き私の目を真っ直ぐに見据えた。その顔に迷いは感じられなかった。



「好きだ。」

「っ、……」


大粒の雫が一筋跡を残して流れていく。自惚れたく、なかったんだけどなぁ。流れた涙を温かな彼の手が掬って、頬に控えめに触れる。胸が締め付けられるように痛い、でも何故だろう。異様に心地がよかった。

冬の雪解けと春の訪れ。轟くんから貰ったどの感情よりも甘いそれに名前をつけるならーー、


「好きだ、なまえさん。ずっと傍にいてぇって思うのは、なまえさんだけなんだ。


だからーー」


俺と、付き合って欲しい。

涙は先程流れた一筋を残して、その言葉と共に消えていった。この感情の名前は、まさしく恋だった。


嘘みたいだ、何もかも。これが仮に、本当に夢ならば一生私は目覚めなくてもいいとさえ思う。


「なまえさんは、嫌か?」

「………わたし、」



嫌なわけない。私は遠くの国に逃げるくらい、彼のことが好きだったんだから。答えはもうとっくに決まっている、あとは勇気を出して言うだけ。

轟くんはただ静かに濡れた頬へと手を寄せ私の返答を待ってくれている。


「私も、好きです。」


言ってしまえば案外終わりが来るのは呆気ないもので。怯えた振りも、もうおしまいだ。

目も当てられないような酷い顔で、ふにゃりと歪ませた人相が最後の最後に本心を呟く。”周りくどくてごめんなさい。”鼻をすすって、頬に添えられた手に自身の掌を重ね、少しささくれだった男性らしい手を包んで胸の前に引き寄せた。私の中にも、同様にもう迷いは無かった。


「もう一度私と、友達から始めてくれませんか……。」



長い夜が明けていく。季節はすっかり新緑で、空港ロビーの外に並んだ木々の青さが目に眩しい。私の問いかけに、轟くんは「こちらこそ、宜しくな。」と微笑む。その笑顔がひたすらに優しくて。私はまた無性に泣きたくなった。


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